artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
林直「みつめる写真舘」
会期:2015/06/30~2015/07/12
林直は1967年京都府生まれ。両親が写真館を営んでいたため、幼い頃から写真に親しんでいた。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業後、一時企画会社に勤めていたが、退社後に家業を継いだ。そのかたわら、写真家としての自分の仕事も続けている。今回展示された「みつめる写真舘」のシリーズも、長い時間をかけた労作である。
林は実家の写真館にあった古いアンソニーカメラや丸椅子など見ているうちに、作り手と使い手の気持ちがこめられたモノたちが、独特のオーラを発していることに気がつく。それらを撮影することからスタートして、さまざまな人たちの「大切なもの」に被写体の幅を広げていった。今回の展覧会には、ランドセル、絵本、ぬいぐるみ、靴、ミシン、ストーブ、スーツケース、ピアス、そして写真などを、持ち主と話し合いながら、それらにふさわしい場所に置き、8×10インチの大判カメラで丁寧に撮影した写真、28点が並んでいた。
生真面目としかいいようのないアプローチであり、モノクロームの滑らかなグラデーションと柔らかなトーンで捉えられたモノたちのたたずまいが、意外に似通って見えてくるということはある。だが記憶を封じ込め、よみがえらせる装置として、写真を使おうとする林の試みは、さらに大きく広がっていく可能性を秘めているのではないだろうか。続編もぜひ期待したい。
なお展覧会にあわせて、冬青社から、しっかりした造本の同名の写真集が刊行されている。
2015/07/08(水)(飯沢耕太郎)
木野智史「夕凪」
会期:2015/07/07~2015/07/19
ギャラリー恵風[京都府]
ロクロ成形と磁器にこだわりを持つ木野智史。彼は約2年前から「颪(おろし)」と題したシリーズに取り組んできた。これはロクロで円環を作った後、半乾きの状態で一部をカットし、手でひねりを加えるなどしたオブジェだ。風や水流を思わせるフォルムと白い地肌、青磁釉の組み合わせが研ぎ澄まされた美を醸し出している。本展では、この「颪」が更なる発展を遂げた。2つのパーツが巴形に絡まった形状の《颪(眼)》である。また、焼成前に作品の一端を水につけることで、部分的に崩落を生じさせる《潮汐》という作品も出品されていた。さらに、鉢の口縁部に漆を施した新系統の作品《茜》も発表。一度に3種類の新機軸を発表する攻めの姿勢で、作家としてのポテンシャルをまざまざと見せつけた。
2015/07/07(火)(小吹隆文)
ユートピア2
会期:2015/06/26~2015/07/05
アートコンプレックスセンター[東京都]
小山利枝子展の2階でやってたのでのぞいてみる。ちょっとグロな少女イラストの5人展でほとんど興味ないが、特筆すべきはベロニカ都登と紺野真弓の作品が完売していたこと。こういう絵に需要があるのか、どういう人が買うんだろう、ということには興味がある。
2015/07/05(日)(村田真)
小山利枝子 展
会期:2015/06/24~2015/07/05
アートコンプレックスセンター[東京都]
パネルを連結したアクリルによる大作数点と水彩の小品の展示。小品は明確に花を描き、タイトルにも花の名前が使われているが、大作のほうは洪水のような、雲のような、なかば非物質化した現象を表わしている。ほとんど抽象化しているのに抽象までいかないモネの《睡蓮》にあらためて感銘を受けた、という作者の言葉を反芻してみる。
2015/07/05(日)(村田真)
吉田芙希子「メレンゲの部屋」
会期:2015/06/30~2015/07/05
KUNST ARZT[京都府]
整った顔立ちに物憂げな表情。長い睫毛、風になびくサラサラの髪、滑らかな肌。西欧風の植物装飾モチーフが周囲を美しく縁どる。吉田芙希子は、「理想化された美少年・美青年像」を、巨大化したカメオのようなレリーフで表現している作家である。表面の質感は磁器のように見えるが、発砲スチロールを芯材にして石粉粘土で成形し、表面を塗装して仕上げている。
吉田の作品を考える上でのポイントは、以下の4つの構成要素である:(1)美少年・美青年×(2)レリーフ×(3)装飾×(4)窓という構造。
まず、「理想化された美少年・美青年像」について。ただしここでの「理想化」とは、女性の視線からなされたものであることに留意したい。西洋美術では、「理想化された女性像」は(制作/消費主体である男性の視線によって)無数に生み出されてきたのに対して、「理想化された男性像」は少なく、ダヴィデ像のように健康的な若い男性の「肉体美」の賛美が主流である。しかし吉田は、そうした引き締まった筋肉や均整のとれた体躯を表現する全身像ではなく、あくまで顔貌へのこだわりを見せる。女性の視線によって理想化された男性像─その視覚イメージが最も原初的な形で結晶化するのが、少女漫画の世界である。少女漫画においては、整った容姿に加え、汗や体臭、体毛といった不快な要素を一切除去された「美少年・美青年」が無数に生み出され、読者の欲望に忠実な世界を提供し続けてきた。吉田が具現化するのは、そうした実在しないファンタジーの中の理想の男性像に他ならない。
その具現化の際にポイントとなるのが、「レリーフ」や「カメオ」といった表現形式の半立体性と装飾性である。レリーフやカメオ状に成形することで、架空の二次元の世界から、現実の三次元の世界へと、物質感を伴って半ば立体的にせり出してくるのだ。同時に、顔立ちの彫りの深さを強調する角度を保ったまま、睫毛や髪の毛などの繊細な細部の立体的な表現が可能になる。また、カメオは工芸や装飾品、レリーフは建築に附属する装飾であるが、さらに植物や花の装飾モチーフが美青年たちを取り囲む。つまり吉田の作品は、少女漫画的なファンタジー、工芸、装飾といった、「美術」の外部へと排除されてきた要素が組み合わさって成立している。
さらに、ここでの「装飾」はもう一つの機能を有している。植物や花の装飾モチーフは、美青年たちの周囲を美しく縁取りつつ、「窓」のように外界から切り取るフレーミングの機能を合わせ持つ。それは、彼らと現実世界の間に切断線を引き、理想の世界へと隔離し、「一方的に眺められる眼差しの対象」として閉じ込める作用を持つ。イメージが憧れの視線に供される場を開きつつ、手を伸ばしても届かない境界線を介在させること。この理想化の作業は、サイズの巨大化によってさらに高められる。 現実感を超えるサイズによって、理想の世界の非現実性が増幅され、神像や仏像のような「神聖さ」「崇高さ」のオーラを放つようになるのだ。
磁器のように白く滑らかな肌でたたずむ彼らはしかし、あるアンビヴァレントな思いを引き起こす。とりわけ、磁器の肌理が女性の肌の美しさを表わす比喩となることを思い起こすならば、彼らは「眼差しの主体性を回復した女性としての表現」であると同時に、なお回帰する女性美の規範性の強固さを露呈させてもいる。憧れの表出や欲望の吐露を原動力にしつつ、「美術」の外部・周縁化された複数の要素を組み合わせ、そうした視線の非対称性やねじれた構造を浮かび上がらせる点に、吉田作品の批評性を見出すことができるだろう。
2015/07/05(日)(高嶋慈)