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美術に関するレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2019 情の時代(初日)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

今回、名古屋で泊まったホテルは、エレベータが止まるたびに、各フロアで派手なコスプレをした外国人が次々と入ってきた。彼らはロビーで集合し、バスに乗って出発していたが、愛知芸術文化センターや隣接するオアシス21でも数多く目撃した。現代アートとコスプレが混在する、なんともカオティックな風景が出現したのは、「あいちトリエンナーレ」のスタートが、ちょうど「世界コスプレサミット2019」の期間と重なっているからだ。

トリエンナーレの初日は、豊田市のエリアをまわった。名古屋市のエリアは、映像などのインストールしやすいものが多い印象だったが、建築的、もしくは空間的な作品はこちらに集中している。特に高嶺格によるプールの床を剥がして、垂直に立てたインスタレーションは、将来、坂茂による豊田市博物館が建設される予定の場所だが、なるべく長く残して欲しい大作だ(なお、運動場に唐突に設置されていた鳥居は、彼の作品ではなく、夏祭りのためらしい)。豊田市のエリアでは、レニエール・レイバ・ノボ、小田原のどか、タリン・サイモンなど、戦争・権力・モニュメントを考えさせる作品が興味深い。



高嶺格《反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで》



レニエール・レイバ・ノボ《革命は抽象である》展示風景


小田原のどか《↓ (1946-1948) 》


小田原のどか《↓ (1923−1951) 》

そしてトリエンナーレの批判にいそしみ、ネットで騒ぐ人たちが好きな特攻隊をとりあげ、歴史・哲学的な考察を加えて、彼らが出陣前に過ごした喜楽亭の日本家屋の構造を生かしたダイナミックな映像インスタレーションのホー・ツーニェンも力作である。なお、豊田市美術館では、東京で見逃したクリムトの展覧会も観ることができた。ファンが多い画家なので、トリエンナーレよりも客の入りがよいのはさすがだった。


ホー・ツーニェン《旅館アポリア》

名古屋に戻り、長者町にて「ART FARMing(アート・ファーミング)」展を独自に開催している綿覚ビルを見学してから、二度目の愛知芸術文化センターで、緊張感が強くなった「表現の不自由展・その後」にもう一度、足を運ぶ。そして夕刻に行われた高山明のレクチャー・パフォーマンス「パブリック・スピーチ・プロジェクト」は、岡倉天心らの大アジア主義を再読し、その簡単な批判ではなく、可能性と限界を検証する試みだった。その手がかりとして、ワーグナー/ヒトラー的なスペクタクルに抗したブレヒト的なズラしの手法やギリシア時代の街が見える屋外劇場のシステムを召喚しつつ、アジアの四都市(名古屋、マニラ、台北、ソウル)をつなぎ多言語のヒップホップ・パーティを10月に開催するという。作家たちの企ては、まさにトリエンナーレをめぐって日本で起きつつあるネガティヴな状況に対するポジティヴな回答になっている。


「ART FARMing」展が開催されていた綿覚ビル

展覧会の初日からネットなどから情報を得た政治家が、不自由展に対する抑圧的な発言を開始し、まさに「情の時代」を証明する状況が初日から起きていた。このときは、英語タイトルに掲げた言葉「Taming Y/Our Passion」、すなわち、「われわれ/あなたたちの感情を飼いならす」ことを期待していた。しかし、筆者にとって「表現の不自由展・その後」は、この日が見納めとなった。(9月8日現在。ただし、同展が会期中に再開されることを強く望む)

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/01(木)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代(内覧会)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほかほか[愛知県]

「あいちトリエンナーレ2019」の内覧会を訪れ、豊田市以外の会場を駆け足でまわった。津田大介芸術監督とアドバイザーの東浩紀による「情の時代」というテーマを反映し、移民、難民、戦争、記憶、家族、アイデンティティなど、現代社会の諸問題をジャーナリスティックに扱う明快な作品が多い。国際展にふさわしい統一感をもつ内容であり、全体としてのクオリティも総じて高い。練られたコンセプトをもたず、類似した芸術祭が日本国内で乱立するなか、これは高く評価すべき芸術祭だろう。

