artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
インベカヲリ★「ふあふあの隙間」
会期:2018/11/06~2018/11/26
ニコンプラザ新宿 THE GALLERY[東京都]
インベカヲリ★は、赤々舎から『やっぱ月帰るわ、私』(2013)に続く2冊目の写真集『理想の猫じゃない』を刊行した。女性モデルたちと対話を重ねて「独特の表現や価値観」を引き出し、その場面を演じてもらって撮影するというやり方は一貫しているが、彼女たちの無意識の領域に踏み込み、これしかないイメージを掴まえてくる精度はさらに上がっている。前作は解説なしで写真のタイトルだけを掲載していたが、今回はモデルたちとのインタビューをまとめた文章も加わった。そのことによって、それぞれの写真のバックグラウンドがよりくっきりと浮かび上がり、インベの写真の世界を読者も共有しやすくなってきている。
出版に合わせてニコンプラザ新宿 THE GALLERYで開催された「ふあふあの隙間」展には、『理想の猫じゃない』と共通のモデルの写真も出品されていたが、ほとんどの作品は撮り下ろしの新作写真だった。注目すべきは、今回は使い慣れた6×7判ではなく、35ミリ判のデジタル一眼レフカメラで撮影していることである。今年から使い始めて、やはり当初はかなり違和感があったようだが、逆に連続的にシャッターが切れること、水中や夜間の撮影が可能となることなどの利点を活かすことで、これまでとは一味違った表現ができるようになった。たしかに、狙いをつけたイメージをしっかりと定着する強度はアナログカメラのほうが優れているが、大小の写真を自由に組み合わせた展示構成も含めて、新たな切り口が見えてきそうでもある。急遽企画・出版された3冊組の写真集『ふあふあの隙間』(赤々舎)も、デジタルプリントをページに直接貼り付けるなど、軽やかなレイアウトの造本に仕上がっていた。
なおインベカオリ★は、5月の銀座ニコンサロンの個展「理想の猫じゃない」で本年度の第43回伊奈信男賞を受賞した。その受賞記念展が、本展に続いて12月4日〜10日にニコンプラザ新宿 THE GALLERYで開催される。来年もいくつかのギャラリーの展示がすでに決まっているという。写真家としての活動に、弾みと勢いがついてきたようだ。
2018/11/23(金)(飯沢耕太郎)
開館40周年記念 産業の世紀の幕開け ウィーン万国博覧会
会期:2018/11/03~2019/01/14
たばこと塩の博物館[東京都]
渋谷の公園通りから下町のスカイツリーのふもとに移転して初の訪問。なんか閑散とした街だなあ。なんでこんなとこに「たば塩」が移ってきたんだろう、と思って地図を見たら納得、近くに日本たばこ産業生産技術センターをはじめJT関連のビルがひしめいているのだ。でもなんで「たば塩」で「ウィーン万博展」をやるんだろう。よくわからないけどうれしい。なぜなら、ウィーン万博は日本政府が初めて公式に参加した万博というだけでなく、その準備のため前年に湯島聖堂で日本初の「博覧会」が開かれ、それが現在の東京国立博物館につながったこと、また、この出品を機に「美術」という日本語が生れたこと、この後ヨーロッパにジャポニスム旋風が吹き荒れることなど、近代日本美術の形成にも大きな意味を持っているからだ。
ウィーン万博は1873(明治6)年に開催。日本を含め35カ国が参加し、半年間で726万人を動員した。日本からは湯島の博覧会にも出された金のシャチホコをはじめとする古器旧物や装飾工芸品を出展。そのとき万博事務局から届いた出品目録に「kunstwerke」とあり、これを「美術」と訳したそうだ。目録を見ると「鉱山ヲ開ク業ト金属ヲ製スル術ノ事(鉱業)」から「少年ノ養育ト教授ト成人ノ後修学ノ事(教育)」まで26区分されていて、見ていくと最後のほうの第二十二区に、「美術ノ博覧場ヲ工作ノ為ニ用フル事(美術品展示の有益性)」、第二十四区に「古昔ノ美術ト其工作ノ物品ヲ美術ヲ好ム人并古宝家展覧会ヘ出ス事(古美術)」、第二十五区に「今世ノ美術ノ事(美術)」とある。これが「美術」という新語を使った最初期の例だろう。
