artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

「燕子花と紅白梅──光琳デザインの秘密」展

会期:2015/04/18~2015/05/17

根津美術館[東京都]

琳派の祖・本阿弥光悦が洛北・鷹峰に光悦村(芸術村)を開いて今年で400年。さらに尾形光琳の300年忌にあたることもあって、「琳派」に関する展覧会が目白押しである。そのなかでも本展は「デザイナー」としての光琳の意匠に光を当てることに特色がある。なんといっても見どころは二つの国宝《燕子花図屏風》と《紅白梅図屏風》が並んで展示されること。そのほかにも、光悦や俵屋宗達・尾形乾山を含めた重要文化財の出品作がたくさんある。光琳が生家である京都の呉服商「雁金屋」で育ち、図案(模様)に深くかかわっていたこと、また縁戚にもあたる光悦や宗達らのジャンルを越えた装飾芸術への影響などから、デザイン性を昇華させていったことが展示品(屏風・扇・蒔絵・陶器・香包)を通じて明らかにされる。弟の陶工・乾山が、光琳の気に入っていたモチーフをアレンジして使った作品なども展観され、兄弟間の意匠の共通性についてもよくわかる。美術館の庭園にはカキツバタの群生が見頃を迎え、出品された屏風と併せて、なんとも贅沢な競演であった。[竹内有子]

2015/05/10(土)(SYNK)

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大ニセモノ博覧会──贋造と模倣の文化史

会期:2015/03/10~2015/05/06

国立歴史民俗博物館[千葉県]

毎年、担当するクラスの学生に模倣という行為について悪いことなのか良いことなのか、コメントを書かせている。年によって多少の差はあるが、良いという答えと悪いという答えはだいたい拮抗する。そしてどちらも絶対的に良い、悪いとするのではなく、必ずなんらかの留保がついている。すなわち模倣には良い模倣と悪い模倣があると考えているのだ。良いとする理由について、模倣は創造の源泉であるという真っ当な意見もあれば、好きなデザインの製品をニセモノでもいいから安く買いたいという企業のブランド担当者が聞いたら白目をむきそうな回答もある。とはいえ、憧れの商品を手に入れたいというモチベーションが商業活動を活発化させ、似たものを自分たちで安くつくりたいという要求が歴史的に各国のものづくりを発展させてきたことは間違いない。「ニセモノ」という言葉にはネガティブなニュアンスが含まれているが、じっさいのモノには人間の複雑な欲望と価値観とが絡み合っている。この展覧会もまた、贋造や模倣という人間の営みを善悪に留まらずに多面的に捉えようとする試みだ。
 とくに興味深い展示は「見栄と宴会の世界」。客人をもてなす饗宴の席を、その家の主人は書画骨董で演出する。家の格を自慢するためには名のある作家の美術工芸品が必要とされ、そうしたなかにニセモノへの需要があったというのである。はたして主人がニセモノとわかっていてそれを入手したのかどうかはいまとなっては定かではないと言うが、この場合「騙される」のはニセモノの買い手ではなく、もっぱら客人である(しばしば主人の子孫も騙されて、ニセモノのお宝を鑑定団に出品する)。贋作の存在は、ただつくり手、売り手が買い手を騙して儲けるだけのものではない。貝輪(貝をくりぬいてつくった腕飾り)を粘土の焼き物で模倣した「縄文時代のイミテーション」も面白い。なかには多数の貝輪を装着した状態を模した焼き物もある。当時の人たちでもこれらをホンモノとは見違えなかった思うが、それでも似たものを身につけたいという需要は古の時代から存在したのだ。これは上に挙げた「ニセモノでもいいから欲しい」という現代の若者の欲求となんら変わらない。
 このように「ニセモノ」の諸相をさまざまな角度から見せてくれる展示であるが、展示の最初に「安南陶器ニセモノ事件」や古今東西の歴史的な贋作事件が取り上げられているほか、人魚のミイラのようなインパクトのある贋造品が出品されており、展示全体はそれを企図していないにもかかわらずニセモノの供給側を主体とした「騙し騙される」という構造に意識が向いてしまう。ニセモノの歴史を功罪相合わせて捉えようとするならば、誰が、どのような理由でニセモノを求めたのかという需要側の考察はもっと強調されても良かったように思う。[新川徳彦]

2015/05/06(水)(SYNK)

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こどもとファッション ─小さな人たちへのまなざし

会期:2016/04/23~2016/06/05

神戸ファッション美術館[兵庫県]

