artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
三上浩+達川清「QUAU in photo」
会期:2015/09/09~2015/10/11
POETIC SCAPE[東京都]
開館したばかりの水戸芸術館現代美術ギャラリーで、1990年に開催された「脱走する写真|11の新しい表現」は懐かしい展覧会だ。森村泰昌、今道子、コンプレッソ・プラスティコ、ソフイ・カル、ダグ&マイク・スターンなど、写真と現代美術の境界領域で活動しはじめていた写真家/アーティストが出品しており、この種の展示の走りというべき企画だった。三上浩+達川清も同展に「QUAU in photo」という作品を出品していたのだが、そのシリーズが、今回25年の時を経て東京・目黒のPOETIC SCAPEで展示された。
「QUAU」というのは「石の音、石の光」を意味する古い漢字「 (コウ)」から来ているという。彫刻家の三上が暗闇の中で石をハンマーで打ち続け、達川が飛び散る火花を写真に定着した。写真には火花によって浮かび上がる石の輪郭(形が変わっていくのでおぼろげに揺らいでいる)と周囲の状況も写し込まれている。単純なパフォーマンスの記録というだけでなく、写真それ自体が光のオブジェとして立ち上がってくる、密度と緊張感のあるいいシリーズだと思う。1980年代から90年代初頭にかけてのこの時期、多くの場所で写真家とさまざまなジャンルのアーティストとの接触、交流の実験が繰り返されていたはずだ。三上浩と達川清のコラボレーションだけでなく、他の写真家/アーティストたちの作品についても、もう一度見直していくべきではないだろうか。
なお1948年生まれの達川清は、1977~80年に三好耕三、広川泰士らと大判写真誌『GRAIN』を刊行し、80年代には『流行通信』などに意欲的なファッション写真を発表していた。技術力と発想力とをあわせ持ついい写真家だと思う。これを機会に、ぜひ新作を発表してほしい。
2015/09/30(水)(飯沢耕太郎)
吉村和敏『雪の色』
発行所:フォトセレクトブックス
発行日:2015年9月25日
吉村和敏は日本を代表する風景写真家の一人。デビュー作の『プリンス・エドワード島』(講談社、2000年)以来、内外の風景を、光と色の効果を駆使して、ロマンチックに描き出す作品を次々に発表して人気を博してきた。だが一方で、彼は何気ない日常の風景に潜む「繊細な日本の美」をシャープな画像で定着する作品も制作している。今回刊行された『雪の色』は『Sense of Japan』(ノストロ・ボスコ、2009)、『CEMENT』(同、2010)、『SEKISETZ』(丸善出版、2013)といった写真集の系譜に連なるものであり、吉村の写真家としての志の高さがよくあらわれていた。
本書のテーマになっているのは、タイトルから想像できるような雪そのものの色ではなく「雪の中の色」である。降り積もる雪の中を車で走っていると、道路標識、漁船、鳥居、自動販売機、郵便ポスト、バス停、自動車など「カラフルな色」が目の前にあらわれてくる。吉村はそれらを撮影することで、そこに「雪国で、雪や曇りのときだけ現れる不思議な色彩世界」を見出そうとしている。これは、なかなか興味深い視点だと思う。普段は逆に違和感を覚えるような派手な原色の道路標識や郵便ポストが、白い雪の風景に配置されると、いかにも日本的な渋い色味に見えてくるのだ。セメント工場の緻密かつデリケートな美しさを捉えた『CEMENT』もそうだったが、逆転の視点で見直すことで、日本の風景写真に新たな可能性が拓けてくるかもしれない。
2015/09/27(日)(飯沢耕太郎)
代官山フォトフェア
会期:2015/09/25~2015/09/27
代官山ヒルサイドフォーラムほか[東京都]
昨年は「HILLSIDE TERRACE Photo Fair」という名称で開催された日本芸術写真協会(FAPA)主催のイベントが、今回は「代官山フォトフェア」と名前を変えて再出発した。代官山ヒルサイドフォーラムとその近辺の会場を舞台に、EMON PHOTO GALLERY、G/P gallery 、MEM、nap gallery、TARO NASU、YUKA TSURUNO GALLEY、 Taka Ishii Gallery、The Third Gallery Aya、Zen Foto Galleryなど写真作品を扱う日本の代表的なギャラリー20軒が参加し、「フォトブック・サロン」のスペースにはIMA、小宮山書店、MATCH and Company、POST、shashasha、twelvebooksが出品していた。