でも同展には大花瓶や大皿、蒔絵、人形、羽子板、そしてたば塩ならではのメアシャム製のコテコテの装飾がついたパイプなど、工芸品は出ているものの絵画・彫刻の類は1点もない。実際、当時の展示写真を見ても、金のシャチホコと大花瓶ばかりが目立ち、絵画はほとんど目立たない。考えてみれば当たり前だ。当時日本で油絵を試みていたのは高橋由一と五姓田一家くらいで、本場西洋に太刀打ちできるような作品はなく、「日本画」もまだ確立する前のこと、外国人に見せられる絵画などなかったのだ(浮世絵はあったが、見せる価値がないと日本人は思っていた)。でもこうした工芸品が人気を呼び、以後19世紀末にかけて続々と開かれる欧米の万博に出展され、ジャポニスム旋風が巻き起こることになる。その際、壊れやすい陶磁器などを包んでいた二束三文の浮世絵版画が見直され、印象派にも影響を与えていったことはよく知られている。
同展では、ウィーン万博を参考に国内向けに開かれた内国勧業博覧会についても紹介している。第1回勧業博が上野公園で開かれたのは1877(明治10)年のこと。当時の錦絵を見ると、会場奥の中央に日本初の「美術館」が建ち、内部では絵が3段掛けで展示されている様子がうかがえる。しかし名称からもわかるように、勧業博は殖産興業政策の一環として産業振興のために行なわれたもの。そこでは美術はお飾りにすぎなかった。海外向けにはジャポニスムの美術を売り出す一方で、国内向けには農工業製品を中心に扱っていたわけで、この構図はどうやら「クールジャパン」と名を変えたいまでも変わっていないようだ。
2018/11/23(村田真)
名作展 異国の情景 アジアへの熱情
会期:2018/09/18~2018/12/19
大田区立龍子記念館[東京都]
地下鉄浅草線の西馬込駅から徒歩15分の住宅地に建つ川端龍子の個人美術館。こじんまりした建物だろうとタカをくくっていたら、予想外に大きくてびっくりした。ただ大きいだけでなく、ジグザグのかたちをしているではないか。設計は龍子本人。ジグザグは超大作を描いたり展示したりするためかと思ったらそうではなく、タツノオトシゴ(龍)のかたちだそうだ。
今回展示されているのは、龍子が1930-40年代に盛んに訪れた南洋諸島や中国に取材した大作十数点。満州事変に始まり日中戦争、太平洋戦争と続く戦争の時代なので、戦争画もいくつか出ている。たとえば中国山中を飛ぶ日本の戦闘機を描いた《香炉峰》。幅7メートルを超す大画面に収めた原寸大の戦闘機は迫力満点だが、なにより奇妙なのは、機体が薄絹のようにシースルーなのだ。《水雷神》にも驚かされる。水中を行く魚雷を3人の青い水の神が後押ししているのだ。油絵の戦争画がおおむね事実に即したリアルな記録画を目指したのに対して、龍子は日本画では写実表現においてかなわないと思ったのか、自由奔放な発想で豪快に描いている。
戦争以外のモチーフもあるが、この時代に龍子の描いたアジアはいずれもきな臭さが漂い、広い意味で戦争画といっていいかもしれない。たとえば《源義経(ジンギスカン)》。義経が大陸に逃れてジンギスカンになったという伝説は、中国に侵攻したこの時代もてはやされたものだ。ここではラクダを描くことでモンゴルであることを表わしている。《朝陽来》は奇抜このうえない。山並みの尾根に延びる万里の長城はまるでタコの足だし、なにより朝日が山の向こうではなく、山と山のあいだから昇っているのだ。どういう発想だ!? これはもはや戦争画というより、幻想画というべきか。
2018/11/22(村田真)
眠らない手:エルメスのアーティスト・レジデンシー展 vol.2
会期:2018/11/15~2019/01/13
銀座メゾンエルメスフォーラム[東京都]
いま、フランスでは工芸作家や職人が伝統技術や素材をベースに新たな表現を探る挑戦が顕著になっているという。これをフランス工芸作家組合は「ファインクラフト運動」と呼び、強く推進する。つまり工芸作家や職人のアーティスト化である。本展を観て、このファインクラフト運動をふと思い出した。
しかし本展の趣旨は少し異なる。エルメス財団が2014〜2017年に実施した、第2期「アーティスト・レジデンシー」で生まれた作品の紹介だ。これは世界中から9人の若手アーティストをエルメスのさまざまな工房に招聘して、職人と協働し、滞在制作を行なってもらうというプログラムである。それぞれの工房で扱う素材は、シルク、皮革、銀、クリスタルガラスと上質なものばかり。エルメスの卓越した職人技に触れながら、まったく自由な構想で、若手アーティストに作品づくりに集中してもらう。展示作品は、絵画を薄いシルクに分解プリントし重ね合わせた作品、カラフルな英国製の靴のオブジェ、皮革を寄木細工のように貼り合わせた絵画、謎めいた皮革道具一式、シルクの端切れを縫い合わせた、おぞましさを誘う人形の集合体などだった。vol.1では、ピュイフォルカの銀のスプーンをワイヤー状になるまで引き延ばした作品などがあった。
