artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

スタジオ開墾

[宮城県]

仙台の卸町に登場したスタジオ開墾のお披露目が行なわれ、プロジェクトを実施した「とうほくあきんどでざいん塾」の長内綾子や松井健太郎とともに、トークに登壇した。これまで仙台にはなかったアーティストのシェアスタジオである。スタジオ開墾は大きな倉庫街の一角に位置するが、倉庫を活用して阿部仁史が事務所を構えたり、かつて東北大の国際ワークショップが開催されたエリアであり、近年は東西線の開通によってアクセスが良くなり、注目を集めていた。スタジオ開墾も、昨年の夏から時間をかけて、ギャラリー・ターンアラウンドの関本欣哉が指導しながら、プロジェクトの参加者とともに、使われていなかった倉庫をセルフビルドで改造したものである。そして鉄骨2階建ての倉庫の1階、約350m2の空間を利用し、7つの専用ブースや制作や展示のための共有スペースを設けた。オープニングでは、青野文昭の大型の作品を展示していたように、かなりの天井高があり、現代アートにとっては使いでのある空間だろう。いつ訪れても、必ず出会えるサイトスペシフィックの印象的な作品を置くといいかもしれない。

シェアスタジオは月2万円からの設定であり、賃料が安い。したがって、芸大や美大を卒業したばかりの若手のアーティストも入居しやすいだろう。現時点でいったんすべてのブースが埋まったらしい。興味深いのは、エントランスにブックカフェを併設していること。ゆえに、スタジオに知り合いがいなくても、ふらっと立ち寄りやすい。特に書籍はアート系の古書店の倉庫を兼ねており、単なるコーヒーテーブルブックではなく、魅力的な写真集や作品集が数多く並んでいる。現在、夜の営業は予定していないが、もし可能になれば、アートの関係者に会いに飲みに出かけてみたい場所だ。ともあれ、仙台の新しいアートの情報発信基地として今後の展開が楽しみである。

外観


内観


青野文昭の大型作品


ブースのひとつに作品が展示されている


エントランスのブックカフェ


2019/01/07(月)(五十嵐太郎)

5 R00MS Ⅱ──けはいの純度

会期:2018/12/07~2019/01/19

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

大小5つの展示室からなるギャラリーで、5人のアーティストが作品を発表している。最初の部屋は和田裕美子。肌色の女の子の人形を並べ、黒々とした髪の毛が延びて先端がレース編みのようなパターンを描いている。これがただの黒い糸だったら学芸会レベルだが、髪の毛であると知ると意味も見え方も異なってくる。素材の力は大きい。次の部屋は橋本雅也で、鹿の角を植物のように彫ったり、木を彫って石の固まりのようにしたり、ある素材をそれに似つかわしくないものに変える彫刻を出品。

3番目の七搦綾乃も少し橋本に似て、木を彫って骨のような、あるいは植物のような不穏な物体に変えてみせる。だが、橋本が工芸的な美しさに着地するのに対し、七搦は荒削りで正体不明の不気味さをたたえ、どこにも行きつかない点が大きく異なる。ここまで来るとなんとなく展覧会全体のテーマが浮かび上がってきた。それは「素材の曖昧さ」だ。と思ってチラシを見たら「けはいの純度」とある。ぜんぜんハズレ。4番目のスコット・アレンはレーザーを使う作品らしいが、アウト・オブ・オーダーだったので問題外。5番目の大西康明は一番大きな展示室を使ったインスタレーション。この展示室を特徴づける階段の踊り場から色テープを投げて、宙に張り巡らせたテグスに引っ掛けて床に広げた。いわば行為の軌跡を視覚化したもので、ほかの3作家に共通する「曖昧さ」はないけれど、大空間をにぎやかに埋めようとする努力は認めよう。

2019/01/05(土)(村田真)

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《モンテマルティーニ美術館》《スクデリエ・デル・クイリナーレ》

[イタリア、ローマ]

