artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

新井卓「Imago/イマーゴー」

会期:2019/08/30~2019/10/18

PGI[東京都]

世界最古の写真技法、ダゲレオタイプ(銀板写真)で作品を制作する新井卓は、2016年から「明日の歴史」と題するシリーズに取り組みはじめた。「わたしたちは未来を予測することができるか、という単純な疑問」から発想したというこのシリーズでは、14〜17歳の少年・少女たちをモデルとする。彼らは、真っ直ぐにダゲレオタイプのカメラに視線を向けて立ち尽くしている。ダゲレオタイプで肖像を撮影するには、通常数秒〜十数分の露光時間がかかるのだが、新井はそれを短縮するために数万ワットのストロボ光を彼らに浴びせた。そのことで、彼らの一瞬の表情が金属板の上に定着され、モニュメンタルな「Imago/ イマーゴー」=像として提示されることになる。

新井が撮影したのは、広島在住、あるいは2011年の東日本大震災を福島県で経験している少年・少女たちである。いうまでもなく、彼らに共通しているのは自分、家族、あるいは同じ地域の人々の「被曝」の記憶を受け継いでいるということだ。そのような過去の共通体験が、彼らの現在と未来にどのような影響を及ぼしているのか。新井はそれを検証するために、もうひとつの仕掛けを用意した。彼らの肉声を録音し、その一部を会場で流したのだ。写真の上の裸電球が灯ると、その声が流れるようにセットされている。ダゲレオタイプは、ネガとポジとが一体になっているので、光で照らし出さないとくっきりとしたポジ像としては見えてこない。画像と声が同時に、順を追って目と耳に飛び込んでくるインスタレーションが、とても効果的に働いていた。

ダゲレオタイプは1839年に発明が公表されたので、今年はちょうど180年目の年にあたる。当時のダゲレオタイプが現存しているので、少なくとも180年の寿命は保障されているということだ。そう考えると、新井が展覧会に寄せたコメントに、ダゲレオタイプは「数百年後の未来へむけて彼女/彼たちの姿を運ぶ、最も信頼できる記憶装置となる」と書いていることが説得力を持つ。「数百年後」を待つまでもなく、あと数十年後に自分の姿を見て、声を聞いたときに、彼らがどんな思いにとらわれるのか、それが知りたくなった。

2019/09/06(金)(飯沢耕太郎)

We are bound to meet: Chapter 1. Many wounded walk out of the monitor, they turn a blind eye and brush past me.

会期:2019/08/09~2019/09/08

Alternative Space LOOP[韓国、ソウル]

「歴史的トラウマの傷」をテーマにした若手作家のグループ展。「We are bound to meet」というタイトルには、「自己と他者」という対立軸ではなく、「私とあなた」を共に含む「We」という単位によって歴史を考えることで、傷の本質に近づく端緒が開ける、という思いが込められている。日本の植民地支配の歴史を「we」の問題として考えるために、同じトラウマを共有する韓国と台湾の作家の作品を集め、多角的な検証を行なっている。本展は3部構想で計画されており、その第1章が開催された。

台湾と韓国それぞれにおける象徴的な建築物を通して、国家と国家、国家のナラティブと個人の記憶の関係を見つめる点で共通性と対称性を示していたのが、Liang-Pin TsaoとChung Jaeyeonの作品である。Liang-Pin Tsaoは、台北にある忠烈祠(辛亥革命など中華民国建国や日中戦争での戦没者を祀る祠)が、植民地期は護国神社であった史実に着目。ライトボックスに仕立てた写真は片側がカラーによる現在の忠烈祠、反対側がモノクロで撮られた護国神社の写真資料で構成され、「国家的イデオロギーへの奉仕」という点で両者が表裏一体であることを示す。鳥居を背にした軍服姿の男性や整列した女学生の集合写真。一方、カラフルな中華風の門と観光客の群れ、現存する神社をフォトジェニックなロケ地と見なしてコスプレや結婚式の記念撮影に興じる若者たちのスナップは、「(負の)歴史遺産のロマンティックな消費」「文化的アイデンティティのハイブリッド性」について問いかける。

