artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

台北 國立故宮博物院─北宋汝窯青磁水仙盆

会期:2016/12/10~2017/03/26

大阪市立東洋陶磁美術館[大阪府]

台北の國立故宮博物院から、「神品」あるいは「人類史上最高のやきもの」と称される北宋汝窯青磁水仙盆4点と、清時代につくられた精巧なコピー1点、それらの付属品が来日。大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵する北宋汝窯青磁水仙盆1点と合わせて展示された。これらの作品を見たときに私が思い出したのは、数十年前の学生時代に購入したジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団のLPレコードに、評論家の吉田秀和が執筆したライナーノーツだ。そこではセルの音楽性を元宋から明清の陶磁器や北宋画にたとえ、「あのひんやりした清らかさと滑らかな光沢を具えた硬質の感触」、「茶の湯で尚ばれる不規則な曲線にみちたいびつで、ざらつく手ざわりの茶碗とは正反対の美学」と記されている。本展を見た瞬間、私の脳裏にその一文がよみがえり、「あぁ、吉田秀和が言っていたのはこれか」と納得した。率直に言って、私は北宋汝窯青磁水仙盆の真価を理解できていない。しかし、吉田秀和の一文とセルの音楽を頼りに本展を見ることで、ある種の感慨に浸ることができた。そこには、完全なるものへの飽くなき希求とその結実が確かにあった。

2016/12/09(金)(小吹隆文)

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正岡絵理子「羽撃く間にも渇く水」

会期:2016/12/07~2016/12/18

TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHY 72 Gallery[東京都]

毎年夏に東川町国際写真フェスティバルの行事の一環として開催されている「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」も、2016年度で5回目を迎えた。今回のグランプリ受賞者は、現在奈良県在住の正岡絵理子。その受賞記念展として本展が開催された。
受賞作の「羽撃く間にも渇く水」は、正岡がビジュアルアーツ専門学校・大阪在学中から10年余り撮り続けてきた息の長い連作である。彼女の身辺を撮影したモノクロームの日常スナップだが、一枚一枚の写真の強度、緊張感がただ事ではない。一言でいえば、アニミズム的な世界観というべきだろうか。ヒトも、動物も、モノも、自然も、人工物も、彼女の目に写るすべてのものが生命体として生気を発し、分裂・生成を繰り返している。つかの間の一瞬を捉えた写真の集積にもかかわらず、そこには「46億年続く歴史の中で水溜りの中の一滴のような私たち」を見通す視点がある。そのスケールの大きな作品世界は、だが、さらに飛躍していく時期に来ているのかもしれない。
「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」の時点では、100点以上あった「羽撃く間にも渇く水」のシリーズは、70点ほどに整理され、今回の展覧会にはそのうち16点が展示されていた。止めどなく溢れ出そうとする写真たちを、塞き止め、明確な形にしていこうという意志が芽生えつつある。それだけでなく、デジタルカメラを使った新作も撮り始めているという。結婚し、子供が生まれ、奈良に移住するという人生の変わり目を迎えて、彼女の写真がどんなふうに変わっていくのかが楽しみだ。

2016/12/09(金)(飯沢耕太郎)

原倫太郎「上昇と下降」

会期:2016/11/19~2016/12/18

AYUMIGALLERY/CAVE[東京都]

大きい部屋では数十個のカラフルなボールが宙を飛び交ってる。んなわけないので近づいて見ると、空間に張り巡らせた2本の透明なテグスのレール上を滑り降りている。下まで降りたボールはリフトで天井近くまで上がり、再び滑り降りていく仕掛けだ。それが2組あるけれど、レールが複雑に交差しているので全体でひとつに見える。なんか楽しげでありながら、見ているうちに哀しげにも感じられてくる。ここでシジフォスの神話を思い出すのは野暮というものだろう。

2016/12/07(水)(村田真)

東北大学萩友会同窓生インタビュー 円城塔氏

東北大学東京分室[東京都]

円城塔の小説をまとめて読む機会を得たが、風景の描写や人間のドラマを書くのではなく、本の本、あるいは書くこととは何かを考える概念そのものが対象のメタフィクションが多く、SF的なボルヘスのようだ。東北大の同窓誌のインタビューでは、表現者というより、法螺話の論理を徹底的にドライブさせる職人の側面がうかがえた。彼の本を読んでいると、本人が理想としている文章の生産は、オートマトンで自動書記機械のような感じだ。デビュー作となった『Self-Reference ENGINE』は、研究職の合間に、毎日カフェで限られた時間にお題を決めて書いた短編を連鎖させたものだというのもうなずける。

2016/12/07(水)(五十嵐太郎)

前橋の二人:村田峰紀・八木隆行

会期:2016/12/03~2016/12/24

CAS[大阪府]

群馬県・前橋を拠点に活動する1970年代生まれの二人のアーティスト、村田峰紀と八木隆行を紹介する企画。両者の共通項はパフォーマンス性の強い表現にあるが、そのベクトルは対照的だ。村田峰紀は、まるでロックミュージシャンがギターを激しくかき鳴らすように、支持体の表面にボールペンを突き立てて暴力的に線を描き殴り、破壊的な力が加えられた表面の痕跡を提示している。その行為は「ドローイング」というよりは「表面を削り取る」と言った方が近い。ベニヤ板はボロボロに風化した樹肌を思わせ、金属板は熱で溶解したかのような無残な姿をさらしている。唸り声を発しながら全身の力を込めて描き殴る姿は怒りや狂気すら感じさせ、「表現行為」に潜在する暴力的な力を増幅し、見る者にあらためて突きつける。
このように破壊的で内向的な村田に対して、八木隆行は、自作の「浴槽(兼ボート)」をバックパックのように背負って山野や清流などを歩き、湯を沸かして入浴するというパフォーマンスを行なっている。山歩きを楽しんだ後、豊かな緑に囲まれて汗を流す。雪景色の中で湯につかりながらビールを飲む。あるいは、無人の屋上空間を独り占めして入浴する。まるで野点のように、狭く閉じた個室空間を飛び出して屋外の広い空間へ赴き、景色を楽しみながら入浴する姿は、開放的でおおらかさを感じさせる。大阪で開催された本展では、道頓堀からギャラリーまでの道のりを「浴槽」を背負って歩き、ギャラリーの入居する雑居ビルの屋上で入浴パフォーマンスが行なわれた。
ここで八木のパフォーマンスが興味深いのは、一見するとユルく脱力的で無為にすら思える見かけのなかに、密かに政治性を内包している点だ。自然の山野やビルの屋上など屋外の公共的な空間を一時的に占拠し、プライベートな空間へと変容させること。さらに、入浴=「裸になること」を、単に衛生上の日課を超えた、「日本人が大好きな娯楽的習俗」という私的で非政治的な理由に回収させてぬけぬけと成立させ、しかも悠々自適に楽しみながらやってのけるところに、「自主規制・検閲」が跋扈する現在、パフォーマンス・アートとしての八木の優れた政治性がある。
前橋と言えば、2013年に開館したアーツ前橋が記憶に新しいが、「群馬」という地方に拠点を置くことに対して意識的に活動してきた作家に、白川昌生がいる。70~80年代に渡欧し、帰国後の1993年、地域とアートをつなぐ美術活動団体「場所・群馬」を創設した白川の活動は、2014年にアーツ前橋で開催された個展「ダダ、ダダ、ダ 地域に生きる想像☆の力」でも総括的に紹介されていた。そうした前橋(群馬)という地方都市がもつ土壌の豊かさや場所のポテンシャルについても考えさせる展覧会だった。

2016/12/07(水)(高嶋慈)