artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
薄井一議「昭和92年」
会期:2015/10/31~2015/11/21
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
薄井一議は、2011年に同じZEN FOTO GALLERYで「昭和88年」と題する個展を開催している。かつての色街を中心に、異形の人物が跳梁する前作の雰囲気は今回もそのまま踏襲されており、タイトルも含めて、明らかに続編を意識した作りといえるだろう。だが、「日本最後の見世物小屋、津軽の人形婚、イタコ文化、佐賀の秘宝館、闘犬、元任侠の三味線弾き」(薄井の私信より)など、被写体の幅が広がっているとともに、それらが俗っぽい見かけであるにもかかわらず「侵すことのできない聖域=アジール」に属する事象であることが、しっかりと意識されるようになっている。前作とあわせて見ることで、薄井の作品世界の深まりがはっきりと見えてくるのではないだろうか。
薄井が写真を撮り続ける時に意識していたのは「東京オリンピック」だったという。2020年のオリンピックをめざして、街並は変貌し、至る所で「浄化作戦」が進行している。かつてのいかがわしさを含み込んだ、多面的、多層的な「グレーな文化、矛盾の文化」も窒息状態に追い込まれつつある。薄井はそんな中で、まだ「人間らしく愛らしい文化」が息づいている「アジール」を撮り続けることに、ある種の切迫した感情を抱いているのではないだろうか。そのことが、脱色したようなピンクや水色を強調した写真群から、じわじわと滲み出すように伝わってきた。この「昭和」のシリーズは「最後の昭和の断片が一掃されるであろう東京オリンピックの年で完結」する予定という。それまでに、どれだけの厚みが加わっていくのかが楽しみだ。
なおZEN FOTO GALLERYから写真集『Showa92 昭和92年』から同名のハードカバー写真集が刊行されている。前作に引き続いて町口覚のデザイン。写真のレイアウトがリズミカルで、目に快く飛び込んでくる。
2015/11/11(水)(飯沢耕太郎)
笹岡啓子「SHORELINE」
会期:2015/10/29~2015/11/27
笹岡啓子は東日本大震災以降、2012~13年にかけて三陸沿岸と阿武隈山地の村々を撮影し、「Difference3.11」と題する展覧会を開催し、B5判の小冊子『Remembrance』(全41巻 KULA)を刊行し続けてきた。それらが完結したのを受けて、2015年以降に「SHORELINE」のシリーズを発表しはじめている。本展は2015年6月に開催された同名の展覧会(「秩父湾」を展示)に続くもので、小冊子『SHORELINE』(KULA)もすでに18冊刊行されている。
今回の展示は「香取海」と題され、茨城県の霞ヶ浦の周辺で撮影されたものだ。このあたりは1000年前には関東平野のかなり奥まで海が入り込んでおり、現在とは「海岸線」もかなり違っていた。前回展示した「秩父湾」もそうなのだが、笹岡が試みようとしているのは数千年、数万年の単位で変動していく地勢の変化を、写真撮影を通じて探りあて、「時制を超えた地続きの海」の在処を浮かび上がらせていくことにある。一方、『Remembrance』の完結後も撮り続けられている三陸、福島の被災地域の「海外線」もシリーズの中には組み込まれ、今回、隣室のKULA PHOTO GALLERYで展示されていた「若狭湾」のように、原子力発電所のある風景も視野に入ってきている。つまり、現在と過去の時制が、「海岸線」でせめぎ合うような状況を見つめ直すことが、笹岡のもくろみなのであり、このシリーズはより多様な広がりを持って展開していくのではないだろうか。
とはいえ、笹岡の作品によく登場して来る釣り人たちの姿を画面に取り入れた今回の「香取海」は、主に雨の日に撮影されていることもあって、縹渺とした寄る辺のなさがさらに強まり、魅力的なたたずまいの作品に仕上がっている。つげ義春の一連の「旅もの」の漫画(「枯れ野の宿」1974年など)の描写を思い出してしまった。
2015/11/10(火)(飯沢耕太郎)
仲田絵美「よすが」
会期:2015/11/03~2015/11/09
新宿ニコンサロン[東京都]
仲田絵美は1988年、茨城県出身。本作は2013年に第7回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞し、2015年に赤々舎から写真集として刊行された。
仲田は10歳の時に母親を亡くしたのだが、その遺品はずっとそのままになっていた。ところが父が定年を迎え、それらを処分することになったのをきっかけにして、2011年頃から撮影を開始する。時計、手帳、人形などの遺品だけでなく、母が遺した衣服は自分自身が着用して、セルフポートレートとして撮影していった。また、母の服を着た仲田が、子供時代の自分の服と一緒に写っている写真もある。今回は、写真集におさめた作品をさらにセレクトして、42点が展示されていた。
