artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
裵相順「Layers of time」
会期:2019/09/07~2019/11/03
LEE & BAE[韓国、釜山]
20世紀初頭、朝鮮半島における鉄道建設の中継地として日本人が作った街、大田(テジョン)のリサーチを元に作品を制作している裵相順(ベ・サンスン)。大田で生まれ育ち、引き揚げ後は日本国内での差別から自らの出自を語らずに生きてきた高齢者たちを取材し、映像作品を制作している。また、彼女がこれまで手掛けてきた絵画作品の主要なモチーフであり、多義的なメタファーを持つ「糸」を用いた写真作品も発表している。絡まりもつれ合ったカラフルな糸は、「大田生まれの日本人」というアイデンティティの複雑さ、解きほぐし難く絡まった日韓関係、伸び行く線路や人々の行き交った軌跡の交差、そして髪の毛や血管、心臓など人体の一部にも見え、さまざまな読み取りを誘う。近現代史のリサーチやオーラルヒストリーの収集などの手法を用いて制作する作家は増えているが、アートの可能性は、単なるドキュメンタリーではなく、より複雑な意味を持たせて見る者の想像力を刺激し、能動的に考えさせることができる点にある。
今回、釜山のギャラリーで開催された個展では、植民地期の釜山で暮らした日本人の痕跡に焦点を当てた新作が発表された。釜山は、1876年の開港以降、日本人が多く入植し、港湾部の開発や日本風の市街地が形成された。裵が着目したのは、かつて日本人街だった地区に今も残る1本の街路樹だ。現存するのはこの1本だけだというが、裵は、撮影した樹の画像をデジタル合成で重ね合わせ、鬱蒼と生い茂る森のようなイメージを出現させた。それは、黒いベルベットの下地に極細の面相筆で白い描線を描き重ね、気の遠くなる緻密な線の連なりが吸い込まれそうな深度を持つ絵画作品と、「レイヤー構造」の点で響き合うとともに、「過去と現在」が錯綜し、安定したパースペクティブを消失した眩暈のような感覚をもたらす。
また、《Stone Rose》と題された、カラフルな樹脂でできた板状の立体作品もある。その表面は、ひび割れた大地のような複雑な凹凸を持つ。これは、釜山の龍頭山公園の石垣の表面を型取りしてつくったものだ。現在は、港を見下ろせる丘の上に釜山タワーが建ち、観光地として人気の龍頭山公園だが、李氏朝鮮時代(江戸期)から日本統治時代の間は神社が建てられていた。敗戦後は引き揚げを待つ日本人の、朝鮮戦争勃発後は戦火を逃れてきた避難民の避難場所となったが、度重なる火事に見舞われた。石垣の表面が爆発で割れたような跡は、火の強さを物語る。この石垣の痕跡が、「バラの花のように見えた」と言う裵は、ピンクやオレンジ色の樹脂を用いて作品化した。同時にそれは、皺の寄った皮膚のようにも見え、矛盾した感覚を見る者に与える。石という硬いものであると同時に、花びらや皮膚のように柔らかく有機的なものであること。冷たく死んだものであり、血の通ったものでもあること。アートは矛盾を抱え込むことを許容する領域であり、作品は矛盾した言葉を語ることができる。それは、一元的で排他的な断定の言葉に抗う術となる。
裵の作品は、歴史的痕跡に対し、糸や樹脂を用いてメディウムを変換することで、人体組織を思わせる有機的なものとして差し出す。それは、言語による歴史記述よりもより微妙で複雑な方法で、現在と過去は断絶ではなく繋がっていること、近代史を考えることは現在を考えることであること、そして現在の状況の複雑さの根は近代にあることを示している。
関連レビュー
裵相順「月虹 Moon-bow」|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年02月01日号)
KG+ SELECT 2019 裵相順「月虹」|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年05月15日号)
2019/09/07(土)(高嶋慈)
手塚愛子展「Dear Oblivion ─親愛なる忘却へ─」
会期:2019/09/04~2019/09/18
スパイラルガーデン[東京都]
織物の糸を部分的に抜くことで織物に別の価値を与える、そんな織物の解体と再構築をテーマにしてきた手塚の個展。今回はスパイラルの大空間に大作を吊るしている。幕末に討幕運動の軍資金を得るため輸出用につくられた薩摩ボタンをモチーフにした《必要性と振る舞い(薩摩ボタンへの考察)》をはじめ、明治時代に洋装を初めて採り入れた昭憲皇太后の大礼服にヒントを得た《親愛なる忘却へ(美子皇后について)》、インド更紗にレンブラントの大作を重ねた《華の闇(夜警)》など、見応え、読み応えのある作品が並ぶ。初期のころは解体された織物の色彩と形態に目を引かれたが、最近は美術史や女性史との関わりへと彼女自身の関心が広がっているように感じる。手塚の関心は絵画にあるはずなので、これらは織物の解体と再構築というより、シュポール/シュルファスにも通じる絵画の解体・再構築と見るべきだろう。まだまだ化けそうだ。
