artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
上田義彦「Forest 印象と記憶 1989-2017」
会期:2018/01/19~2018/03/25
Gallery 916[東京都]
上田義彦の「Forest 印象と記憶 1989-2017」展を見たあとで、彼の1993年の写真集『QUINAULT』(京都書院)をひさしぶりに書棚から引っ張り出して眺めてみた。今回の展示には、その1989年に撮影されたアメリカ北西部の「QUINAULT」の森のほかに、2017年に同じ森を再訪して撮影した写真、東日本大震災の直後から撮り始めた「屋久島」の森、そして2017年に撮影した奈良「春日山」の原生林の写真が出品されている。これら30年近いスパンを持つ森の写真群をあらためて見直すと、上田の撮影の意識が大きく変わってきたことに気がつく。
最初の「QUINAULT」の写真には、はじめて森に踏み込んだ写真家の歓び、怖れ、興奮が綯い交ぜになってぎっしりと埋め込まれているように見える。森は重々しく、厳めしく、不機嫌な表情で写っており、上田はそこで自分自身を「ストレンジャー」と感じざるを得ない。ところが、再訪した「QUINAULT」や「屋久島」や「春日山」の森は、むしろ明るく、開放的だ。上田の視線は「デティールから色彩へ、輪郭から量へ」とめまぐるしく、軽やかに動き回り、森の速度にシンクロしている。特に「絶え間ない生命の循環」に呼応して形を変えていく光にたいする鋭敏な反応が、写真にいきいきとした躍動感を与える。本展の作品には、上田の写真家としての成熟と森との関係の深まりが、きちんと形をとってあらわれていたといえるだろう。展覧会に合わせて刊行された同名の写真集も、大判だが手に取りやすい造りで、上田の制作意図がしっかりと反映されていた。
ところで、上田義彦が2012年から運営してきたGallery 916は、6年の節目を迎える4月15日に閉廊することになった。これまで開催された24回の企画展は、600m2という広い会場にふさわしい、見応えのあるものが多かったので、閉廊はとても残念だ。上田自身の展覧会を含めて、ラルフ・ギブソン、アーネスト・サトウ、有田泰而、森山大道、操上和美、津田直、野口里佳、川内倫子、シャルロット・デュマ、百々俊二、奥山由之など、同ギャラリーでの展示は記憶に残っていくだろう。
2018/03/03(日)(飯沢耕太郎)
没後50年 中村研一展
会期:2018/02/03~2018/03/11
福岡県立美術館 [福岡県]
太宰府から西鉄でシュッと戻って福岡県美へ。中村研一(1895-1967)というと、戦争画を描いた画家という以外なにも知らなかった。たとえば東京国立近代美術館にある戦争記録画のデータを見ると、153点のうち9点が中村の作品で、藤田嗣治の14点に次いで2番目に多い。なかでもマレー半島上陸作戦を描いた《コタ・バル》は朝日文化賞を受賞しており、戦争画のスターのひとりだったといえる。そのわりに、同じく戦争画の花形だった小磯良平や宮本三郎のように、戦後の活躍が華々しいわけではない。年齢からすると、ちょうど脂の乗り切った40代に戦争の時代を迎えるわけで、画業は学生時代を別にすれば戦前が約15年、戦中が約10年、戦後が約20年となる。ぼくが知りたかったのは、彼の戦前・戦中・戦後の画業のつながりだ。戦争画に手を染めた画家の多くは戦前と戦中、戦中と戦後の2度にわたって画業の断絶が認められるが、その断絶(と連続性)の程度を知りたかったのだ。
展覧会も大きく分ければこの3つの時代に沿って構成されている。戦前は帝展を舞台に《弟妹集う》や《瀬戸内海》などの大作を発表、華々しく活躍していた。戦災で多くの作品が失われたことを差し引いても、戦前すでにモダンな群像表現のスタイルを確立していたことがわかる。だが群像の大作を描けることが、戦争画制作に巻き込まれていく要因となったに違いない。《コタ・バル》に見る兵士たちの戦闘シーンは、戦前とは空気感こそまったく異なるものの、リアルな群像表現が生かされたものだ。一方、米軍機が撃墜される瞬間を捉えた《北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機を撃墜す》は、主題の激烈さとは裏腹のまるでモネを思わせる明るい色彩と軽快なタッチで表現されていて、これは逆に戦争画だからこそ許された実験的な表現ではなかったか。同展にはもう1点、戦争画の大作として《マレー沖海戦》が出ているが、これはイギリスの戦艦を攻撃する戦闘機を俯瞰構図で描いたもの。これほどわかりやすい戦争画もないが、それだけに勧善懲悪の安っぽいイラストにも見えてしまい、(俯瞰的視点を除いて)中村らしさは感じられない。
