artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

開館記念展「北斎の帰還─幻の絵巻と名品コレクション─」

会期:2016/11/22~2017/01/15

すみだ北斎美術館[東京都]

数日前に入館者が3万人に達したと報道されてたので行ってみた。開館記念展の会期43日間で3万人を目標にしていたのに、わすか15日間で達成されたという。予想の3倍近い動員ってわけだ。今日も平日ながらけっこうにぎわってる。まず建物だが、基本は立方体の大きな固まりで、縦方向に何カ所か鋭角の切り込みが入り、下のほうは十字形に貫通している。つまり1階は4つの部分に分かれ、上のほうはひとつにつながってる四つ足構造だ。1階でチケットを買い、4階の企画展示室へ行くのだが、小さいエレベータが2機しかなく、混んでるため待たなければ乗れない。「なんで階段がねえんだ?」とスタッフに詰め寄るおばあちゃんもいる。客の8割方を占めるお年寄りに階段を要求されるほどの混雑ぶりというか、うれしい見込み違いというか。
展示場は3、4階の2フロアだが、ロビー(なぜか3階はホワイエ、4階はラウンジと称している)が広く、各フロアの3分の1を占める。4階のラウンジに切り込まれた窓からはスカイツリーが遠望できる仕掛け。展示室は4階が常設と企画に二分され、3階は企画のみ。4階の常設展示室には、長屋の一室で絵を描く北斎と娘の応為の等身大フィギュアもある。これがよくできていて、じっと見てたら動いてるように感じるではないか。あれ? と思って見てると、実際に手と首がわずかに動くようになっているのだ。ああ驚いた。さて、4階から3階へは螺旋階段とエレベータが使えるが、3階から1階へはエレベータしか使えず、これは不便というより不安が先立つ。もちろんいざとなったらどこかにある非常階段が使えるんだろうけど、気分的に地に足がつかない感じ。場所は両国から徒歩5分ほどで、下町情緒を期待してたけど、まるでそんな雰囲気はない。まあそこまで期待するのは酷か。

2016/12/13(火)(村田真)

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谷原菜摘子展──私は暗黒を抱いている

会期:2016/12/13~2016/12/25

ギャラリー16[京都府]

黒や赤のベルベットに、油彩、ラメ、スパンコール、ラインストーンなどを駆使して、毒々しいまでに妖艶な世界を描き出す谷原菜摘子。若干27歳でいまも京都市立芸術大学大学院博士課程に在籍していながら、すでに各方面から高い評価を得て受賞歴もある彼女が、新作個展を行なった。作品に登場する人物は作家本人に似ているが、それもそのはず、彼女の作品は自身に内在する負の記憶やルサンチマンを、現代の社会問題とリンクさせて吐露したものなのだ。例えば《バイバイ・パラダイス》という作品では、世界に吹き荒れる紛争や難民問題はどこ吹く風で高級ファッションに身を包んだ女性たちが登場する。彼女たちは自分の身体が砂となって消えつつあるのに、それに気づかぬまま所在なげに立ち尽くすのみだ。また《アイアム・ノット・フィーメール》は、谷原が10代の頃に抱いていた、自分が女性であることの嫌悪感を表現した作品。男装の女性が自分の髪と乳房を切り取って血まみれのまま座ってこちらを見つめている。このように自身の心の闇を吐き出すように描き切るのが谷原の特徴だ。煌びやかな画面は傷ついた心を慰撫するための、一種の荘厳なのだろう。自身の内実をあけすけに語る作家はほかにもいるが、ここまで強力な個性を持つ作家は稀だと思う。個展の度に感心させられてきたが、今回もこちらの期待を遥かに上回った。

2016/12/13(火)(小吹隆文)

裏腹のいと 宮田彩加

会期:2016/12/10~2016/12/25

Gallery PARC[京都府]

宮田彩加は手縫いやミシンによる刺繍作品を制作しているアーティストだ。なかでもミシンを用いた作品には特徴がある。彼女は昨今のコンピューター付きミシンを用いているが、画像を取り込む際に意図的にバグを生じさせ、当の本人でさえ予想がつかないイメージを作り出すのだ。本展では、自身の頭部MRI画像をモチーフにした3連作、胸部、第三頸椎などをモチーフにした作品などの新作と、野菜をモチーフにした旧作が出品された。旧作と新作を見比べると、手法の発展が明らかに見て取れる。なかでも出色なのは頭部MRI画像の3点だ。それらは刺繍でありながら支持体(布)を必要としない自立した造形であり、宙吊りにされることによって作品の表と裏が等価なものとして扱われていた。つまり、染織であるのと同時に、版画、写真、彫刻などの要素も併せ持つ、それでいてどのジャンルにも収まらない立ち位置を獲得したのである。画廊ディレクターは「鵺(ぬえ)のような作品」と呼んだが、筆者もまったく同意する。宮田はこれまでも積極的な活動を行なってきたが、今回の新作をもって新たなスタートラインに立ったのではなかろうか。

