artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

横浜発 おもしろい画家 中島清之─日本画の迷宮

会期:2015/11/03~2016/01/11

横浜美術館[神奈川県]

若い時に関東大震災後の横浜風景なども描いた画家である。日本画ながら、戦後はアンフォルメルに影響を受けたり、抽象や幾何学も試したり、ちあきなおみを題材にするなど、さまざまな方法をどん欲に探求した。また建築の絵は歪んだ線が特徴である。ほかにカプリッチョ風の銀座の描写も興味深い。横浜美術館の常設では、写真セクションにおいて、コムデギャルソン/川久保玲が1980年代から90年頃までに手がけた椅子や家具と、店舗で紹介してきた中平卓馬や清野賀子らの写真を一緒に展示している。貴重な企画だ。やはり、椅子にも独特のデザインのセンスが光る。その椅子に座ることができるコーナーも設けられていた。

2015/11/29(日)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00033003.json s 10117626

浜田浄の軌跡 ─重ねる、削る絵画─

会期:2015/11/21~2016/02/07

練馬区立美術館[東京都]

浜田浄は1937年生まれの美術家。70年代半ばに版画作品で評価を高めたが、80年代になるとモノクロームの絵画に転じ、その後、平面に載せた絵の具や紙を削り出す作品も手がけている。本展は初期から近作まで47点の作品を展示したもの。作品の点数と大きさからすると、決して十分な空間とは言えないが、浜田の類い稀な抽象画を一覧するには絶好の機会であると言えよう。
そのもっとも大きな特徴は、抽象画でありながら、非常に強い身体性を醸し出している点である。キャンバスや合板などの支持体の上に絵の具や紙を堆積させたうえで、彫刻刀やカッターナイフなどで削り出す。すると画面には無数の痕跡が残されることになる。それらは朱色の漆器や夕陽が沈む大海原のような具象的な風景に見えないこともないが、それ以上に伝わってくるのは、浜田自身の削除という行為の反復性である。
しかも、そのような連続的な身体運動は無闇矢鱈に繰り広げられているわけではない。画面に残された痕跡を注意深く観察してみれば、それらがじつに入念に、計算高く、緻密にコントロールされながら彫り出されていることに気づくはずだ。つまり痕跡は、たんに平面との格闘という運動の例証としてだけではなく、平面を彩る、ある種の模様や陰影としても考えられている。浜田の作品は、その制作手法からすると、じつに彫刻的に見えるかもしれないが、その中心にあるのは、きわめて明瞭な絵画意識なのだ。
「抽象画」というジャンルを内側から破るほど強靭な身体性。再現的なイメージを無邪気に再生産しがちな現代絵画の底を、浜田浄の作品は強烈にえぐり出しているのである。白い紙を黒い鉛筆でただ塗りつぶす作品が世界を丸ごと闇に陥れる暴力性を示しているように、浜田浄は平面のパンクスなのかもしれない。

2015/11/28(土)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00033328.json s 10118431

川田淳 個展「終わらない過去」

会期:2015/11/13~2015/11/30

東京都中央区日本橋浜町3-31-4[東京都]

辺野古が怒りに震えている。日本政府が沖縄の民意を蔑ろにしながら米軍基地の移設工事を強行しているからだ。このような「本土」と「沖縄」のあいだの非対称性は、確かな事実であるにもかかわらず、本土の人間の無意識に封印されているように、じつに根深い。
本展で発表された川田淳の作品は、「本土」の人間であれ、「沖縄」の人間であれ、見る者にとっての「沖縄」との距離を計測させる映像である。主題は、戦没者の遺留品。沖縄で50年以上ものあいだ、それらを発掘して収集している男と川田は出会い、その作業を手伝い始める。あるとき男は川田に名前が記された「ものさし」を見せ、これを遺族に返還してほしいと依頼する。映像は、川田が主に電話によって遺族を探し出す経緯を映し出しているが、映像と音声が直接的に照応していないため、おのずと鑑賞者は聞き耳を立てながら川田と彼らとのやりとりを想像することになる。
その「ものさし」は、結局のところ遺族に返還されることはなかった。遺族と面会して直接手渡すことを望んだ川田の希望が遺族には聞き入られなかったからだ。川田がそのように強く希望したのは、遺留品に残された無念を汲みながら日々発掘に勤しむ男の気持ちを重視したからである。着払いの郵送を望む遺族に対して、川田はその「気持ち」を粘り強く伝えたが、ついにその試みは実らなかった。「面会」に期待された魂の交流と、「着払い」に隠された慇懃な敬遠。「沖縄」と「本土」、あるいは「戦争」と「平和」のあいだの絶望的なまでに大きな隔たりが、私たちの眼前にイメージとして立ちはだかるのである。
むろん重要なのは、その隔たりを埋め合わせ、できるかぎり双方を近接させることであることは疑いない。しかし、その距離感が現在の沖縄をめぐる現実的な診断結果であることもまた否定できない事実である。川田淳の映像作品は、まさしく「ものさし」の行方を想像させることによって、沖縄との距離感を見る者に内省させるのだ。それは、沖縄の問題というより、むしろ私たち自身の問題と言うべきである。

