artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

今井祝雄 Retrospective─方形の時間

会期:2016/03/26~2016/04/23

アートコートギャラリー[大阪府]

1964年の個展「17才の証言」でデビューし、具体美術協会のメンバーになって、以後、絵画、写真、映像、パフォーマンス、インスタレーションなど多彩な作品を発表してきた今井祝雄。近年は海外でも評価が高まっている彼の、1970年代後半から80年代前半の作品を紹介したのが本展だ。当時、今井は「時間」をテーマに制作を行なっていたが、本展ではそれらのなかから、《八分の六拍子》や《時間の風景/阿倍野筋2~7》といった写真作品、テレビの画像をトレーシングペーパーに写し取った《映像による素描─A1》、オープンリールのテープとデッキなどを駆使したパフォーマンス&インスタレーション《方形の時間2》(1984年作品の再制作)などが展示された。いずれも30~40年前の時代の空気を体現する貴重な作例だ。レアな機会を与えてくれた今井と画廊に感謝したい。

2016/03/29(火)(小吹隆文)

アートとリサーチ

会期:2016/03/15~2016/03/29

札幌市資料館 SIAFラボ プロジェクトルーム[北海道]

今日のお仕事は、北海道をテーマにしたワークショップの講評会。明日アーティストの島袋道浩とトークを行なうのだが、どうせだからということで、島袋くんが講師をしているこのワークショップの講評会にも参加することになった。このワークショップは、参加者がそれぞれテーマを設定して北海道をリサーチし(北海道を旅しながらテーマを固めていくといったほうが正確か)、その過程をウェブ上にアーカイヴしていき、最後に展示と講評会を行なうというもの。参加者は11人(女性が8人)で、みんな40歳以下。島袋くんが選んだだけあって、いわゆるプレゼン慣れしたアーティストっぽい人は少なく、ひとクセもふたクセもありそうな若者が集まった。ユニークなのは一人5万円ずつ与えられ、自由に使っていいこと。大半は道内の移動に使われたようだが、このように財源に余裕があるのは、2年前から始まったSIAF(札幌国際芸術祭)効果らしい。プレゼンでは2、3おもしろいのがあった。佐藤拓実は「夷酋列像」などに描かれるアイヌ人の着物が左前であることに気づき、いろいろなアイヌ像をリサーチ。それとは別に、富士山と羊蹄山(蝦夷富士と呼ばれるが、高さは2分の1)の同じ高さのモデルをロールペーパーでつくった。阿児つばさは音威子府に赴き、かつて凍った川の氷を切って向こう岸に渡して橋として使ったという「氷橋」をリサーチし、現代に蘇らせようとする。どちらも役に立たないどうでもいいような事象に着目した点で、まずは合格。もうひとり、新谷健太は幼いころに生き別れた父に会うため道内を旅し、なんと「再会」というスナックで再会したというウソみたいなストーリー。運賃やスナック再会の領収書、写真などをなぜか二重窓のあいだに挟み込むといういじけた展示もすばらしい。彼は5万円の公費を使って極私的な用件を済ませたわけで、ある意味このワークショップをもっとも有効活用したってわけ。

2016/03/26(土)(村田真)

モーション/エモーション─活性の都市─

会期:2016/01/17~2016/03/27

札幌芸術の森美術館[北海道]

北海道新幹線開業の日に札幌へ。もちろん新幹線は函館止まりなので、飛行機でひとっ飛び。昼前に新千歳に到着したが、約束の時間まで4時間ほどあるので、バスで真駒内に出て芸術の森に直行、「モーション/エモーション」展を見る。特に見たいわけでもないけれど、北海道に関連する企画展らしいし、年度末のせいかほかの美術館も大した展覧会やってないし。よその地に行くと必ずひとつやふたつ美術館を訪れずにはいられないというビョーキみたいなもんだ。同展は「北海道を中心に活躍する9人のアーティストたちの作品約90点を通じ、一つの生命体のように増殖と明滅をくりかえす都市の姿と、そこに生きる人々の感情に焦点をあてます」とチラシにある。絵画から彫刻、写真、インスタレーションまで、若手からベテラン、物故作家まで多彩だが、北海道という共通点以外なにか通底するものがあるような気がする。それは仕事が細かく、丁寧なこと。特に武田志麻の細密な木版画、野澤桐子のリアリズム肖像画、クスミエリカのデジタルコラージュ、森迫暁夫の童画のようなインスタレーションにそれを感じる。寒いからアトリエにこもってコツコツと仕事をするしかないからだろうか、と考えるのは北海道に対する偏見ですね。いずれにせよ多くの作品が工芸的に見えるのだ。唯一異なるのが廃材を使った楢原武正のインスタレーションだが、一見荒々しい彼の仕事もけっこう気を遣って構成されているように見える。仕事が丁寧なのはもちろん悪いことではないけれど、それだけで充足してしまいがちで、なにかものたりなさを感じてしまうのも事実。30分ほどで切り上げ、雪でぬかるんだ道を急いでバス停へ。