そして戦後になると、戦争画を描いたことがウソのように、いや戦争画を描いてしまったからこそそこから逃れるように、妻の肖像や身近な風景など穏やかな日常的モチーフに浸っていく。サイズも大作はすっかり影をひそめて小品が多くなり、陶芸にも手を染める。まるで余生を楽しむかのようだ。年数でいえば戦後がいちばん長いのに、出品点数でいえば(挿絵や陶芸を除くと)戦後がいちばん少ない。展覧会を見る限り、画業のピークは戦前・戦中にあり、戦後はオマケにすぎなかったとの印象は否めない。中村は《コタ・バル》をはじめとする戦争画ですべてを出し尽くしてしまったのか、それとも戦争に協力したという自責の念が亡くなるまで彼を圧し続けたのだろうか。
余談だが、帰りにカタログを買ったら、1972年に開かれた「中村研一遺作展」のカタログも付けてくれた。きっと大量に余っていたんだろう。これを開くと、いわゆる戦争記録画は後に中村の個人美術館である小金井市はけの森美術館が所蔵する《シンガポールへの道》1点しか出ておらず、解説も戦争画についてはほとんど触れられていなかった。153点の戦争記録画が永久貸与のかたちで返還されたのはその2年前で、まだ公開されていない時代だった。中村が現在の戦争画再評価を知ったらどう思うだろう。
講演会「官展洋画の寵児・中村研一 戦前から戦後への断絶と継承」(2018/3/3 福岡県立美術館視聴覚室)
展覧会の会期中3回の講演会が組まれ、本当は1回目の菊畑茂久馬の「絵描きが語る中村研一と戦争画」を聞きたかったけど、スケジュールが合わず断念。でも今日のテーマ「戦前から戦後への断絶と継承」はいちばん興味あるところだし、講師の高山百合氏が同展を企画した学芸員であるのも幸いだった。はしょっていえば、高山氏は中村の戦前と戦後の画業は断絶しているより一貫しているとの見方。高山氏は中村の作品の特徴として、反復、俯瞰、トリミング、V字構図、赤と黒の組み合わせ、ストライプなどを挙げ、戦前・戦中・戦後のいずれの時代にもこれらの特徴が見られるという。なるほど、画像を見ながらの比較分析は説得力がある。
そしていちばんうなったのが、敗戦直後に描かれた東南アジアの民族衣装をまとう妻の肖像画についてだ。アジアの衣装を着けた女性像は戦前からしばしば描かれ、ひとつのジャンルとして確立していたほどだが、それは「アジアはひとつ」という大東亜共栄圏の思想をソフトに表わしたもので、本質的には戦争画と同じ意味合いをもつ。したがって戦争画と同じく戦後はだれも描かなくなった主題なのだ。ところが中村は戦中だけでなく敗戦後もこれを描いていた。展覧会では「戦中から戦後へ──民俗服をまとう女性たち」という独立した章として扱われていて、1946、47年に描かれた《マラヤの装い》と《サイゴンの夢》の2点が出ている。高山氏はこれを、中村の戦中と戦後を断絶させることなくつなげようとする継続の意思表示と見る。画家の大半が主題を右から左へ転換させるなか、中村がひとり変わらず戦前からの主題を描き続けたのは、画家の矜持ゆえか。ただそうはいってもそれは敗戦直後のエピソードであって、その後はね。
2018/03/03(村田真)
太宰府天満宮アートプログラムvol.10 ピエール・ユイグ 「ソトタマシイ」
会期:2017/11/26~2018/5/6
太宰府天満宮[福岡県]
福岡県美でやってる「中村研一展」を見に行くんだけど、それだけじゃもったいないので「近くでなにかやってないかな」と探してみたら、太宰府天満宮の境内でピエール・ユイグが作品を展示しているではないか。太宰府でユイグというミスマッチが楽しみだが、屋外作品なので雨が降り次第公開中止になるという。今朝の福岡の天気予報は降雨の確率50パーセント、朝早くに羽田を発って太宰府に着いたときはどんよりとした曇り空。公開開始の11時に駆けつけたのでなんとか見られたが、昼すぎから降り始めたため公開中止になったとさ。危なかった。この太宰府天満宮アートプログラムという企画、2006年に始まって今年で10回目。なぜ太宰府で現代美術かというと、神社は文化の守り手であり、歴史と未来が出会う「広場」であるべきと考えるからだ。なるほど、日本には10万を超す神社があるそうだから、そのすべてが同じ考えをもってくれたら世界屈指のパトロンになるのにね。「ジンジャート」なんてね。
ユイグの作品は思ったより大がかりなインスタレーション。天満宮の奥にある小高い山のてっぺんを整地し、四角い池を掘って睡蓮を浮かべ、金魚を放ち、アメリカでモダンアートを学んだ戸張孤雁の彫刻《淵》を置き、その頭部に蜂の巣をのせ、蜂が授粉する梅や橙の木を植えている。彫刻に付着した蜂の巣はドクメンタ13にも岡山芸術交流にも出ていたユイグの専売特許だが、睡蓮はいうまでもなくモネのジヴェルニーの庭を、梅は菅原道真を追いかけて飛んできたという飛梅を連想させる。古今東西の文化をツギハギした空間になっているのだ。いやーおもしろい。境内は人があふれているのに(韓国人と中国人が多い)、ここまで入ってくる人はほとんどいないので静かに作品と向き合える。奥の目立たない場所に大きな立方体の箱が置いてあって、最初これも作品かと思ったが、どうやら夜間および雨が降ったときに彫刻をしまう収容ケースらしい。裏方も大変だ。