石内都の「mother's」を例に引くまでもなく、娘が母親の記憶をその遺品を手がかりにして辿るという行為は、ごく自然な気持ちの発露であるように思われる。母親の服を身につけて撮影するというアイディアも、その延長上に出てきたものだろう。ことさらに感情移入しているわけではないが、やや緊張感をともなった、丁寧な撮影ぶりに接していると、観客も「母と娘」のストーリーに無理なく引き込まれていくように感じる。
写真展と写真集の刊行で、このシリーズも一区切りがついたので、次に何をやりたいのかが気になった。仲田に訊くと、自分だけではなく、他者たちを含めた共通の経験を重ねあわせていく方向に進みたいという答えが返ってきた。とてもいいと思う。写真だけでなく、映像(動画)や聞き書きのテキストなども組み合わせていくといいのではないだろうか。
2015/11/08(日)(飯沢耕太郎)
牧口英樹/エレナ・トゥタッチコワ「はじまりのしじま」
会期:2015/10/10~2015/11/14
Takuro Someya Contemporary Art[東京都]
東京・南麻布に新しくオープンしたギャラリーで、日本人とロシア人の写真家というやや異色の組み合わせによる二人展が開催された。牧口英樹は1985年、札幌生まれ。エレナ・トゥタッチコワは1984年、モスクワ生まれ。年齢が近いこと以外に、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程に在学していた(エレナは現在博士課程に在学中)という共通点がある。どちらの作品も、中判カメラで細やかに描写された風景ということに違いはないが、被写体のあり方はかなりかけ離れている。彼らが執筆した、とてもよく練り上げられたコメントによれば、牧口は「都市や環境における人の不在を通じたその『存在』を強く感じ」を、エレナは「自然の中にある人々が、その『存在』を普遍にして」いるというのだ。
ここで彼らが「存在」という言葉で言いあらわそうとしているものこそ、本展の主題である「静寂」(しじま)である。いうまでもなく、写真からは音は聞こえてこない。写真にとって「静寂」は本質的な属性である。だが、だからこそ、逆に「静寂」という状態が「聞こえる」(感じとられる)ものとして立ち上がってくる。牧口とエレナは、それぞれ「都市や環境」、「自然の中にある人々」(モスクワ郊外の夏の情景)を撮影することで、「静寂」に耳を傾け、その「はじまり」を見つめ直そうとしている。そのことが、緊張感を保ちながら、どことなく懐かしさに胸を突かれるような場面として定着されていた。二人とも、写真家としての自分の作品世界が明確に形をとりつつある、とても大事な時期にさしかかっているように感じる。次の展示が楽しみだ。
2015/11/06(金)(飯沢耕太郎)
三好耕三「RINGO 林檎」
会期:2015/10/27~2015/12/26
PGI[東京都]
PGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)は、1979年に東京・虎ノ門にオープンした。日本では1978年開業のツァイト・フォト・サロンに次ぐ、老舗のオリジナル・プリント販売ギャラリーである。1996年には別館のP.G.I.芝浦(田町)をオープン。虎ノ門のギャラリーは2000年にクローズした。その後はずっと芝浦で営業を続けてきたのだが、このたび東麻布に移転し、これまでギャラリーの略称として使われてきたPGIを正式な名称とすることになった。そのリニューアル・オープニング展として開催されたのが、これまでもPGIの看板作家の一人として数々の個展を開催してきた三好耕三の「RINGO 林檎」展である。
16×20インチという超大判カメラを使って、2012年から青森の林檎の樹を撮影したシリーズだが、いかにも三好らしい、風通しのよい作品に仕上がっていた。三好自身の説明を聞いて初めて知ったのだが、林檎の樹のごつごつと歪み、捩じれ、横に広がった樹形は、雪や風のような厳しい自然条件によってでき上がったのではなく、いかにひとつの枝に果実をたくさん実らせるかを追求した結果、人為的な剪定を繰り返してできたものなのだという。そういわれれば、林檎の樹はライフサイズの盆栽を思わせる形状をしている。その武骨な幹や枝ぶりと、つやつやとみずみずしい果実とのコントラストが、モノクロームの豊かな諧調で見事に表現されている。三好の風景写真に特有の、画面全体がゆったりと呼吸しているような感触を、充分に味わい尽くすことができた。
以前に比べてギャラリーのスペースもやや大きくなり、これから先も、若手とベテランとが噛み合った、充実した展示が期待できそうだ。
2015/11/04(水)(飯沢耕太郎)