artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

LOEWE FOUNDATION CRAFT PRIZE

会期:2019/06/26~2019/07/22

草月会館[東京都]

先日、取材したパリのサロン(展示・商談会)「レベラション」でブースを構え告知していたのが、この「LOEWE FOUNDATION CRAFT PRIZE(ロエベ ファンデーション クラフト プライズ)」だった。レベラションと同じく、同プライズでも核とするのがクラフトの進化である。ロエベ財団ではこれを「モダンクラフト」や「コンテンポラリークラフト」と称しているが、レベラションが提唱する「ファインクラフト」とおそらく同義だろう。工芸作家が素材を重んじ、卓越した技術で、芸術的価値を生み出す。いま、こうしたムーブメントが世界中で起きていることを改めて感じた。

同プライズは2016年にロエベ財団が立ち上げたもので、今年で3回目を迎える。100以上の国から工芸作家やアーティストの応募があり、2500点を超える作品が集まった結果、ファイナリスト29人の作品が選出され、展覧会として発表された。会期前日には29人のなかから大賞1人と特別賞2人が選ばれ、盛大なセレモニーも行なわれた。そして大賞と特別賞の各1人がいずれも日本人だったことが話題にもなった。

展示風景 草月会館
©Loewe Foundation Craft Prize 2019

大賞を受賞した石原源太の作品《Surface Tactility #11》(2018)は、伝統的な乾漆技法でつくられた有機的な物体である。デコボコとした形状は、スーパーマーケットで売られている網に入ったオレンジの塊がモチーフとなったそうだ。しかしその身近なモチーフとは相反して、何層にも塗り重ねられ、艶やかに磨かれた漆は不思議な魅力を湛え、見る者を惹きつける。このように「伝統を進化させ、革新的であること」、また「芸術的な指針を示していること」が応募作品の要件であり、評価の対象なのだ。日本には優れた伝統工芸がたくさんあるが、伝統だけでは同プライズの評価の対象にならないのである。

石原源太《Surface Tactility #11》2018
©Loewe Foundation Craft Prize 2019

同プライズでもうひとつ注目したのは、11人の審査委員のうち唯一の日本人がプロダクトデザイナーの深澤直人だったことだ。知ってのとおり、現在、日本民藝館館長でもある深澤が世界の最先端クラフトに関わっていたことは興味深い。かつて民藝運動が「用の美」を提唱したとおり、工芸はあくまで生活道具を生み出すための手段だった。そこに美しさや愛おしさを偶然見出されたのが民藝であったわけだ。しかしその後、機械による大量生産が主流となり、工芸はいわば時代に取り残され、ローテクに甘んじることになった。次第に淘汰されていった工芸が、現代になり、最後の生き残りのために踏み入れた領域が実はアートだったのではないか。工芸には手仕事ゆえの温もりや丁寧さがある一方、人間の手でしか成し遂げられない大胆さや情熱を込めることもできる。工芸とアートは案外近しく、相性のいい分野なのかもしれない。


公式サイト:http://craftprize.loewe.com/ja/home

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REVELATIONS|杉江あこ(2019年06月01日号artscapeレビュー)

2019/06/25(杉江あこ)

矢作隆一展 Boundary──目には見えない境界線──

会期:2019/06/17~2019/06/29

巷房[東京都]

メキシコ・ベラクルス大学で教鞭を執りながら、石彫を中心に作家活動を展開している矢作隆一は、東日本大震災以降に福島県浪江町、富岡町を訪れて作品を制作するようになった。今回、東京・銀座の巷房の、3階および地下の3つのスペースで展示された作品も、震災と、それにともなって発生した福島第一原子力発電所の大事故が中心的なテーマになっている。

3階の巷房・1には、2018年3月11日に発行された『福島民報』と『福島民友新聞』の新聞紙を折って作った、5000個の小さな舟がインスタレーションとして展示されていた。壁には富岡町で撮影した復興後の新造住宅と、浪江町の人影のない商店街の写真が掲げられている。地下の階段下のスペースには、やはり3月11日の『福島民報』で作った折り鶴を鳥籠に入れたインスタレーションが、巷房・2には「浪江町中浜から双葉海水浴場を臨む」とキャプションに記された写真(遠くに小さく福島第一原子力発電所が写っている)と、彼のトレードマークともいえる「模石」のシリーズが並ぶ。「模石」というのは、拾ってきた石とそっくりに模倣した石を彫り上げるもので、今回は、日本全国17カ所の原子力発電所の周辺の石を、メキシコで唯一の原子力発電所であるラグナベルデ原子力発電所近くで拾った石で「模石」していた。

