artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
プレビュー:木内貴志個展「木内妄想芸術大学作品展─独りホームカミング─」
会期:2016/05/23~2016/06/25
成安造形大学【キャンパスが美術館】[滋賀県]
成安造形大学在学中の1997年に「木内貴志大回顧展」でデビュー。以来、「木内貴志とその時代」(2000)、「キウチビエンナーレ2001」(2001)、「キウチビデオフェスティバル2007」(2007)など、自らの名を冠した単独イベントを積み重ねてきた木内貴志。彼が、絵画、彫刻、写真、インスタレーション、映像など多彩なジャンルで表現するのは、社会や美術の制度に対する問題提起であり、それらへの屈折した愛情である。作品には、駄洒落、ユーモア、自虐ネタがふんだんに盛り込まれており、敢えて作風を洗練させないところも大きな特徴といえる。母校で初の大規模個展となる本展では、木内が妄想した芸術大学の作品展という体裁をとり、学生時代の作品から新作までを網羅。木内の作品世界=キウチズムの真髄を体験できる。
2016/04/20(水)(小吹隆文)
プレビュー:1945年±5年 激動と復興の時代 時代を生きぬいた作品
会期:2016/05/21~2016/07/03
兵庫県立美術館[兵庫県]
日本の近代史で最も激動の時代といえる1940年から50年の11年間。日中戦争から太平洋戦争、敗戦、連合国の占領統治と続いたこの時代に、日本の美術はどのような展開をたどったのかを、約200点の作品で振り返る。展覧会は4章で構成される。その区分は、戦時中でもまだ余裕があった1940年~1942年頃、戦況が厳しくなり自由な制作ができなくなった1943年頃~1945年、敗戦直後の1945年~1946年頃、戦前から活躍していた作家の再始動と新世代の台頭により、戦中戦後の断絶が徐々に見えてくる1947年~1950年だ。岡本太郎、北脇昇、小磯良平、駒井哲郎、須田国太郎、東山魁夷、松本竣介、吉原治良など錚々たるメンバーが名を連ねるほか、藤田嗣治の初期の戦争画《シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)》、香月泰男が満州から家族に宛てた手紙、水木しげるが捕虜時代に描いた素描が出品される。見どころが多く、大いに考えさせられる展覧会になるだろう。
2016/04/20(水)(小吹隆文)
高田冬彦「STORYTELLING」
会期:2016/04/16~2016/05/21
児玉画廊[東京都]
東京都現代美術館の「キセイノセイキ」展では過去作(「Many Classic Moments」「JAPAN ERECTION」)が展示されている高田冬彦。この展覧会の問題意識には賛同したいものの、高田の創作の原動力は「キセイ」への反省や反発ではないから、あの起用はどうしても高田の過小評価に映ってしまう。言い換えれば「キセイ」への問いかけという「正しい」振る舞いによってでは、高田作品が写し取ってくる人間の「おかしな」状況を保持するのは難しい、ということだろう。「おかしな」と形容してみたが、他の作家にはあまりない高田作品の特徴に、普通の人間の心情を描くというところがある。人間には誰だって自分を「見せたい」、他人から「見られたい」という欲望がある。自分を誇示し、他者から評価をえるために、美しく、かっこよくなりたい。普通の人間はだからゲスい。ゲスさを隠してかっこよく美しいものやコンセプトを掲げるのもこれまた(他者を意識した)十分にゲスい振る舞いだが、世の中に流布している「美術」とは大抵そういうものだろう。高田はもう一度それをひっくり返す。そこで重要なのは、公の眼差しを回避できる自宅アパートを撮影スタジオにしていることだ。Youtuberと同じく、高田は自宅で私秘的な行為をカメラ前で繰り返す。Youtuberと違うのは、高田の欲望はクリック回数を増やすところにではなく、公の視線を意識するとひとは隠してしまいがちな、「見られたい」「見せたい」欲望とそのファンタジーを躊躇なく開示してしまうところにある。本展の表題作「STORYTELLING」(2014)では肛門のまわりに付けたインクがロールシャッハ・テストの如き形をとり、その形を高田が解釈し、物語る。「Cambrian Explosion」(2016)では立って歩きたい人魚に扮した高田が自らの尾びれを刃物で真っ二つにする。「Ghost Painting」(2015)の高田は、白い布をかぶった幽霊が赤く血濡れた頭(高田の頭)をカメラ前の透明な壁(キャンバス)に押し付け、赤色の絵画を描く。「Afternoon of a Faun」(2016)では高田演じる牧神男が性的夢想の中で、妖精たちに翻弄されながらセルフィーに耽る。どれもカメラを前にした興奮が肉体的衝動を実行に移させている。普通のことだ。「おかしな」普通が露出している。これは、いわば生々しいポップ・アート(大衆を描くアート)なのである。
図版:高田冬彦「Afternoon of a Faun」2015年 (映像からのキャプチャー)
写真提供:児玉画廊 / courtesy of Kodama Gallery
2016/04/20(水)(木村覚)
クリテリオム92 土屋紳一
会期:2016/02/20~2016/05/15
水戸芸術館[茨城県]
昔、作者がつくったカセットテープを聞く人たちのビデオと、70年代のオーディオ機器4台がそれぞれ分解されるまでの写真の展示。一瞬オタクかなと思ったが、配布プリントを見ると社会意識の高さがうかがえる。配布プリントにはフィリップス社によりテープ・レコーダが発売された1962年以降のカセットテープの移り変わりと、現在までの電子メディアの発達史が、国内トピックと世界情勢などとともに年表にまとめられているが、特筆すべきは「電力関連」として福島第一原発1~4号機の着工から事故停止までも載せていること。東京造形大学、IAMAS、デュッセルドルフ芸術アカデミーを出たグローバルな視野を有するアーティスト/アクティヴィストのようだが、近年日本での発表が少ないのが残念。
2016/04/19(火)(村田真)
田中功起 共にいることの可能性、その試み
会期:2016/02/20~2016/05/15
水戸芸術館現代美術ギャラリー[茨城県]
水戸芸術館の芸術監督、浅井俊裕さんが亡くなり(享年54)、水戸市内でのお通夜に出席する前に芸術館に寄る。不謹慎だが、お通夜のついでに見に行ったのか、お通夜を口実に見に行ったのか、自分でもわからない。田中功起の新作《一時的なスタディ:ワークショップ#4 共にいることの可能性、その配置》は、一般参加者がファシリテーターや撮影チームらと6日間一緒にすごし、朗読、料理、陶芸などのワークショップやディスカッションを行なった記録映像を中心に構成されている。時間がないせいもあって映像はほとんどスルーしたにもかかわらず(時間があっても見なかったと思う)、また、10人以上が6日間を過ごした濃密な体験にまともに向き合う余裕(精神的にも時間的にも)がないにもかかわらず、展覧会の印象が予想以上に悪くなかったのは、映像や仮設壁、ワークショップでつくった陶器などの配置が、一見混沌としながらよく計算されていて美しく、随所に挿入される言葉が適切だったからに違いない。田中の意外に確かなデッサン力がうかがえる。
2016/04/19(火)(村田真)