一方、「国家的イデオロギーの象徴としての建築」をより個人的な経験のレベルから問うのが、Chung Jaeyeonの映像作品《A Sketch for a Foundation》。記録映像と現在の光景を織り交ぜながら彼女が静かに語り始めるのは、かつて朝鮮総督府だった建築をめぐる幼少期の記憶である。朝鮮総督府の建物は、日本の敗戦後、アメリカ軍の接収、政府庁舎を経て国立中央博物館に転用されたが、その歴史を知らずに博物館を訪れた幼い頃の彼女にとっては「宮殿のような美しい場所」であり、1995年に爆破解体のニュース映像が流れた時には悲しみを覚えたという。政治的、歴史的、集合的な記憶と個人的な記憶との断層を見つめる語りは、「歴史の消去」という企ての愚かしさ、国家的な単一のナラティブを多面的に解体すること、「過去」を当時生きた人々とは異なる視線で眼差す可能性、「真正な文化的アイデンティティ」への疑義をめぐる省察へと昇華されていく。

このように、歴史的トラウマを、(直接的には体験していない世代による)「現在」の視線で見つめ直し、冷静かつ多面的な視点から検証し、思考の共有地を開くような展覧会こそ、現在の日本に最も必要なのではないか。

2019/09/05(木)(高嶋慈)

小早川秋聲─無限のひろがりと寂けさと─

会期:2019/08/31~2019/09/16

加島美術[東京都]

関東では初めてという回顧展。小早川秋聲(1885-1974)といえば、ぼくは戦争画の《國之楯》と《日本刀》しか知らないし、同展も《國之楯》を中心に展示されているので、これが代表作といっていい。でも戦争画が代表作といわれるのは、画家にとってどうなんだろう。ましてや住職の家に生まれ、敗戦後30年近くも生きた日本画家としては忸怩たるものがあったに違いない。おそらくそうした葛藤が《國之楯》に先取りされているからこそ、代表作といわれるのかもしれないが。

《國之楯》は1人の兵士の遺体が軍服姿のまま横たわり、顔には寄せ書きされた日の丸の旗が掛けられている。背景は漆黒で身体が宙に浮いているようにも見え、頭上には光輪のような輪が掛かり、よく見ると身体の上にも大きく弧が描かれているのがわかる。息子を寝かせて描いたとされ、秋聲の妻は縁起が悪いと嫌がったという。秋聲はこれを陸軍省に依頼されて制作したにもかかわらず、日本兵の死体を描いたため、厭戦気分が広まるのを恐れた軍部から受け取りを拒否されてしまう。そこで彼は身体の上に降り積もっていた桜の花を黒く塗りつぶし、題も当初の《軍神》から《大君の御楯》に変え、さらに戦後《國之楯》に改題し、絵にも手を加えたという。身体の上には桜花の痕跡が残り、うっすら見える円弧は塗りつぶした跡らしい。戦争に協力したことを後悔していた証だろう。

この作品は京都霊山護国神社の所蔵で、鳥取県の日南町美術館に寄託しているため、なかなか見る機会がなかった。今回は同作品を含めて計40点を集めているが、絵の放つオーラといいサイズといい《國之楯》が圧倒的。それ以外の戦前の作品は花鳥風月のほか、渡欧した際のパリのサーカスを描いた《巴里所見》など日本画には珍しい画題もある。満州事変の翌1931年には早くも従軍画家として名乗りを上げ、計45回中国に渡ったというから当初はやる気満々だったのだ。明らかな戦争画としては《日本刀》《軍艦》などがあるが、あからさまに戦闘を描いていない《明けゆく蒙古》《祖国日向之秋》《三日月兜之譽》なども、拡大解釈すれば戦争画の範疇に入るだろう。逆に《國之楯》は見ようによっては「反戦画」と見ることもできる。

