artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
単位展──あれくらい それくらい どれくらい?
会期:2015/02/20~2015/05/31
21_21 DESIGN SIGHT[東京都]
あるモノを実際よりも巨大に、あるいはミニチュアにして人々の感覚とのあいだにズレを生じさせる手法は、アートではしばしば見られるところ。しかし他方でモノの実際のサイズや、重さ、時間の長さなどのスケール感覚は人によってまちまちで、そのものに日常的に親しんでいない限り、差異は必ずしも人に違和感をもたらすとは限らない。PCやスマートフォン、タブレットの普及で、私たちはモノのスケールに関して、ミクロとマクロのあいだを自由に行き来できるようになり、あるいは居ながらにして世界の美術品工芸品を見ることができるようになり、それはそれで「便利」なのだけれども、そこでみたモノと、自身の身体を基準としたリアルなスケール感とが結びつきづらくなっているように思う。そうした人々のスケール感の違いを共通の基準に揃えることが「単位」の役目で、実際に基準となる物差しを示されると、自身に内在する基準と「単位」とのズレに驚かされる。単位展の展示で興味深いのは、ひとつには重さや時間、速さの「単位」と私たちの感覚とのずれを教えてくれるさまざまな仕掛け。もうひとつ興味深かったのは、効率的にスケールを計るための道具たち。例えば「ガラスシクネスゲージ」はガラスに45度の角度で当てて映り込んだ線の位置で厚さを測定する道具。窓枠にはまったままの状態で計ることができる。恥ずかしながら曲尺の使いかたも初めて知った。専門家が使う機能性を極めた測るための道具は、それ自体のデザインもまた魅力的だ。[新川徳彦]
2015/05/22(金)(SYNK)
長野訓子作品展
会期:2015/05/18~2015/05/26
The14th moon LIMITED[大阪府]
刺繍家、長野訓子の個展。出品作は、オリジナルのアクセサリー・ブランド「ga.la」のネックレスやイヤリング、ブローチなどの新作をはじめ、大塚呉服店とのコラボレーションによる帯、インセンスショップ・リスンとのコラボレーション・ワーク、新宿伊勢丹のカタログ撮影のための作品など勢いのある近作が揃っている。
刺繍というからには、作品の大部分は糸と布でできている。柔らかく、優しく、あたたかみのある素材だが、機械刺繍を用いる長野の作品からは明快でシャープな印象をうける。例えば、アクセサリーは青、黒、黄色、ベージュ、グレー、白という引き締まった彩りで女性的というよりはむしろ中性的である。オーガンジーに上下左右相似形の模様を刺繍した作品は、糸で綴った模様をガラス板に挟んで額装したというたいへん繊細なものだが、どこか金属細工のような趣がある。また、インセンスショップ・リスンとのコラボレーション・ワーク「Dream and Color」という幻想的なテーマの連作のなかで、本展に出品された作品は大きなもので1メートルもあろうかという赤い布の花々を吊って濃密な空間をつくりだしたもので、刺繍布のおおらかでのびのびした一面を提示している。
機械刺繍に特有の均質さや硬質さを魅力的に見せる、その作風が多様なコラボレーションを可能にしているのだと思う。同時にある程度の量産ができることで、作品でありながら製品でもありうる。だからこそ、アクセサリーや衣服として、額装された平面作品として、そしてショップの空間ディスプレイとして、あらゆる場面に入り込んでいくことができるのだと思う。もちろん、それ以前に創造力という作家のエネルギーがあってのことではあるが。[平光睦子]
2015/05/19(火)(SYNK)
フランス国立ギメ東洋美術館・写真コレクション Last Samurais, First Photographs──サムライの残像
会期:2015/04/18~2015/05/31
虎屋 京都ギャラリー[京都府]
「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」の会場のひとつ、虎屋 京都ギャラリーでは、幕末から明治期に消え行く侍たちを撮影した写真が展示されている。ギメ美術館の創立者、エミール・ギメは1876年に日本を訪れ、写本や書籍、版画、磁器、仏教彫刻などをフランスへ持ち帰った。その後、ギメのコレクションを継承してきた同館では、現在、19,000枚以上の日本関連の写真を収蔵しているという。本展には、そのなかのおよそ20点が展示されている。ベアト、シュティルフリート、パーカーら異国人であるヨーロッパの写真家が撮影したものもあれば、日下部金兵衛、小川一真ら日本人写真家が撮影したものもある。
なかでも感慨深いのは、英国海軍の文官、サットンが撮影した、最後の将軍、徳川慶喜の肖像である。普段着の帯刀した羽織袴姿の一点と礼装である直衣姿の一点で、どちらも座した両膝の上に握りしめられた二つの拳と斜め遠方にむけられた堅い眼差しが印象的だ。緊張感漂う慶喜の姿とは対照的に、「将軍」というタイトルの写真には将軍の地位を示す舞台衣装と小物を身につけた歌舞伎役者がぼんやりとした表情で佇んでいる。2枚の写真の隔たりはおそらく20年から30年。この短いあいだに、将軍は実像からステレオタイプ化して虚像へと変化したのである。
激動の時代、写真はその変化を生きた日本人の姿をつぶさに伝えている。[平光睦子]
2015/05/18(月)(SYNK)
いぬ・犬・イヌ
会期:2015/04/07~2015/05/24