境内美術館
太宰府天満宮アートプログラムにはこれまで日比野克彦や小沢剛らが参加してきたが、そのうちライアン・ガンダーとサイモン・フジワラの2人の作品7点が境内のあっちこっちに残されているので見て歩いた。池に囲まれているという想定で(実際は砂利が敷きつめられている)浮殿と呼ばれる社の内部をのぞくと、ライアン・ガンダーの《本当にキラキラするけれど何の意味もないもの》が鎮座している。これは金属部品に覆われた球体状のオブジェで、中心にある磁石の力によって引き寄せられているそうだ。このように中心にあるけど見えないものに引き寄せられる現象は、神を信じて集まるわれわれと似ていないかと問うているのだ。同じ作者の《すべてわかったⅥ》は、芝生に置かれた大きな岩の上部に人が座った跡が残っているもの。ロダンの彫刻《考える人》が考えに考え抜いて「すべてわかった」後に立ち去ったという設定だ。
宝物殿の前に放置された白い椅子は、サイモン・フジワラの《歴史について考える》という作品。なんでこんなところにチープな椅子を置くのか理解に苦しむが、実はこれブロンズ製だという。椅子は見かけによらないものだ。幼稚園の向かいの池のほとりに据えられた《時間について考える》という作品は、岩の表面に幼稚園児の手をのせてスプレーで吹きつけ、手形を残したもの。これは先史時代の手形(ネガティブ・ハンド)をわれわれ現代人が見るように、1万年後の人類が不思議な思いでながめるかもしれない。なんでこんなところに手形を残したんだろう? と。まさかワークショップの賜物とは思うまい。いやあ作品探しも含めて、ナゾ解きの楽しみを味わうことができました。
2018/03/03(村田真)
第41回 五美術大学連合卒業・修了制作展
会期:2018/02/22~2018/03/04
国立新美術館[東京都]
時間がなくて日芸と造形大は見られなかったけど、この2校は人数が少ないので無視するとして(失礼)、今年の感想はなんといってもぼくが見始めて以来の大不況ということだ。武蔵美と女子美はほぼ全滅、多摩美に合格点を挙げられる作品が2、3点あったくらい。1点だけ挙げると、名前はメモし忘れたけど、キャンバスの表裏に地表と地中の様子を描き、両面が見えるように壁に斜めに立て掛けた作品。キャンバス画は本来、木枠が見えないほうが表だが、この木枠には植物のレリーフが施されており、これを額縁と見れば表になり、木枠として見れば裏になる。つまり両面とも表であり、裏でもあるリバーシブル絵画なのだ。木枠と額縁というパレルゴンの相互入れ替えを可能にした発想に脱帽。
2018/03/03(村田真)
岡上淑子コラージュ展──はるかな旅
会期:2018/01/20~2018/03/25
高知県立美術館[高知県]
1928年高知市生まれの岡上淑子は、1953年と56年に瀧口修造の推薦で、タケミヤ画廊で個展を開催し、その清新なフォト・コラージュ作品が注目された。だが、1957年に結婚して創作活動から遠ざかったこともあり、2000年に第一生命ギャラリーで44年ぶりの個展を開催するまでは「忘れられた作家」になっていた。だが、それ以後内外の美術館に作品が収蔵され、作品集も次々に刊行されるなど、再評価の機運が高まりを見せている。今回の展覧会には、彼女のコラージュ作品140点余りのうち80点が出品されていた。
あらためて展示作品を見ると、彼女の『ライフ』や『ハーパーズ・バザー』などの雑誌の図版を切り貼りしていく構想力と技術力とが傑出したものであったことがよくわかる。これまで岡上の作品については、文化学院デザイン科出身の若い女性が「頭のなかに描いた空想や夢」の産物という見方が一般的だった。ところが、今回作品を見て、彼女が戦後の日本の現実や当時の女性の社会的な立場をきちんと見つめて、むしろそれに対する反抗の思いを込めて制作していたのではないかと強く感じた。例えば、「戦場の歌」(1952)、「戦士」(同)といった作品にあらわれる、廃墟と化した戦場のイメージには、男性中心に進められた戦争への忌避の感情が滲み出ているようでもある。岡上は2012年のインタビューで「当時日本の未婚女性に押しつけられていた制約や慣習から解放された、独立した女性になること」を望んでいたと述べている。彼女の仕事をフェミニズムの先駆として位置づけることもできそうだ。
高知県立美術館には、石元泰博フォトセンターが設けられており、やはり高知県出身の彼の遺作3万5千点もコレクションされている。そちらでは、ちょうど平成29年度第3回コレクション展として「色とことば」展が開催されていた。樹木やビルなどのシルエットに多重露光で原色を重ね写した、遊び心あふれるユニークな作品群である。
2018/03/01(木)(飯沢耕太郎)