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デザインに関するレビュー/プレビュー

薬草の博物誌──森野旧薬園と江戸の植物図譜

会期:2015/12/04~2016/02/16

LIXILギャラリー大阪[大阪府]

本展は、江戸期以降の植物図譜を科学性・芸術性の両面から読み解く展覧会。そもそも西洋で植物を正確に写し取る傾向が出てきたのは、ルネサンス期のこと。近代になると海外の珍しい植物が輸入され、薬としての効用の知識伝達と美的鑑賞の用を兼ね備えた「ボタニカル・アート」(科学的な植物画/植物学的美術)が発展する。アール・ヌーヴォーなどを見ればとりわけ19世紀において、植物が芸術創作の源泉となったことが首肯される。一方日本では、江戸期以降に薬効に関する実用的な本草学が中国から招来され、シーボルトら外国人による植物学の発展を経て自然科学を根拠として植物画が普及してゆく。それだけにとどまらず、植物図は日本の花鳥画とも互いに影響関係がある。例えば、本展で展示された日本で最初の植物図鑑『本草図譜』(岩崎灌園著)を見ると、浮世絵に見られるような大胆な構図と植物部分の切り取りとクローズアップ及び美しい木版刷りの色彩に目を見張ってしまう。植物の特徴をよく捉えてそれを美的に表象する、これはまさに妙なるデザイン性の賜物。最終部には、植物学者・牧野富太郎による植物図が展覧されて、本草学から植物学の確立に至る歴史を通覧することができる。[竹内有子]

2016/02/16(火)(SYNK)

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志村ふくみ──母衣への回帰

会期:2016/02/02~2016/03/21

京都国立近代美術館[京都府]

染織家、志村ふくみの展覧会。志村ふくみは1990年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されて以降、数々の賞を受賞してきた。本展は2015年の文化勲章受章を記念した展覧会である。
「貧しくて糸をかえない主婦が、夫や子供のためにのこり糸を繋いで、繋いで織ったものを屑織、ぼろ織という。その裂の天然の美しさに魅了されたのが柳宗悦であり、その弟子とも言える母や私である」(志村ふくみ「母衣への回帰」、『志村ふくみ──母衣への回帰』京都国立博物館、2016、16頁)。作家自身がこう語るように、展覧会のタイトルにある母衣の「母」とは、家族のために布を織る母親であり、志村に機織を教えた母、小野豊であり、その母と志村を民藝へと導いた柳宗悦である。この展覧会は、90歳をこえた志村が自らの源流を、織物の源流をたどり、その思いを表わした展覧会なのだ。会場は現在から過去へと構成されている。入り口付近に展示された、三部作(2015年)と無地のシリーズ(2015年)には、志村が活動の拠点としている琵琶湖岸の風景が鮮やかに描き出され、芳醇な色彩が自然から得たそのままに表わされている。染めと織りという日々の営みのなかで培われた感性は、混じりけがなく純粋で、瑞々しさや華やぎさえ備えている。かつて民藝が発見したのは民衆の生活のなかに息づく素朴な美であったが、朴訥とした素朴さからはじまった志村の表現は、いまや、存在をそのまま映した素の境地とでもいうべきところに至っているのではないだろうか。近作から初期の作品まで、日々のたゆまぬ研鑽に触れる展覧会であった。[平光睦子]

2016/02/16(火)(SYNK)

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ファッション史の愉しみ──石山彰ブック・コレクションより

会期:2016/02/13~2016/04/10

世田谷美術館[東京都]

