artscapeレビュー
川田淳 個展「終わらない過去」
2016年01月15日号
会期:2015/11/13~2015/11/30
東京都中央区日本橋浜町3-31-4[東京都]
辺野古が怒りに震えている。日本政府が沖縄の民意を蔑ろにしながら米軍基地の移設工事を強行しているからだ。このような「本土」と「沖縄」のあいだの非対称性は、確かな事実であるにもかかわらず、本土の人間の無意識に封印されているように、じつに根深い。
本展で発表された川田淳の作品は、「本土」の人間であれ、「沖縄」の人間であれ、見る者にとっての「沖縄」との距離を計測させる映像である。主題は、戦没者の遺留品。沖縄で50年以上ものあいだ、それらを発掘して収集している男と川田は出会い、その作業を手伝い始める。あるとき男は川田に名前が記された「ものさし」を見せ、これを遺族に返還してほしいと依頼する。映像は、川田が主に電話によって遺族を探し出す経緯を映し出しているが、映像と音声が直接的に照応していないため、おのずと鑑賞者は聞き耳を立てながら川田と彼らとのやりとりを想像することになる。
その「ものさし」は、結局のところ遺族に返還されることはなかった。遺族と面会して直接手渡すことを望んだ川田の希望が遺族には聞き入られなかったからだ。川田がそのように強く希望したのは、遺留品に残された無念を汲みながら日々発掘に勤しむ男の気持ちを重視したからである。着払いの郵送を望む遺族に対して、川田はその「気持ち」を粘り強く伝えたが、ついにその試みは実らなかった。「面会」に期待された魂の交流と、「着払い」に隠された慇懃な敬遠。「沖縄」と「本土」、あるいは「戦争」と「平和」のあいだの絶望的なまでに大きな隔たりが、私たちの眼前にイメージとして立ちはだかるのである。
むろん重要なのは、その隔たりを埋め合わせ、できるかぎり双方を近接させることであることは疑いない。しかし、その距離感が現在の沖縄をめぐる現実的な診断結果であることもまた否定できない事実である。川田淳の映像作品は、まさしく「ものさし」の行方を想像させることによって、沖縄との距離感を見る者に内省させるのだ。それは、沖縄の問題というより、むしろ私たち自身の問題と言うべきである。
2015/11/28(土)(福住廉)