artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ニュー”コロニー/アイランド” 3~わたしのかなたへ~

会期:2017/03/28~2017/06/25

京阪電車なにわ橋駅 アートエリアB1[大阪府]

研究者である吉森保のコンセプトをもとに、人体内部で起きるミクロな出来事をdot architectsとアーティストのやんツーが、公園の遊具的な装置とバーチャルリアリティを体験できるゴーグルによって空間・可視化する。学際的なテーマを公園のメタファーで表現し、来場者の身体も積極的に関わることを要請する展示だった。

2017/05/02(火)(五十嵐太郎)

アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国

会期:2017/04/29~2017/06/18

東京ステーションギャラリー[東京都]

正直、よくあるアール・ブリュットだと、なめていた。彼が精神病院で30年かけて描いた膨大な細密画は想像以上の内容だった。もはや宗教画に近いと言うべきか。自らを作曲家と呼んでいたが、楽譜や建築も頻出するのが興味深い。小池都知事が石原色を消すかのように、トーキョーワンダーサイトから手を引き、急にアール・ブリュットに力を入れ始めたが、アドルフならば、行政や商業に回収されるアール・ブリュットにはならないだろう。なにしろ彼は世界征服を企んでいたのだから! そして晩年の作品は、コラージュと言葉によるアートに変化している。

2017/05/02(火)(五十嵐太郎)

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テリ・ワイフェンバック「The May Sun」

会期:2017/04/09~2017/08/29

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

会場の入り口近くに、テリ・ワイフェンバックのデビュー写真集である『In Your Dreams』(Nazraeli Press, 1997)の図版ページが、そのまま展示されていた。この写真集を洋書屋で見て、その独特の色使いとレンズのボケの効果を活かした繊細な自然の描写にすっかり魅了され、すぐに購入したことを思い出した。以来、彼女は数々の著作を出版し、日本でもその作品を見る機会も多くなってきた。だが、今回IZU PHOTO MUSEUMでの展示を見て、そのチャーミングな作品世界の新鮮さが、まったく失われていないことに驚かされた。
今回の展覧会は、表題作の「The May Sun」と「The Politics of Flowers」の2作品を中心に構成されている。19世紀アメリカの詩人ウォレス・スティーブンスの詩句に由来するという「The May Sun」は、ワイフェンバックが2015年にIZU PHOTO MUSEUMに1ヵ月余り滞在して制作したシリーズである。美術館の周辺の森や、咲き匂う花々を撮影した写真が並ぶ。木洩れ陽の光、蜘蛛の糸や枝先に結ぶ露、不思議に心騒がせる雲の姿などを、例によって細やかな手つきで、みずみずしい画像に変容させている。ワイフェンバックの作品を見ていると、彼女にとって自然は単に観察の対象であるだけではなく、同化し、包み込まれていく心の拠り所なのではないかと思えてくる。そのソフトフォーカスの描写は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのピクトリアリズム(絵画主義)の写真家たちの自然観に通じるところがありそうだ。
一方「The Politics of Flowers」(2005)はワイフェンバックにしては、珍しい手法で制作された作品である。2003年の最愛の母親の死をきっかけにして、彼女は19世紀にパレスチナ地方の花を押し花にして貼り付けた小冊子に興味を惹かれるようになった。そこにおさめられた花々を複写し、ピグメント・プリントという特殊な技法で、モノクロームの画像として定着している。それらはパレスチナというつねに戦渦の絶えない苦難の地の花々をベースにして、母親の記憶を重ね合わせた感動的な作品に仕上がっていた。
ほかに動画と静止画像を組み合わせた意欲的な新作《柿田川湧水》(2015)、複数の画像を横に連ねた《富士山御殿場口》(2015)も出品されている。やや意外なことに、国内の美術館で彼女の作品が本格的に展示されるのは初めてなのだという。もっと大規模な回顧展も企画されていいのではないだろうか。

2017/05/02(火)(飯沢耕太郎)

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アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国

会期:2017/04/29~2017/06/18

東京ステーションギャラリー[東京都]