長者町の代わりに、新しい街なかの会場となった円頓寺・四間道のエリアもよい感じである(暑い夏だと、アーケードはありがたい)。円頓寺では、性別を変えた人たちが名前を叫ぶ映像を制作したキュンチョメ、ある子供の死亡事故をめぐる弓指寛治の作品が印象的だった。また四間道では、津田道子と岩崎貴宏が伊藤家住宅に空間的に介入していた。オープニングは市内のホテルで開催され、大勢の来場者で賑わい、その後も津田監督が自らDJを行なう二次会で盛り上がっていた。パフォーミング・アーツと違い、展覧会は初日を無事に迎えることができれば、最大の関門は突破したも同然である。だが、そのとき、すでにTwitter上では、「表現の不自由展・その後」に対する激しい批判が続々と書き込まれ、ネット民による政治家やインフルエンサーへの告げ口が始まっていた。


キュンチョメ《声枯れるまで》


弓指寛治「輝けるこども」より


津田道子《あなたは、その後彼らに会いに向こうに行っていたでしょう。》
伊藤家住宅にて展示


岩崎貴宏《町蔵》。伊藤家住宅にて展示

今回のトリエンナーレは、事前に男女の参加を同數にするというジェンダー平等の枠組が話題になっていたが、実際に展示が始まると、本人の身体性を前面に出さない限り、作家の性別はあまり気にならない。むしろ、セキュリティなどの理由から、ぎりぎりまで広報を控えていた「表現の不自由展・その後」が、今後は社会に強烈なインパクトを与えるだろうことが、内覧会によって明らかになっていた。実際、筆者がこの部屋に入ったとき、すでに韓国のメディアが取材していたほか、内覧会の途中で、顔見知りの新聞記者から「少女像の展示をどう思うか?」といきなり質問され(その時点で筆者はまだ見ていなかった)、注目度の高さを感じた。しかし、その後に起きた出来事は、はるかに予想を超えていた。



「表現の不自由展・その後」の出品作のひとつ、《平和の少女像》をプレスが取材しているところ


「表現の不自由展・その後」の展示風景については、各種SNSへの写真・動画の投稿を禁止するという炎上対策が取られていた

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/07/31(水)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県]

おそらく日本でいちばん規模が大きく、(にもかかわらず)いちばんおもしろい国際展といえば「あいちトリエンナーレ」だろう。地方の中小規模の芸術祭ならもっと刺激的なところはあるが、大都市の美術館をメイン会場として繰り広げる「正統派」の国際展としては随一だ。同展がおもしろい理由は、予算規模が大きい(約12億円)ことのほかに、芸術監督が第1回を除き、五十嵐太郎、港千尋、そして今回の津田大介と、美術のド真ん中から少し外れた評論家やジャーナリストが務めていること、そして彼らの意図をほぼ十全に実現してきたことだ。今回の場合、それが完全に裏目に出てしまったが、そうでなくても今回がいちばん芸術監督の色が出ていたという点で特筆に値する。

マスコミは連日のように「表現の不自由展・その後」をめぐる騒動について報道しているが、これはトリエンナーレの核となる「国際現代美術展」(ほかにも「映像プログラム」「パフォーミングアーツ」「音楽プログラム」「ラーニング」と盛りだくさん)の出品作家66組のうちの1組という位置づけで、全体から見ればごく一部に過ぎない。にもかかわらず「表現の不自由展・その後」ばかりにスポットが当てられているので、ここではほかのいくつかの作品を紹介し、最後に「表現の不自由展・その後」にも触れたい(ちなみにぼくはプレス内覧会の日に日帰りで行っただけなので、豊田会場は見ていない)。


まず、今回の芸術監督の津田大介氏が設定したテーマは「情の時代」というもの。情報、感情、情けの「情」で、英語では「Taming Y/Our Passion」となっている。津田氏はプレス資料のなかで「われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(ars)を身につけなければならない。それこそが本来の『アート』ではなかったか」と述べているが、飼いならすどころか、情報によって感情を刺激し、制御不能の情けない結果になったと揶揄されても仕方がない。しかし彼が集めた作品は、リベラルなジャーナリストらしく、開催前から話題になったフェミニズムをはじめ、ネット社会のジレンマや難民問題など社会的メッセージ性の強いものが多く、その点では首尾一貫していた。

たとえば、巨大なスマホのようなモニターを2つ向き合わせて重ねたエキソニモの作品。画面には目をつぶった人の顔がアップで映し出され、まるでキッスしているようだ。ネット社会の人間関係を端的に表している。