2016/03/26(土)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00033379.json s 10122317

さいたまトリエンナーレ2016 記者発表会

会期:2016/03/25

日本外国特派員協会[東京都]

この秋さいたま市で開かれる「さいたまトリエンナーレ」の概要発表。ディレクターは芹沢高志で、テーマは「未来の発見!」、おもなアーティストは、秋山さやか、チェ・ジョンファ、日比野克彦、磯辺行久、目、西尾美也、野口里佳、大友良英、小沢剛、ソ・ミンジョン、アピチャッポン・ウィーラセタクンら約40組。ま、要するに各地に乱立するトリエンナーレとかわりばえしないということだ。もちろん展覧会の外枠はかわりばえしなくても、場所が変われば作品も変わる。その意味で、各アーティストが「さいたま」でどれだけモチベーションを高められるかが見どころだ。会期は9月24日から12月11日まで。場所は与野本町駅から大宮駅周辺、武蔵浦和駅から中浦和駅周辺、岩槻駅周辺の3エリア。

2016/03/25(金)(村田真)

没後100年 宮川香山

会期:2016/02/24~2016/04/17

サントリー美術館[東京都]

宮川香山(1842-1916)は江戸末期に生まれ、明治から大正にかけて活躍した陶芸家。陶器の表面に写実的な浮彫を装飾する「高浮彫」(たかうきぼり)という技法によって国内外から高く評価された。本展は、没後100年を記念して香山芸術の全容を紹介したもの。陶器や磁器など、併せて150点が展示された。
「高浮彫」の醍醐味は何より大胆かつ緻密な造形性である。花瓶の表面を蟹が這う《高取釉高浮彫蟹花瓶》(1916)や花瓶の外周を囲んだ桜の樹に鳩がとまる《高浮彫桜ニ群鳩大花瓶》(19世紀後期)など、思わず息を呑む造形ばかり。割れや縮みの恐れがあるにもかかわらず、いったいどうやって焼き締めたのか謎が深まるのである。
「描く」のではなく「焼く」こと。少なくとも陶器に関して、香山は動植物のイメージを器の表面に描くのではなく、器とそれらを一体化させた造形として焼くことで、その装飾世界を追究した。いや、より正確に言えば、香山の真骨頂は器と装飾の主従関係を転倒させるところにあった。
通常、焼き物の装飾は器というフォルムを彩るために施されており、いわばフォルムに従属している。だが宮川香山による造形物はいずれも装飾でありながら、それらは時として器のフォルムから大きく逸脱し、場合によってはフォルムを破壊することさえある。《高浮彫親子熊花瓶》(19世紀後期)は紅葉や枯れ草を描いた花瓶だが、表面の真ん中が大きく裂けており、その中に冬眠の準備に勤しむ親子の熊がいる。香山は器のフォルムをあえて破ることで、山中の穴蔵を表現してみせたのである。ここにおいて装飾は、もはや器という主人から解放され、むしろ器を従える主人の風格さえ漂っている。
そのもっとも典型的な現われが、《高浮彫長命茸採取大花瓶》(19世紀後期)である。断崖絶壁に生えた茸を命綱を頼りにしながら採集する光景を主題にしているが、その断崖絶壁の迫力を増したいがゆえに、極端に縦長の花瓶が選ばれているように思えてならない。おそらく香山にとって器という支持体は装飾的世界を根底から支える前提条件でありながら、表現を極限化させていくにしたがい、やがて装飾的世界を構成する一部に反転していったのではあるまいか。今日の私たちにとって宮川香山から学ぶべきものは、再現不可能とも言われる明治の超絶技巧に舌を巻くことだけではない。それは、器と装飾という二元論を結果的に止揚してしまうほど強力な表現の欲動にほかならない。

2016/03/24(木)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00034369.json s 10123495