2019/09/04(水)(村田真)

韓国国立現代美術館 清州館

[韓国 清州市]

日韓交流展「2019韓日藝術通信」のオープニングトークに招かれ、韓国中部の都市、清州を初めて訪れた。清州は地方都市だが、市立美術館は本館に加えて2つの分館があり(今回の日韓交流展の会場はそのうちの1つ)、レジデンス施設も別に設けられている。レジデンス施設は26名まで収容可能であり、スタジオの他に宿泊場所、ギャラリー、過去の滞在作家の資料のアーカイブスペースもあり、制作に集中できる環境が整備されている。手厚い文化予算の韓国と日本の差を強く感じた。



韓国国立現代美術館 清州館


また清州には、国立現代美術館の分館「清州館」もある。2018年に開館した清州館では、「Open Storage(見える収蔵庫)」というコンセプトの下、国立現代美術館や美術銀行の所蔵品を、収蔵した状態で公開している。コンテナや棚に置かれた彫刻や立体作品、収蔵棚に掛けられた平面作品を、直に、あるいはガラス越しに見ることができる。まず来場者を出迎えるメインの1階では、大型の立体や彫刻作品がずらりと並び、圧巻だ。ナムジュン・パイク、李禹煥、イ・ブル、ス・ドホ、ユン・ソクナム、イ・スギョンといった韓国人作家に加え、アンソニー・カロ、ニキ・ド・サンファル、トニー・クラッグ、キキ・スミスらが並ぶ。奥の収蔵棚には、より小振りのブロンズや石の彫刻が二段、三段で収蔵され、森のなかを彷徨うようだ。「サイズ」「素材」「具象/抽象」のゆるやかな分類はあるものの、雑然さを感じさせないのは、洗練された棚のデザインの力が大きい。また、3階では、韓国人作家の作品を、平面作品(建築/ポートレートの主題別)、工芸、彫刻、メディアアートのジャンル別に展示している。加えて、「修復」の紹介スペースもあり、修復に使うさまざまな道具や和紙などの素材、プロセスを実物や写真、映像で展示している。




「見える収蔵庫」というアイデアは、単に目新しさだけでなく、「普段は表に出にくい美術館の基幹部分を可視化する」という意味で意義深い。それは、「保存修復」とともに、コレクションが美術館の根幹的な機能であることに改めて光を当てる。また、「地方分館」というシステムは、「文化の(首都への)一極集中を防ぐ」という意義も合わせ持つ。こうした国立施設が無料で開放されている点も日本との大きな差だ。私が訪れた日は、社会見学と思われる児童の団体でにぎわっており、さまざまな面でうらやましく感じられた。



公式サイト:韓国国立現代美術館 清州館https://www.mmca.go.kr/jpn/contents.do?menuId=5050011541

2019/09/03(火)(高嶋慈)

遠藤薫「重力と虹霓」展

会期:2019/08/30~2019/09/22

資生堂ギャラリー[東京都]

新進アーティストを支援する目的で毎年3作家を紹介する「shiseido art egg」シルーズ、今年の3人目が遠藤だ。第1回、第2回も見たが、頭で考えたり情をくすぐる作品はあっても、目に訴える作品が少ないという不満があった。唯一視覚的に満足したのが遠藤の《Handkerchief》と題された古布のインスタレーションだ。大きいほうのギャラリーに東北や沖縄、東南アジアのボロ布が多数吊るされている。遠藤によればその布の表面をかすかに覆う蚕の糸が重要なのだが、それより、大小の矩形の画面を彩る経年でくすんだ色合いが、優れた抽象表現主義絵画にも見えくるのだ。仕事着や雑巾、パラシュートに使われていた布もあり、その存在感はハンパではない。


会場風景


2019/08/30(金)(村田真)

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