松濤美術館[東京都]
昨春は「猫」だったが、今春は「犬」。埴輪の犬から現代の作品まで、犬をモチーフとした日本の絵画・彫刻作品が並ぶ、犬づくしの展覧会。渋谷といえばハチ公。安藤照による初代ハチ公像の試作像もある。中島千波《春爛漫のボンボンとアンジェロ》、畠中光享《花と犬》は、本展のためにイヌを主題に描かれた特別出品作品。見て楽しいのは、第三章「かわいい仔犬」。応挙、蘆雪、仙崖らの描く仔犬たちの姿に悶絶する。第五章「みんなが知っているイヌたち」で目を惹くのは西郷隆盛像。床次正精、服部英龍、作者不詳の3作が出品されているが、いずれも連れている犬の種類が異なるようだ。鰭崎英朋による講談社絵本「花咲爺」原画に描かれた犬は動物としての姿で描かれるが、斎藤五百枝「桃太郎」原画では犬は具足を付けて立ち、しかし顔や手足はリアルな犬として描かれているところが面白い。「犬追物図屏風」(江戸時代)は武士が武芸の鍛錬のために犬を獲物として追う催事「犬追物」を描いたもの。「人間の最も忠実なる友・人間の最も古くからの友」が展覧会のサブタイトルであるが、彼らはつねに友として相当に扱われてきたわけではないらしい。[新川徳彦]
関連レビュー
2015/05/15(金)(SYNK)
フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵 マスク展
会期:2015/04/25~2015/06/30
東京都庭園美術館[東京都]
アール・デコの絵画や彫刻、装飾美術に用いられた主題には同時代のさまざまな社会状況、流行が影響している。東京都庭園美術館の前回展「幻想絶佳」(2015/01/17~2015/04/07)では、アール・デコと古典主義の関係が取り上げられていた。今回の「マスク展」に出品されているマスク──仮面は、フランスのケ・ブランリ美術館が所蔵するもので、もともとは世界各地から民俗資料として集められたもの。となれば、植民地として支配されたアジア・アフリカへのエキゾチシズムが西欧のアール・デコに与えた影響に焦点が当てられるのかと想像していたのだが、そうではなかった。
展示はいわばマスクをモチーフにした空間インスタレーション。庭園美術館本館のアール・デコの空間のあちらこちらに異形のマスクたちが佇んでいる。部屋の中央で堂々とした姿を見せるマスクもあれば、棚の中に小さく隠れているマスクもある。書斎ではいくつかのマスクがこちらのほうを見ながら浮遊している。一部露出展示もあり、そうでないマスクも本展のためにつくられたという台座の上に浮き上がって見える。特筆すべきは、ほとんどの展示室のカーテンが開いていて窓から光が入り、マスクの背景には緑の芝生の庭が見えることだ。「暗い室内にスポットライトで浮かび上がる異形の面」というイメージで臨むと、これもまた裏切られる。夕方、外が暗くなったらこれらのマスクがどのように見えるだろうかと考えたが、この時期、閉館時間の18時でも外は明るいのでそれも果たせない。展示品たるマスクは本来は祭祀などに用いられる民俗資料なので、そのような関心から本展を訪れる人もあろう。展示は、アフリカ、アメリカ、オセアニア、アジアと地域別になっており、それぞれの歴史、用途などについて解説が付されているが、民俗学的な関心に応えるほど詳細が書かれているわけではないので、おそらくそれは主題ではない。図録に掲載されたマスクの写真は一部分がアップにされていたり、レンズの被写界深度を浅くしてぼかしていたり、まったく図鑑的ではない。なにしろここは博物館ではなくて美術館なのだ。こうした文脈の中に日本の能面が並んでいることもまた奇異に思われる。つまるところ、こうであろうという想像、期待をことごとく外してくれているのだ。
こうした「期待」とのズレは、もちろん企画者が意図するところなのだろう。ケ・ブランリ美術館のキュレーター、イヴ・ル・フュール氏は、光の中にマスクを展示することについて、マスクが暗闇の中に展示されるのは西欧がかつてアフリカを暗黒の大陸と形容したような偏見に基づくものであり、それを変えるものとして本展示を企画したと語っている。西欧対非西欧は単に地理的な問題ではなく、先進的で洗練された文化と野蛮でプリミティブな世界という対比でもあった。2006年に開館したケ・ブランリ美術館が掲げた目標は「文明間の対話」というもの。その展示方法が文明間の優劣という文脈から相対化へと視点の転換を図るものと考えれば、この展示を「期待と違う」「ふつうとは違う」と考えてしまう私たちの「期待」と「ふつう」が、非西欧圏にありながらもひどく西欧的な価値観、西欧的なバイアスに犯されてしまっていることに改めて気づかされる。
疑問に思う点もある。新館展示室では映像アーカイブ「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」から世界各地のマスクを使った祭の映像が上映されており、おそらくそれは本来の文脈のなかでのマスクの役割を見せているのだろう。それはとても良いのだが、ここにヨーロッパの祭の映像があるにもかかわらず、本館には西欧のマスクはひとつも展示されてない。それはケ・ブランリが非西欧の造形だけを集めているためでもあるが、その意味はよく考えてみる必要がある。また、黒い背景にマスクを配したポスターやチラシなどの広報物、見返しにも黒い紙を使っている図録は、企画の主旨と展示の実際から考えると私たちの先入観と偏見に近いという意味でミスリーディングだと思う。[新川徳彦]
関連レビュー
2015/05/10(日)(SYNK)