当然ながら歴史建築が多く残るローマでは、リノベーションが多い。例えば、古代のトラヤヌスのマーケットやディオクレティアヌスの浴場は博物館に転用され、カンピドリオの博物館は2005年にカルロ・アイモニーノによる改装が行なわれた。現地で購入したDOM publishers刊の新しい建築ガイドでも冒頭からリノベーションのオンパレードである。今回の滞在では《モンテマルティーニ美術館》を初めて訪れた。1997年のこけら落としの展覧会のタイトルが「機械と神々」だったように、発電所に古代の彫刻を置く独特の空間である。日本でも発電所美術館は存在するが、現代アートを対象としている。外観こそ簡略化した古典主義だが、内部に入ると、巨大な機械の隙間に胸像が並ぶ。設計はフランチェスコ・ステファノリ。工場萌えとローマ美術の愛好家が遭遇するようななんともユニークな施設である。また大空間において法王専用の列車も展示されていた。

クイリナーレ宮の向かいの旧厩舎も、オルセー美術館で知られるリノベーションの名手、ガエ・アウレンティの設計によって美術館《スクデリエ・デル・クイリナーレ》に改造されている。なるほど、上階の展示室への導入となる幅が広く、傾斜が浅い大きなスロープは、もともと馬用だったらしい。交差ヴォールトの中心をくり抜いたトップライトや足元の壁の一部をかきとるマニエリスティックな操作によって、現代的な空間に変貌している。ここでは古代ローマの詩人オウィディウスをテーマにした展覧会が開催されていた。もっとも、その文学的な技巧を紹介する企画というよりは、詩の内容(例えば「変身物語」)に触発された画家や彫刻家による視覚の作品を集めたものである。現代の美術家だと、ジョセフ・コスースも参加し、オウィディウスの言葉を抜粋する作品によって展示の冒頭を飾る。個人的には、詩の形式や韻律に注目し、音などを使う展示も欲しかった。

トラヤヌスのマーケット(左)、《モンテマルティーニ美術館》(右)


ステファノリの改修による《モンテマルティーニ美術館》


ステファノリの改修による《モンテマルティーニ美術館》


《モンテマルティーニ美術館》に展示された法王専用の列車


アウレンティの改修による《スクデリエ・デル・クイリナーレ》


アウレンティの改修による《スクデリエ・デル・クイリナーレ》


《スクデリエ・デル・クイリナーレ》オウィディウス展の展示風景(写真右はジョセフ・コスースの展示)

2019/01/02(水)(五十嵐太郎)

野村恵子『Otari - Pristine Peaks』

発行所:スーパーラボ

発行年:2018

野村恵子の写真家としてのキャリアにおいて、ひとつの区切りであり、新たな方向に一歩踏み出した、重要な意味を持つ写真集である。写真の舞台になっているのは、山深い長野県北安曇郡小谷村。「厳しくも豊穣な山の自然とめぐる季節の流れの中で」暮らす住人たちの姿が、新たな命を妊ったひとりの若い女性を中心に描かれる。特に注目すべきなのは、狩猟と祭礼のイメージである。農耕民とはまったく異なる原理に貫かれた、まさに日本人の暮らしの原型といえるようなあり方をしっかりと見つめ、写真に残しておこうという意欲が全編に貫かれている。

いわば、濱谷浩が『雪国』(1956)や『裏日本』(1957)で試みた、民俗学をバックグラウンドとするドキュメンタリー写真の現代版といえるのだが、野村の写真は、若い女性の身体性を強く押し出すことで、「女性原理」的な視点をより強く感じさせるものになっている。プライヴェートな関係性にこだわってきた、これまで野村の仕事と比較すると、風土性、社会性へもきちんと目配りしており、緊張感を孕みつつ、気持ちよく目に馴染んでいく写真集に仕上がっていた。

なお、野村は入江泰吉記念奈良市写真美術館で古賀絵里子との二人展「Life Live Love」(2018年10月26日~12月24日)を開催した。同展にも本書の作品の一部が展示されていた。

関連レビュー

野村恵子×古賀絵里子「Life Live Love」|高嶋慈:artscapeレビュー

2018/12/30(日)(飯沢耕太郎)

