artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
山崎弘義『CROSSROAD』
発行所:蒼穹舎
発行日:2019年10月10日
山崎弘義は1956年、埼玉県生まれ。1980年に慶應義塾大学文学部卒業後、公務員として働いていたが、写真に強い興味を抱くようになり、1985〜87年に東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)写真学科の夜間部で学んだ。山崎が路上スナップを撮影し始めたきっかけは、20代後半の頃、新宿駅周辺で「至近距離で人ににじり寄り、いきなりカメラを向け、言葉を交わすこともなく立ち去っていく」男の撮影ぶりに衝撃を受けたからだという。彼が山内道雄という写真家で、東京写真専門学校夜間部の森山大道ゼミで学んだことを知り、山崎も同校に入学する。森山ゼミは既になかったが、猪瀬光や楢橋朝子も属していた写真ワークショップ「フォトセッション‘86」に参加し、森山の指導を受けることができた。
このような経歴を見ると、山崎がまさに「カメラ一台で何の細工もなしに、その現場に居あわせ」て撮るという、路上スナップの正統的な撮影スタイルを真摯に追求し続けてきたことがわかる。その姿勢は、写真集『CROSSROAD』におさめられた1990〜96年撮影の写真群でも貫かれており、衒いなく、ストレートに路上の人物、光景にカメラを向けている。唯一、「細工」といえるのは、彼がパノラマフィルムパックを使用した6×6判のカメラで撮影していることだろう。極端な横長、あるいは縦長の画面になることで、中心となる被写体(主に人物)の周辺がかなりランダムに写り込んでくることになる。そのことによって、路上でどのような現象が生じているかが、より複雑な位相で画面に定着される。それとともに興味深いのは、1990年代前半の都市の風俗、空気感が、異様なほどにリアルに捉えられていることだ。撮影から20年以上過ぎているわけだが、路上スナップの生々しさがまったく薄れていないことに驚かされた。
山崎には、老いていく母親と自宅の庭とを撮影し続けた『DIARY 母と庭の肖像』(大隅書店、2015)という素晴らしい作品があるが、『CROSSROAD』は彼の写真世界の別な一面を開示する力作といえる。
2019/10/23(水)(飯沢耕太郎)
ART PROJECT KOBE 2019: TRANS-、「タトアーキテクツ」展
兵庫県神戸市、新開地地区、兵庫港地区、新長田地区(TRANS-)
ギャラリー島田(タトアーキテクツ展)[兵庫県]
アートプロジェクト神戸2019のTRANS-は、これまでのジャンル混淆+非現代アート的な神戸ビエンナーレの祝祭とはまったく違う、むしろ岡山芸術交流に近い尖った企画だった。ディレクターは林寿美である。思い切ったのは、参加アーティストをわずか2名に絞っていること。もっともそのうちのひとり、神戸出身でもあるやなぎみわは3日間のパフォーミング・アーツの参加だから、実質的にはグレゴール・シュナイダーの個展を街に散りばめながら開催したというべきだろう。
彼の作品《美術館の終焉―12の道行き》はいずれも建築的であり、TRANS-のテーマにふさわしく、神戸の街の日常の隣に異世界を忍び込ませている。作品を順番にたどる旅を通じて、知らなかった神戸の顔に触れていく。遠隔地の空間におけるふるまいが同期する作品。旧研究所の廃墟の真っ白な空間。地下街で反復される同じ浴室。ツアーで訪れる2つの私邸の個室で展開されるアートやパフォーマンス。かつて労働者の宿泊所だった施設の室内が真っ黒に塗られ、暗闇で小さなライトを持ってさまよう体験。地下道のドアの向こうに出現する収容キャンプの個室群。そして拡張現実によって見える古い市場をさまようデジタル世界の高齢者たち。
また、このTRANS-のタイミングにあわせて企画された島田陽「タトアーキテクツ」展(ギャラリー島田)も訪れた。実は島田は、今回のTRANS-の建築的な側面をバックアップした建築家でもある。さて、同展の1階は家型を中心にひたすら模型を並べる、いわゆる建築展の体裁だったが、一方で地階は偏光フィルムによる空間インスタレーションを展開していた。島田による偏光フィルムの作品は、神戸ビエンナーレ2011の元町高架下アートプロジェクトでも見ていたが、今回は特に吊るされた 2枚のフィルムで構成されるモノリスのような虚のヴォリューム群が、鑑賞者が移動する視差によって、驚くほど多様に色彩と表情を変えてゆく。個人的にはミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオンで体験した、めくるめくガラスのリフレクト現象を想起させた。あのとき自分はそれを幽霊のような建築だと思ったのだが、今回の展示室に構築された虚のヴォリューム群も、偏光フィルムによってそれに近い効果を生みだしていた。
