artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

LILY SHU「Dyed my Hair Blond, Burnt Dark at sea」

会期:2019/07/19~2019/08/09

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

田凱もそうなのだが、このところ日本で活動する中国出身の写真家たちがいい仕事をしている。LILY SHU(リリー・シュウ)もそのひとりで、1988年、哈爾濱(ハルビン)で生まれ、イギリスのエセックス大学、ケント大学で学んだあとに日本に来て、東京藝術大学大学院博士課程を今年修了した。いくつかのコンペで入賞を重ねており、今回の展示は今年2月の第8回エモンアワードのグランプリ受賞作品展として開催された。

以前は、コンセプトと表現がしっくりと融け合わず、乖離している印象を受けたのだが、その弱点がかなり解消されてきた。LILYが捕捉しようともくろんでいるのは、「人間とモノとの境界や、文化の相違を超える『自然』と『現代性』が交錯する複数の空間に行き来する圧力の存在と落差」である。平たくいえば、われわれを縛りつけている視線の権力ということだが、それらをさまざまな事物の連なりから嗅ぎ当てて、画像化する能力が格段に上がってきているのだ。特に今回はメキシコで撮影したことがうまくいったのではないかと思う。伝統とモダン、聖なるものと俗なるものとが入り混じり、衝突するメキシコの環境が触媒として有効に働き、スリリングな映像のタペストリーが織り上げられている。植物を囲い込むグリーンの檻、本物の右手と義手の左手、シロアリを防ぐために樹木に塗られた白いペイントと赤い帯、水の出ない噴水のある池など、表象のちりばめ方に説得力が出てきた。

LILYの問題意識は、多くの日本の写真家たちとは違った方向に向きつつある。とはいえ、日本在住というポジションをうまく活用すれば、これまでにないタイプの国際的な写真家が出現するのではないだろうか。赤々舎で、写真集出版の企画が進んでいると聞くが、そろそろ中国を含めた海外での展示や出版も視野に入れてほしいものだ。

2019/07/26(金)(飯沢耕太郎)

田凱「生きてそこにいて」

会期:2019/07/23~2019/08/24

ガーディアン・ガーデン[東京都]

田凱(Den Gai)は1984年、中国生まれの写真家。2014年に日本写真芸術専門学校を卒業し、2018年に第19回写真「1_WALL」でグランプリを受賞した。今回のガーディアン・ガーデンでの個展は、その受賞展として開催されたものである。

田が撮影したのは天津近郊のとある街である。彼の故郷でもあるその街には、油田があり、かつては石油産業とともに栄えていた。だが、その衰退とともに、どことなく荒廃の気配が漂い始めている。田は、街の佇まいと友人を多く含む住人たちを、4×5インチ判の大判カメラで5年間にわたって撮影し続けた。被写体との距離の取り方、画面へのおさめ方に細やかな配慮が感じられ、ゆったりとした、スケールの大きさを感じさせるプライヴェート・ドキュメンタリーとしてきちんと形になっている。写真を見ながら、台湾の侯孝賢の映画(『恋恋風塵』、『非情城市』など)の雰囲気を思い起こした。

田がこのシリーズをさらに撮り進めていくのか、それともこれで完結なのかはわからないが、ぜひ写真集にまとめてほしい。ただ、その場合には個々の写真のバックグラウンドを、もう少し丁寧に言語化する必要がある。写真集のチラシに、子どもの頃の石遊びの情景や、上海で再会した幼な馴染みがホモセクシュアルであることを告げたことなど、断片的な記憶が記されていた。興味深いエピソードが多いので、それらをもう少ししっかりと展開し、写真とうまく組み合わせていけば、より伝達力の強いフォト・ストーリーになっていくのではないだろうか。

2019/07/25(木)(飯沢耕太郎)

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第31回 写真の会賞 写真の会賞展

会期:2019/07/22~2019/07/28

Place M[東京都]

31回目を迎えた本年度の「写真の会賞」は、野村浩が著書『CAMERAer──カメラになった人々』(go passion、2018)、写真展「“NOIR” and “Selfie MANBU”」(POETIC SCAPE、2018)と「暗くて明るいカメラーの部屋」(横浜市民ギャラリーあざみ野、2019)で、そして須田一政が写真集『日常の断片』(青幻舎、2018)が受賞した。誰にも真似のできない写真世界を構築してきた須田の、生前最後のカラー写真集『日常の断片』が選ばれたのは当然というべきだが、野村の受賞には意表を突かれた。受賞作の『CAMERAer──カメラになった人々』は、写真集ではなく4コマ漫画を集めたものだし、「暗くて明るいカメラーの部屋」は横浜市所蔵のネイラー・コレクションの写真機材を野村がキュレーションした展示だったからだ。

だが、「マンブくん」、「カメラドッグ」、「カメラバード」、「箱男」といったキャラクターが登場して、奇妙な会話や行為を展開する『CAMERAer──カメラになった人々』は、それ自体がしっかりとした写真論になっている。また、横浜市市民ギャラリーあざみ野の展示にも、彼の写真家としての経験が活かされていた。「写真の会賞」はこれまでも異色の写真家や写真関係者にスポットを当ててきたが、今回も同賞にふさわしい選考といえそうだ。