中尾美園「うつす、うつる、」

会期:2018/12/21~2019/01/13

Gallery PARC[京都府]

日本画の写生・臨画(模写)における「うつし」を、「記録」と「後世への継承」の側面から捉え、高齢の女性たちの遺品や閉店した喫茶店に残る品々を、記憶の聞き取りとともに精緻に描写し、絵巻物という保存装置に仕立ててきた中尾美園。日本画家としての確かな技術に裏打ちされたその作品は、思わず目を凝らして見入ってしまう繊細かつ迫真的な描写のなかに、「保存修復」という自らの携わる仕事への批評をはらんでいる。本展では、過去作の回顧の延長上に新作を位置づけることで、「記録」と「記憶や習慣の継承」についてより焦点化された内容となった。

新作の対象となったのは、90歳近くになる中尾の大叔母が、毎年手作りしている正月飾りの「しめ縄」である。玄関用、神棚用の大きなしめ縄、台所や道具などそれぞれの「神様」用の小ぶりなしめ縄。用途ごとのさまざまなしめ縄は、中尾の手によって覚書とともに実物大で模写され、着彩されたものは掛け軸に仕立てられている。また、模写による記録に加え、大叔母からしめ縄作りを習う過程を記録した映像も展示された。かつては兄姉や親戚とともにしめ縄を作っていた大叔母だが、現在、彼女が住む地域では、しめ縄を作るのは彼女ただ一人である。しめ縄作りを始めたきっかけは、小学校の登下校中に店舗の軒先に飾られていたものを見て「きれいだな」と思い、真似して作ってみたという。その後、嫁ぎ先の植木屋の仕事の合間に本格的に作り始め、60年以上も作り続けてきた。研究熱心な彼女は、よその家や店舗の軒先に飾られたしめ縄をよく観察していたという。ここで、大叔母の作ったしめ縄を写生する中尾の眼差しは、単なる外形の模写を超えて、「他家や店先に飾られたしめ縄をよく観察し、真似た」かつての彼女の眼差しをトレースしていると言える。その二重のトレースは、彼女の眼差しの追体験であり、小正月を過ぎれば処分されて形に残らないしめ縄の記録でもある。写真やスキャンではなく、目で見て「写す」写生であることの意義がここにある。



[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]


[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]

併せて本展では、過去作品の《美佐子切》(2015)と《久代切》(2018)も展示された。《美佐子切》は、亡くなった祖母の桐箪笥に保管されていた嫁入り道具、着物、装身具などを、家族や親戚への聞き取りの覚書とともに模写し、絵巻に仕立てた作品。「切(きれ)」は、「断片」「布切れ」を意味する語だが、ハギレほどの大きさに切り取られて模写された着物(物理的な布の断片)と、祖母・美佐子の人生の断片という寓意的な意味合いが込められ、多重的な意味を持つ。一方、《久代切》は、別の高齢の女性が生前、祝日に掲揚していた「国旗セット」を模写し、絵巻に仕立てた作品。旗竿、それを受ける金具、収納袋、折りたたんで保管されていた3枚の国旗が、シワや染みに至るまで写し取られている。

桐箪笥に保管されていた大切な品物(きれ=記憶を物語る断片)。同様に遺された国旗と、生前の持ち主が続けていた祝日の掲揚という「習慣」。しめ縄の模写に、「習う/倣う」という要素が加わることで、「習慣の伝達や継承」がより前景化する。近年の中尾の関心や足取りは、このような展示のストーリーで示される。中尾作品に感銘を受けるのは、単に本物と見紛う描写力の高さだけでなく、市井に生きた故人(とりわけ女性)の記憶の断片が、絵巻物として確かな実体を与えられ、棺のように丁寧に桐箱に収められ、ふと記憶が蘇ったかのように目の前に鮮やかに展開する、絵巻という媒体の持つ運動性とともに差し出されているからにほかならない。



[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]

関連レビュー

中尾美園「紅白のハギレ」|高嶋慈:artscapeレビュー

2018/12/29(土)(高嶋慈)