artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
神宮徴古館・神宮美術館
神宮徴古館・神宮美術館[三重県]
伊勢の神宮にご参拝、ではなく見学に来ました。ここは小学生のとき修学旅行で訪れて以来だが、二見浦の夫婦岩は覚えているのに神宮の記憶はまったくない。まあガキにとって寺社ほど退屈な場所はないからな。そんなわけで、いまにいたるまで、伊勢神宮は天照大神を祀る場所で、20年にいちど社殿を建て替える式年遷宮が行われるということくらいしか知らなかった。調べてみると、伊勢には内宮と外宮の2カ所あり、しかもどちらにも社殿がいくつもあるらしい。目的地は内宮の御正宮と呼ばれるところだが、最奥部にあるので駅の近くの外宮から見ていく。土宮や風宮など計14ある別宮の隣はどこも更地になっていて、白い砂利を敷きつめた上に家型の木箱が置かれている。あ、なるほど、式年遷宮というのはよく写真で見かける御正宮だけでなく、すべての社殿で行われるのか。想像以上に大変な行事だ。
内宮からバスで外宮に向かう途中、徴古館と美術館の前で下車。小高い丘の上に建つ神宮徴古館は、赤坂迎賓館を手がけた片山東熊の設計で、明治42年の竣工というからもう100年以上たつ(ただし2階部分は戦後増築)。左右対称のルネサンス様式だが、場所に不釣り合いな威容だ。展示物件は式年遷宮で出た御装束神宝など。御装束神宝とは社殿に納められた神々の調度品の類いで、以前は式年遷宮のたびに埋めたり焼いたりして新調していたが、もったいないので(とはいってないけど)一部を保存・展示することにしたという。その奥には神宮美術館があって、式年遷宮を記念して奉納された美術品が収蔵されている。もちろんだれでも奉納できるわけではなく、文化勲章受章者や日本芸術院会員など国に認められた芸術家に限られるため、前衛芸術はない。この時期はちょうど皇居で開かれる歌会始のお題に因んだ特別展が開かれていて、今回は「語」をテーマにした作品約20点が展示されていた。
2018/03/16(村田真)
写真都市展 ─ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち─
会期:2018/02/23~2018/06/10
21_21 DESIGN SIGHT[東京都]
ウィリアム・クラインが1950~60年代に刊行した『ニューヨーク』、『ローマ』、『モスクワ』、『東京』のいわゆる「都市4部作」は、世界中の写真家たちに大きな衝撃を与えた。影響力という意味において、それらを上回る写真集は、それ以前もそれ以後もなかったのではないだろうか。都市の路上をベースとするスナップショットが、人間と社会との関係をあぶり出し、現代文明に対して批判的な視点を提示できることを教えてくれただけでなく、その斬新な「アレ・ブレ・ボケ」の画面処理においても、まさに現代写真の起点となったのである。
伊藤俊治が企画・構成した本展のクラインのパートを見ると、その衝撃力がいまなお充分に保たれていることがわかる。特に今回は、壁と床をフルに使った18面マルチスクリーンによるスライドショーという展示のアイデアが、効果的に働いていた。クラインの写真が本来備えているグラフィカルな要素は、デジタル的な画像処理ととても相性がいい。彼の作品に対する新たな解釈の試みと言えるだろう。
だが、本展の第二部にあたる「22世紀を生きる写真家たち」のパートは、どうも釈然としない。石川直樹+森永泰弘、勝又公仁彦、沈昭良、須藤絢乃、多和田有希、西野壮平、朴ミナ、藤原聡志、水島貴大、安田佐智種という出品者たちが、どういう基準で選ばれているのか、クラインの仕事とどんなつながりを持っているのかがまったくわからないからだ。クオリティの高い作品が多いが、それらが乱反射しているだけで焦点を結ばない。例えば、安田佐智種の東日本大震災の被災地の地面を撮影した「福島プロジェクト」など、その文脈が抜け落ちてしまうことで視覚効果のみが強調されてしまう。キュレーションの脆弱さが目についたのが残念だった。
2018/03/15(木)(飯沢耕太郎)
原田裕規「心霊写真/ニュージャージー」
会期:2018/03/09~2018/04/08
Kanzan Gallery[東京都]