2016/12/13(火)(小吹隆文)

操上和美「ロンサム・デイ・ブルース」

会期:2016/11/25~2017/01/16

キヤノンギャラリーS[東京都]

以前、操上和美から「日々、目の鍛錬をしている」と聞いたことがある。仕事で撮影する写真とは別に、つねにカメラ(カメラ付き携帯電話を含めて)を持ち歩き、目につくものをスナップ撮影しているということだ。今回キヤノンギャラリーSで開催された「ロンサム・デイ・ブルース」展の出品作も、その「鍛錬」の成果といえそうだ。
操上が撮影したのは「人々の欲望を呑み込んで、ダイナミックに変貌し続ける渋谷」の夏の光景である。とはいえ、ランドマークが写り込んでいる数枚の写真を除いては、それらが渋谷で撮られた写真と気づく人は少ないのではないだろうか。主に広角系のレンズで切り取られた眺めは、むしろ無国籍的な様相を示している。いま世界各地に蔓延しつつある、グローバルな「都市的なるもの」のあり方が、的確に浮かび上がってくるのだ。操上の反応は、視覚的というよりはどちらかといえば触覚的だ。ブルーシート、割れたガラス、ひび割れたコンクリート、そして女性のカーリングした髪の毛などの“異物”が、皮膚感覚的にコレクションされている。雑多な色味の眺めを、モノクロームの画像に還元することによって、都市風景を触覚的に再構築しようという意図がより強調される。横位置の大判のプリントを、黒い壁(一面だけが白)に一列に並べた会場構成も、すっきりと決まっていた。
操上は1936年生まれ。ということは、今年80歳を迎えたということだ。スナップショットの写真家としての、しなやかで、敏捷な身体的反応をキープし続けているのは、それもまた「鍛錬」の賜物といえるだろう。

2016/12/12(月)(飯沢耕太郎)

幻の響写真館 井手傳次郎

会期:2016/12/07~2016/12/27

Kanzan Gallery[東京都]

井手傳次郎(1891~1962)は長崎県佐世保に生まれ、16歳で上京した。画家を志して太平洋画会研究所で学ぶが、夢は果たせず、長崎に帰って写真家の道に進んだ。上野彦馬の弟子筋にあたる渡瀬守太郎に入門して肖像写真撮影の技術を身につけ、1925年に長崎市舟大工町で写真館を開業する。1928年には同市片淵に移って、響写真館という名前で営業を開始した。今回の展覧会は、傳次郎の孫にあたる根本千絵(次女・夏木の娘。父は美術批評家の針生一郎)が上梓した『長崎・響写真館 井手傳次郎と八人兄妹物語』(昭和堂)の刊行にあわせたもので、傳次郎の残した約1300枚の乾板から、あらためてプリントした写真を中心に、アルバムや資料が展示されていた。
長崎という土地柄もあるのだろうか、蔦の絡まる煉瓦造りの西洋館の前で撮影された家族の写真などを見ていると、どこかエキゾチックな雰囲気が目につく。傳次郎の作風も、当時としてはかなりモダンなもので、特に光と影の処理の巧みさ、ソフトフォーカスの効果をうまく使った画面構成に、独特のセンスを感じる。背景に植物の影のパターンを写し込む手法を得意としており、ロマンチックな女性ポートレートには、画家としての素養が活かされている。自ら編集・構成した写真アルバム『長崎』(1927)、『島原・雲仙』(1930)を見ても、写真家としての力量が群を抜いていたことがわかる。
今回は展示されていなかったが、傳次郎には原爆投下後の長崎の被災の状況を撮影した写真もある。もう少し大きな会場で、その全体像が浮かび上がる展示を見てみたい。このところ、埋もれていた写真家たちの業績に光を当てていく取り組みが目につく。地道な掘り起こしの作業を、着実に展示や出版に結びつけていってほしい。

2016/12/11(日)(飯沢耕太郎)