artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
瀧本光國「彫相」
会期:2016/06/25~2016/07/30
東京画廊+BTAP[東京都]
瀧本はイタリアで豊福知徳に師事した彫刻家で、作品は一見シュテファン・バルケンホールみたいな荒削りの人物像に着彩した木彫。高さ2メートルを超す片脚だけの大作もあれば、15センチほどの小品もいくつかある。どこかで見たことあるような気がする作品もあって、なんだろうと思ったら、萬鉄五郎の《日傘の裸婦》だった。ほかの作品も絵を元にしているらしい。裸婦が中心だが、窓枠の向こうの人物とか、ドアの陰から顔を出す人物といった状況を彫刻にした小品もあって、のどから手が出そうになる。ちなみにタイトルにある「相」とは木目のことであり、また木を目で見ることでもあるらしい。
2016/07/15(金)(村田真)
石内都展 Frida is
会期:2016/06/28~2016/08/21
資生堂ギャラリー[東京都]
メキシコシティにあるフリーダ・カーロ博物館からの依頼により、フリーダの遺品を撮った写真。パリやロンドンでは展示されたが、日本では初公開となる。遺品は色鮮やかなドレスをはじめ、コルセット、靴、装身具や化粧品、眼鏡、義足、割れた鏡など。カメラは大型ではなく35ミリ、特別な照明も使わず自然光の下で撮ったという。これまで傷や痛みの記憶、遺品などを撮ってきた石内ならではのモチーフだ。フリーダほど心身ともに傷を抱えた女性はいないからね。
2016/07/15(金)(村田真)
湯川洋康・中安恵一「豊饒史のための考察 2016」
会期:2016/07/06~2016/07/17
Gallery PARC[京都府]
石、植物の種、貝殻、鳥の羽根、鈴、五円硬貨、陶片、アクセサリーの一部。それらがブリコラージュ的に組み合わされ、繊細で魅力的なオブジェを形づくっている。用途は不明だが、祭壇に捧げられた供物、呪具、装身具を思わせる、呪術性を帯びたそれら。何か聖なるものを「降ろす」依り代のように環状に配置され、天秤が示唆するように平衡を保ち、見えない秩序によって支配された祭祀的空間の磁場が立ち上がっている。一つひとつは謎めいた形だが、どこか記憶の古層を刺激するそれらは、《豊饒史のための考察》と名付けられている。
湯川洋康は服飾業界で活動し、中安恵一は歴史家であるという、異色ユニット。物質的な豊かさにおいて飽和した現在、「物質/精神の均衡についてより意識的になる必要」から、「我々の暮らしにおける『豊かさ』を再構築するための概念」と説明される「豊饒史」の定義はやや曖昧だが、「豊饒」と「史(歴史、物語ること)に分けて本展を考えてみたい。
民間信仰において、無病息災や豊作祈願といった祈念が託されたモノや、死者の魂や神を降ろし、交信するための依り代。廃れゆく民間信仰や風習を民俗史的なリサーチによって掘り起こし、審美的なオブジェとして再構成する彼らは、あえて「彫刻」という美術の制度的な文脈における言葉を用いている。それは、目に見えない祈念や精神性との仲立ちをとりもつ物質をメディウム(霊媒)と見なし、近代的な美術の制度から捨象されてきた文化的慣習や習俗における形象を、史的資料ではなく美的な側面から光を当て、集合的な想念の力や豊かな水脈を再び呼びこもうとしていると考えられる。
そして、彼らの関心の対象が民間信仰や習俗であるように、「史」は、書かれた歴史にとどまらず、口承の語りや個人的な記録物も含み、断片の再編成によって新たな形を生み出す行為である。更地で拾った瓦や陶片を金継ぎした作品や、帯状に裁断した本のページを織物のように編み込んだ作品が、そのことをよく示している。
「歴史を語ること」はまた、断片的な要素の組み換えと再構築を通して、新たな秩序の創出への欲望でもある。彼らが参照しているように、本居宜長が10代の頃に創作した、架空の城主「端原氏」の家系図とその城下絵図の緻密な描写は、世界の秩序の可視化への欲望をまさに体現している。民俗史のエッセンスを抽出して美的に再構築(彫刻化)しつつ、ダイナミックな再編成と安定した秩序の往還のうちに人々の営為を眼差す彼らの試みは、「豊饒史」という新たな思考のフレームに向けられている。
2016/07/15(金)(高嶋慈)
辰野登恵子の軌跡 イメージの知覚化
会期:2016/07/05~2016/09/19
BBプラザ美術館[兵庫県]
一昨年に急逝した辰野登恵子(1950~2014)の業績をたどる展覧会。約70点の作品を前後期に分けて展示しているほか、映像や資料も紹介されている。筆者は1990年前後に辰野作品と出合ったため、当時の作品に愛着を覚えている。また、1970年代のミニマルな作品も見たことがあるが、2000年以降は詳しく知らない。彼女の作品は関西で見る機会が少なく、本展を知ったとき、ようやく全貌がわかると喜んだ。いざ展示を見ると、油彩画と版画がほぼ五分五分で並んでおり、辰野がいかに版画を重視していたかがわかった。また、版画作品の質感が、まるで油彩画のように重厚であることにも驚かされた。そして何より注目すべきは、本展出品作のほとんどが関西在住の個人コレクターの所蔵品であることだ。関西にこんな目利きがいたとは知らなかった。そしてよくぞこれだけのコレクションを形成してくださった。今後も積極的に公開してほしいが、これだけの規模の展示は滅多にないだろう。それだけに本展は貴重であり、後期も必ず見に行こうと決意を新たにした。
前期:2016/07/05〜08/07
後期:2016/08/09〜09/19
2016/07/15(金)(小吹隆文)
有元伸也「TOKYO CIRCULATION」
会期:2016/07/03~2016/08/03
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
有元伸也が2006年から撮り続けている、新宿を中心とする6×6判の路上スナップのシリーズも今年で10年目を迎えた。2010年からは、自ら運営するTOTEM POLE PHOTO GALLERYで「ariphoto」と題する連続展を開催し、その度に写真集『ariphoto selection』(vol.1~vol.6)を出してきたのだが、今回のZEN FOTO GALLERYでの個展を契機として、それらをまとめた大判ハードカバー写真集『TOKYO CIRCULATION』(ZEN FOTO GALLERY)が刊行された。
印刷、造本に隅々まで気を配った写真集は素晴らしい出来栄えだが、62点の作品をピックアップした展示もなかなかよかった。普段TOTEM POLE PHOTO GALLERYで見慣れた写真群が、六本木のギャラリーの空間では、また違った雰囲気で見えてくる。一点一点の作品の個別性だけでなく、それらの相互のつながりが浮かび上がってくるのだ。特に途中からレンズを広角系に変えたことで、写真の奥行き感が違ってきているのが興味深い。路上の群衆から「浮いてくる」ような人物を画面の中心に据えてシャッターを切っていることに変わりはないのだが、その人物のアクションが周囲の環境に及ぼす影響が、写真に写り込んできているのだ。しかもそれらの写真群は、5枚×5枚、3枚×8枚という具合にグリッド状に並んでいた。そのことで、新宿の路上を一繋がりの大きな空間として捉える視点が、より強調されているようにも感じた。
有元のこのシリーズは、もはやライフワーク的な意味合いを持ち始めている。だが、ひとつのスタイルに固執するのではなく、これから先も大胆に変化していってほしい。そろそろ、カラーバージョンも考えられるのではないだろうか。
2016/07/13(水)(飯沢耕太郎)