artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

風間雅昭「『路上の記憶』1968-1971」

会期:2019/09/07~2019/10/13

kanzan gallery[東京都]

本展に展示されているのは、1960年代後半から70年代初頭にかけての「政治の季節」における路上の光景を撮影した写真群である。作者の風間雅昭によれば、「いわゆる全共闘運動と称される学生を主体とした運動」には三つの側面がある。「学生と学校当局との対立に端を発しそれが全国の大学に波及した運動」、「その運動に外から参加して運動を実質支配しようとしたセクトの運動」、「集団というほどに組織化されていない……「ノンセクトラジカル」と称される人々の運動」である。そのうち「ノンセクトラジカル」の運動は、「政治運動というよりは文化行動という側面」が強いものだった。風間がその「文化運動の側面」に強い共感を抱いていることは、タイトルを「路上の記録」ではなく「路上の記憶」としたことからもわかる。単なる記録ではなく、記憶として共有し、保持し、想起すべき出来事ということだ。

会場には、1968年6月の「60年安保記念」のデモ、69年1月の「東大紛争」、同2月の「日大奪還」、同10月の「国際反戦デー」、1971年4月の「沖縄デー」など、東京の路上で繰り広げられた「闘争」の過程を撮影した写真群が壁にびっしりと貼られていた。その数は300カット余りだが、実際には9000カット以上が撮影されたという。風間は当時Asia Magazines社の特派カメラマンとして取材にあたっていたので、これらの写真は元々報道を目的として撮られたものだ。だが50年の時を隔てて見ると、政治的なバックグラウンドを事細かに読みとるよりも、学生・労働者と警視庁機動隊員の肉体とが激しくぶつかりあう現場のあり方が気になってくる。風間の当時の意図とは違うかも知れないが、これらの写真群は路上に溢れ出し、うねりをともなって広がっていくエネルギーの場を、その細部に目を凝らして撮影したドキュメントといえるのではないだろうか。写真のカット数をさらに増やし、ぜひ写真集にまとめてほしい。

2019/10/02(水)(飯沢耕太郎)

禅フォトギャラリー10周年記念展

会期:2019/09/18~2019/10/19

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

東京・六本木の禅フォトギャラリー(ZEN FOTO GALLERY)が開廊10周年を迎え、その記念展が開催された。2009年にマーク・ピアソンが渋谷に設立し、2011年に現在の六本木に移転した同ギャラリーでは、これまで80名を超える写真家、アーティストの163の展覧会を開催し、130タイトル以上の写真集を刊行してきた。今回はその写真集の実物すべてを壁面に並べて展覧している。

マーク・ピアソンは「私自身と他の人々の生活の質の向上に向け、ささやかながら私が調整役を果たすための手段」としてギャラリーを運営してきた。単純に写真作品や写真集を売買して利益を得るというだけではなく、彼自身の理想を追い求めてきたということだ。それゆえ、禅フォトギャラリーのラインナップは、極めて独特なものとなっている。北井一夫、石川真生、須田一政、土田ヒロミ、山内道雄、有元伸也、中藤毅彦、殿村任香、東京るまん℃、梁丞佑など、個性的な顔ぶれだ。さらに若手の写真家や、莫毅(モイ)のような中国の写真家たちにもきちんと目配りしている。写真集のクオリティの高さも特筆すべきもので、第35回土門拳賞を受賞した山内道雄の『DHAKA 2』や、第26回林忠彦賞を受賞した有元伸也の『TOKYO CIRCULATION』など印象深いものが多い。

イギリス人のマーク・ピアソンと、そのアシスタントとして展示や写真集制作に重要な役目を果たしてきた台湾出身のアマンダ・ロは「どちらも日本人ではない」。そのために「必然的に間違いを犯し続ける」こともあったという。だが逆に日本人の常識にとらわれない物の見方で、この10年、新風を吹き込んでくれたともいえる。蒔き続けた種子が大きく育って、収穫の時期を迎えるのはむしろこれからだろう。

2019/10/02(水)(飯沢耕太郎)

戸谷成雄「視線体」

会期:2019/09/21~2019/10/19

シュウゴアーツ[東京都]

手前のギャラリーには岩石のような彫刻が9点並んでいる。どれも表面がジグザグに切り刻まれ、戸谷がチェーンソウで切り込みを入れた木の固まりであることがわかる。奥のギャラリーには中央に木の立方体が置かれているが、その各面は激しく切り込みを入れられ、かろうじて立方体を保っている。壁には、こうした作業過程で出た数百もの木っ端を斜めに幾条も並べている。この斜めに交差する線条はチェーンソウによる切り込みを表しており、われわれの視線はこうした切り込みに沿って動く。つまり視線は彫刻をなぞるわけで、逆にいえば彫刻は視線の集積によって生み出される。これがタイトルの「視線体」の意味だ。「彫刻」とはなにかを追求し続けてきた戸谷のひとつの答えだろう。

2019/10/01(火)(村田真)

シュテファン・バルケンホール展

会期:2019/09/07~2019/10/05

小山登美夫ギャラリー[東京都]

戸谷と同じく木彫ながら、戸谷とは違って具象の人体像をつくるのがドイツの彫刻家、シュテファン・バルケンホールだ。その特徴は、まず1本の木から台座ごと彫られた一木造であること。しばしば上の人物像より台座のほうが大きいこともある。二つめは、彫り跡のささくれを残すなど仕上げが粗いこと。そのため、彼がデビューした80年代にブームだった新表現主義の彫刻家と目された。三つめは、人物像のサイズが等身大より小さいこと。たまに大きいこともあるが、等身大ではない。四つ目は、人物が非個性的で無表情であること。作者はこれを「Mr. Everyman」と呼んでいるそうだ。五つ目は、表面を彩色していること。男性像は白いシャツと黒いズボン、女性像は赤い服という設定になっている。

これらの特徴から、バルケンホールが彫刻の伝統を重視しつつ拡張していることがわかる。また、これが人物彫刻である以前に、文字どおり木を彫った「木彫」であるという主張も伝わってくる。だから主題はだれでも、なんでもよく(ゆえにMr. Everymanなのだ)、極端に言えば人物像はトッピングに過ぎないのだ(もちろんトッピングがいちばん目を引く)。今回は彩色レリーフや、一刀彫のドローイングもあって、「彫刻」概念をどこまでも拡張してくれる。

2019/10/01(火)(村田真)

菅野由美子展

会期:2019/09/24~2019/10/12

ギャルリー東京ユマニテ[東京都]

菅野はここ10年と少し、カップや皿や瓶など器ばかりを描いている。最初はスルバランのように横に並べただけの静謐なものだったが、次第に棚が現れ、それがエッシャー空間のように複雑化し、にぎやかになってきた。今回は棚も床もなく、器が宙に散らばっているような静物画もある。いや、これは果たして静物画と呼ぶのだろうか。いちおう床置きの設定だろう、影はあるのだが、遠近感が無視され、奥の器も手前の器も同じ大きさに描かれている。あるいは、1枚の画面にいろんな器をそれぞれ別個に描き込んだともいえる。初期の頃は器の存在感を表象しようとしていたように見えるが、いまはその存在感を成り立たせる現実感が薄らいできているように感じる。この先どんな静物画が描かれるのか、楽しみのような、不安なような。

2019/10/01(火)(村田真)