artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

野口里佳「夜の星へ」/「鳥の町」

キヤノンギャラリーS/GALLERY KOYANAGI[東京都]

2014年の個展「父のアルバム/不思議な力」(916)を見て、野口里佳の作風が変わりつつあるのではないかと感じた人は多いだろう。亡くなった父親が遺した写真のネガを自らプリントし直した「父のアルバム」、その父が使ったハーフサイズのカメラで、身近に起きる出来事を撮影した「不思議な力」──そこには遠い宇宙の彼方から地上に視線を向けているような、それまでの野口の作品とはやや異質な、親密な感情の交流を感じさせる写真が並んでいたのだ。
今回、ほぼ同時期にキヤノンギャラリーSとGALLERY KOYANAGIで開催された二つの個展もその延長上にある。「夜の星へ」では、ドイツ・ベルリンの仕事場から自宅に向かう2階建てバスの窓から、滲んで広がるイルミネーションや車のヘッドライトの光を、やはりハーフサイズのカメラで撮影していた。「鳥の町」では、「私の家から車で一時間ほど」の場所にある小さな町の上を飛ぶ、渡り鳥の群れにカメラを向けている。どちらも身近な日常の事象を題材としており、それを柔らかに包み込むような雰囲気で写真化しているのだ。
とはいえ。このような「近い」距離感で撮影された写真群が、突然にあらわれてきたのかといえば、そうではないだろう。元々彼女には、近さと遠さ、直観と論理的な構築力を自在に使いこなす能力が備わっており、ベルリンで暮らし始めてから10年余りを経て、それを着実に発揮することができるようになったということだと思う。「夜の星へ」には同時に映像作品も展示されていた。静止画像と同じ被写体を動画化したものだが、その取り組みもまったく違和感なく、自然体でおこなわれている。写真や映像を通過させることで、混沌とした世界の眺めを独自の視点で再構築化していくプロセスが、野口の中にすでにしっかりと組み込まれ、身についていることを、あらためて確認することができた。
会期:「夜の星へ」2015/12/17~2016/2/8 キヤノンギャラリーS
  「鳥の町」2015/12/19~2016/1/30 GALLERY KOYANAGI

2015/12/22(火)(飯沢耕太郎)

写真新世紀2015 東京展

会期:2015/12/03~2016/12/25

ヒルサイドテラス/ヒルサイドフォーラム[東京都]

キヤノン主催の写真公募展「写真新世紀」も変革の時期を迎えつつあるようだ。1991年のスタートから25周年ということで、今回から清水穣(写真評論家)を除いて審査員が大きく変わった。「写真新世紀」の受賞者でもある澤田知子、野口里佳に加えて、フリッツ・ヒールベルフ(オランダ写真美術館キュレーター)、荒木夏美(森美術館キュレーター)、さわひらき(美術家)が審査にあたった。さらに大きな変化は動画映像の応募が可能になったことで、グランプリを受賞した迫鉄平の「Made of Stone」(さわひらき選)がまさに動画作品だった。ほかに優秀賞を受賞したのは、新垣隆太「Sweep」(澤田知子選)、岸啓介「HAKKOxRebirth」(野口里佳選)、HALKA「レッツゴー二匹」(荒木夏美選)、松本卓也「Tangent Point」(フリッツ・ヒールベルフ選)、三田健志「等高線を登る」(清水穣選)である。
出品作品の幅を動画にまで広げたのは、とりあえず成功だったのではないだろうか。カメラに動画機能が組み込まれていることもあり、静止画像と動画のあいだを隔てる壁はかなりなくなりつつあるように思う。スナップショットの映像化というべき今回の迫の作品がそうだったように、今後はその境界領域を行き来する作品がもっと増えてくるだろう。逆に、静止画像であることの意味づけが必要になってくる時代が、もう間もなくくるのかもしれない。
同会場では、前回のグランプリ受賞者、須藤絢乃の新作個展「面影 Autoscopy」も開催されていた。「赤の他人」のポートレートに彼女自身の「面影」をうっすらと重ねあわせ、奇妙な揺らぎを生じさせている。着実に自分の作品世界を深めつつあるのではないだろうか。さらにアーティストトーク、ポートフォリオレビュー、写真レクチャー、映像ライブなどの多彩なイベントも開催され、未来志向がより強まっていた。そのことをポジティブに評価したい。
公式サイト:http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/

2015/12/19(土)(飯沢耕太郎)

東松照明「太陽の鉛筆」

会期:2015/12/11~2016/01/24

AKIO NAGASAWA Gallery/ Publishing[東京都]