公式サイト:
ART PROJECT KOBE 2019: TRANS- http://trans-kobe.jp/
タトアーキテクツ展 http://gallery-shimada.com/?p=6443
2019/10/22(火)(五十嵐太郎)
バウハウスへの眼差し EXPERIMENTS
会期:2019/10/21~2019/11/22
東京綜合写真専門学校ギャラリー(1F+4Fギャラリー)[神奈川県]
今年(2019年)は、ドイツ・ヴァイマールに総合的なデザイン教育を目標とする芸術学校、バウハウス(Bauhaus)が誕生して100周年にあたる。それを記念して「開校100年 きたれ、バウハウス──造形教育の基礎──」(新潟市美術館、西宮市大谷記念美術館、高松市美術館、静岡県立美術館、東京ステーションギャラリーに巡回)などいくつかの展覧会が実現したが、東京綜合写真専門学校で開催された「バウハウスへの眼差し EXPERIMENTS」展は、その中でも最も注目すべき企画といえる。
同校校長の伊奈英次のプロデュース、同校講師の鵜澤淑人のディレクション、元川崎市市民ミュージアム学芸員で同校講師の深川雅文のキュレーションによる本展は、二部構成になっている。1階では、伊奈英次がドイツ・ヴァイマールとデッサウで撮り下した歴史的な建築群の写真が「バウハウスを訪ねて」と題して展示され、4階に新設されたギャラリー・スペースでは、バウハウスの活動にインスパイアされた青木大祐、伊奈英次、倉谷拓朴、相模智之、進藤環、竹下修平、原美樹子の7人の作品による「7 EXPERIMENTS」展が開催されていた。
特に注目すべきなのは、4階の「7 EXPERIMENTS」展である。バウハウスは、1923年に教授(マイスター)として招聘されたハンガリー出身のラースロー・モホイ=ナジによって、写真教育の機関としても大きな成果を挙げた。フォトグラムやフォトモンタージュのような新たな技法を駆使した実験的、前衛的な写真群は、多くの写真家、写真関係者に大きな影響を及ぼしていく。写真評論家として健筆を揮い、1958年に東京綜合写真専門学校の前身、東京フォトスクールを設立する重森弘淹もそのひとりで、彼は同校の設立理念として「写真教育のバウハウス」を掲げている。その伝統は、同校を卒業後にさまざまな分野で活動している7人の出品者たちにもしっかりと受け継がれているようだ。デジタル画像の「バグ」を積極的に取り込んで風景を再構築する伊奈英次の「残滓の結晶〈Crystal of debris〉」、1995年に撮影した多重露光の路上スナップ写真を再プリントした原美樹子の「Scatter 1995/2019」、コラージュと複写というこれまで使ってきた手法をより過激にヴァージョンアップした進藤環の「condition」など、どの作品も意欲的に自らの表現領域を拡張し、深川雅文の「デジタルテクノロジーが蔓延しつつある現在、写真は新たな実験の戦場にならなければならない」というマニフェストを実践しようとしていた。
バウハウスの活動を過去の遺産として称揚するだけでなく、未来へと照射しようとする彼らの試みは、さらに継続していってほしいものだ。
2019/10/21(月)(飯沢耕太郎)
Ando Gallery、「富野由悠季の世界」「高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの」「画業50年“突破”記念 永井GO展」
安藤忠雄の設計で5月に新設された第2展示棟(Ando Gallery)を見るために、久しぶりに兵庫県立美術館を訪れた。展示エリアには吹抜けと大階段もあり、想像以上に大きいスペースが増えている。パリやヴェネツィアのプロジェクト模型なども置かれ、東京やパリを巡回した個展の目玉の落ち着き先になったようだ。そして安藤がデザインした屋外オブジェの大きな『青りんご』は、いまや来場者が順番に撮影するフォト・スポットである。それにしても具象的な安藤の作品はめずらしい。
美術館では、じつは安藤と同じく1941年生まれの「富野由悠季の世界」展が開催されていた。最初の頃は驚いたが、いまやアニメに関連する展覧会が公立の美術館で行なわれることは当たり前になっているが、ただの作品紹介ではなく、これは国立近代美術館の「高畑勲─日本のアニメーションに遺したもの」展と同様、監督・演出家としての富野を紹介する企画であり、キュレーションがなされた内容だった。特に富野だけに、ヴィジュアルだけではなく、『機動戦士ガンダム』の「ニュータイプ」や『伝説巨神イデオン』の「イデ」など、作品を貫く彼の概念=思想をひもとくことをうたっている。ともあれ膨大な資料を集めており、感心したのは、子供時代の絵や文章まで展示されていたことだ。また絵コンテなど、自ら描いたヴィジュアルが多いのも興味深い。