エキソニモ《The Kiss》


フェデックスの箱の上に、ひびだらけのガラスの立方体を乗せたのはワリード・べシュティ。作者がつくったのではなく、国際宅配便が生み出した偶然の「ひび=造形」というわけだ。台湾の袁廣鳴(ユェン・グァンミン)は、台北市の無人の繁華街をドローンで撮影した映像を流している。人がいないのは軍事演習中のため、といわれると台湾の緊迫した現状が浮かび上がる。タニア・ブルゲラの《10150051》はなにもない部屋だが、入るとメントール系の蒸気で涙が出てくる仕掛け。タイトルの数字は当日の難民者数で、毎日数字が変わっていくという。難民に思いを馳せ、涙を流せというわけか。


Tania BRUGUERA 10150051


以上が愛知芸術文化センターでの展示で、名古屋市内ではほかに名古屋市美術館と、街なかの四間道・円頓寺にも作品が展示されている。名古屋市美術館で目立つのは、ピンク色の紙片を壁や柵に貼り出したメキシコのフェミニズム・アートの先駆者、モニカ・メイヤーのインスタレーション。観客がみずからのセクハラの被害体験を書いて貼っていく参加型の作品で、会期中どんどん増えていきそうだ。カメルーン出身のバルテルミ・トグォは、美術館の周辺にアフリカ諸国の国旗を印刷したゴミ袋を設置。アフリカが先進国のゴミ箱になっていることの批判と読める。

今回、名古屋駅寄りの四間道・円頓寺が初めて会場となった。以前は長者町あたりの寂れた繊維問屋街の廃屋を会場にしていたが、円頓寺本町商店街アーケードはたまたま七夕祭りをやっていたせいか、にぎわいのある繁華街。その商店街の空家で、弓指寛治が交通事故の犠牲になった子供の素朴な絵や、自動車の一部を積み上げたインスタレーションを公開している。彼は母が交通事故後に自死したことから、こうした作品をつくるようになったという。また、アーケードにはさまざまな飾り物が吊られていたが、アイシェ・エルクメンはこの空間に介入するため、ロープの色をピンク(珊瑚色)に指定した。そういわれれば「ああこれか」と納得するが、いわれなければ絶対にわからない。

アイシェ・エルクメンの作品は極端な例だが、ほかにも説明を聞くと「ああなるほど」と腑に落ちる作品が多い。その意味ではわかりやすいし、展覧会全体が指し示す方向性も明快だ。しかし一方で「ああなるほど」と納得したらおしまいで、記憶に刻まれるほど視覚的に強靭な作品がどれだけあったかというと、はなはだ心もとない。つまりこの展覧会は言葉が非常に重要な役割を果たしているのだ。これは言葉を扱うジャーナリストの津田氏だから当然といえば当然だが、だからこそ「表現の不自由展・その後」でも言葉を最大限に尽くさなければならなかったと思う。


「表現の不自由展・その後(以下「不自由展」)」を見たとき、これはいい企画だと素朴に思ったし、その後の展開はまったく予想できなかった。そもそもぼくは、いわゆる「少女像」がなぜこれほど反感を買うのか理解できないでいる。もちろん慰安婦問題やその後の日韓関係は人並みに知っているし、一部の日本人が「少女像」を慰安婦と同一視したり、反日のシンボルと捉えていることも知っている。だからこそ、その彫刻がどんなもんかを見てみたいと思うし、実際4年前の「不自由展」も見に行ったりもした。そしたら、隣に椅子があることと、よく知られたブロンズ色ではなく彩色されている点はおもしろいと思ったが、彫刻自体はどうってことないものだった。そんなことを確認するためにも、日韓関係がこじれたいまだからこそ、税金を使ってでも見る機会をつくるべきだと思う。

「少女像」の次に反感を買ったのが、昭和天皇の肖像を燃やす大浦信行の映像作品だ。ぼくはプレスツアーに参加していたため時間がなく、会場でこれを見ていない。後にネットで画像を見ただけだが、さすがにこれは抵抗があった。しかし、なぜ大浦がこの映像をつくったかを知る必要がある。発端は1986年に富山県立近代美術館で開かれた「富山の美術86」に、昭和天皇の肖像をコラージュした大浦の版画《遠近を抱えて》が展示されたこと。この版画は一種の自画像で、長く外国に住んでいた大浦がみずからのアイデンティティを問うたとき、天皇に触れざるを得なかったのだ。ところが会期終了後、右翼が美術館に激しく抗議。美術館は購入した版画を第三者に売却、同展カタログを焼却してしまう。つまり天皇の肖像(を使った作品を掲載したカタログ)を最初に焼いたのは美術館であり、そのように仕向けたのは右翼のほうなのだ。大浦の映像はこの焼却処分への抗議であり、彼は天皇の肖像を焼いたのではなく、(天皇の肖像を使った)自分の作品を焼いたのだ。そのような経緯を踏まえた上で是非を判断しなければならない。


