artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

中里和人『lux WATER TUNNEL LAND TUNNEL』

発行所:ワイズ出版

発行日:2015年10月5日

中里和人は全国各地に点在する仮設の「小屋」を撮影した代表作『小屋の肖像』(メディアファクトリー、2000年)を見ればわかるように、あまり人が気づかない魅力的な被写体を見つけ出す能力に優れている。本書では、千葉県(房総半島)と新潟県(十日町周辺)に残る、素堀のトンネルをテーマに撮影した写真を集成した。
これらのトンネルは、江戸時代以降に、蛇行する川の流れを変え、かつての河床に水田を開発するために作られたものという。房総では「川廻し」、新潟では「瀬替え」と呼ぶ新田造成のために掘られたトンネルは「間府(まぶ)」と称される。この名称は、どうしてもこの世(光の世界)とあの世(闇の世界)を結ぶ通路を連想させずにはおかない。中里の写真では、トンネルの入口から射し込む光(lux)の圧倒的な物質性が強調されているのだが、これらの写真群は、死者の目で見られた道行きの光景を定着したものといえるのではないだろうか。
そのような、象徴的な意味合いを抜きにしても、素堀の壁に残るツルハシやノミの痕跡、剥き出しになった地層、地下を流れる水の質感、動物の骨や足跡など、それ自体が被写体として実に豊かなディテールを備えているのがわかる。とりたてて特徴のない田園地帯の足下に、このような「日常と非日常を往還するニュービジョン」が隠されていたことは、驚き以外の何ものでもないだろう。このテーマは、さらに別な形で展開できそうな気もする。

2015/10/28(水)(飯沢耕太郎)

新井卓『MONUMENTS』

発行所:フォト・ギャラリー・インターナショナル

発行日:2015年9月1日

新井卓はここ10年ほど、ダゲレオタイプの作品を制作・発表している。ダゲレオタイプはいうまでもなく、1839年にルイ・ジャック・マンデ・ダゲールがその発明を公表した「世界最初の実用的な写真技法」であり、金属板に沃化銀で画像を定着するためには、複雑で手間のかかるプロセスを経なければならない。しかも新井が撮影しているのは、福島第一原子力発電所の事故現場の周辺地域、死の灰を浴びた第五福竜丸の展示館、アメリカ・ニューメキシコ州の核実験サイト、長崎・広島の原爆遺構や遺品など、アクチュアルな歴史的、社会的な「現場」ばかりだ。普通なら「報道写真」として大量に印刷・公表されていくような被写体を、わざわざ一回の撮影で一枚の写真しか残すことができないダゲレオタイプで制作しているところに、新井の意図が明確にあらわれている。つまり、日々消費され、忘れ去られていく出来事を、あえて「モニュメント」として時の流れの中に屹立させようというもくろみなのだ。
さらに今回、2011年の東日本大震災以降に制作された作品をまとめた写真集を刊行するにあたって、新井は「ダゲレオタイプを印刷するという矛盾」(竹内万里子)も引き受けようとしている。それは複製が不可能であるというダゲレオタイプの特性を否定することに他ならない。だが大西正一によって丁寧にデザイン・造本された黒い箱入りの写真集は、別な意味でそれ自体が「モニュメント」性を獲得しているように見える。新井の仕事につきまとう矛盾や逆説は、マイナス札が揃うとプラスに転じるような効果をもたらしているのではないだろうか。

2015/10/27(火)(飯沢耕太郎)

寺田真由美「温湿シリーズ 視る眼差し×看る眼差し」

会期:2015/10/13~2015/11/13

BASE GALLERY[東京都]

寺田真由美は2000年代に入って、ニューヨークを拠点として写真作品を制作しはじめ、日本ではBASE GALLERYを中心にコンスタントに発表を続けている。今回の「温湿シリーズ」も、これまでの作品と同様にミニチュアサイズの「部屋」を構築し、ライティングして撮影するという手法を使っているが、内容的には新たな領域に踏み込みはじめているようだ。
寺田の作品は「不在」というテーマをさまざまなシチュエーションで変奏しているのだが、あまりにも個人的な物語性が強くなりすぎると、やや空々しく思えてしまうこともあった。「温湿シリーズ」も英語の副題が「the view from someone lying in bed × someone else's view from the side」であることから見ると、ベッドの上に横たわって、外の「温室」を視ている人と、それを傍らで看ている人という物語が秘められているようだ。だが、それがあからさまではなく、むしろ植物(外)と部屋(内)、それを隔てつつ繋いでいる窓や扉という空間的な構造が強く打ち出されることで、見る者の記憶を引き出す装置としての作品のあり方が、より普遍性を持ち、明確になってきているのではないだろうか。
また、それぞれのプリントの色調をグレーから緑まで微妙に変化させたり、ピントが合っている部分をずらしたり、構図やライティングを変えたりする操作を、積極的におこなうことで、全体としては統一したトーンを保ちながらも、個々のプリントに変化をつけていることも見逃せない。1点だけ、他の作品とは違うテーマで展示されていた「two flower pots and window」という作品が、どこから来て、どんなふうに展開していくのか、そのあたりも気になるところだ。