冒頭に述べたファインクラフト運動は工芸をベースにした創作性の拡張になるので、工芸作家や職人が素材とじっくり向き合った末、見た目に驚きのある作品を生み出す傾向にある。ところが、本展の展示作品は工芸の力を借りたとはいえ、若手アーティストの内面や概念をベースにした創作性の拡張になるので、一筋縄ではいかない。驚きの前に、正直、理解に苦しむ点は多かった。またエルメスの職人技をこんな風に惜しげもなく、若手アーティストの創作に利用してもいいのだろうかとさえ思ってしまった。もちろん企業には社会貢献としてメセナがあることは理解している。職人が若手アーティストに触発されたり、若手アーティストからの突拍子もない要求によって職人技が向上したりする相乗効果があることもわかる。いずれにしても高い企業文化と資金力がなければできないことだ。エルメス財団の懐の深さを感じた展覧会だった。
公式サイト:http://www.maisonhermes.jp/ginza/le-forum/archives/761518/
2018/11/21(杉江あこ)
バッドアート美術館展
会期:2018/11/22~2019/02/11
Gallery AaMo[東京都]
ひどい絵ばかりを集めた美術館が実在するそうだ。ボストンにあるバッドアート美術館で、通称MOBA(モバ)。コレクションは800点を超え、今回はそのなかから100点以上が初公開されている。会場は東京ドームシティ内のギャラリーアーモ。英語表記は「AaMo」で、AはArt、Amusementのイニシアル、aMoはand Moreだそうだ。展覧会も会場もキワモノっぽいが、これがなかなかアートについて考えさせてくれる。むしろキワモノゆえにアートの枠組みが浮かび上がってくる、というべきか。
ひとくちに美術作品といってもピンキリで、最良のものは美術館やギャラリーで見られるが、最悪のものはまとめて見る機会がない。ならば最悪のものばかり集めようというのがバッドアート美術館だ。でも最良に比べて最悪を決めるのは難しい。なぜなら最良のものは厖大な作品の山の頂点にわずかしかないけれど、最悪のものは広大な底辺に無数に存在するからだ。いや底辺だけでなく、頂点のすぐ下にとてつもない最悪の作品が埋もれているかもしれず、いってしまえば頂点を除くすべてに最悪の可能性があるのだ。そんな最悪の山からどれを選ぶのかが悩ましいところ。ウィキペディアの「バッドアート美術館」によれば、「オリジナルであり、かつ真面目な意図を持った作品でなければならないが、同時に重要な欠点をそなえていなければならず、何より人を退屈させるものであってはならない」というのが選択基準らしい。重要なのは最後の「人を退屈させない」ことだろう。「笑える」といいかえてもいい。
実際どんな作品が集まっているのかというと、端的にいえばヘタな絵、変な絵、失敗作など。大半は素人で子供の絵もあるが、わざとヘタに描いた絵や故意に笑いをとろうとした作品はNGだ(NGはノーグッドだがバッドではない)。抽象がないのはわかるが(退屈だから)、アウトサイダーアートがないのは意外だ。すでにアートとして認められてしまったからだろうか。作品の横にはタイトル、作者名、制作年、素材などを記したキャプションがついていて、曲がりなりにも展覧会の体をなしているが、ところどころ2段掛けにしてあるし、大半は額縁に入ってないし、額縁がついてるものもかなり安物だし、絵の脇にしりあがり寿によるツッコミのフキダシがついていたりもする。これってひょっとして、ナチスによる「頽廃芸術展」に似てなくないか?
「頽廃芸術展」は前衛嫌いのヒトラー率いるナチスが、おもに表現主義絵画を美術館から押収して「頽廃芸術」の烙印を押し、狭い会場に並べて壁に侮辱的なコメントを記して嘲笑の的にしたというもの。その後、作品は外国に安く売り飛ばしたり、焼却された例もあったという。もちろんバッドアート美術館の場合、本人や遺族の了承を得て収集・展示されているはずだが、作者の意に反して笑いのネタにされているものもあるんじゃないか。逆にいまの時代、これらの作品が高く評価され、億単位で売買される可能性だってないわけじゃない。……それはないか。
2018/11/21(村田真)