artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
「MACK CONCEPT TOKYO」
会期:2016/04/05~2016/04/23
IMA CONCEPT STORE[東京都]
MACKは元Steidlにいたマイケル・マックが2011年にロンドンで立ち上げた写真集専門の出版社。設立から5年あまりを経て、ルイジ・ギッリやアレック・ソスをはじめとする高クオリティの写真集を年間20冊というハイペースで刊行して、世界中の写真関係者の注目を集めている。そのMACKから、昨年刊行の川田喜久治『The Last Cosmology』に続いて、日本人写真家3人の写真集が出版されることになった。深瀬昌久の『HIBI』、ホンマタカシの『THE NARCISSISTIC CITY』、細倉真弓の『Transparency is the mystery』である。そのお披露目を兼ねて開催されたのが本展であり、同会場ではこれまで刊行されたMACKの出版物も展示・即売されていた。
ピンホールカメラで撮影された都市の景観で構成したホンマの『THE NARCISSISTIC CITY』や、ヌードと鉱物の結晶の写真を交互に見せる細倉の『Transparency is the mystery』も悪くないが、なんと言っても見逃せないのは、深瀬昌久自身が構成した最後の個展となった「私景’92」(銀座ニコンサロン)で展示された、111点の連作「ヒビ」を1冊にまとめた写真集『HIBI』である。自己追求の果てに袋小路に落ち込んだ写真家の絶望的な心境を、胸を抉るようなユーモアでまぶしたこのシリーズは、個展以後まったく公開されることがなかったので、その全貌が姿を現わしたことは驚き以外のなにものでもない。深瀬が写真を通じて何を見ようとしていたのか、その最終的な答えのひとつがここにあるのではないだろうか。
MACKはこれ以降も日本の写真家たちを積極的にフォローしていくようだ。どんな写真集が出てくるのかとても楽しみだ。
2016/04/06(水)(飯沢耕太郎)
「グラシエラ・イトゥルビデ 1969-1990年」
会期:2016/04/02~2016/05/14
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
グラシエラ・イトゥルビデはメキシコを代表する女性写真家。1942年にメキシコシティに生まれ、メキシコ国立自治大学映画科を卒業後、マヌエル・アルバレス・ブラボのような先人の影響を取り入れつつ、土着のインディオの文化と暮らしの細部を記録・表現していく、独自の「フォト・エッセイ」のスタイルを確立した。特徴的なのは、代表作の『フチタン、女達の街(Juchitán de Las Mujeres)』(1989)のように、太古の母系社会につながるような女性への視点を積極的に取り入れていることで、フェミニズム的なドキュメンタリー写真の先駆としても位置づけられている。
今回のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの個展は、1969~90年に撮影された写真の、ヴィンテージ・プリント19点によるもので、作品自体が貴重であるだけでなく、彼女の眼差しのあり方がストレートに伝わってくる選択・構成になっていた。メキシコの女性たちは、マチスモ(男性優位主義)が色濃い社会のなかで、逞しく生き抜いており、イトゥルビデも彼女たちの生命力を礼賛する、力強い画面構成の写真を撮影している。だが一方で、大地に一人佇むような孤独感、寂寥感を強調する写真もあり、被写体が発する感情の幅が大きく取り込まれている。
1990年に東川賞海外作家賞を受賞するなど、これまでも国内での作品発表の実績を積み上げており、そろそろ美術館クラスの大規模展が実現してもよい作家のひとりと言える。本展の開催がその呼び水になることを期待したい。
© Graciela Iturbide / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film
2016/04/06(水)(飯沢耕太郎)
森村泰昌:自画像の美術史──「私」と「わたし」が出会うとき
会期:2016/04/05~2016/06/19
国立国際美術館[大阪府]
もともとセルフィー的な作品をつくるアーティストだが、今回はまさに美術史における自画像をテーマとし、さらに私色が強い大個展になっていた。驚いたのは、2016年と記された新作が続々登場すること。3カ月間での多産ぶりがうかがえる。ハイライトは自画像を描いた作家たちのシンポジウムを想定した映像作品。物語的なわかりやすい美術の解説だが、絵をとらえる視点は筆者とだいぶ違う。
2016/04/05(火)(五十嵐太郎)
東城信之介|REC+交じり融けし箍
会期:2016/03/26~2016/04/23
COHJU contemporary art[京都府]
鋼板、銅板に錆びとグラインダーの削り跡でイメージを描き出す東城信之介の作品。薄い金属板とは思えない奥行と層構造は、グラインダーを当てる角度を微妙に変えることで生じる。観客が移動すると光の反射角が変化し、イメージがゆらゆらと動いて見えるのも興味深い。また、照明を落とすと表面が傷ついた金属板にすぎないが、光を得た瞬間に生命を得る(=空間が出現する)ギャップも作品の魅力といえるだろう。最近はインターネットの画像検索が便利になり、実物を見なくても良しとする人が増えているが、東城の作品はそうはいかない。じかに作品と対面すれば、筆者の説明が大げさではないと分かるはずだ。
2016/04/05(火)(小吹隆文)
森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき
会期:2016/04/05~2016/06/19
国立国際美術館[大阪府]
美術史上の名作の登場人物や作家に自らが扮したセルフ・ポートレイトで知られる森村泰昌が、それら「自画像」シリーズの集大成となる個展を地元大阪で行なっている。作品総数は約130点(うち森村の作品は125点)。第1部で初期作品から新作・未発表作品までを網羅しているほか、第2部で上映時間約70分の新作長編映像作品を出展。また、森村が1985年に参加した伝説的展覧会「ラデカルな意志のスマイル」が再現されており、盛り沢山な内容となった。展覧会タイトルの「私」と「わたし」は、美術家あるいは作品の一部となった森村=「私」と、プライベートの森村=「わたし」を表わしており、両者の出会いと往還のなかから作品が生み出されてきたことを表わしている。ところが第1部末尾の章立てに「私」の消滅が示唆されており、自画像シリーズの終了を意味するのかと早合点した。森村に尋ねたところ、インターネットや仮想現実などの技術的発展により、私/わたしの境界線が揺らいでいる現状を受けた文言とのこと。自画像シリーズは今後も継続していくとの回答を得た。その意味で本展は、回顧展であり通過点でもあるのだが、森村の業績を概観する重要な機会なのは間違いない。
2016/04/04(月)(小吹隆文)