artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

若手芸術家・キュレーター支援企画 1 floor 2015「対岸に落とし穴」

会期:2015/10/31~2015/11/23

神戸アートビレッジセンター[兵庫県]

若手アーティストを対象とした公募企画。8回目の今回は、パブリック空間の壁面にフレスコ画を描く川田知志と、シェプドキャンバスに図形的イメージを描く作品などで知られる山城優摩が、神戸アートビレッジセンター(KAVC)のギャラリーとコミュニティスペース「1room」で展示を行なった。まず圧倒されたのは川田の作品だ。今回彼はフレスコ画ではなく、KAVCの版画工房でシルクスクリーンを制作。畳280畳分もの版画をタイル状にカットし、吹き抜けの壁や柱に貼り付けて広大な空間を埋め尽くした。一方、山城の作品はこれまでのラインだが、一部の作品を台座に設置して量販品の金属部品やプラスチック製品と組み合わせるなど、絵画と立体をまたぐ展示を行っていた。両者の関係はまるでライバルであり、競り合いのなかでともに限界を超えていくような爽快感が感じられた。美術展でこのような感慨を得たのは久しぶりだ。

2015/11/01(日)(小吹隆文)

Open Storage 2015 ─見せる収蔵庫─

会期:2015/10/31~2015/11/23

MASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)[大阪府]

大阪市南部のベイエリアの工場・倉庫跡を流用したMASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)。ここは巨大な美術作品を保管・展示するスペースであり、昨年に行なわれた初の一般公開では、ヤノベケンジ、やなぎみわ、金氏徹平、久保田弘成、宇治野宗輝による作品展示、パフォーマンス等が行なわれた。2度目の公開となる今回は、上記5名に名和晃平がNHK交響楽団のコンサートのために制作した舞台セットが加わり、メインアーティストとして宇治野宗輝が新作の滞在制作を行なった。また最終日には宇治野がメンバーの一員を務める「野宮真貴&BIBA」のスペシャルライブも行なわれた。作品の価値と大きさは無関係だが、巨大な作品が一度にこれだけ集結すると感動を禁じ得ない。この分かりやすさは良い意味で大阪的だ。取材時には家族で来場した観客も少なからずおり、子供がアートに興味を持つきっかけになったかもしれない。

2015/10/31(土)(小吹隆文)

全道展会員による演劇「アートは時空を超えて」

会期:2015/10/31

北海道立近代美術館講堂[北海道]

ぼくの前座講演の終了後、全道展会員による名画コント。ロダンとクローデルとか、ダリとガラとか、藤田とキキとか、ついでに考える人まで会員が演じるという、いってみれば動く「額縁ショー」。画家や彫刻家は本来ものを見てそれを再現する、つまり真似るのが得意なはずだが、本人が真似るのと手を使って空間に再現するのとでは勝手が違うのか、みんなおそろしくヘタクソだ。まあそれだけに笑えたけどね。それにしても高齢化が進んでるせいか、若い女性役不足(男性役もだが)は深刻だ。

2015/10/31(土)(村田真)

全道展70周年記念企画展──70年新生する全道展

会期:2015/10/31~2015/11/08

北海道立近代美術館[北海道]

今日は全道展の創立70周年記念の講演をすることになっているので、その前に展覧会を拝見。招待されていうのもなんだが、どこの公募団体展も似たり寄ったりだ(今回は公募はなく、会員・会友だけの企画展だが)。例えば、作品を目いっぱい展示して、足りなければ2段がけにすること。会友・会員とヒエラルキーが存在すること。現代社会からかけ離れた作品が多いこと。これらはすべて日本でしか通用しないガラパゴス現象といえる。1点、目が釘づけになる作品があった。竹岡羊子の《佳き日に!》。パリかどこかの街角で、少女の上半身が木っ端みじんに吹き飛んでる瞬間を描いた絵だ。というのは冗談で、ほんとは大きな花束を抱えて上半身が隠れてしまった少女の像だろう。でもそれが自爆テロにも見えるというのは悪いことではない。あるひとつの絵がさまざまな解釈を許すのは包容力があるからだ。この絵は作者がどう思うかは別にして、まったく正反対の見方ができる点で優れている。

2015/10/31(土)(村田真)

伊藤高志映像個展

会期:2015/10/29~2015/11/01

LUMEN gallery[京都府]

日本の実験映像を代表する作家の一人、伊藤高志のほぼ全作品を一挙上映する個展。学生時代の8mm映画に始まり、《SPACY》《BOX》など、80年代~90年代半ばに制作された写真のコマ撮り撮影によるアニメーション(Aプログラム)、人物の実写によって不条理な心理的世界を描いた90年代後半~2000年代以降の中編作品(Bプログラム)、合わせて23作品計212分が上映された。
Aプログラムを貫くのは、「写真(静止画)と映画(イメージの運動)」の往還である。ゴダールは「映画は1秒間に24回の真実、あるいは死である」と言ったが、少しずつ距離やアングルを変えて撮影した写真をコマ撮り撮影し、1秒24コマのアニメーションとして再生することで、瞬間的に凝固させられ、「写真」のなかでいったん「死」を与えられたイメージが、擬似的な再生を迎えるのだ。ならば、そうした伊藤の映像作品のなかに、「ゴースト」的なイメージが繰り返し登場することは当然かもしれない。長時間露光(バルブ撮影)を用いることで、鬼火やエクトプラズマのような発光体の軌跡がスクリーン上を自在に駈け廻り、平凡なアパートの室内を異形の蠢く異界へと開いていくのだ。
このように、生と死の境界が曖昧になり、両者が重なり合って存在する幻視の世界は、Bプログラムへと受け継がれる。今回の個展で両プログラムを通覧して感じたのは、写真のコマ撮り/実写、映像の視覚的構造への自己言及/ストーリー性や心理的世界、8mmや16mmフィルム/ヴィデオ/DV/BDといったメディアの違い、などさまざまな相違はありつつも、両プログラムを架橋するそうした共通性である。Bプログラムの中編映像には、背後霊のように変質的なまでにつきまとう尾行者・窃視者がしばしば登場し、ストーリーの進行とともに、見る者と見られる者、自己と他者、死者と生者、現実世界と妄想の境界が不条理に溶解していく。あるいは《静かな一日・完全版》は、自分の「死」を演じた写真を撮り続けることで、自殺願望の成就を(繰り返し、だが擬似的に)味わう少女の物語である。
また、隣接したGalleryMainでは、撮影素材と機材の展示も行なわれた。写真を一枚ずつ台紙に貼り付けた撮影用スチールの実物は、パラパラ漫画のように手でめくって見ることができる。さらに、複数の写真を貼り合わせることで空間のパースが歪んで見えるスチールや、蝶番のように動く撮影用の台なども展示され、魔術的な映像が気の遠くなるような手作業によって生み出されていたことがよくわかった。

2015/10/31(土)(高嶋慈)