artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

NISSAN ART AWARD 2015 ファイナリスト7名による新作展

会期:2015/11/14~2016/12/27

BankART Studio NYK 2F[神奈川県]

旬のアーティストの新作をまとめて楽しめる。グランプリに選ばれた毛利悠子は、漏水する地下鉄のブリコラージュ的な対処を観察するモレモレ東京のリサーチを発展させた水循環器械だった。オーディエンス賞になった久門剛史は、不思議な記憶の空間をつくり上げた。

写真:上=毛利悠子《モレモレ:与えられた落水 #1-3》、下=久門剛史《Quantize #5》

2015/12/05(土)(五十嵐太郎)

改組 新 第2回日展

会期:2015/10/30~2015/12/06

国立新美術館[東京都]

日本画と洋画を見る。少しは変わったかなと期待したけど、ほとんど変わりばえしないなあ。どっちかといえば日本画のほうが新しさを感じる。たとえば、二科の工藤静香風の乙女チックなイラストを白っぽくしてレース編みの装飾を散りばめた松岡千瑛《MIRROR》や、マンガチックな線画とコマ割りで津波後の瓦礫と更地を描いた市川信昭《記録・わたしのまち》などは、これまでの日展には見られなかった傾向だ。洋画でも、商売繁盛の熊手に大黒さまやら弁天さまをキッチュに描いた小川八行《市の夜「麒麟のいる橋」》みたいな珍しい作品も入るようになった。でも数百点、数千点のうちのごくわずか。ここから一点突破を期待するか、多勢に無勢とあきらめるか。

2015/12/02(水)(村田真)

アントワン・ダガタ「Aithō」

会期:2015/11/28~2016/12/27

MEM[東京都]

写真家は多くの場合、外界へと伸び広がっていく志向と内面に深く沈みこむ志向とに引き裂かれている。だが、フランス・マルセイユ出身のアントワン・ダガタの場合、その振幅が極端に大きいのではないかと思う。ダガタはこれまで、娼婦やドラッグ中毒者を被写体として、快楽と痛みに引き裂かれる人間の存在を凝視する作品を発表し続けてきた。だが、今回東京・恵比寿のMEMで発表された新作「Aithō」では、一転して瞑想的な趣のあるセルフポートレートを試みている。
タイトルの「Aithō」は、イタリア・シチリア島の活火山、エトナ山のギリシャ名である。そこはダガタの一族の故郷であり、彼自身の出自にも深いかかわりを持つ土地だ。そこの古城で撮影したのが今回の49点のシリーズで、剥落し、染みや汚れのついた鏡の表面にぼんやりと彼の横顔が浮かび上がっている。やや下を向いて、目を閉じたその顔は、亡霊のように見えなくもないが、同時に奇妙に生々しい触感も備えている。「AIthō」という言葉は、元々「私は燃えている」という意味だという。冷ややかな鏡の中の像は、手が触れれば火傷するような熱を発しているのだろうか。
それにしても、ダガタが2004年以来マグナム・フォトスの正会員として活動しているというのは驚くべきことだ。マグナムは本来、報道写真やドキュメンタリーの写真家たちの団体だったはずなのだが、いつのまにかダガタのような、強烈に主観的な表現の写真家をも取り込みはじめている。時代が変わりつつあるということだろう。

2015/12/02(水)(飯沢耕太郎)

ローラン・グラッソ展「Soleil Noir」

会期:2015/11/11~2016/01/31

メゾンエルメス8階フォーラム[東京都]

屏風形式の壁を幾度も反復しつつ、「黒い太陽」をテーマに擬古典的な手法で制作された作品を並べ、超越的な現象と接触したイタリア(ローマ万博の会場予定地だったEURなど)や日本の偽史を演出する。またドローンによる非人間的な視線の動きで撮影されたポンペイの映像がおそろしく美しい。なお、1階の入口のショー・ウィンドウでは、大西麻貴+百田有希の作品が設置されていた。

写真:大西麻貴+百田有希

2015/12/02(水)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00033335.json s 10118439

小沢剛 展 帰って来たペインターF

会期:2015/10/23~2016/12/27

資生堂ギャラリー[東京都]

Fは藤田嗣治を暗示するイニシャルだが、パリならぬバリで地元と交流した架空の従軍画家の物語を展開させている。絵そのものを藤田と比較すると、どうしても弱いが、インドネシアの歴史家、画家、音楽家と共同で調査・制作し、音楽付きの映像作品を生み出したことが成果だろう。

2015/12/02(水)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00032659.json s 10118438