2011年に亡くなった服飾史研究家・石山彰氏(1918-2011)が蒐集したヨーロッパのファッション・プレートやファッション・ブックなどの研究資料を紹介する展覧会。古くは16世紀末の文献から始まり、印刷技術の発展によって版画の技法を用いたファッション・プレートが廃れる20世紀初頭までを網羅するほか、揚州周延らによる明治期の錦絵に描かれた洋装も紹介される。本展で特筆すべきは石山コレクションの版画や書籍を並べただけではなく、神戸ファッション美術館が所蔵する同時代の衣装を合わせて展示している点にある。しかも衣装を着せたマネキンのメイクもまたファッション・プレートを参考に施された同時代のものなのだ。ファッション・プレートに現われた衣装とまったく同じものがあるわけではないが、時代のスタイルを立体的に見ることができる、すばらしい展示構成になっている。
 展覧会全体の構成は複層的だ。タイトルに「ファッション史の愉しみ」とあるように、この展覧会はたんに「ファッションの歴史」をたどるにとどまらず、「ファッション史研究の歴史」を見せる展覧会でもあり、それはすなわちファッション史研究において多大な貢献を残した石山彰氏の仕事を跡づける展覧会でもある。異なる時代、異なる地域のファッションを採集したファッション・プレート、ファッション・ブックは、それらが制作された同時代の人々にとってファッションの歴史や地域差を語る資料であると同時に、新しいファッションを生み出すための参考書としての役割もあった。また、それらはファッションに関するメディアの変遷を示す史料でもある。銅版画、手彩色、ポショワールといった印刷技法の変遷は、ファッション・メディアの需要の変化も語る。そして、ファッションが描かれるとき紙の上に現われるのは衣装だけではない。われわれはそこに衣装をまとった人々の身分、職業、風俗、そしてそれらを見つめる描き手のまなざし(称賛あるいは冷笑)等々、人間の生活そのものを読むことができることをこの展覧会は教えてくれる。そしてメイクを施されたマネキンは、こうした多層的なファション・プレートの意義を立体的に再現したものなのだ。ロビーで上映されている映像も必見だ。神戸ファッション美術館が制作したこのオリジナル映像は、18世紀後半から19世紀末までの衣装を役者に着せてヨーロッパで撮影したものだという。本展は2014年から2015年にかけて神戸ファッション美術館で開催された展覧会の巡回展になる。図録は両会場で共通だが、世田谷会場では独自に制作した「読本」が用意されており、展覧会のテキストとしてとても参考になる。展示史料は膨大で図録にはその一部しか収録されていない。時間に余裕をもって見に行きたい。[新川徳彦]


ともに会場風景

2016/02/13(土)(SYNK)

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よそおいの細密工芸

会期:2015/11/21~2016/02/14

清水三年坂美術館[京都府]

幕末から明治期の美術工芸品の収集で知られる清水三年坂美術館では、京薩摩にひきつづき、刀装飾や印籠、装身具の展覧会が開催された。出展品は、刀、印籠、煙草入れ、根付、かんざし、櫛など江戸時代の香りを残すものと、懐中時計、カフス、ペンダント、バックル、帯留め、指輪など、新しい時代の到来とともに西洋化がすすむ生活様式を伝えるもの、およそ80点である。そこに用いられるのは、金工、漆芸、彫刻などの洗練された意匠と高度な技巧。いずれも手にのるほどの大きさのものばかりだが、その小さなものに緻密で重厚な世界が描き出される。例えば煙草入れひとつとってみても、菖蒲の模様を染め抜いた革製の袋には龍を象った前金具が配され、腰差の煙管入れの筒には黒地に金で女郎花の蒔絵が施されており、さらに両者をつなぐ紐にはアクセントとなるべっ甲の緒締がついている。革、金工、漆芸など、さまざまな工芸技術が一点の携行品に惜しみなく盛り込まれ凝縮していることには驚かされる。手法はそのままに、カフスやペンダントトップ、ブレスレットといった西洋風のものにみられる和洋混在の奇妙な魅力も興味深い。明治期とくに明治前期には、こうした日本の美術工芸品が輸出品としておおいに期待されたという。いかに小さなものであっても、むしろ小さなものだからこそ、そのずっしりとした佇まいには日本の命運を背負って立つという名工たちの気負いや誇りさえ感じられた。[平光睦子]

2016/02/13(土)(SYNK)

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世界遺産キュー王立植物園所蔵 イングリッシュ・ガーデン 英国に集う花々

会期:2016/01/16~2016/03/21

パナソニック汐留ミュージアム[東京都]

