artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
潮田登久子『マイハズバンド』
発行所:torch press
発行日:2022/02/05
潮田登久子の新著『マイハズバンド』のページをめくって、嬉しい驚きを味わった。潮田は、1978年に写真家の島尾伸三と結婚し、同年には娘の真帆が生まれて、79年から世田谷区豪徳寺の古い洋館の2階の1室に住みはじめた。その1970年代末から80年代初頭にかけて撮影された、6×6判のカメラと35ミリ判のカメラの写真群を、それぞれ分冊して掲載した2冊組の写真集には、当時の彼らの暮らしが写り込んでいる。
潮田といえば、代表作の『冷蔵庫』(光村印刷、1996)や『BIBLIOHECA』シリーズ3部作(2016~17)を見れば分かるように、桑沢デザイン研究所時代で学んだ大辻清司や石元泰博の作風を受け継いで、コンセプトを定め、中判カメラで“モノ”のたたずまいや質感をしっかりと押さえていく写真家というイメージが強かった。「生活」のディテールに細やかに分け入り、融通無碍なカメラワークで撮影していく写真のあり方は、むしろ夫の島尾伸三の領域であるように思い込んでいたのだ。
ところが、今回の写真集を見ると、『冷蔵庫』の原型となった中古の冷蔵庫を撮影した写真のように、「モノ」や風景を端正な画面構成の意識で切りとった作品もあるが、夫と娘とともに過ごす時空間の厚みと広がりを、伸び縮みする視線で自在に捉えたスナップ写真が多いことに気がつく。つまり、潮田と島尾は別に写真家としての分業を企てていたわけではなく、ともに影響を及ぼしあいながら、「生活」の写真化に向き合いつつあったということだろう。宮迫千鶴が『《女性原理》と「写真」』(国文社、1984)で「両性具有原理にもとづく可変的な交換運動的視点から綴られた『写真』の一例」として紹介した、潮田と島尾の「写真的結婚」のあり方が、本書で具体的に形をとっているともいえる。
なお写真集出版に合わせて、潮田登久子「マイハズバンド/My Husband」展(PGI、1月26日~3月12日)が開催されている。
2022/02/05(土)(飯沢耕太郎)
subjektive fotografie vol.4 原本康三
会期:2022/01/19~2022/02/12
スタジオ35分[東京都]
東京・新井薬師前のスタジオ35分で連続的に開催されてきた「subjektive fotografie」展も4回目を迎えた。新山清、大藤薫、後藤敬一郎に続いて、今回は広島出身の原本康三(1921-2006)を紹介している。ドイツ・ザールブリュッケンのオットー・シュタイネルトが1950年代に展開した「subjektive fotografie」展(日本では「主観主義写真」と称された)には、同時代の何人かの日本人写真家が参加している。原本康三もその一人で、シュタイネルトの企画で1959年に開催された「subjektive fotografie 3」展に出品し、同展のカタログを兼ねて1959年3月に、スイス・ローザンヌで刊行された『camera』誌の「subjektive fotografie」特集にも、マン・レイ、ラースロー・モホイ=ナジ、ハーバート・バイヤー、アーヴィング・ペンらとともに作品が掲載されている。今回は、残された数少ないヴィンテージ・プリントから複写したニュー・プリントが展示されていた。
原本は、主に瀬戸内海沿岸の海辺に題材を求めて撮影を試みていた。魚介類、海辺の道、石垣、網などの日常的な事物を、白黒のコントラストの高いプリントに焼き付け、ときにはネガフォトなどのテクニックも用いている。極端な幻想性に走るのではなく、あくまでもリアルな実感が基調になっており、画面構成のテンションも高い。とりたてて特徴のある作風とはいえないが、この時期の「主観主義写真」の作り手の表現レベルを、しっかりと体現しているといえるだろう。
スタジオ35分の連続展示によって、短命には終わった日本の「主観主義写真」の時代の見取り図が、少しずつ明らかになってきた。次世代の写真家グループVIVOとその周辺の写真家たちを含めて、その射程は意外なほどの広がりを見せている。そろそろ、その全体像を外観できる写真集、あるいは展覧会を企画するべき時期が来ているのではないだろうか。
2022/02/04(金)(飯沢耕太郎)
原久路&林ナツミ「セカイヲミツメル」
会期:2022/01/06~2022/02/07
リコーイメージングスクエア東京[東京都]
東京でユニットとして活動していた原久路&林ナツミは、東日本大震災後の2014年に大分県別府市に移住した。そこで、偶然の機会からひとりの少女に出会い、彼女を撮影したことから写真シリーズ「セカイヲミツメル」を構想する。「少女たちのまなざし」に魅せられ、「芝居がかった華やぎから、物憂い真面目さへと一瞬ごとに移ろうきらめき」を捉えようとしたのだ。本展には同シリーズから約40点が展示されていた。
