artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
野村浩「Invisible Ink」
会期:2015/12/16~2016/02/06
POETIC SCAPE[東京都]
「青い魔法のインク」という異名を持つ「Invisible Ink」とは、「イギリスArgletonに住むWilliam Louisが、銀塩の技術が衰退し、デジタル化が進む今日に、写真の魔法を取り戻すことをねらって再製品化したインク」だという。会場のガラス戸棚には、Louis氏の祖父が開発したという、そのインクの製品見本や使用説明書、プリントのサンプルなどが並べられていた。
正体を明かせば、この「Invisible Ink」なるものは、野村浩の創作物である。野村はこのところ、フィクションとノンフィクションの境界を行ったり来たりする作品を発表し続けているが、今回もその延長上の仕事といえる。いつもながら手の込んだ仕掛けで、写真史の知識がないとつい騙されてしまうこともありそうだ。
だが、問題はむしろその仕掛けよりも、「Invisible Ink」(実際にはサイアノタイプ)の技法によって定着されたイメージのほうではないだろうか。野村はかつて、街中でゴッホの自画像が印刷されたチラシを目にして「生身のゴッホが立ちあらわれたようで、ゾッとした」ことがあるという。その体験を再現するために、ゴッホの画集に収録された自画像を全部複写し、そのいくつかをサイアノタイプでプリントした。それら、ぼんやりと心霊写真のように浮かび上がる、異様に歪んだ顔のイメージは、たしかに強烈な喚起力を備えている。それだけでも充分と思えるほどだが、「Invisible Ink」というフィクショナルな要素を重ね合わせることで、画像のリアリティが逆に強化されているように見えるのが興味深い。それにしても、野村の奇妙なアイディアを次々に思いつく才能には、いつも驚かされる。
2016/01/09(土)(飯沢耕太郎)
渡辺眸「『旅の扉』~猿・天竺~」
会期:2016/01/08~2016/01/24
アツコバルー[東京都]
渡辺眸は1968年に東京綜合写真専門学校を卒業後、東大全共闘や新宿のアングラ・ムーブメントを撮影したあと、1972年からアジア各地を旅しはじめる。今回のアツコバルーでの展覧会では、1970年代から90年代にかけてインド・ネパールで撮影された「天竺」と、ネパールのモンキーテンプルで猿たちと出会ったことで、日本各地でも撮影するようになった「猿」の2シリーズが展示されていた。
渡辺の「天竺」には、不思議な時間が流れているように見える。普通、旅の途上で撮影された写真には、ある種の寄る辺のなさを含み込んだ「通過者の視線」があらわれてくるのではないだろうか。移動のあいだにふと目にとめた事象が、一瞬ののちには消え失せてしまうような儚さがつきまとうということだ。ところが、渡辺の写真に写っている人も動物も風景も、「永遠」といいたくなるような長い時間、そこに留まり続けているように見える。渡辺と被写体との無言の対話の時間が、そこに封じ込められているように思えてくるのだ。それは「猿」シリーズでも同じことで、ネパールや日本各地で撮影された猿たちも、明らかに「永遠」の相を身に纏っているようだ。
今回の展示には、1998年にプリントされたという大伸ばしのデジタル・プリント13点も展示されていた。会場構成のアクセントとしてうまく効いていたのだが、現在のデジタル・プリントと比較するとかなり画像の精度が落ちる。ただ、そのモアレ状になってしまったドットが、逆に面白い視覚的効果を生んでいた。20年近く前のデジタル・プリントが、すでヴィンテージ・プリントとして機能し始めているというのが興味深い。
2016/01/08(金)(飯沢耕太郎)
須田一政「民謡山河」
会期:2016/01/05~2016/01/31
JCIIフォトサロン[東京都]
「民謡山河」は『日本カメラ』に1978年から2年間にわたって連載されたシリーズである。各地に伝えられた民謡や祭礼をテーマに、写真評論家の田中雅夫(濱谷浩の実兄)が軽妙洒脱な文章を綴り、須田一政が写真を撮影した。富山県越中城端の「麦や節」を皮切りに、全国22府県、24カ所を巡るという力の入った企画で、須田にとっては、初期の代表作である『風姿花伝』(朝日ソノラマ、1978)から、より普遍的な「起源にある視覚」(M・メルロ=ポンティ)を探求した『人間の記憶』(クレオ、1996)に向かう過程に位置づけられる重要な作品といえる。
