artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

浦芝眞史展 身体の森で

会期:2016/07/20~2016/08/05

ガーディアン・ガーデン[東京都]

1988年、大阪生まれの浦芝眞史は、昨年の第13回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞した。本展はその受賞記念展である。受賞作はゲイの男性たちを撮影したスナップ的なポートレートだったのだが、被写体や手法を固定することなく、さらに幅を広げていけるかが大きな課題だと感じていた。今回の展示を見ると、その答えが少しずつかたちをとりはじめているのがわかる。これまでと明らかに違っているのは、モデルのなかに性同一障害の女性が含まれていることで、彼女=彼の「身体の森」に分け入ることで、その揺らぎを写真のなかに取り込むことができるようになっていることだ。今回の「反する性を同時に感じながら」の撮影の経験は、これから先の浦芝の写真世界の展開に、大きな影響を及ぼしていくのではないだろうか。
もうひとつ注目したのは、展示会場のインスタレーションである。大小の写真をフレーミングしたり、壁に直貼りしたりした新作に加えて、「1_WALL」展の受賞対象になった旧作も、サービスサイズほどの小さなプリントに焼いて並べられている。そのことによって、彼の思考と実践がどのように展開してきたのかが、観客にも充分に伝わるつくりになっていた。かつては、ややわざとらしいポージングの写真が多かったのだが、それが新作になるにつれて自然体に変わっていったことも、はっきりと見てとることができた。
身体性のズレや揺らぎに着目して作品を発表してきた写真家といえば、何といっても鷹野隆大(「1_WALL」展の審査員の一人)だ。浦芝も鷹野に続いて、このテーマに新たな角度から取り組んでいってほしい。

2016/07/21(木)(飯沢耕太郎)

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プレビュー:あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ

会期:2016/08/11~2016/10/23

愛知芸術センター、名古屋市美術館、名古屋市内のまちなか、豊橋市内のまちなか、岡崎市内のまちなか[愛知県]

3年に1度、愛知県で開催される現代アートの祭典。3回目の今回は芸術監督に港千尋を迎え、「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」をテーマに、国内外100組以上のアーティストによる国際展、映像プログラム、パフォーミングアーツなどが繰り広げられる。またプロデュースオペラ「魔笛」の公演も行なわれる。テーマの詳細は公式サイトで調べてもらうとして、今回の大きな特徴は、豊橋市が会場に加わりますます規模が拡大したこと、キュレーターにブラジル拠点のダニエラ・カストロとトルコ拠点のゼイネップ・オズらを招聘し、参加アーティストの出身国・地域が増えたことなど、拡大と多様化を推し進めたことが挙げられる。この巨大プロジェクトを、港を中心としたチームがどのようにハンドリングしていくかに注目したい。個人的には、豊橋市が会場に加わることを歓迎しつつ、酷暑の時期に取材量が増えることにビビっているというのが正直なところ。前回は1泊2日で名古屋市と岡崎市を巡ったが、今回は1日1市ずつ3回に分けて取材しようかなと思っている。

2016/07/20(水)(小吹隆文)

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プレビュー:ヨコオ・マニアリスム vol.1

会期:2016/08/06~2016/11/27

横尾忠則現代美術館[兵庫県]

神戸の横尾忠則現代美術館には、横尾自身が創作と記録をのために保管してきた大量の資料(写真、印刷物、アイデアスケッチ、原稿、絵葉書、レコード、蔵書など)が預けられている。それらに光を当て、調査の過程と成果を公開するのが本展だ。例えば彼が1960年代から書き続けている日記と作品の関係、第三者に価値を見出されて作品となった、絵具がのった紙皿やペーパーパレット、少年時代から憧れてきた郵便と作品の関係などが、資料と作品を並置するかたちで紹介される。横尾に関する膨大な資料群は同館ならではの特徴であり、このような企画が長らく待たれていた。展覧会名からも分かる通り、本展はシリーズ化される予定だ。今後調査が進めば、新たな横尾忠則像が打ち出されるかもしれない。

2016/07/20(水)(小吹隆文)

童画の国から─物語・子ども・夢 展ジャンル:美術、その他

会期:2016/07/16~2016/09/04

目黒区美術館[東京都]

