artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

鷹野隆大「距離と時間」

会期:2016/11/26~2017/01/09

NADiff Gallery[東京都]

この欄でも何度か紹介したことがあるのだが、1970~80年代にかけて、若い世代の写真家たちが「コンセプチュアル・フォト」と称される写真をさかんに発表していた。写真機を固定して定点観測を試みたり、位置を少しずらしてフレームの外の空間を取り入れたり、ピントの合う範囲を意図的にコントロールしたりする彼らの作品は、写真を通じて「写真とは何か?」を探求しようとする意欲的な試みだった。
鷹野隆大のNADiff Galleryでの展示は、まさにその「コンセプチュアル・フォト」の再来といえる。毎日、自分の顔や東京タワーを撮り(定点観測的に)、それらを並べる。意図的にピントをずらして、逆光気味の写真を撮る。印画紙を引き裂いて、テーブルの上にコラージュ的に配置する。これらの試みは、手法的にも、発想においても、かつての「コンセプチュアル・フォト」の写真家たちの仕事を思い起こさせるからだ。もともと、鷹野の作品のなかには「写真とは何か?」をつねに問い直そうとする傾向があった。それが加速してくるのは、2010年に同世代の鈴木理策、松江泰治、清水穣、倉石信乃と「写真分離派」の活動を立ち上げてからだろう。この季節はずれの探求の試みは、いまは逆にやや古風にさえ見える。だが、粘り強く続けられていくことで、さらに豊かな成果を生むのではないかという予感がする。
なお、Yumiko Chiba Associates viewing room shinjukuでは、同時期に「光の欠落が地面に届くとき 距離が奪われ距離が生まれる」展(11月26日~12月24日)が開催された。こちらも「コンセプチュアル・フォト」のヴァリエーションであり、地面に落ちる「影」に狙いを定めて、「距離と時間」の問題を別な角度から考察しようとしている。

2016/12/04(日)(飯沢耕太郎)

柳根澤 召喚される絵画の全量

会期:2016/09/24~2016/12/04

多摩美術大学美術館[東京都]

朝日新聞で山下裕二氏が絶賛していたので、どんなもんかと思いつつ見に行った。最初はあまりピンと来なかったけれど、見ていくうちにジワジワと染み込んでくる。見れば見るほど染み込んでくる。ハズレはない。ほぼすべてド真ん中に入ってくる。こんな経験は何年ぶりだろう? 彼の絵はキャンバスに油彩やアクリルで描いた西洋画ではなく、韓国紙に墨やグワッシュ、テンペラを使ったいわゆる東洋画で、モチーフは公園の風景や室内、湖、林、テーブル、本棚、自画像など、ごくありふれたもの。そう書くとつまらない日本画を思い出すかもしれないが、逆にそれだけの要素でこれほど豊穣な絵画世界を開示してくれるところがスゴイのだ。もっとも、室内にゾウがいたり、湖に家や家具が浮かんでいたり、シュールなイメージは散見されるけれど、そんな奇妙なヴィジュアルで驚かすわけではない。おそらく室内にゾウがいるのは、シワだらけのゾウの足元に敷かれたしわくちゃの布団と関連しているだろうし、湖にごちゃごちゃしたものが浮かんでいるのは、湖面に映る背後のギザギザした岩肌と対置させたかったからに違いない。
もし彼の選ぶモチーフに特徴があるとすれば、こうしたゾウや布団のシワ、ギザギザの岩肌のほか、木々の葉、本棚に並んだ無数の本、何百何千もの石を積み上げた石垣といったフラクタルなありさまであり、それはとりもなおさず絵に描きにくいものばかりなのだ。例えば《Some dinner》は、さまざまな料理や食器の置かれたテーブルを描いているのだが、画面の半分は白い胡粉の滴りで覆われている。そこではごちゃごちゃした静物を描き出す喜びと同時に、絵具を存分に滴らせることの愉悦も感じているはずだ。《Some Library》は図書館の奥まった本棚を描いたものだが、同時に棚の水平線と本の垂直線の織りなすノイジーなリズムを表わそうとしているに違いない。これまでずいぶんたくさん絵を見てきたはずなのに、これこそ「絵」であり、これこそ「描く」ことなのだと、あらためて絵画の本質に触れてしまったような新鮮な気分になることができた。

2016/12/03(土)(村田真)

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改組 新 第3回日展

会期:2016/10/28~2016/12/04

国立新美術館[東京都]

まず日本画を見る。なんの感動も感想もない。洋画を見る。感動はないが、感想を少し。最初の部屋の壁一面に特選10点が並んでいるが、驚くことにすべて学生レベル。もっと悪いことに、学生ならまだ向上心があり、やり直しもきくけど、この方々はハナからやる気がなさそう。ありきたりの風景、人物、静物を無難に描いてるだけで、なんの野心も冒険も感じられない。いや、日展内で出世しようという野心はあるのかもしれないが、少なくとも芸術上の冒険精神はまるで感じられない。もちろん今回に限ったことではなく、毎度のことだが。そんななか、水墨画風フォトリアリズムの水彩画を出した山本浩之の《朝の雪》は、あまり見かけない画風で新鮮に感じた。

2016/12/03(土)(村田真)

TWS-Emerging 2016 第5期

会期:2016/11/26~2016/12/25

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

片貝葉月、新宅睦仁、染谷浩司の3人。片貝はさまざまな日用品や機械の部品を寄せ集めてなんの役にも立たないような、例えば《なみだ流し機》《眉間しわ寄せ機》《貧乏ゆすり機》といった複雑な装身具を組み立てている。本人は「現代実用私的装置展覧会」と称しているが、そんな無用の装置が数十点並ぶさまはある意味感動的ですらある。新宅はコンビニから出る弁当の山を時計にダブらせ、染谷はこれまで描いた作品を並べて「収穫祭」を敢行。今回は全体的にガラクタ的でゴミタメっぽくて好感がもてた。

2016/12/02(金)(村田真)

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愛しのいきものたちへ 金尾恵子 原画展 絵本・科学読み物誌など40年の軌跡

会期:2016/11/29~2016/12/07

ワイアートギャラリー[大阪府]

金尾恵子は大阪出身の画家で、1970年頃から図鑑、幼年雑誌、科学読み物、絵本のために、動物画(鳥、魚、昆虫、両生類も含む)を描いてきた。アーティストとして別種の作品も制作しているようだが、本展では40年来描きためた動物画に絞って個展を行なった。私は子供の頃から図鑑が大好きだったので、その原画を生で見て大興奮した。図鑑の絵は現代美術と違って、ややこしいコンセプトがないのが良い。大事なのはひたすら事実に忠実なことだ。だから個性など不要なのかと思いきや、それでも描き手ごとに独自の画風があるというのだから興味深い。出そうとしなくてもおのずから滲み出るのが個性ということか。オリジナリティー病にかかっている現代美術作家は、時々こういう絵を見て「個性とは何か」を再考するのが良いだろう。

2016/12/02(金)(小吹隆文)