2019/09/07(土)(村田真)
話しているのは誰? 現代美術に潜む文学
会期:2019/08/28~2019/11/11
国立新美術館[東京都]
サブタイトルに「現代美術に潜む文学」とあるが、いわゆる文学作品を視覚化した美術ではなく、現代美術から読み取れる物語性、あるいはそれを読み解くリテラシーといった意味だろう。つまりここでは視覚的なおもしろさより、作品に秘められた意味や物語をいかに読み解くかが問題になる。出品作家は展示順に田村友一郎、ミヤギフトシ、小林エリカ、豊嶋康子、山城知佳子、北島敬三の6人。
最初の田村友一郎は、導入で車のナンバープレートを掲げている。なんだろうと思いながら次の部屋に行くと、ハンバーガーショップらしき建築模型が置かれ、隣の部屋にはナンバープレートがたくさん横たわり、最後の部屋にはハンバーガー店のロゴマーク、櫂、コーヒーカップの写真が展示されている。そこで流れてくるナレーションを聞くうちに、バラバラだった要素がひとつの物語としてつながってくるというインスタレーションだ。
小林エリカは暗い部屋のなかで、蛍光色のウランガラスによる$マークの彫刻や、手の先から炎が発する写真や映像、1940年の幻の東京オリンピックで計画された聖火リレーの地図などを展示。これも部分的に見ただけではわからないが、全体を通して戦争と核について物語っている作品であることが了解される。どちらも現代美術の見方(読み方)を知らなければ理解しにくい作品だが、読み解けば世界の見方が少し変わったような気になるだろう。逆にいえば、個々の写真や映像だけ見てもおもしろいものではないし、クオリティが高いわけでもない。
これとは対照的なのが、豊嶋康子と北島敬三だ。豊嶋はほぼパネル作品のみの展示。パネルの上に絵を描くのではなく、表面を削ったり、裏面に角材を貼り付けたりしている。なんだかよくわからないが、支持体であるパネルが作品になっていたり、裏表が逆転していたり、あれこれ考えているうちにおかしさがこみ上げてくる作品だ。これは全体としてひとつのストーリーを構成しているわけではないので、1点1点の作品と向き合う必要がある。
最後の北島は、東西冷戦時の東欧の人々、崩壊前のソ連の共和国、日本各地の風景を記録した3つの写真シリーズを展示。冷戦前後の東側の空気と、3.11前後の日本の風景の変化が読み取れる。それだけでも強く訴えかける力があるが、なにより目を引くのは1点1点の写真のもつ美しさだ。これまで北島の写真をまとめて見たことがなかったが、失礼ながらこんなに美しいとは思わなかった。それはこの展覧会の最後に置くという順序も関係しているに違いない。現代美術は読解力がなければ理解しにくいが、理解できればそれで終わりというわけではない。最後の砦はやはり芸術性なのだ。
2019/09/07(土)(村田真)
メガロマニア植物学
会期:2019/05/21~2019/10/06
JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク[東京都]
人が乗れるほどのオニバス、直径1メートル近いフキの葉、長さ2メートルもあるタビビトノキの葉……。巨大植物の標本ばかりを集めている。生物の姿をできるだけ実物のまま博物館で見せるにはどうすればいいか? 動物なら剥製や骨格標本にできるが、植物の場合は組織が柔らかいためオリジナルの形状や色彩を保つのは難しい。押し花程度ならまだしも、巨大植物を無理に標本化しようとすると、パリパリにひからびて形が崩れてしまいかねない。それなら絵に描いたほうがオリジナルに近いし、なにより美しい。でも博物館屋はあくまで実物標本にこだわる。その結果、なにやら現代美術に近づいたような……。これを延長させると、ボルヘスの「原寸大の地図」にいたるかもしれない。
2019/09/06(金)(村田真)
松山賢展─縄文風時代─
会期:2019/08/28~2019/09/09
高島屋新宿店10階美術画廊[東京都]
縄文をモチーフにした絵画と土器の展示。もちろん素直に縄文風の土器を描いたり焼いたりしているわけではない。ウルトラマン風があったりいまどきのタトゥーねーちゃんがいたり、イノシシやツチノコや地球の土偶(?)があったり、今年「土器怪人 土偶怪獣 松山賢展」を開いた新潟県・津南町の風景画があったり。サービス精神旺盛な作者らしく、ヴァラエティに富んでいる。なかには、人のかたちをデフォルメしているうちに飛行機みたいな流線型になり、やがてジェット機、ロケットと進化していく過程を土器化したものもある。縄文のロケット土器。そのうちIT土器とかブラックホール土器なんかもできるんじゃないか。
2019/09/06(金)(村田真)