artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
生誕80周年 澤田教一 故郷と戦場
会期:2016/10/08~2016/12/11
青森県立美術館[青森県]
澤田教一が撮影した《安全への逃避》(1965)、《泥まみれの死》(1966)といった写真は、ピュリッツァー賞、世界報道写真コンテストなどの賞を相次いで受賞し、ベトナム戦争の過酷な現実を伝える象徴的なイメージとして、さまざまな媒体で取り上げられてきた。だが代表作のみが一人歩きするにつれて、逆に一人の写真家としての澤田の実像は見えにくくなってくる。今回、開館10周年の記念展として青森県立美術館で開催された「澤田教一 故郷と戦場」展では、美術館に寄託された2万5千点近い写真と資料とを精査することで、彼の全体像がようやくくっきりと浮かび上がってきた。
まず注目すべきなのは、彼がベトナムに赴く前の青森・東京時代の写真群である。澤田は1955年から三沢の米軍基地内のカメラ店で働き、のちに結婚する同僚の田沢サタの影響もあって、プロカメラマンをめざすようになる。その時期に撮影された、珍しいカラー画像を含む写真を見ると、被写体の把握の仕方、画面構成の基本を、すでにしっかりと身につけていることがわかる。被写体に向けられた視線の強さ、的確な構図など、後年のベトナム時代の写真と遜色がない。日本でレベルの高い仕事をこなしていたからこそ、ベトナムでもすぐに第一線で活動することができたのだろう。
もうひとつ、今回の展示で印象深かったのは、被写体への「感情移入」の強さである。ベトナムで撮影された写真のなかに、一人の人物を執拗に追いかけ、連続的にシャッターを切っているものがいくつかある。例えば1966年頃に撮影された、連行される黒シャツの解放戦線兵士を捉えた一連のカット、68年の「テト攻勢」下のフエで、負傷した男の子を抱えて何事かを訴える母親の写真などだ。これらの写真を見ると、澤田が明らかに苦難に耐えている人々や、無名の兵士たちに、強く感情を揺さぶられているのがわかる。それはたんなる憐れみや同情ではなく、人間同士の本能的な共感というべきものだ。
比類ない写真家としての身体能力の高さと、むしろパセティックにさえ見える「感情移入」の強さ、この2つが結びつくときに、あの見る者の心を動かす写真群が生み出されてきたのだろう。澤田の写真の知られざる側面を丁寧に開示する、意欲的な回顧展だった。
2016/12/01(木)(飯沢耕太郎)
ルーヴル美術館特別展 LOUVRE No.9 ~漫画、9番目の芸術~
会期:2016/12/01~2017/01/29
グランフロント大阪北館 ナレッジキャピタル イベントラボ[大阪府]
日本と並ぶ漫画大国のフランス(ちなみにフランス語圏では漫画をバンド・デシネ=BDと呼ぶ)。21世紀に入り、同国が誇る美の殿堂ルーヴル美術館は漫画に注目。国内外の漫画家にルーヴルをテーマにした作品を描いてもらう「ルーヴル美術館BDプロジェクト」をスタートさせた。その成果を紹介しているのが本展だ。出展作家は16組。日本での開催に配慮したのか、約半数の7組が日本人作家だった。筆者は漫画に不案内なので作品についてあれこれ言えないが、原画やネームを生で見るのはやはり興味深い。どの作家も、少なくとも線画に関しては非常に上手く、美術家が見ても十分勉強になると思った。一方、本展で紹介されている作品の傾向を見ると、記号的な絵よりも絵画性を重視しているように思われ、この辺りにフランス人と日本人の漫画観の違いが現われているように感じた。
2016/11/30(水)(小吹隆文)
総合開館20周年記念 東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13
会期:2016/11/22~2017/01/29
東京都写真美術館2階展示室[東京都]