「表現の不自由展・その後」《表現の不自由をめぐる年表》と検閲にまつわる資料


いずれにせよ、これらの作品をただ展示するだけではなく、企画意図の説明なり作品解説なり「言葉」を尽くす必要があったことは確かだろう(会場には解説パネルや年表はあったが、結果的に十分ではなかった)。しかし言葉を尽くせば今回のような事態は防げかというと、残念ながらそうはならない。だいたい脅迫めいた抗議を寄せる人たちの大半は作品を見ていないし(抗議は開催前日から始まっている)、企画意図を掲げたところで読まないだろうし、読んで納得するような人たちでもないからだ。表現の自由とはまったく次元の異なる話なのだ。

簡単に整理してみると、まず第1に「表現の自由」の問題がある。これは基本的人権なので、どう転んでも守らなければならない。たとえ他者を不愉快にさせるような表現であっても、犯罪にならない限り守らなければならない。賛否が分かれるのは第2段階、それを税金を使って公開することだ。ここで反対の立場の人たちから抗議が来たり、それを恐れて会場を貸さないとか金を出さないとか自主規制したり、ときに検閲が行われたりする事態になることもある。しかしこれも言論で対処するなり、場合によっては裁判に訴えるという手段もあり、まだどうにかなる。

問題は第3段階の脅迫やテロの予告だ。これはもう犯罪であり、冷静な議論など期待すべくもなく、もはや警察に頼るしかなくなる。津田氏もいちおう第3段階まで想定していたようだが(開催前日の記者会見で、さまざまな事態に備えて対策を考えている、と胸を張っていたが)、その想定すらはるかに超える組織的攻撃にさらされたということだ。もちろんいちばん悪いのは見もしない、知りもしないのにおもしろがってテロ予告する犯罪者たちだが、結果的に彼らを呼び込み、中止にいたらせた芸術監督に責任があることは言うまでもない。でもだからといって、こんな企画は最初からやるべきでなかったとは思わない。おそらく美術館学芸員や館長経験者なら避けたであろう企画だからこそ、たとえ3日間で中止を余儀なくされたとしても、たとえ悪しき前例をつくったとしても、やらないよりやってよかったと思う。

[編集部注] 文中で記述されているタニア・ブルゲラとモニカ・メイヤーの作品は、作家が「表現の不自由展・その後」の出品作家に対する連帯と展示中止に対する抗議の意を表すため、8月20日より展示室の閉鎖または展示内容が変更されました。そのほかの作品を含めて展示の現況については、公式サイトをご確認ください。

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/07/31(水)(村田真)

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藤井素彦のレクチャー「自己疎外キュレーション」

会期:2019/07/29

東北大学[宮城県]

学芸員の藤井素彦氏を東北大学に招いて、展示に関するレクチャーをしていただいた。現在、日本各地をまわっている「インポッシブル・アーキテクチャー」展において、彼は新潟市美術館の担当者だが、4月から7月に開催された巡回展の不規則な展示空間が大変に興味深かったからである。例えば、ダニエル・リベスキンドの展示では、脱構築主義のデザインを意識し、仮設壁をズラして配置して、ドローイングのパネルが壁から少しはみ出ていた。また未使用の仮設壁をあえて収納しなかったり、置き場がない輸送用のクレートを「旅する建築たち」と題し、やはり会場でむき出しにすることで、美術館という建築も見世物になっていた。他にも什器や椅子を斜めに配置するなど、不穏な事態が起きていた(ほとんどの来場者は気づいていなかったが)。



「インポッシブル・アーキテクチャー」展におけるダニエル・リベスキンドの展示風景


「インポッシブル・アーキテクチャー」展における「収納しない仮設壁」の例


さて、レクチャーのタイトルは「自己疎外キュレーション」であり、目黒雅叙園、高岡市の美術館と博物館、新潟の職場で、これまでにどのようなユニークな展示を試みたかを藤井氏に語っていただいた。そしてぎりぎりの条件を逆手にとって、展示そのものへの批評性をもつ企画の数々に感心させられた。驚くべき低予算で実現した「〈正・誤・表〉美術館とそのコレクションをめぐるプログラム」展(2018)は、単なるコレクションの蔵出しではなく、各作品が何度、過去に展示で使われたかを同時に明示し、絵画の設置も壁に立てかけるなど、美術館の制度を問うている。

