artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

動き出す!絵画

会期:2016/11/19~2017/01/15

和歌山県立近代美術館[和歌山県]

美術雑誌の出版や展覧会の開催などを通して、大正期の美術界をバックアップした人物、北山清太郎。フランス印象派やポスト印象派の理解者だったペール・タンギーになぞらえて「ペール北山」と呼ばれた彼を軸に、当時の西洋美術と日本近代美術を紹介しているのが本展だ。その構成は、4つの章とプロローグ、エピローグから成り、当時の西洋美術(印象派から未来派まで)と日本の作家たち(斎藤与里、岸田劉生、木村荘八、萬鉄五郎、小林徳三郎など)がたっぷりと楽しめる。北山が出版した雑誌も並んでおり、当時の様子を多角的に知ることができた。また、北山清太郎という重要なバイプレーヤーの存在を知ることができたのも大きな収穫だった。彼のような存在はきっとほかにもいただろう。そうした人々に光を当てることにより、美術史の読み解きが一層豊かになるに違いない。今後も本展のような企画が続くことを願っている。なお、北山清太郎は後年にアニメーションの世界に転身し、日本で最初にアニメを制作した3人のうちの1人である。つくづく興味深い人物だ。

2016/11/18(金)(小吹隆文)

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岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016

会期:2016/10/09~2016/11/27

林原美術館ほか[岡山県]

岡山芸術交流へ。リアム・ギリックがディレクターということもあるのだろうが、必ずしも新作でないにせよ、海外の作家が多く、日本人が少ない。いわゆる日本の若手枠や地元枠もなさそうだ。なので、西欧の国際展を鑑賞しているような感じである。「地域アート」に迎合せずということか。会場は岡山市の文化ゾーンの建築群に集中しているおかげで、分散型のさいたまトリエンナーレに比べて、とてもまわりやすく助かる。なお、建築の観点からは、該当エリアで前川國男のクラシックなモダン、岡田新一の重厚な建築(オリエント美術館や岡山県立美術館など)、芦原義信のホールほか、いくつかの近代公共施設群に立ち寄ることができる。屋外展示では、神戸大の槻橋研、京都大の平田研、東大の千葉研が手がけた屋台的なパビリオンのほか、ジャン・プルーヴェの建築なども楽しめる。

写真:左=上から、サイモン・フジワラ、神戸大の槻橋研、オリエント美術館 右=上から、前川國男、ジャン・プルーヴェ、芦原義信

2016/11/17(木)(五十嵐太郎)

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石川竜一写真集『okinawan portraits 2012-2016』

発行所:赤々舎

発行日:2016/09/02


石川竜一は、2015年に前作の『okinawan portraits 2010-2012』(赤々舎)で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞した。本作はのその続編にあたる写真集である。
一癖も二癖もあるウチナンチュー(沖縄人)と正面から対峙し、裂帛の気合いを込めて撮影するポートレートが中心であることには変わりはない。だが、被写体の背景となる沖縄の風景を丸ごと捉えた写真の数が増えているのが目につく。石川のなかで、人物たちを取り巻く環境をしっかりと捉えることで、この地域に特有の風土性を浮かび上がらせようという意図が強まっているのは間違いないだろう。写真集のボリューム自体も厚みを増している。前作とあわせて見直すと、まさに石川の「okinawan portraits」のスタイルが完全に確立したことがわかる。
このシリーズは、おそらく彼のライフワークとして続いていくのだろうが、石川にはむしろ沖縄をベースにした写真だけでなく、撮影の領域をさらに広げていくことを期待したい。被写体とのコミュニケーションをとりやすい沖縄で、ある水準以上のスナップやポートレートを撮影することは、彼の抜群の写真家としての身体能力を活かせば、それほどむずかしくはないと思えるからだ。むしろ、よりコンセプチュアルな方向に狙いを定めた作品、あるいは沖縄以外の場所に長期滞在して撮影した写真も見てみたい。異なった環境に身を置くことで、逆に沖縄という場所の特異性が、さらにくっきりと浮かび上がってくるはずだ。

2016/11/17(飯沢耕太郎)

村越としや「雷鳴が陽炎を断つ」

会期:2016/11/04~2016/11/26

ギャラリー冬青[東京都]

村越としやは東京・清澄白河のTAP Galleryのメンバーとして活動してきたが、1年半ほど前に脱退した。今後はギャラリー冬青とTaka Ishii Galleryを中心に展示活動を展開していくという。ギャラリー冬青での最初の展覧会として開催された本展には、2009年に6×6判のカメラで撮影された28点の作品が出品されていた。
2009年1月、村越を可愛がってくれた祖母が余命3カ月ということで入院した。それをきっかけに、故郷の福島県須賀川市に折にふれて帰郷し、「祖母との思い出を少しずつ集めるように」撮影し続けたのが本作である。撮影は祖母の死後も続けられ、同年12月31日で一応の区切りをつけた。例によって、山河や家々の佇まいを静かに写しとった作品が並ぶが、どこかレクイエム的な、沈み込むような気分に覆われている。村越の一連の風景写真の中でも、最もパセティックなシリーズといえるかもしれない。
なお、展覧会にあわせて刊行された『tuning and release 雷鳴が陽炎を断つ』(冬青社)は、「家族との思い出がリンク」した小ぶりな写真集シリーズの4作目になる。『雪を見ていた』(2010)、『土の匂いと』(2011)、『木立を抜けて』(2013)、そして本作と続くこの連作は、東日本大震災以後、より切迫感とスケール感を増した村越のほかの写真群とは、一線を画するものになりつつある。彼自身の個人的な記憶との関わりから、新たな世界が開けてきそうな予感がする。

2016/11/16(飯沢耕太郎)

リフレクション写真展2016

会期:2016/11/07~2016/11/19

表参道画廊+MUSEE F[東京都]

湊雅博のディレクションで、毎年秋に開催されているのが「リフレクション写真展」。「風景写真」の新たな胎動をフォローする企画だが、今回は寺崎珠真、丸山慶子、若山忠毅が出品していた。神奈川県海老名市在住の寺崎は、自宅の近くのアップダウンがある郊外の風景を押さえ、丸山は金属加工業者の多い新潟県燕市の錆に覆われた街並みを撮影している。若山は東北地方から北陸にかけての沿岸地域をバイクで移動しながら、目についた風景を切り取っていく。
3人ともしっかりと地に足をつけた撮り方で、シリーズとしてのまとまりもいい。風景の細部を見落とすことなく、的確に画面におさめていく手際も洗練されている。だが、全体を通してみると何を言いたいのか」がストレートに伝わってこないもどかしさが残る。文字情報がほとんどなく、各作品の背景があまり明確に提示されていないのもその一因だろう。「リフレクション写真展」の出品作をきちんと受け止めるには、かなり高度な写真読解力が必要になるのだが、そのようなリテラシーを備えた観客はそれほど多くはない。もう少し丁寧な解説をつけた展示の仕方も考えてもよいだろう。例えば若山の写真には、海上自衛隊の軍艦、原子力発電所、日の丸の旗などが写っており、明らかにこの時代の社会構造の指標となる眺めを取り込んでいこうとする視点が見られる。そのあたりを、もう少し積極的に文字情報で伝えることができれば、観客の理解も深まるのではないだろうか。
やや地味な企画だが、着実に日本の「風景写真」の裾野を広げつつある。どこかで区切りをつけて、もう少し大きな規模の展示も見てみたい。

2016/11/16(飯沢耕太郎)