2015/10/26(月)(飯沢耕太郎)

ポール・コイカー「ヌード アニマル シガー」

会期:2015/10/03~2015/11/22

G/P GALLERY[東京都]

オランダの写真家、ポール・コイカー(Paul Kooiker 1964~)は、以前から気になる写真家の一人だった。肥満体の女性をモデルにした写真集『Heaven』(2012)など、ユーモアと観察力が結びついた独特の世界観の持ち主だと思う。今回のG/P GALLERYでの展示は、そのコイカーの日本で最初の個展であり、ハーグ写真美術館で2014年に開催された回顧展に出品された「Nude Animal Cigar」のシリーズから抜粋した作品を見ることができた。
タイトル通り、ヌード(例によってふくよかな女性たち)、動物園で撮影された動物や鳥たち、そして愛煙家である彼にとって愛着のある品物であるシガーの吸い殻の3つのテーマが、生真面目に撮影され、やや茶色がかった色味のモノクローム写真にプリントされて、図鑑のような趣で並んでいる。「3つのオブジェを3部構成のユニットとして組み合わせて、ケミカルな反応が引き起こされるインスタレーション」として提示するという意図が、明確に伝わってくるいい展示だった。
連想したのは、マン・レイ、J.アンドレ・ボワッファール、ハンス・ベルメール、ヴォルスら、シュレアリスムとその周辺のアーティストたちが1920~30年代に撮影した写真群である。彼らは無意識の領域にうごめく性的な欲望を、ヌードやオブジェに託して隠喩的に表現したのだが、コイカーも明らかにその系譜に連なる写真家といえるだろう。プリントのやや古風な雰囲気が、シュルレアリストの末裔という彼のポジションにうまくはまっているように感じた。

2015/10/20(火)(飯沢耕太郎)

The Emerging Photography Artist 2015 新進気鋭のアート写真家展

会期:2015/10/13~2015/10/18

アクシスギャラリー シンポジア[東京都]

ジャパン・フォトグラフィー・アート・ディーラーズ・ソサイエティー(JPADS)が主催する第4回目の「新進気鋭のアート写真家展」が、東京・六本木のアクシスギャラリー シンポジアに会場を移して開催された。各大学の写真学科、写真専門学校の教員を中心としたノミネーターが、それぞれ参加者を推薦するというやり方も、ほぼ定着してきたようだ。今回の出品作家は浅田慧子、馬場さおり、陳程、橋岡慶嵩、岩佐・ジェームズ・スワンソン、小池莉加、今野竣介、李受津、毛宣恵、松本典子、山本圭一、吉田麻美の12名である。
既に第14回「写真ひとつぼ展」(1999年)でグランプリを受賞し、写真集『野兎の眼』(羽鳥書店、2011年)なども刊行している松本典子を除けば、現役の学生か、まだ卒業して間のない、文字通りの「新進気鋭」の写真家たちの作品が並んでいる。技術的には申し分なく、作品世界もしっかりと構築されている作品が大部分だが、はみ出していく若さやパワーはほとんど感じられない。おそらく出品者の選考法にも問題があるのではないだろうか。先生が学生を選ぶということになると、どうしても優等生が多くなるのは仕方のないことだからだ。
目についたのは陳程(チン・チェン 日本大学芸術学部卒業、中国出身)、李受津(イ・スジン 大阪芸術大学大学院在学中、韓国出身)、毛宣恵(マオ・シュアンフイ 日本大学芸術学部卒業、台湾出身)といった、アジア諸国からの留学生の作品である。表現意欲、技術、継続性において、彼らの作品は他の日本人写真家たちの多くを凌駕しているように見える。アジア各地の大学や専門学校の学生、出身者にも、選考の網を拡大していくなど、そろそろ一工夫が必要な時期に来ているのではないだろうか。

2015/10/18(日)(飯沢耕太郎)