平日の東京都写真美術館の展示室は閑散としていた。2016年9月のリニューアル・オープン展の杉本博司「ロスト・ヒューマン」が、それなりに賑わっていたのと比較すると落差が大きい。普段の状況に戻ったともいえるが、それ以上に展示企画の内容に問題があるのではないだろうか。
今回の出品者は、小島康敬(1977年生まれ)、佐藤信太郎(1969年生まれ)、田代一倫(1980年生まれ)、中藤毅彦(1970年生まれ)、野村恵子(生年非公表)、元田敬三(1971年生まれ)。手堅く、継続的に作品を発表し続けている30~40歳代の写真家たちを、「新進作家」という枠でくくるのは、かなり無理がある。それよりもむしろ問われなければならないのは、彼らの写真から、東京の何を、どのように浮かび上がらせるのかという視点が欠落していることだ。たしかに個々の作品は力のこもったいい仕事だった。小島や佐藤の風景へのアプローチ、元田や田代の路上ポートレート、野村のヌードと日常の光景との対比、中藤の街の手触りや匂いへのこだわり、それぞれ愚直ともいえそうな生真面目さで、手ごたえが失われがちな東京の「いま」を切り取ろうとしている。だが、それらを結びつける糸の所在が明確に示されていないため、全体としては何を言いたいのか意味不明の展覧会になってしまった。こういう熱気のない展示が続くと、せっかくのリニューアル以降の東京都写真美術館に対する期待も、しぼんでしまうのではないだろうか。
なお3階展示室では、同美術館の収蔵品を元にした「TOPコレクション 東京・TOKYO」展が同時開催されていた。「街角で」、「路地裏で」、「東京エアポケット」、「見えないものを覗き見る」、「境界線の拡大、サバービア」、「どこでもない風景」、「多層的都市・東京と戯れる」の7つのセクションで、150点の作品を展示しているのだが、こちらもあまりにも総花的すぎてうまく焦点を結ぶことができない。コレクション展でも、より意欲的、積極的なキュレーションを望みたい。
2016/11/30(飯沢耕太郎)
クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91
会期:2016/10/01~2016/12/04
水戸芸術館現代美術センター[茨城県]
茨城県北芸術祭開催(もう終わっちゃったけど)に合わせ、4半世紀前に県北の地で行なわれたクリスト&ジャンヌ=クロードによる《アンブレラ》プロジェクトを回顧。《アンブレラ》は、太平洋を隔てて茨城県とカリフォルニア州の日米2カ所で、直径8.7メートルの巨大傘3100本を開くという途方もなくバカげたプロジェクト。近年こうしたおバカなプロジェクトが減り、お行儀がよくて社会の役に立つアートばかり増えているのは寂しい限りだ。展示は、数十点に及ぶドローイングやコラージュを中心に、写真、記録映画、傘本体のほか、分厚い束の調査書や厖大な量の契約書、許認可書、アルバイトの手配、傘の開閉マニュアルなどの資料も出ている。傘をつくって立てるだけでも大変なのに、傘が風に飛ばされないように風洞実験を重ね、傘を立てる土地の地権者全員に会って許可をもらい、工場に特注し、数百人ものスタッフを集めて管理しなければならない。そうした事務手続きを考えるだけでも気が遠くなりそう。いくら分業しているとはいえ、これだけの作業をこなす合間に数百点ものドローイングを描くのだから、やっぱりクリストはすごい。というところに感心していてはいけないんだけどね。
2016/11/29(火)(村田真)
名知聡子「Good-bye and thank you for everything」
会期:2016/11/23~2016/12/19
8/ART GALLERY/Tomio Koyama Gallery[東京都]
札幌から東京へ。渋谷の8/ART GALLERYで名知聡子展「さよなら、ありがとう」。夏に名古屋で見た息をのむような大型の肖像作品も場所が変わると、少し違って見える。審査で関わった「新進アーティストの発見inあいち」以来、各地で見てきたが、対象をはっきりさせない点描のテクスチャーが今回登場していた。
2016/11/28(月)(五十嵐太郎)