artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

西江雅之『写真集 花のある遠景』

発行所:左右社

発行日:2015年11月20日

西江雅之(1937~2015)は東京生まれの文化人類学者・言語学者。3年間風呂に入らない、同じ服を着続ける、歯ブラシ一本で砂漠を踏破した、といった「伝説」が残るが、生涯にわたってアフリカ、アジア、中米などに足跡を残した大旅行家でもあった。その彼が撮影した数万カットに及ぶ写真群から、管啓次郎と加原菜穂子が構成した遺作写真集が本書である。
前書きとしておさめられたエッセイ「影を拾う」(初出は『写真時代 INTERNATIONAL』[コアマガジン、1996])で、西江は自分にとって写真とは「時間とは無縁に存在する形そのものを作る」ことだったと書いている。何をどのように撮るのかという意図をなるべく外して、被写体との出会いに賭け「『うまく行け!』と、半ば祈りながらシャッターを押す」。このような、優れたスナップシューターに必須の感覚を、西江はどうやら最初から身につけていたようだ。本書におさめられた写真の数は決して多くはないが、その一点、一点がみずみずしい輝きを発して目に飛び込んでくる。「形」を捕まえる才能だけではなく、そこに命を吹き込む魔術を心得ていたのではないだろうか。
西江の写真を見ながら思い出したのは、クロード・レヴィ=ストロースが1930年代に撮影したブラジル奥地の未開の部族の写真をまとめた『ブラジルへの郷愁』(みすず書房、1995)である。レヴィ=ストロースのナンビクワラ族と西江のマサイ族の写真のどちらにも、写真家と被写体との共感の輪が緩やかに広がっていくような気配が漂っている。「人類学者の視線」というカテゴリーが想定できそうでもある。

2015/11/21(土)(飯沢耕太郎)

三宅砂織/山本優美「Why did I laugh tonight?」

会期:2015/10/31~2015/12/06

Gallery OUT of PLACE TOKIO[東京都]

Gallery OUT of PLACE TOKIOで陶芸家の山本優美と二人展を開催している三宅砂織が用いているフォトグラムも古い技法だ。写真の発明者の一人である、イギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが、すでに1830年代に「フォトジェニック・ドローイング」と称して実験を試みている。
ただし、三宅の手法は印画紙の上に物体を置いて光に曝し、そのシルエットを写し取る通常のフォトグラムとは異なっていて、透明な素材にドローイングしたものを「ネガ」として使用し、それにガラスやプラスチックのオブジェをまき散らすように配置してプリントするものだ。最終的な発表の形態は印画紙なのだが、画像の見かけは絵画作品そのものである。それでもスナップ写真を素材にしてドローイングしている場合が多いのと、モノクロームに仕上がるので、写真作品と見えなくもない。その絵画と写真の折衷というあり方が、独特の雰囲気を醸し出していた。
今回の展示では、前回の展示に比べると大きな作品が増えてきている。大判の印画紙を4枚繋ぎ合わせているものもある。以前は作品が小さかったので、親密な印象を与えるものが多かったのだが、画面が大きくなってダイナミックな躍動感が出てきた。同一の「ネガ」から何枚かプリントしたり、裏焼きにしたりした作品もあり、以前よりも絵画的な要素が強調されているようにも見える。三宅の作品における写真的要素と絵画的な要素は、せめぎ合いつつ、ヴァリエーションを増やしていくのだろう。その上で、今回何点か出品されていた「花」のシリーズのように、特定のテーマに絞り込むことも考えられそうだ。

2015/11/19(木)(飯沢耕太郎)

下平竜矢「星霜連関」

会期:2015/11/10~2015/11/23

新宿ニコンサロン[東京都]