英国のボタニカル・アートの数々と、植物園発展に資した人々の業績、植物をモチーフにしたデザインと工芸、そしてイングリッシュ・ガーデンの造園家まで、イギリス・キュー王立植物園の所蔵品を中心として紹介する展覧会。キュー王立植物園は、ジョージ二世の皇太子妃であり、ジョージ三世(1760年即位)の母であったオーガスタが1759年頃に設けた私設の植物園を始まりとし、1841年に国の施設となった。世界中から集めたさまざまな植物を育ているほか、22万点のボタニカル・アートをコレクションしている。植物学研究の場であるから、必然的にそれは美術的であることよりも科学的に正確であるかどうかという点が重要である。しかしそれが花や植物をモチーフにしているが故に、本来の目的を超えて人々を魅了し続けている。そして興味深いことに、写真が発達した現代においてもボタニカル・アートの本来の役割は失なわれていない。「描くという行為は一種の『編集』に相当する。学術的解釈によって難解な文章が解き明かされるように、正確な図や絵画はカメラよりも多くを説明することができる」★1。写真に写るのは特定の個体でしかないが、絵は種の特徴を一般化してひとつのものとして描くことが可能なのだ。なお今回の展示では、現代イギリス画家の作品と並んで唯一の日本人画家として「きのこ画家」小林路子氏の作品が出品されている。
 科学的であるかどうかが求められるボタニカル・アートであるが、一見フォークアートのように見える作品も出展されている。「カンパニースクール」と括られているこれら一連の作品は、インド人アーティストたちが描いた植物画。「カンパニー」とは「East India Company」すなわちイギリス東インド会社のことで、インドを統治していたイギリス人たちが現地の生活や風習、資源を調査・記録するために現地のアーティストを雇って描かせたものなのだそうだ。植物採集の歴史自体がイギリスの世界進出の歴史と重なっているばかりではなく、ボタニカル・アートの描き手や作品にもまた帝国の歴史が刻まれているのだ。
 デザインの視点からは、第3章「花に魅せられたデザイナーたち」が興味深い。ここではクリストファー・ドレッサーとウィリアム・モリスの仕事が対比されている(ドレッサーらによる自然の過度な様式化に対して、モリスは反対の立場であったと)ほか、ウィリアム・ド・モルガンのタイル、ウォルター・クレインのイラストなど、植物をイメージの源泉にした作品が並ぶ(なお、これらはキュー王立植物園の所蔵品ではない)。
 キュー王立植物園に関わった人物のコーナーでは、その草創期を支えたジョセフ・バンクス(1743-1820)、国の施設となってから初代の園長を務めたウィリアム・ジャクソン・フッカー(1785-1865)とその子で2代の園長を務めたジョセフ・フッカー(1817-1911)、そしてフッカーの友人で『種の起源』を書いたチャールズ・ロバート・ダーウィン(1809-1882)らが紹介されている。ダーウィンの史料の隣には蓮の花を描いたウェッジウッド社のプレートが置かれている。じつはダーウィン家とウェッジウッド家には深い関わりがある。チャールズ・ダーウィンの祖父エラズマス・ダーウィン(1731-1802)は、リンネの著作の翻訳者であり、またウェッジウッド社を創業したジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)の親友であった。そしてエラズマスの息子ロバート(1766-1848)とジョサイアの娘スザンナ(1764-1817)が結婚して生まれたのがチャールズ。チャールズにとってジョサイア・ウェッジウッドは母方の祖父にあたる。さらには、チャールズの妻エマ(1808-1896)はたジョサイア二世(1769-1843)の娘、ジョサイアの孫なのだ。また本展では紹介されていないが、ジョサイア・ウェッジウッドの長男ジョン(1766-1844)、すなわちチャールズの叔父もまた植物と縁が深い人物であることを付記しておきたい。家業の製陶所の経営を弟のジョサイア二世に譲って植物学と園芸学に没頭したジョン・ウェッジウッドは、ジョセフ・バンクスや、ウィリアム・フォーサイス(1737-1804、ジョージ三世の庭師)らとともに、1804年に王立園芸協会(Royal Horticultural Society)を創設したメンバーの一人である★2。また上に挙げた蓮の花のプレートのデザインと制作を指示したのもジョン・ウェッジウッドで、チャールズの父、ロバート・ダーウィンは1808年にこれをジョサイア二世から購入したと言われている★3
 汐留ミュージアムの展示室は毎回画家や展示テーマに合わせた演出をしており、そのたびごとに雰囲気ががらっと変わる。今回は植物園の温室をイメージしたつくりで、会場にはほのかに花の香りが漂っている。[新川徳彦]


会場風景

★1──本展図録、144頁。
★2──Jules Janick, 'The Founding and Founders of the Royal Horticultural Society', Chronica Horticulturae, Vol. 48, 2008, pp. 17-19.
★3──Robin Reilly, 'Wedgwood: The New Illustrated Dictionary', Antique Collectors Club, 1995, p. 456.

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2016/02/12(金)(SYNK)

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