2015/11/28(土)(福住廉)

吉本和樹「撮る人」

会期:2015/11/24~2015/12/06

Gallery PARC[京都府]

一眼レフカメラを構える西欧人男性。コンパクトカメラを構える、リュック姿の若い女性。中年の日本人男性もいれば、ベールをかぶったイスラム教徒の女性や、腕に入れ墨をした若い西欧人男性もいる。年齢、性別、人種も様々な彼らは皆、緑豊かな公園の中で、カメラをやや上方に向けて構えているが、視線の先にある被写体そのものはフレーム内から排除されている。
吉本和樹の写真作品《撮る人 A-bomb Dome》は、「原爆ドームを撮影する人」の後ろ姿を撮影したシリーズである。今年6月の二人展「視点の先、視線の場所」で見てとても気になっていた作品だが、本個展では同シリーズをまとまって見ることができた。《撮る人 A-bomb Dome》は以下の3つの観点から考えられる:(1)「撮影する人」のタイポロジー、(2)「ヒロシマ」を形成する視覚的イメージへの批評、(3)「盗撮」及びそのリスクを回避する身振り。
タイポロジーという視覚的文法は、同質性の中に差異を浮かび上がる構造を持つ。吉本の《撮る人 A-bomb Dome》の場合、「眼差しを向ける行為そのものを被写体とする」という入れ子状の構造の中に、年齢、性別、人種、カメラの機種、構え方といった様々な差異があぶり出される。一方で、同質性、つまり「眼差しを向ける行為」が集合化され前景化されることによって、この地が視線の欲望の強力な磁場であることが示される。ここで、吉村の手つきは二重、三重に両義的である。眼差しの過剰さに言及しつつ、視線の対象そのものはフレーム外へ排除することで、「ヒロシマ」という記号を視覚的に形成する力学を露わにしつつ、イメージの消費に陥ることを巧妙に回避しようとするのだ。また、一様に「原爆ドーム」というアイコンにカメラを向ける人々の後ろ姿を、真後ろから/左斜めから/右斜めからといった様々な角度から撮影し、空間的に並置することで、視線の均質なベクトルを解体し、多方向に拡散させてしまう。どこに視線を向け、何を撮っているのかが曖昧なまま、視線の過剰さだけが散乱する空間。撮影する彼らの姿を経由して、「何が視線の欲望を発生させるのか」「私たちは、いったい何を見ようとしているのか」という根本的な問いを吉本の写真は突きつける。
同時にまた、「後ろ姿を盗撮する」という行為は、予告なしに見知らぬ他人をイメージとして瞬間的に捕獲する路上スナップが、「肖像権」「プライバシー保護」といった論点から「盗撮」として断罪されることを巧妙にかわす、スリリングな身振りでもある。《撮る人 A-bomb Dome》は、視線の欲望、「ヒロシマ」の表象、「盗撮」といった、写真をめぐるアクチュアルな問題群を批評的に問い直す、優れたメタ写真である。

2015/11/28(土)(高嶋慈)

戦後のボーダレス 前衛陶芸の貌

会期:2015/11/28~2016/02/07

芦屋市立美術博物館[兵庫県]

戦後の京都で誕生し、「オブジェ陶」と呼ばれた前衛陶芸。四耕会や走泥社などに代表されるそれらの動きを、八木一夫、辻晉堂、宇野三吾、山田光、鈴木治、林康夫といった代表的な作家を通して紹介するのが本展だ。ここまで読むと過去に幾度もあった同系の企画展と変わらないが、本展がユニークなのは、彼らと同時代に活躍した美術家の絵画・彫刻が共に紹介されていることである。絵画は、吉原治良をはじめとする具体美術協会の作家や、須田剋太、須田国太郎など、彫刻は堀内正和と植木茂が前衛陶芸と一緒に並んでいるのだ。これにより、単一ジャンルだけの展示では伝わらない時代の熱気や、ジャンル間の影響関係が具体的に伝わり、たいそう面白い展覧会に仕上がっていた。欲を言えば、同時代のもっと多くのジャンルをカバーしてほしかったが、そこまでやると肝心の陶芸が薄れてしまうかも。決して大規模ではないが、秀逸な企画展として評価したい。

2015/11/27(金)(小吹隆文)