矢作の制作意図は、どの作品でも的確かつ明確であり、技術的な完成度も高い。特に注目したのは写真の活かし方で、特定の時間、場所を定着した画像が、インスタレーションと組み合わされることで、より普遍的な意味を持つものとなっていた。東日本大震災をテーマにした作品制作は今後も続いていくが、「模石」のシリーズには、さらに広がりのある歴史的、地理的な要素を加えていく予定だという。今後の展開が楽しみだ。

2019/06/23(日)(飯沢耕太郎)

FUJIFILM SQUARE 企画写真展 11人の写真家の物語。新たな時代、令和へ 「平成・東京・スナップLOVE」 Heisei - Tokyo - Snap Shot Love

会期:2019/06/21~2019/07/10

FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)[東京都]

ややベタなタイトルだが、とても活気のある面白い内容の展覧会だった。出品作家は有元伸也、ERIC、大西正、大西みつぐ、オカダキサラ、尾仲浩二、中野正貴、中藤毅彦、ハービー・山口、原美樹子、元田敬三の11名。彼らが平成時代に撮影したそれぞれの代表作が、壁にぎっしりと並んでいる。

平成時代の30年間は、彼らのような「ストリート・スナップ」の撮り手にとっては苦難の時代だった。「肖像権」、「個人情報」といった言葉が一人歩きして、路上で自由に撮影することがむずかしくなってきたからだ。だが展示された作品を見ると、あらかじめ先入見なしに街を徘徊し、目に飛び込んでくるモノ、人、出来事に向けてシャッターを切っていく行為が、今なお充分に魅力的なことがよくわかる。一見フラットに均質化しつつあるように見える都市の路上にも、次に起こるかわからない未知の可能性が秘められている。それを定着していくのに、スナップショットという方法論以外は思いつかない。

出品作家の年齢を見ると、1950年生まれのハービー・山口が最年長で、有元伸也以下1950〜70年代前半生まれの写真家たちが並ぶ。70年代後半以降に生まれたのはERIC(1976年生まれ)、オカダキサラ(1988年生まれ)の2名のみである。こうしてみると、若い世代がやや手薄なのが気になる。そのことにも、スナップショットを撮りにくくなったというSNS時代の空気感が反映しているのではないだろうか。あと何年か後に「令和・東京・スナップLOVE」展が開催可能になるくらいの、撮り手の厚みを保ち続けていってほしいものだ。

2019/06/23(日)(飯沢耕太郎)

ヒューマンライツ&リブ博物館─アートスケープ資料が語るハストリーズ

会期:2019/06/14~2019/07/12

京都精華大学ギャラリーフロール[京都府]

1990年代初頭、「ダムタイプ」のメンバーやギャラリスト、演劇プロデューサーらが京都で設立したシェアオフィス「アートスケープ」。92年に古橋悌二がHIV感染を告白したことを機に、美術家や活動家、学生らがアートを通してエイズやセクシュアリティ、ジェンダー、人権について訴える社会運動の拠点となった。その関連資料を中心とした「架空の博物館」の構想が、本展タイトルの「ヒューマンライツ&リブ博物館」である。男性中心主義的な視点で語られてきた「歴史(His=彼の story=物語)」に対し、女性の視点から捉え直すべきだとする造語「Herstory」を拡張的に捉え、「既存の性を越境しようとする人々の物語」として読み直している。


「#そして私は誰かと踊る」(アートスケープ資料編纂プロジェクト)というコレクティブが、ビデオ、スライド、紙資料のデジタル化、インタビューを行ない、アーカイブ化と展示公開を進めてきた。古橋悌二の映像インスタレーション《LOVERS―永遠の恋人たち》(1994)の修復を2016年に京都市立芸術大学芸術資源研究センターが企画したことを発端に、エイズ危機を含む当時の文脈を明らかにする必要性から、同センター研究員の石谷治寛が、資料を保管していたブブ・ド・ラ・マドレーヌ(ダムタイプ《S/N》パフォーマー)に相談し、資料のアーカイブ化を行なった。2018年には、森美術館にて椿玲子との共同企画で「MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s─ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」展を開催。「そして私は誰かと踊る(And I Dance with Somebody)」は、AIDSの頭文字をクラブカルチャーと接続させて肯定的に読み替えた言葉遊びであり、94年に横浜で開催された「第10回国際エイズ会議」のキャッチフレーズとして使用された。




[撮影:石谷治寛 写真提供:京都精華大学ギャラリーフロール]