シルバー・ウィ─クの直後という日程のためか、観客数はあまり伸びなかったようだ(それでも昨年を上回った)。だが、ゆったりと落ち着いた雰囲気で写真や本を見ることができたのはよかったと思う。展示の他にトークセッションやワークショップも開催され、総合型の写真イベントとして着実に育てていこうという意欲が伝わってきた。またFAPA独自の活動として、今年から年2冊のペースでオリジナル編集の写真集を刊行することになり、その第一弾として、石内都が撮影した「遺品」の写真をまとめた『Belongings 遺されたもの』(Case Publishing)が披露されていた。ハードカバーのしっかりした造本の写真集であり、今後の展開が期待できそうだ。
回を重ねていくうちに認知度も高まり、秋の行事として定着していきそうだが、小さくまとまらずに、国際的な情報発信の場となるといいと思う。nap galleryが紹介していた三善チヒロや鶴見幸代の新作のように、既存の写真家だけでなく、これから個展を開催するような新人も積極的に取り上げていってほしいものだ。
2015/09/26(土)(飯沢耕太郎)
伊奈英次『YASUKUNI』
発行所:Far East Publishing
発行日:2015年8月15日
伊奈英次が靖国神社を撮るのは意外なことではない。というのは、彼には既に全国各地の天皇陵を長期間にわたって撮影した労作『Emperor of Japan』(Nazraeli Press, 2008)があるからだ。
だが、デビュー作の「都市の肖像」(フォトギャラリー・OWL、1981年)以来、これまでの主に風景写真的なアプローチで撮影した写真を見慣れてきた者にとっては、今回の写真集にはかなりの違和感を覚えるだろう。伊奈が1989年から続けているこのシリーズで、彼がカメラを向けているのは、靖国神社の境内に群れ集う人物たち(やはり右翼、愛国者といった人たちが多い)だからだ。アプローチとしては典型的な「社会的風景」を志向するスナップショットであり、一癖も二癖もありそうな人物たちが、モノクロームの中判カメラでくっきりと切り出されている。
伊奈のこの撮影対象と手法の変化は、むしろ靖国神社というテーマから必然的に導き出されたのではないだろうか。そこは建物や広場に意味があるのではなく、そこに集まってくる群衆のうごめきや、彼らが引き起こすイベントこそが重要なファクターになるからだ。とはいえ、伊奈は報道写真的なアプローチをめざしているわけではない。むろん「小泉首相の参拝」や「石原慎太郎都知事参拝」といった出来事も写してはいるが、その詳細を記録・伝達するというよりは、さまざまな要素がひしめき合うカオス的な状況こそが、伊奈の関心の的なのだ。アメリカ各地で開催されたイベントを撮影したゲイリー・ウィノグランドの名作『Public Relations』(1977年)のように、このアプローチを推し進めていけば、靖国神社以外に撮影対象を広げていくことも考えられそうだ。
2015/09/23(水)(飯沢耕太郎)
生誕100年 写真家・濱谷浩──もしも写真に言葉があるとしたら
会期:2015/09/19~2015/11/15
世田谷美術館[東京都]
1999年の死去から16年あまりを経て、濱谷浩の回顧展が開催された。「モダン東京」「雪国」「裏日本」「戦後昭和」「學藝諸家」の5部構成で、代表作200点が並ぶ。生前制作のプリントを元にして、2015年に再制作された写真だからだろうか。戦前や1950年代の写真群を見ても、奇妙な生々しさを感じる。今回は残念なことに、後期の代表作である1970年代以降に世界各地で撮影された壮大なスケールの風景写真のシリーズは割愛されているのだが、より大きな会場で、この不世出の写真家のより規模の大きな展示を見たいものだ。
今回あらためて強く感じたのは、濱谷の写真家としての実験精神である。1930年代の銀座や浅草のモダンな風俗写真は、明らかに同時代の「新興写真」の影響化にあり、1945年8月15日の正午にカメラを天に向けて写した「終戦の日の太陽」の写真も、その延長上にあると思う。『雪国』(毎日新聞社、1956年)、『裏日本』(新潮社、1957年)でドキュメンタリー写真に転じた後も、画面構成や明暗の処理にはモダニズム時代以来の実験精神が息づいている。『學藝諸家』(岩波書店、1983年)も単なる人物ポートレートの写真集ではない。モデルの個性をどのように表現していくのか、画面の隅々にまでさまざまな工夫が凝らされている。
内容だけではなく、むしろ語り口やフォルムから濱谷の写真を読み解いていく視点が必要になるのではないだろうか。彼の写真表現の「新しさ」に着目すべきだろう。
2015/09/22(火)(飯沢耕太郎)