童画家・武井武雄(1894-1983)と初山滋(1897-1973)の作品に加えて、工業デザイナー・秋岡芳夫(1920-1997)が描いた童画作品が出品されている。学校が夏休みのこの時期、子供たちを対象とした絵本や童画の展覧会は多い。しかし、なぜこの3人なのかといえば、発端は秋岡芳夫だ。目黒区美術館では、2011年に目黒区ゆかりの工業デザイナー・秋岡芳夫の全貌を紹介する展覧会を開催し、その後「秋岡芳夫全集」と題する小企画で秋岡の多様な仕事をひとつひとつ掘り下げてきた。その秋岡の初期の仕事のひとつが童画である。秋岡が童画に関心を持ったのは、子供のころに愛読していた『コドモノクニ』がきっかけ。彼は心ひかれた画家たちとして、初山滋、本田庄太郎、岡本帰一、武井武雄の名前を挙げている。なかでも心酔していたのは初山滋。第二次世界大戦後、新聞に日本童画会発足の記事を見つけた秋岡は入会を申し込み、初山滋に師事して童画の勉強を始めた。初山は秋岡の結婚式に際して「神主役」をつとめたという。2013年には「童画」という言葉を生み出した武井武雄の作品を常設展示している「イルフ童画館」(長野県岡谷市)で、秋岡の童画作品の展覧会「デザイナー 秋岡芳夫の童画の世界」(2013/11/14~2014/01/27)が開催されている。そのような背景はあるが、もちろん展覧会は純粋に3人の童画の原画と物語世界を楽しめる構成になっている。第1章は武井武雄と初山滋の戦後作品。入口から左に進むと「物語」の世界、右に進むと「夢」の世界という視点で作品が並ぶ。第2章は童画のはじまりを武井・初山の原画、童画雑誌、装幀作品などによって振り返る展示。第3章は両者による版画作品。第4章は秋岡芳夫の童画だ。また読書コーナーには武井武雄・初山滋の本、童画雑誌の復刻版などが多数並んでおり、ふたりの作品世界にじっくり浸ることができる。


展示風景

2014年に目黒区美術館で紹介された秋岡の童画を見たとき、筆者はそこに初山滋の影響が密接に見て取れるものがあると記したが、本展で3人の作品を見て感じたのは秋岡の童画世界はどちらかといえば武井武雄に近いのではないかということだった。たしかに秋岡の作品には初山に似た筆致のものもあるが、初山の作品が透明水彩やペンによるなんとも形容しがたい不思議な色面と線とで構成されているのに対して、不透明水彩で描かれた秋岡の画は、武井武雄の描く輪郭線とやや説明的な画面構成に近いように思う。
東京都庭園美術館では、本展と会期をほぼ同じくして「こどもとファッション」をテーマとした展覧会が開催されており、武井、初山作品を含む童画が子供服を語る資料として出品されている。どちらも最寄り駅は目黒駅。合わせて訪れたい。[新川徳彦]

★──秋岡芳夫全集2──童画とこどもの世界展:artscapeレビュー

関連レビュー

DOMA秋岡芳夫展─モノへの思想と関係のデザイン:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2016/07/20(水)(SYNK)

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吉増剛造「瞬間のエクリチュール」

会期:2016/07/01~2016/08/07

NADiff Gallery[東京都]

吉増剛造の写真表現がもっとも精彩を放つのは、むしろポラロイド写真かもしれない。『アサヒグラフ』に2000年初頭から37回にわたって連載された「瞬間のエクリチュール─吉増剛造ポラロイド日記」は、彼が日記のように撮影したポラロイド写真の表面および裏面に、白、銀、金などの細いペンでびっしりと言葉を書き連ねた連作だった。この「詩作品としてのポラロイド写真」には、ほとんど推敲もなしに、即興的な「生の言葉」が記されている。その自動記述を思わせるスタイルは、画像をほぼコントロールすることができないポラロイド写真に似つかわしいものといえるだろう。元来、吉増の写真は多重露光などによって、何ものかを呼び込むことをもくろんでおり、この「瞬間のエクリチュール」はその志向をほぼ極限近くまで追求した作品群といえる。
この時期、吉増はアリゾナ、フランス各地、石狩、花巻、奄美大島、沖縄などに移動を重ねていた。その旅の途上の、浮遊感を伴う身体と精神のありようが、ポラロイドの画像にも文章にも浸透している。特徴的なのは、ネイティブ・アメリカンのホピ族が儀式に使うカチーナドールが頻繁に登場すること。このカチーナドールは、まさに偶然を必然に変換する護符、彼方へと差し出された依り代といえるのではないだろうか。
今回の展示は、1999~2000年に制作されたポラロイド作品74点を、ほぼそのままの質感で再現して箱におさめた写真集『瞬間のエクリチュール』(edition.nord)の出版記念展である。写真集のデザインも担当した秋山伸が会場を構成している。なお写真集は通常版(初版300部)のほかに、直筆カリグラフィー(透明板)付きの特別版(限定30部)も刊行された。

2016/07/18(月)(飯沢耕太郎)