原田裕規の「心霊写真/ニュージャージー」展は2つのパートから成る。「心霊写真編」では、テーブルの上に、清掃・リサイクル業者が回収したものだという数千枚に及ぶスナップ写真やネガの束が雑然と積み上がっていた。さらに、そこから「心霊写真」というコンセプトで選ばれて、「ひけらかす」ようにフレーミングされた写真が、壁に掛けられている。ほかに、「スマートフォンのネガポジ反転機能を用いることによって、現実と虚構が反転」するようにセットされた画像、「黄ばみ」を人工的に吹きつけたフェイク写真、「どちら側から見ても『裏側』の写真」なども展示されていた。
一方「ニュージャージー編」は、原田自身がアメリカ・ニュージャージー州で撮影した写真をわざわざ古くさくプリントし、「自ら発見したもの found-photo」と見なして展示している。そこに作者の気持ちを想像して書いた「通信」を添えることで、「架空の作者」を立ち上げるという試みである。
このところ、無名の作者による「ヴァナキュラー写真」や偶然発見した「ファウンド・フォト」をアートの文脈で再構築するという作品をよく目にする。手法のみが上滑りする場合も多いのだが、原田はコンセプトをきちんと吟味し、手を抜かずに作品化しているので、細部までよく練り上げられた展示として成立していた。不可視の対象が写り込む「心霊写真」は写真の鬼子というべき領域であり、やり方次第では従来の写真表現、鑑賞のプロセスを文字通り「裏返す」ことが期待できそうだ。手法をより洗練させて、可視化と不可視化を往復するようなプロセスを、さらに徹底して追求していってほしいものだ。
2018/03/15(木)(飯沢耕太郎)
横湯久美展 時間 家の中で 家の外で
会期:2018/03/10~2018/04/21
原爆の図丸木美術館[埼玉県]
ここに来るのは10年ぶりくらいかな。初めて訪れたのは70年代なかばでもう4、5回来ているから、だいたい10年にいちどの割合だ。今日訪れたのはもちろん原爆の図と、横湯久美展を見るため。横湯は20年来、祖母を題材にした写真とテキストによる作品を発表してきた。祖母は第一次世界大戦の開戦年に生まれ、第二次世界大戦中は夫(祖父)とともに戦争に反対して弾圧を受け(夫は治安維持法により逮捕され、仮釈放中に死亡)、戦後半世紀以上を生き伸び、2000年に死去。同展は、祖母のヌードを含むポートレートと、彼女の生涯に世界史を重ねたテキストからなる《時間 家の中で 家の外で》、祖母の死去に際して起こした作者の奇行を記録した《その時のしるし》など、5つのシリーズを再構成したもの。原爆の図のように激烈ではないけれど、さりげなく語りかけてくるのにズンとくる。まるでおばあちゃんみたい。
祖母いわく、「芸術家はワガママであることを最も大切にしている仕事なんだよ」「誰よりも、自由に敏感なんだ。だから、国が戦争を始めようとした時、ほかのどんな職業の人よりも先に、この人たちはその気配に気付いて、みんなにもわかるように大騒ぎをすることができる」「孫のおまえが美術をやっているのだって、絶対に私に似たんだと思う」。横湯が祖母から美術家として、人間として多大な影響を受けたことは間違いない。それは祖母の死後も大きくこそなれ、小さくなることはないだろう。
2018/03/15(村田真)
VOCA展2018 現代美術の展望—新しい平面の作家たち
会期:2018/03/15~2018/03/30
上野の森美術館[東京都]
今年で25回目というから、現代美術のアワードとしてはもはや老舗の部類。シェル美術賞は1956年創設だからもっと古いけど、81年にいったん終わって96年に昭和シェル現代美術賞として再開したものの、2001年に再び終わり、03年から3度目の出発。継続しているものではVOCAのが古い。あれ? シェルの審査員の島敦彦氏(金沢21世紀美術館館長)はVOCAと重なってるぞ。岡本太郎現代芸術賞は太郎が亡くなった翌97年に始まったので今年21回目、VOCAに続いて古い。絹谷幸二賞は08年からで今年10回目だったが、今回で終了だそうだ。おや? ここでも島館長が審査員を務めているではないか! だいたいこういうアワードやコンペでは同じ審査員が長く居座ったり、掛け持ちすることが多いが、それだけ現代美術界は信頼できる人材が少ないのか。