子供が「発見」されたのは、17世紀以降のこととされる。それまでの子供は、不完全な「小さな大人」として扱われていたから「子供服」と呼ぶべきものは当然なく、成人のファッションの縮小版を纏っていた。大人と区別される「純粋無垢で守り育てるべき子供」という考え方は、近代になって生まれた。本展は、子供服を通して近代における子供観の形成を探求するもの。近代西欧・日本の子供服から、同時代の風俗を伝えるファッション・プレート、ポスター等の関連資料を含む約180点あまりが展示されている。18世紀後半以降、ぴったりとして窮屈な成人服とは異なる、子供期の活動に合わせた服、例えば男児用スケルトン・スーツ(ロンパースのようなつなぎ服)や女児用シュミーズのような新しいスタイルの服が登場する。ゆったりとしたシルエットの子供服のスタイルが、今度は成人のファッションに影響を与えることになる。19世紀になると、大人の服を小さくした子供のファッションという揺り返しが起こるのも興味深いところだ。また本展の面白さは、西洋の事例に加えて、明治期以降の子供服の誕生と変遷にも目配りがされているところにもある。西洋の日本への服飾の影響、さらには、近代の衛生観念の発展と服の関係、子供用絵本がファッションに及ぼした影響、マスメディアとコマーシャリズムの発達による子供服市場の成立など、さまざまな文化現象についての示唆を与えてくれる。[竹内有子]

2015/05/05(木)(SYNK)

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横尾忠則 展「カット&ペースト」

会期:2015/04/18~2015/07/20

横尾忠則現代美術館[兵庫県]

1980年代末から90年代初めの時期にかけて描かれた横尾忠則の絵画作品を「カット&ペースト」をキーワードに読み解く展覧会。私たちが日ごろPCで常用する操作「カット&ペースト」を、たんなる手法というより、むしろ芸術上の重要な概念として、横尾が先取りしていたという点が非常に興味深い。そしてこれが、グラフィックデザイナーから出発した彼の職能(版下作りの経験等)に由来しているという。80年代後期の作品は、画面を20センチ幅に切り、古典的絵画や映画等の多様な図像を描いた細長い布を編み物状に貼り付け、元のキャンヴァス上の図像とはまったく異なるコンテクストをもたらす試みを特徴とする。そこでは同時に、切り裂かれた布の物質性を強調するがごとく、垂れ下がった糸やねじって転回された様態で張り付けられ、画面に新しい次元がもたらされていた。90年代になると、CGの技法を用いた作品、「テクナメーション」(テクニックとアニメーションをかけた造語)が登場する。過剰なまでにカット&ペーストされた多様なイメージの集積とアニメのように動く水流で構成される仮想空間は、まるで万華鏡のような効果をもたらしている。ちょうど、DTPがグラフィックデザインに普及したのがこのころ。横尾が創り出す奇想でありながら洗練された概念的なアートに見惚れた。[竹内有子]

2015/05/04(月)(SYNK)

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ガウディ×井上雄彦──シンクロする創造の源泉

会期:2015/03/21~2015/05/24

兵庫県立美術館[兵庫県]

不思議な展覧会というのが第一印象だ。19世紀から20世紀にかけてスペイン・バルセロナで活動し、サグラダ・ファミリア聖堂やカサ・ミラの設計で知られる建築家、アントニ・ガウディ(1852~1926)と『SLAM DUNK』をはじめ数々の人気マンガを生み出した、漫画家、井上雄彦(1967~)の展覧会である。ちらしによると「奇跡のコラボレーション」だそうだ。ガウディに関しては、彼が携わった建築の図面や写真、模型などの資料をはじめ、ガウディの弟子であったジョアン・マタマラによる肖像画などおよそ100点が、井上の作品は書き下ろしの画、およそ40点が展示されている。昨年7月の東京展にはじまり、金沢展、長崎展を経て神戸での開催となった。このあと、せんだいメディアテークでの仙台展へと巡回する。
コラボレーションというよりも、井上がガウディからインスピレーションを得たといったほうが相応しいだろう。それほどまでに、本展での井上は挑戦的だった。井上は2011年にバルセロナでガウディの足跡を辿り、その作品から「謙虚さ」を感じたという。翌年から本展の企画がスタートし、2014年には井上は1カ月間サグラダ・ファミリアの前のアパートに滞在しカサ・ミラの一室にアトリエを構えて創作に励んだという。和紙に墨というスタイルで、ガウディの肖像や彼の少年期、青年期、老年期のエピソードをマンガ風に描いた。圧巻は、高さ200センチ幅200センチの墨染めの手漉き和紙に、白く浮かび上がるガウディ最晩年の顔を描いた一枚、そして、高さ330センチ幅1,070センチの広大な画面のなかに、生まれたばかりのひとりの赤ん坊を描いた一枚である。墨黒の闇と白い光のコントラスト、そして紙の質感、漫画家として培ってきた感性が惜しみなく発揮されている。さらにいえば、ガウディの死のあとに赤ん坊の誕生で展示を締めくくるというストーリー仕立ての劇的な演出も漫画家らしい。漫画家として、創作家として持てる力をすべて投入する、本展にむかう井上の、そんな謙虚な姿勢もガウディの影響だろうか。
ガウディは90年ほど前に亡くなった、すでに地位や評価が確立した偉人である。とはいえ、代表作のサグラダ・ファミリア聖堂はいまだ建築中だから未完の建築家ともいえる。そこに未知の残余があるからこそ、本展のような実験的な企画が成立したように思う。[平光睦子]

2015/05/04(月)(SYNK)

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