むろん、ただの「美少女写真」ではない。原と林は、スナップショットと演出写真の要素を巧みに使い分け、さまざまなアイディアを的確に実現していく。デジタル画像特有の合成や加工も無理なく取り込んでいた。さらに、この年頃のモデルたちのなかに潜んでいる残酷さやビザールさも見過ごしてはいない。棒のようなものを手に、もうひとりの自分を冷酷に見据える少女(《双子ごっこ》と題されている)、水を吐く少女、巨大化した少女など、「美少女写真」の範疇を乗りこえていこうという意欲を感じる。
ただまだ全体的に、どこか絵空事めいた気分が漂っていることは否定できない。原の旧作「バルテュス絵画の考察」(2009)や林の「本日の浮遊」シリーズ(2011~)から強く伝わってきた、「これを見せたい」という切実さが、本作にはあまり感じられないのだ。いい作品もあるが、まだ習作の段階のようなものも目につく。たとえばひとりの少女、あるいはひとつのコンセプトに徹底してこだわることも、考えていいのではないかと思う。
2022/02/04(金)(飯沢耕太郎)
白石ちえこ「銀の影」
会期:2022/01/29~2022/02/09
ギャラリー ユニコ[東京都]
白石ちえこのデビュー写真集『サボテンとしっぽ』(冬青社、2008)は、旅先で見つけた「町の片隅でしずかに深呼吸する古びた建物や、ちょっととぼけたモノ」たちをモノクロームの画面に切り取って配置したスナップ写真を集めたものだった。その後、白石は大正~昭和初期の「芸術写真」の時代に広く使われた「描き起こし」(「雑巾がけ」とも称される)の技法を使った作品を発表するようになる。印画紙にオイルを引き、その上から顔料で着色し、一部を拭いとったりしながら画面を整えていく手技の要素が強い手法である。
結果的に、白石の写真のスタイルは大きく変わる。『島影』(蒼穹舎、2015)、『鹿渡り』(蒼穹舎、2020)と続けて出た写真集では、ピクトリアルな雰囲気が強まり、現実世界をそのまま描写するのではなく、白石の記憶や夢のフィルターを介したうえで、別な次元の画像に置き換えて提示するようになった。今回のギャラリー ユニコの個展では、その完成形というべき珠玉の作品が並ぶとともに、新たな試みとして、鶏卵紙(アルビューメン・プリント)を使ってセピア色の色味を強調した小品も出品されていた。
新作に加えてミニ回顧展の趣もある展示なので、被写体の幅はかなり広い。風景や静物だけでなく、動物や植物のような生きものにもよく目を向けている。注目すべきなのは、白石の「描き起こし」や鶏卵紙を使った作品が、単純に古典技法の再現というレベルに留まらず、彼女の作家意識としっかり結びついていることだ。なぜ古典技法を使うのかという必然性を強く感じる。『サボテンとしっぽ』の頃から、白石が強く心惹かれるのは、目立たない「片隅」にひっそりと息づいている「小さな」ものたちなのではないだろうか。そのミクロコスモスへのこだわりが、完璧なテクニックに裏打ちされ、微妙な手触り感のある魅力的な作品群として結晶している。
なお同時期に、大阪府豊中市のG&S根雨でも「町の光景、島の風景 1998-2021」(2022年1月14日~2月23日)が開催された。両展に共通する作品も出品されている。
2022/01/31(月)(飯沢耕太郎)
阪口正太郎「私的風景の形成」
会期:2022/01/11~2022/01/24
ニコンサロン[東京都]
阪口正太郎という作者は初めて聞く名前だが、秋田公立美術大学美術学部美術学科コミュニケーションデザイン専攻の教授を務めており、写真の世界で活動してきた人ではないようだ。そのキャリアが、今回の個展の出品作にもよく現われていて、どれを見ても、写真表現の領域を逸脱、あるいは拡張している。プリントの上にドローイングを施した作品が多く、糸でかがったり、巻きつけたり、コラージュを試みたりしたものもある。手法自体はそれほど珍しいものではないが、制作の動機とプロセスに無理がなく、のびのびとした、スケールの大きな作品世界が成立していた。
特に、森、海、樹木など自然を被写体とした写真に、鹿や熊のような動物、「魚人間」など、神話的な形象を描き加えた作品に面白味を感じる。風景写真をドローイングや糸などを使って「私的風景」として再構築しようとする、意欲的な仕事といえるだろう。植田正治が1980年代に発表した「風景の光景(私風景)」シリーズを思い出した。
実はこの展覧会は、阪口が不慮の事故で負傷したために、中止になる可能性があった。何とか作品の準備ができて、無事開催できたのはとてもよかったのだが、展示作品のフレーミングや会場のインスタレーションに関しては、まだ完全に満足のいく形でできあがっているようには見えなかった。そのあたりを、しっかりと仕上げることができたならば、よりクオリティの高い展示になったのではないだろうか。このユニークな作風を、さらに大きく育てあげ、秋田の風土に根ざした作品に結びつけていってほしい。
2022/01/20(木)(飯沢耕太郎)