一方で「高畑勲」展は、本人のスケッチがあまりないために、脚本や制作ノートを通じ、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)の重要性を振り返りつつ、高畑の監督・演出家としての姿勢が示されていた。1970年代の『アルプスの少女ハイジ』のオープニング映像にも服を脱いで走る場面があったが、遺作となった『かぐや姫』(2013)の疾走シーンは日本アニメにおけるひとつの到達点だったことがうかがえる。
富野もまた膨大な作品を手がけているが、やはり1970年代末から80年代初頭のガンダムやイデオンが後世のSFアニメに大きな影響を与えたといえるだろう。ちなみに9月に上野の森美術館で「画業50周年“突破”記念 永井GO展」も鑑賞したが、ロボットものは永井豪が『マジンガーZ』(1972)を皮切りに、1970年代初頭にすでに開拓していたので、やはり富野の本領は、思想をもったSFとしてのアニメになるだろう。
公式サイト:
富野由悠季の世界 https://www.tomino-exhibition.com/
高畑勲展—日本のアニメーションに遺したもの https://www.tomino-exhibition.com/
画業50年“突破”記念 永井GO展 https://www.tomino-exhibition.com/
2019/10/20(月)
教室のフィロソフィー vol.12 桐月沙樹「凹凸に凸凹(おうとつにでこぼこ)─絵が始まる地点と重なる運動―」
会期:2019/10/12~2019/10/27
ギャラリー崇仁[京都府]
「教室のフィロソフィー」は、京都市立芸術大学の移転予定地にある元崇仁小学校の空間をリノベーションした「ギャラリー崇仁」を会場に、卒業生や大学院修了生の作品を個展形式で連続紹介するシリーズ。vol.12となる桐月沙樹は木版画家であり、版木となる板の「木目」を活かし、例えば少女が浮かぶ水面の波の連なりに「木目」を見立てるなど、絵の一部として取り込む繊細な作品を制作している。それは、板の表面にある「木目」という所与の条件を排除/透明化するのではなく、肯定して見つめる地点から出発し、版木自体の物質性と彫られるイメージとを同一表面上に共存させる行ないである。
本展では、1枚の版木を刷った後に彫り足し、再び刷っては彫り足す行為を繰り返して、計9点の木版画が制作された。1枚目、2枚目、3枚目……と辿っていくうちに、木目がそのまま写し取られた黒い地のなかに、初めはおぼろげで断片的なイメージの萌芽が顔を出し、植物が根や葉を広げるように少しずつ像を結び、出現したモチーフどうしが枝葉のように絡み合い、やがて飽和状態に達していく。時間的経過とともに、一枚の絵が少しずつ「動く」動態的なプロセスを私たちは眼差すことになる。ロープの曲線の不自然な分断は、それが絡み付く「窓枠」の遅れた出現によって理由が明らかとなり、その窓枠にはさらにツタが絡み付く。一方、木目=波立つ水面には少女が飛び込み、あるいはたゆたうように身を委ね、「窓」が切り取るフレーム内は激しい水流の川面となる。それらすべてを、波打つカーテン(?)の模様のドットが覆い、画面を白い光の乱舞のように浸食していく。この「白」=彫り跡はやがて画面を食い尽くし、後には黒い窓枠だけが残されるだろう。「版木に線を彫り重ねる」行為が、イメージの出現であると同時に消去でもあり、新しく何かを付け加える行為が自己破壊的な性質を帯びるという両義性を突き付ける。と同時に、この「黒い窓枠」は、グリッド構造、さらには漫画のコマ枠や映画フィルムのコマの連続を連想させ、「時間」を表現する視覚装置を自己言及的に提示してもいる。
だが、ほぼすべてのイメージが(自己)消滅し、構造だけが露わとなったかのような後に、最後の9枚目で、ある「逆転」が起きていることに注意しよう。インクの載っていた層(=「窓枠」、つまり彫られていない元の版木の表面)をさらに彫り進めることで、「高低差」がリセットされ、今まで(そこに存在していても)見えていなかった彫りの痕跡が新たな線として浮かび上がり、イメージの兆しとして立ち上がり始めるのだ。そのかすかな兆しの行く末を想像することは、見る者に委ねられている。
可視的ではなくとも、そこに存在する過去の営みの痕跡に、目を凝らすこと。それは木版画というメディアにおける実験であると同時に、「元崇仁小学校」という開催場所について思考することとも繋がっている。崇仁地域はかつて西日本最大の被差別部落であり、さまざまな人々の記憶(そこにはここで開催された展覧会の記憶も含まれる)を内包した校舎のギャラリーは、京都市芸の移転に伴い、来年3月には閉鎖され、将来的には解体される。上書きによる痕跡の完全な抹消ではなく、「更地」を潜り抜けた先に、それでもなおどう痕跡に目を凝らすことができるか。木版画というメディアの特性と場所の持つ意味を交差させた、秀逸な個展だった。
2019/10/20(日)(高嶋慈)