資料展示の軸として視覚的にも見応えがあるのは、アートスケープを拠点として展開された、「エイズ・ポスター・プロジェクト(APP)」と「ウィメンズ・ダイアリー・プロジェクト」である。APPでは、エイズを身近な問題と感じたダムタイプのメンバーや友人らが、HIV感染者への差別や偏見に抗議し、エイズについての啓発活動を行なった。国際エイズ会議への参加に加え、日本の行政が制作した既存の啓発ポスターを疑問視し、望ましいポスターを自分たちでつくるため、海外のポスターを収集した。APPが問題視した当時の日本の啓発ポスターには、「愛する人を守るために」といった漠然とした標語、骸骨化した赤ん坊のイラストに添えられた「未来に絶望を残さない」という文言、海外で買春するサラリーマンへの揶揄など、ポスター自体が差別を再生産する構造や「エイズ=外国人やセックスワーカーなど『見えない人々』の問題」とする排除の構造が透けて見える。一方、APPの制作物には、支援団体の連絡先やセーフ・セックスの方法など当事者が必要な情報を掲載。収集した国内外のポスターが壁を覆い尽くすように展示された。



[撮影:石谷治寛 写真提供:京都精華大学ギャラリーフロール]


また、「ウィメンズ・ダイアリー・プロジェクト」では、女性のためのスケジュール手帳を、96年版から2010年版まで制作した。「ジェンダー」「セクシュアリティ」「エイズ」「家族」「働き方」「老い」などのトピックについて、10~20名の編集メンバーの率直な「声」がイラスト付きで日毎に掲載されている。コンテンツの構成は、アートスケープでのワークショップで検討された。フェミニズムの視点が強く打ち出され、「女性は性について語るべきではない」という内面化された規範に対するアンチが浮かび上がる。

また、当時のクラブシーンやゲイカルチャーの象徴的存在として、ドラァグクイーンに関する資料も展示された。「女装」「ニューハーフ」ではなく、女性性を誇張的にパロディー化し、「性別」という概念の越境者としてのドラァグクイーンを配置した。

展示全体を貫くのは、女性や性的マイノリティに対して、(性)差別を再生産する支配構造に対する強いアンチの姿勢だ。他人に領有されないという意味では最もプライベートである一方、他者との関係において形成されるという意味では限りなく社会的なものとしてある「性」。それを管理しようとする力は、ヘテロセクシャルの男性中心の支配体制の温存と強化、そして「マイノリティ」の抑圧や排除、不可視化に他ならない。本展は、「90年代京都のアートシーンの歴史化」という意義を超えて、世界的な「#Me Too」の潮流や性的マイノリティの権利運動などと呼応し、極めて同時代的な意義をもつ。また、過去の人権運動で用いられたプラカードやバナーを再現したものや、現在の日本でのLGBTQパレード、セックスワーカーの人権活動、大阪入国管理局の人権侵害の抗議活動で用いられたプラカードや横断幕を展示したコーナーは、香港でのデモとタイムリーに呼応する。本展全体を通して、女性の人権擁護、性的マイノリティの権利運動、抑圧的な政治権力への抵抗など「現在」の同時多発的な状況と、「90年代の京都」が結びつく場が立ち上がっていた。

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メディアから考えるアートの残し方 後編 歴史の描き方から考える──展示、再演、再制作|畠中実/金子智太郎/石谷治寛:トピックス(2019年04月01日号)

2019/06/22(土)(高嶋慈)

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モダン・ウーマン─フィンランド美術を彩った女性芸術家たち

会期:2019/06/18~2019/09/23

国立西洋美術館[東京都]

「松方コレクション展」を見た後で常設展を訪れたら、やっていた。フィンランドの女性芸術家たちによる絵画、版画、彫刻、素描などの展示。なぜフィンランドなのかといえば、日本との外交関係樹立100周年だからだそうだが、なぜ女性だけなのかといえば、なんでだろう? もうひとつ気になったのは、サブタイトルに「フィンランド美術を彩った」とあること。「築いた」でも「背負った」でもなく、「彩った」のは女性だからか? やはり「築いた」り「背負った」りしたのは男性芸術家たちなのか? ぼくはフェミニストではないし、おそらく事実上「築いた」というより「彩った」のだろうけど、ちょっと引っかかる。

出品作家はだれひとり知らないが(男性作家も知らない)、作品はある意味とても興味深かった。それは描かれたものが、自画像をはじめ母子像や家族の肖像、日常生活、風景など身近なモチーフばかりであること、逆に、戦争画や歴史画といった重くて勇ましい大作が皆無であることだ。フィンランドでは19世紀半ばに設立された最初の美術学校が、当時としては珍しく男女平等の教育を奨励したというが、あまり効果はなかったようだ。時代的には彼女たちより少し前のメアリー・カサットやベルト・モリゾら印象派の女性画家たちが、やはり子どもや友人、身近な風景しか描かなかった(描けなかった)のと変わりがない。女性の社会進出が著しい北欧のフィンランドでさえ、1世紀前はこんなもんだったのだ。「彩った」と書かざるをえないゆえんだろう。

2019/06/21(金)(村田真)

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