Place Mで開催された受賞作品展もかなりユニークな会場構成だった。フレームにきちんとおさまった須田の作品の合間に野村が介入して、会場全体を「カメラーの部屋」として再構築している。須田の写真を思わせる風景の中に「マンブくん」が入り込んだ「Selfie MANBU」シリーズのほかに、スワロフスキー製のクリスタルカメラのインスタレーション、スライド上映、コピー作品などもある。野村は「暗くて明るいカメラーの部屋」展でも、キュレーターとしての能力の高さを見せたが、今回の会場構成でもそれを充分に活かしている。極め付けは、今回の展示のために描き下ろしたという『CAMERAer──カメラになった人々』の番外編「すだ式」をおさめた小冊子で、いうまでもなく、つげ義春の名作「ねじ式」の秀逸なパロディになっている。野村の写真家の枠からはみ出した才能が、全面開花しそうな予感がある。

2019/07/23(火)(飯沢耕太郎)

TOKAS-Emerging 2019 PART. 1

会期:2019/07/20~2019/08/18

トーキョーアーツアンドスペース本郷[東京都]

谷崎桃子、砂田百合香、小田原のどかの3人展。目玉の大きな少女をペインタリーに描いた谷崎も、鉄の輪を使った動く彫刻を出している砂田も悪くないが、「近代を彫刻/超克する」と題した小田原の展示がおもしろい。といっても、作品展示というより研究発表の体なのだが。

彫刻を学んでいた小田原は、なぜ街なかに多くの女性のヌード像が平然と立っているのか、それがなぜ「平和」などと題されているのか不思議に思い、その起源を探っていくうちに、三宅坂にある3体の女性ヌード像《平和の群像》(1951)に行きつく。その台座はヌード像に不釣り合いなほど立派で、調べてみると、もともと《寺内元帥騎馬像》(1923)という軍人の銅像が載っていたという。しかし戦争中に金属回収で銅像は武器に変わり、戦後ぽっかり開いた台座の上に《平和の群像》が置かれたというわけ。戦争から平和へ、軍人の騎馬像から女性ヌードへと180度転換したわけだが、どちらも作者は男性で、その時々のブームに乗った彫刻設置事業のひとつだったという点では大して変わりがない。というようなことを、写真や資料によって解き明かしていく。戦争画の問題と本質的に同じなのだ。小田原自身の彫刻も、ロッソのような顔の石膏像が3体あったが、こちらのほうの展開も楽しみ。

関連記事

彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって|小田原のどか:フォーカス(2018年04月15日号)

2019/07/22(月)(村田真)

画廊からの発言 新世代への視点2019

会期:2019/07/22~2019/08/03

藍画廊+GALERIE SOL+ギャラリーQ+ギャラリー58+ギャラリーなつか+ギャラリイK+ギャルリー東京ユマニテ+コバヤシ画廊ほか[東京都]

1993年に始まった「新世代展」も、今年で20回。あれ? 毎年開催なら27回目になるはず。計算が合わないぞ……と思ったら、1997年から10年ほど隔年開催となり、2008年から再び毎年開催に戻ったため。実はこれ、NICAF(懐かしい!)~アートフェア東京の開催間隔とほぼ同じだって知ってた? NICAF(日本国際コンテンポラリーアートフェア)は1992年に始まったものの、バブル崩壊後だったため出展画廊が減り続け、1997年から隔年開催に。2003年にいったん終了して、2005年にアートフェア東京として再出発し、2007年からほぼ毎年開催に戻っている。営利と非営利の対照的なアートイベントなのに、なぜか仲よしだ。どうでもいいけど。

この「新世代展」は、バブル期に若手作家の「貸し画廊離れ」に危機感を抱いた銀座・京橋の貸し画廊10軒が集まって、自分たちの役割と存在意義をアピールするために始めたもの。先のNICAFに代表されるように、90年代は不況の風が吹いたとはいえ、レントゲン研究所やオオタファインアーツ、シュウゴアーツ、小山登美夫ギャラリーなど若手画商も台頭し、貸し画廊の需要が落ち込んだ時期。そこで、貸し画廊はただ作家から金を取ってスペースを貸すだけでなく、若手作家をさまざまな面で支援していることをアピールする必要があった。たとえば、常連作家には画廊企画で個展を開くとか、若手作家の作品資料を整えて美術館やクライアントに売り込むとか。その意味では、オルタナティヴ・スペースが育たなかった日本では、貸し画廊がその役割を代行していたともいえる(貸し画廊が機能していたからオルタナティブ・スペースが必要とされなかったともいえるが)。

だからこの「新世代展」は、貸し画廊のオルタナティヴ・スペース化という捉え方もできるのだが、残念ながら場所が点在しているうえ、真夏の「地獄の季節」に開催するため、訴求力が弱い。そこを逆手にとってうまくアピールすれば、よりよい結果が得られるだろうに……と、展覧会の骨格についてばかり書くのは、はっきりいって今回おもしろい作品が少なかったからだ。それがいちばん問題だな。

公式サイト: http://www.galleryq.info/news/news_newgeneration2019.html

2019/07/22(月)(村田真)