VOCAも長く固定していた選考委員が徐々に分解し、4半世紀たってようやく一新。そのせいかどうか、今回は興味深い作品が散見された。まず受賞作品から見ていくと、VOCA賞の碓井ゆいによる《our crazy red dots》。不定形の布を縫い合わせるクレイジーキルトという手法でつくられたもので、木枠やパネルに張らず、旗のように少したわめて壁に掛けている。問題はその中身。赤い水玉模様を中心に、梅干し弁当、赤いドットを身につけた草間彌生のヌード、女性デザイナーによるファッション、顔に日章旗を被せられて横たわる兵士を描いた戦争画、東京オリンピック(1964)のロゴデザインなど、とにかく日の丸につながる赤い丸がところ狭しと散りばめられているのだ。目を凝らせば、小さなふたつの赤い点の下に半円が糸で縫いつけられていて、おっぱいに見える。そういえばクレイジーキルトは女性の手仕事とされてきたわけで、そこから出征する兵士のお守りとして女性が一針ずつ縫っていった千人針を連想するのも的外れではないだろう。さらに想像をたくましくすれば、戦死した兵士が身に着けていた血染めの寄せ書き日の丸とかね。どんどん悲惨な方向に連想が行ってしまうけど、いずれにせよ作者が日の丸を楽天的に用いているのでないことだけは確かだろう。キャプションの横に赤丸が貼られるのも遠い日ではない。
ほかの受賞作品を見ると、奨励賞の藤井俊治、佳作賞の森本愛子、大原美術館賞の浦川大志には共通した匂いが感じられる。それは日本的なるものだ。藤井の《快楽の薄膜》はきらびやかな装飾的画面を見せるが、目の細かい綿布に白地を塗り、油彩、水彩、アルミ箔、雲母などで描いたもの。余白も多く、油彩画とも日本画ともいえない独自の空間を生み出している。森本の《唐草文様》は純然たる日本画だが、彼女自身は初め油彩画を専攻していたものの、東洋の古典絵画に目覚め日本画に転向したという。もともと日本画は伝統的なやまと絵をベースに、明治時代に油彩画のスタイルも採り入れた混交様式だが、森本の作品は近代以前のボッティチェリやフラ・アンジェリコらの形式張った古典絵画を彷彿させる。グラデーションを多用した浦川の《風景と幽霊》は、日本的というよりデジタルイメージを組み合わせた印象だが、よく見ると画面右には様式化された松の木が描かれているし、火を表わす赤いパターンはやまと絵における火焔のイメージに近い。VOCA賞の碓井の作品ともども日本的なるものが通底している。いうまでもなくそれは純然たる日本ではなく(そんなものないが)、西洋と混淆した日本的なるものだ。
ほかに気になった作品を挙げると、透明のビニールシートに風景を描いた芦田なつみの《このきもちには名前がある》、着色した木箱にボンドを塗布して剥がした膜を並べた阿部大介・鷹野健の《木の箱だったこと(長いので以下略)》、アクリル板に窓枠を付けてカーテンを垂らした石井麻希の《Ay Waukin O》、フレスコ画に木枠を付けた川田知志の《むこうの壁》など。碓井の作品も含めて、これらは支持体をキャンバスやパネルではなく、別の素材に求めている。もうひとつ、壁に棚を取り付けてその上に細工した手紙をのせた高田安規子・政子の《ジグソーパズル》は、作品(手紙)そのものの小ささ(12.4×15.4cm)といい、棚の上に水平に置いた展示方法といい、前代未聞。ちなみに棚は壁から20cmほど突き出しているが、これは規定範囲内だ。
しかし今回いちばんドキッとしたのは、BABUの《LOVERS’ COVER》という作品。BABUはストリート系のアーティストで、出品作品は北九州の前衛グループ「集団蜘蛛」のメンバーだった森山安英の絵画に、作者の了解を得て銀色のスプレーをかけたもの。他人のグラフィティの上に自分の作品を上書きするゴーイングオーバーを思わせるが、元の作品は消滅してしまう。ちなみに森山は、過激なハプニングにより猥褻罪で有罪判決を受けたのち引きこもり、15年の沈黙を破って80年代後半から絵を描き始めたという。BABUが銀色のスプレーを吹きかけたのはそのころの作品だが、いま調べてみたら、驚いたことに当時の森山の作品は銀色の絵具でキャンバスを覆うというものではないか。つまり銀色のスプレーをかけていたのは銀色の絵画だったのだ。イコノクラスム的な暴力的表現と思えたものが、むしろBABUの森山に対する敬意に満ちた愛情表現であり、作品の再生を願う儀式のようなものだったともいえるのだ。タイトルの意味がようやくわかった。
2018/03/15(村田真)