ほかにも、日本画の展示であえてキャプションをつけない(が、「作家へのリスペクトが足りない」と指摘され、次の展示では大きな文字で、すべての作家名の後に「〜先生」を足す)、作品名がないものに複数のタイトルをつけてみる、普通の携帯電話を展示ケースに入れてみる、わざとキャプションを間違えるなど、数々の実験が行なわれていた。また高岡市博物館では、文書整理に集中し、展覧会には消極的な施設だったので、桜の時期に屋上を開放し、周囲の環境を見せる企画を提案し、年間入場者数を超える大ヒットになったという。いずれも限られた予算、人手、時間がない状況で、いかに工夫するか、という原則から導かれたものである。


藤井素彦氏が手がけたユニークな展示の実例(その1)
中途半端に壁を立て、隙間があったり、背後の空の展示ケースが見える


藤井素彦氏が手がけたユニークな展示の実例(その2)
「旅する建築たち」の看板を立て、輸送用のクレートを置く


藤井素彦氏が手がけたユニークな展示の実例(その3)
石上純也と会田誠/山口晃の展示のあいだにも「旅する建築たち」が無造作に置かれている

2019/07/29(月)(五十嵐太郎)

井上裕加里「線が引かれたあと」

会期:2019/07/27~2019/08/04

KUNST ARZT[京都府]

東アジアの近現代史、出身地の広島への原爆投下、それらをめぐる歴史認識のズレや境界線の存在について作品化してきた井上裕加里。本展は、「線」すなわち第二次世界大戦後に引き直された「国境線」によって分断された日韓の女性たちに焦点を当てた2つの作品をメインに構成されている。

《marginal woman─境界人─》では、戦時中に故郷を離れ、70年以上を異国の地で暮らす女性たちが、自らの半生や故郷への想いを詩や歌に託して語る。被写体となったのは、戦前に朝鮮人男性と結婚して朝鮮半島へ渡った日本人女性たちが暮らす「慶州ナザレ園」と、在日コリアンの高齢者が入所する京都の福祉施設「故郷の家」の入所者である。2面の映像の片面に映る海は、日本(舞鶴)から見た視点と韓国(釜山)から見た視点をオーバーラップさせたものだ。また、韓国にある日本人共同墓地や防空壕のショットも挿入される。



会場風景


一方、《幾度も滅せられる人々》は、戦時中に広島で被爆した在韓被爆者のポートレートに感光塗料を塗り、太陽光に当てることで黒く変色させていく作品。「太陽の光による感光」は「原爆の熱線」をパラレルに想起させ、黒い染みが滴ったように変色していく過程は「黒い雨」を連想させるなど、肉体への物理的暴力を示唆する。また、ポートレートが黒く塗りつぶされていく様は、韓国国内では差別から「沈黙」を余儀なくされ、終戦後の日本国籍消失とともに日本政府に被爆者として認定されず、救済措置から排除され、不可視化された事態をメタフォリカルに示す。



会場風景


日本から朝鮮半島へ、反対に朝鮮半島から日本へ。2作品は、その対称性とともに、植民地支配と地続きの女性たちの生、(とりわけ結婚や出産といった契機により)女性が受けた苦痛に焦点を当てている。だが両者のあいだには、「国境」「国籍」「民族」といった「線」だけでなく、「ドキュメンタリー」と「作家の介入的表現」をめぐるせめぎ合いが噴出しているのではないか。被写体の女性たちの声や関連風景を淡々と捉える《marginal woman─境界人─》に対して、《幾度も滅せられる人々》は、より作家の介入度が高い。後者は、「太陽光による感光でポートレートが黒く変色していく」仕掛けにより、物理的/政治的暴力が多重化された事態へと連想させる働きを持つが、「表象の操作により、同じ暴力をメタフォリカルに反復してしまう」というジレンマに陥ってもいる。(可視化されにくい)暴力への想起と、「暴力への言及それ自体が暴力を反復してしまう」パラドキシカルな構造への批判的想像力を同時に持つこと。今要請されているのは、そうした困難だが必須の態度である。



会場風景


関連レビュー

井上裕加里展|高嶋慈:artscapeレビュー(2015年04月15日号)

2019/07/28(日)(高嶋慈)