下平竜矢は、10年前に移り住んだ青森県八戸市の古い神社で獅子舞を見た時に、「原始の時間が現出した」ように感じたという。それ以来、「かの始めの時」を求めて各地の祭礼や民俗行事を中心に撮影してきた。それは芳賀日出男、内藤正敏、須田一政など、これまで多くの写真家が取り上げてきたテーマだし、近年でも石川直樹や小林紀晴の仕事が思い浮かぶ。だが、それらの写真家たちとの差異性を意識し過ぎることなく、自分のやり方を押し通していったことで、独自の質感を備えた写真群が形をとりつつある。今回、新宿ニコンサロンで開催された個展、およびZEN FOTO GALLERYから刊行された同名の写真集を見て、下平の作品の方向性が着実に固まってきたことを確認できた。
出品作33点には、祭礼や行事の様子がしっかりと記録されているものもある。だがむしろ目につくのは、炎、水、空気のどよめき、群集のうごめきなどに還元された、何が写っているのかよくわからない写真だ。つまり下平は、オーソドックスな「民俗写真」の作法に寄りかかることなく、「原始の時間」をむしろ直接的につかみ取ろうとしているのではないだろうか。そのことは、写真展や写真集に、日付、場所、行事についてのデータ、キャプションが一切省かれていることからも裏づけることができる。このやり方が諸刃の剣であることをよく承知しつつ、彼があえて「未知なる感覚」にチャレンジしようとしていることを評価したい。
なお、同時期に東京・渋谷の東塔堂でも作品19点による同名の個展が開催された(2015年11月17日~11月28日)。こちらはより徹底して、風景から立ち上ってくる「気配」に集中している。

2015/11/18(水)(飯沢耕太郎)

ティム・バーバー「Blues」

会期:2015/10/10~2015/11/14

YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]

ティム・バーバーは1979年、カナダ・バンクーバー生まれ。アメリカ・マサチューセッツ州で育ち、現在はニューヨークを拠点として活動している。ライアン・マッギンレーなどとともに、アメリカのニュー・ジェネレーションの写真家として注目されている若手で、繊細でセンスのいいポートレートやスナップをファッション雑誌などにも発表している。
だが、今回東京・東雲のYUKA TSURUNO GALLERYで発表した「Blues」は、これまでの作品とは一線を画するものだ。全作品が19世紀以来使われている古典技法の一つで、青みのある画像がミステリアスな雰囲気を醸し出すサイアノタイプでプリントされているのだ。画像そのものはiPhoneで撮影された軽やかなスナップショットなので、古典技法のテクスチャーとはミスマッチなのだが、逆にそれが面白い効果を生み出している。特にいくつかの作品に写り込んでいる「影」の描写が魅力的だ。「影」を画面に取り込むことは、リー・フリードランダーや森山大道、さらに最近ドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』が公開されて話題を集めているヴィヴィアン・マイヤーなどもよく試みている。だが、バーバーの「青い影」は、彼らの存在証明として「影」の描写よりもより希薄で、フワフワと空中を漂うような浮遊感がある。彼が今後もサイアノタイプの作品を作り続けるかどうかはわからないが、現代写真と古典技法の組み合わせは、さらなる融合の可能性を秘めていると思う。

2015/11/13(金)(飯沢耕太郎)

西野達「写真作品、ほぼ全部見せます」

会期:2015/09/05~2015/10/31

TOLOT/ heuristic SHINONOME[東京都]

すでに会期は終わっていたのだが、そのまま会場に展示されていたので、西野達の写真作品をまとめてみることができた。
シンガポールのマーライオン像やニューヨークのコロンブス像を、ホテルの部屋の中に取り込んだ大規模なインスタレーション作品(《The Merlion Hotel》〔2011〕、《Discovering Columbus》〔2012-13〕)で知られる西野だが、それらのドキュメントとしてだけではなく、写真作品としても高度なレベルに達しているものが、たくさんあることがよくわかった。通行人の頭の上にベッドなどの家具を積み上げた《Life’s little worries in Berlin》(2007)や《Life’s little worries in Osaka》(2011)、豆腐で作った仏陀に醤油を噴水のように振りまく《豆腐の仏陀と醤油の後光──極楽浄土》(2009)など、発想の柔軟さと豊かさ、それを形にしていく手際の鮮やかさを堪能することができた。
1960年、名古屋出身の西野は、武蔵野美術大学大学院修了後、ドイツのミュンスター大学美術アカデミーで学び、現在はドイツを拠点として活動している。いわゆる「彫刻」の枠組みにはおさまりきれない、仮設のインスタレーションが彼の持ち味だが、それには画像として固定することが不可欠の要素となる。その写真撮影のプロセスが洗練されているだけでなく、遊び心にあふれているところがとてもいい。

2015/11/13(金)(飯沢耕太郎)