ジャン・デュビュッフェがアロイーズと並ぶアール・ブリュットの双璧として高く評価したアドルフ・ヴェルフリの回顧展。日本でこれほどまとまったかたちで作品が紹介されるのは本展が初めてだという。ヴェルフリは生涯の大半を精神病院で過ごしながら絵を描き続けたが、本展ではそのうちの74点が一挙に展示されている。
よく知られているように、ヴェルフリの絵画は空想的な物語と一体である。理想的な王国ないしは冒険譚から、あのように緻密な線と音符が複雑に交錯した独自の絵画空間を生み出している。その余白を埋め尽くすほど執拗な執着心を体感できる点が、本展の醍醐味である。
だがその一方、作画に関して言えば、前期と後期とで大きな質的な差異を痛感させられた点は否定できない。前期、すなわち1904年から1905年にかけて制作されたドローイングは、モノクロームを基本にしながら、まだ文字や音符が大々的に出現することはなく、空間の隅々を数々の記号で埋め尽くす執着心がすさまじい。それに対して色彩が導入され、文字や音符が出現したばかりか雑誌写真の切り抜きをコラージュした後期の作品は、その執着心がやや薄まっているように見えた。あるいは文字の羅列が示す物語の展開や色彩の配色の方に関心が移っていたのかもしれない。だが、アール・ブリュットないしはアウトサイダー・アートとしてのヴェルフリの魅力は、前期に見られたような空間を充填せざるをえない強迫観念にこそ凝縮していたのではなかったか。
その前期の作品をよく見ると、様式化された記号表現の連続のなかに人の顔が挟み込まれていることに気づく。濃い眉毛と髭をたくわえているから、あるいはヴェルフリ本人なのかもしれない。だが重要なのは、それらの顔が適切な居場所を与えられているように見えるという点である。世界の中心に自分がいるというわけではなく、世界の隅々に自分がいるべき居場所を確保すること。複雑でダイナミックに動いてゆく現実世界にあって、その還流のはざまで息継ぎをできる安全な居場所を見つけること。それらをしっかりと線で縁取ることによって自分が安息できる居場所を確実に構築すること。ヴェルフリを診断した医師は「空想の無秩序」という言葉で彼を解説しているが、少なくとも初期のヴェルフリが取り組んでいたのは、むしろそのような意味での「空想の秩序」だったのではないか。既存の世界秩序とは切り離されつつも、絵画空間の中で独自の世界秩序を構築する。その類まれな「秩序への意志」こそが、ヴェルフリの核心的な魅力である。

2017/05/02(火)(福住廉)

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ライアン・ガンダー─この翼は飛ぶためのものではない

会期:2017/04/29~2017/07/02

国立国際美術館[大阪府]

1976年生まれの英国出身アーティスト、ライアン・ガンダー。新しいコンセプチュアル・アートの旗手と称される彼の大規模個展が、大阪の国立国際美術館で開催されている。作品数は59点。室内に沢山の矢が突き刺さったインスタレーションや、ぐりぐりと動く目玉&眉毛、500体の改造された玩具人形などのキャッチーな作品がある一方、理解し難い作品も少なくなかった。そこで筆者としては異例だが、2周目からは音声ガイダンスの力を借りることに。ガンダーが書いたメモを読み上げるだけの簡単なものだったが、これがとても役に立った。彼の作品には複数のコンセプトが埋め込まれており、その背景には言語(英語)と英国およびヨーロッパの歴史がある。こうした作品を異文化の人間が理解することの難しさを改めて感じた。取材当日にはガンダーの講演会があり、質問コーナーで音声ガイダンスのことを述べたら、彼は浮かない顔をしていた。筆者がもっぱら音声ガイダンスに頼っていたと誤解したようだ(通訳が「2周目」を訳さなかった?)。でも、彼自身がメモを書いているのだから、そんな反応はしないでほしかった。また国立国際美術館では、本展と同時期のコレクション展(常設展示)の作品選定をガンダーに任せていた。異なる作家の作品を、ある共通項を基準に2点ずつ紹介するもので、美術館学芸員なら絶対にやらないであろうユニークなものだった。

2017/04/30(日)(小吹隆文)

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