今回展示された70点は、掲載された写真のネガの多くが見つからず「手元に残るプリントの中から選んだ」ものだという。「民謡山河」の全体像を再現することはできなかったが、逆にこの時期の須田の、6×6判のフレーミングに目の前の事象を封じ込め、魔術的ともいえるような生気あふれる空間に変質させてしまうイメージ形成の手腕を、たっぷりと味わい尽くすことができた。また撮影時から40年近くを経て、須田自身が「その時代と民謡を守る人々の姿に日本の根っこのようなものを感じてもらえれば」と書いているように、失われた世界の記録としての意味合いも強まっているように感じた。風土と人間が緊密に結びつき、地域社会のコミュニティがいきいきと機能していた時代が、ちょうどこの頃に終焉を迎えつつあったことが、感慨深く伝わってくるのだ。
2016/01/07(木)(飯沢耕太郎)
石井陽子「境界線を越えて」
会期:2016/01/05~2016/01/19
銀座ニコンサロン[東京都]
石井陽子は1962年山口県生まれ。2005年に「マダガスカルのキツネザルを撮りたくて一眼レフを衝動買い」したことから、国内外を旅して動物写真を撮影するようになる。それだけなら、どこにでもいるアマチュア写真家の趣味の世界だが、2011年に「鹿を撮る」というテーマに巡りあったことで、取り組みの姿勢が大きく変わった。それが今回の銀座ニコンサロンでの初個展にまで結びついた。
日本全国に約250万頭棲息しているという鹿は、日本人にとって特別な意味を持つ動物である。奈良の春日大社や宮島の厳島神社の周辺では「神の使い」として手厚く保護され、観光資源としても活用されている。だが、ほかの地域では農作物を食い荒らす「害獣」として扱われ、年間20万頭近くが狩猟で捕えられ、27万頭以上が「駆除」されているという。石井は同じ種の生きものが、その二つの社会的領域のあいだの「境界線を越えて」存在していることに強い興味を抱いて撮影を続けてきた。今回の展示では、奈良と宮島の鹿たちが、都市空間と共存している状況に絞って会場を構成している。その狙いは、とてもうまくいったのではないだろうか。ビル街を自由に闊歩したり、港の近くに佇んだりする鹿の姿は、見る者にかなりシュールな驚きを与える。あえて人間の姿をすべてカットしたことで、「人の消えた街を鹿たちが占拠する日を夢想する」という彼女の思いが的確に伝わってきた。今後は「境界線」の向こう側、「害獣」として「駆除」されている鹿たちの姿をどのように捉えていくかが課題となってくるだろう。
なお、展覧会にあわせて写真集『しかしか』(リトルモア)が刊行された。祖父江慎のデザイン・構成は、やや生真面目な雰囲気の写真展と違って遊び心にあふれている。これはこれで、なかなかいいのではないだろうか。
2016/01/06(水)(飯沢耕太郎)
桜井里香「岸辺のアルバム」
会期:2015/12/22~2016/12/29
新宿ニコンサロン[東京都]
とても面白い写真展だった。桜井里香は1964年、東京生まれ。88年に東京綜合写真専門学校研究科を卒業し、89年に個展「遊歩都市」(ミノルタフォトスペース新宿)を開催した。都市光景の中に自分自身を写し込んだこのシリーズは、女性写真家の新たな自己主張のあらわれとして注目され、「第2回期待される若手写真家20人展」(パルコギャラリー、1990年)や「私という未知へ向かって──現代女性セルフポートレート展」(東京都写真美術館)でも展示された。だが、その後長く、写真作品を発表できない時期が続く。ようやく制作を再開したのは2013年頃で、それが今回の個展開催にまでつながった。
今回の「岸辺のアルバム」もセルフポートレートのシリーズである。山田太一の脚本によるテレビドラマ「岸辺のアルバム」(1977年)の舞台になった多摩川流域を撮影場所に選び、そこに彼女自身を登場させている。かつての軽やかな若い女性像と比較すると、50代を迎えつつあるサングラス姿の彼女は、やや異様で、場違いな雰囲気を醸し出している。だが逆に、そのズレが効果的なスパイスとして働いていて、日々の出来事を新たな角度から見直すことができた。そこにはカヌー体験教室、いかだレース、マラソン大会などのイベント、コーラスの練習、青空フラダンス教室のような地域コミュニティーの活動だけでなく、ゲリラ豪雨や川火事、川崎中学生殺害事件の現場など非日常的な状況も写り込んでいる。デジタルカラープリント特有のフラットで、細やかな描写によって、絶妙な距離感で捉えられたそれらの眺めは、セルフポートレートという仕掛けを組み込むことで、「社会的風景」として批評的に再構築されているのだ。
まずは、かつての「期待される若手写真家」が、鮮やかに復活を遂げたことを祝福したい。このシリーズは、もう少し続けてみてもよさそうだ。
2015/12/28(月)(飯沢耕太郎)