東松照明の『太陽の鉛筆』(毎日新聞社、1975)は、いうまでもなく日本の戦後写真を代表する写真集の一つである。1971年の沖縄の「本土復帰」を挟んで、那覇と宮古島に7カ月滞在した東松は、南島の光と風に触発された、のびやかなカメラワークで沖縄の風景や人々の姿を捉えていった。さらにその後の東南アジアへの旅の途上で撮影されたカラー作品を加えて編集・出版されたのが『太陽の鉛筆』である。東松が2012年に亡くなってから3年あまりを経て、その名作が復刊されることになった。赤々舎から刊行された『新編 太陽の鉛筆』は2冊組で、旧版の写真構成をほぼそのまま活かした『太陽の鉛筆1975』(2点のみ未掲載、理由は非公表)と、伊藤俊治と今福竜太が編集した『太陽の鉛筆2015』から成る。後者は、5回にわたって訪れたというバリ島の写真群など、旧版刊行以降の1980~90年代に撮影された沖縄や東南アジアの写真を含む。その刊行にあわせて、東京・銀座のAKIO NAGASAWA Gallery/ Publishingで写真展が開催された。
カラー18点、モノクローム30点は、予想に反してすべて『太陽の鉛筆1975』から選ばれていた。むろん、このシリーズは東松自身のキャリアにおいても、ちょうど折り返しの位置にある重要な作品であり、沖縄を舞台に日本人と日本文化のルーツを探ろうとしたスケールの大きな問題作である。だが、旧版の刊行から40年を経て、それがどのような意味を持つ作品だったのか、あらためて問い直さなければならない時期にきていることは間違いない。伊藤と今福の再編集は、その意味で新たな問いかけとなるものであり、2冊の写真集の作品を対照させてみたかったのだ。今回ははぐらかされてしまったが、ぜひそういう機会を作っていただきたい。
どうしても気になるのはデジタルプリントの色調と諧調である。銀塩印画紙を見慣れた目で見ると、かなり希薄な印象を受けてしまう。東松は晩年、デジタルプリントによる表現を模索しており、今回の展示もその延長上のものなのだが、やはり違和感を覚えてしまった。またオリジナル版の『太陽の鉛筆』と今回の『太陽の鉛筆2015』では、プリントのコントラスト、質感がまったく違う。そのあたりをどう捉えていけばいいのか、僕自身にもまだ答えは出ていないが、考え続けていかなければならない課題といえる。

2015/12/17(木)(飯沢耕太郎)

菱沼勇夫「Kage」

会期:2015/12/08~2016/12/20

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

2015年に菱沼勇夫が開催した個展は、今回で4回目になるという。この数の多さはやや異常事態というべきだろう。これだけの頻度だと、普通ならボルテージが落ちてくるものだが、菱沼の場合はそうならないどころか、逆に展示の密度が上がってきているように感じる。今年、最も飛躍を遂げた写真家の一人といえるのではないだろうか。
今回のTOTEM POLE PHOTO GALLERYでの展示は、前回の同ギャラリーでの個展「Kage」(2015年4月14日~26日)の続編にあたる作品で、文字通り、さまざまな事物の「Kage」の領域に目を凝らそうとしている。とはいえ9点(そのうち8点は100×100センチの大判カラープリント)の作品の内容にはかなりばらつきがあり、沼の風景、裸身のセルフポートレート、鳥の死骸、狼の剥製、ネックレスを握りしめる手、妊娠中の女性のヌードなど多岐にわたる。中には菱沼自身の排泄物を捏ね上げて象ったという髑髏の写真まである。それらがどのように結びついて「Kage」の世界を作り上げているのかは、まだ判然とはしない。だが、彼が何か強い衝動に突き動かされて被写体を選択し、シャッターを切っていることは伝わってくる。いまはその手応えを信じて撮り続けていく時期なのだろう。このテンションを維持するのは大変だろうが、とりあえずは撮影と発表のペースを維持していってほしい。観念と身体性とが独特の形で結びついた、面白い作品世界が見え始めているのではないかと思う。

2015/12/16(水)(飯沢耕太郎)

西野壮平「Action Drawing: Diorama Maps and New Work」

会期:2015/11/26~2016/01/17

IMA CONCEPT STORE[東京都]

西野壮平は2003年以来、世界各地の都市を35ミリのモノクロフィルムで撮影し、それらをキャンバス上にコラージュの手法で貼り合わせていく「Diorama Map」のシリーズを発表し続けてきた。今回の個展では、その中から2004年と2014年に制作された「東京」の両作品、完成したばかりの「ヨハネスブルグ」が展示されていた。そのほかに、その日の移動の軌跡を身につけていたGPS装置の画像を、フォトグラムの手法でなぞって描き出した、新作の「Day Drawing」のシリーズが発表され、「ギャラリー内をアトリエとして滞在し、この秋ハバナで撮影したばかりの作品を公開制作する」という盛りだくさんの内容になっている。西野の仕事の幅が大きく広がり始めていることのあらわれといえるだろう。
これまで続けてきた「Diorama Map」は、たしかに質的にも量的にもめざましい印象を与える作品だ。ただ、この作品の魅力が、西野が実際にカメラ片手に都市の街路を歩き回り、数万枚に及ぶという写真を撮影・プリントして、鋏と糊で貼り付けていくという、身体的な行為の積み上げに支えられてきたことは否定できない。ということは、オリジナルのコラージュ作品にこそ圧倒的なパワーが宿っているはずで、今回のようにそれを「LIGHT JET PRINT」で複写してプリントしたものではその迫力は薄らいでしまうのではないだろうか。それだけでなく、今回はさらに2014年版の「東京」を素材として、それを10×16センチの720枚のプリントに分割し、参加者がそこからパソコンを使って10枚を選んで販売していた。そうなると、さらに身体性が希薄になっていくわけで、このような試みは諸刃の剣のように思えてならない。
なお展覧会にあわせて、西野にとっては初めての写真集となる『東京』(アマナ)も刊行されている。やはり分割画面をページごとに印刷したコンセプト・ブックで、オブジェとしての面白味はあるが、やはり西野の本来の作業とは微妙にずれているように感じた。

2015/12/12(土)(飯沢耕太郎)