artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン──その過去と未来

会期:2016/01/29~2016/02/14

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

1970年代から2000年代まで、コンピュータとグラフィックデザインの関係をたどり、さらに未来の姿を考える企画。展示の区分としては、70年代以前を「プレデジタルメディアの時代」、80年代を「CGの時代」、90年代を「マルチメディアの時代」、00年代を「ウェブ広告の時代」とし、そして2045年以降の未来を「シンギュラリティの時代(人工知能の発達が爆発的に進み、予測不可能になるとされる未来)」と設定している。会場に来るまで出展作家リストに荒木経惟や金子國義の名前が挙がっていることを不思議に思っていたのだが、彼らはマルティメディア時代草創期にそのコンテンツとして作品が用いられた作家たちだった。いまとなっては信じられないくらい画像の解像度が低いが、それでもPC上で写真集を見ることができたり、マルティメディアで作品世界を探訪する体験は非常に新しく、それも初期にはMacintosh使用者の特権だった。すばらしいことに、この展示では90年代、00年代に関しては、再生する機器におおむね同時代のMacintoshやPowerbookが使用されていた。Macintosh Plusの小さな画面を見ながら、角張ったひとつボタンのマウスで実際にコンテンツを操作することができるのだ。実機を集めるのに苦労したのではないだろうか。より新しい機器で再生可能なソフトウェアであっても、同時代のハードウェアの制約と合わせて体験できるようにということなのだそう。そのような練られた企画のために、歴史を辿り未来を見据えることが主旨だと頭では理解しつつも、ついついノスタルジックな気分に浸ってしまう。「ああ、メディアがフロッピーディスクだ!」「ハイパーカードのスタックが動いている!」。体験としてそれを語ることはできても、まだ客観的な歴史として整理することは難しいかも知れない。
 ただ、これも体験による試論でしかないのだが、歴史を語る方法としては、表現の変化を見るよりも、あるいはメディアの変化を見るよりも、それらの担い手の変化を探るほうが有効であると思う。たとえば90年代初頭、DTP(Desk Top Publishing)草創期にそれを手がけていたのは印刷業とは無縁あるいは周辺の人たちが多かった。書体の種類は少なく、組版上の制約は多く、写植・電算写植でできることとは雲泥の差があり、それらを手がけはじめたのはタイプライターよりもよいというレベルでの仕事からスタートできた人たちか、実験的な試みが許される一部の紙メディアであり、当然のことながら業界の中心ではなかった。数百万円の機械で文字を組み、数千万円の機械で写真をスキャンし、数億円の機械でそれをレタッチしていた人たちがそれらの投資を捨てて新しい時代へと移行するのは、もう少しあとのことだ。印刷メディアが必要とする解像度の出力は容易ではなかったが、コンピュータの可能性を信じた人々が着目したのが画面での表現で、それがすなわち「マルチメディアの時代」をつくったのだともいえる。いまならまだ変化の時代を体験した関係者に対するオーラルヒストリーが可能だ。どなたかにぜひお願いしたい。[新川徳彦]

2016/02/06(土)(SYNK)

顔真卿と唐時代の書──顔真卿没後1230年

会期:2015/12/01~2016/01/31

東京国立博物館東洋館8室/台東区立書道博物館[東京都]

今回で13回目を迎える東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画。2015年に没後1230年となった顔真卿(709-785)をはじめとする唐の名家の拓本、敦煌出土の宮廷写経、民間の書写など、唐時代の優品全105件が集められた。東博会場にはおもに「製本」と呼ばれる碑や刻石の全体が見られる巨大な拓本、書道博物館では製本を文字毎に切り離して仕立てた「剪装本」が中心に展示されている。書については語る知識を持たないのだが、学芸員解説で伺った拓本の話が興味深かった。すなわち、唐代中国の肉筆の書はほとんど残っておらず、石碑などに刻まれたかたちで残されている。人々はこれを拓本にとることで書の手本としたこと。人気のある碑は拓本をとられすぎて摩耗しており、そうするときれいな拓本が取れないために後代に補刻されることがあること。拓本にとられた文字の摩耗の具合や、後代の補刻(しばしばオリジナルとは違ってしまっている)を比較することで、拓本がとられた時期を推定できること、などである。いずれも複製品とはいえ古い時代の拓本ほどオリジナルの書に近く、価値があるという。また優れた書の複製をつくるために、木の板や石に手本を刻み、拓本の技法で複製する方法(模刻)が行なわれてきた。白黒は反転するものの、通常の版画技法と異なり紙を版に乗せて上から墨で写しとるために、文字を刻むときに反転させる必要がない。拓本は印刷や写真が発達する以前におけるすぐれた複製技術なのだということを知った。[新川徳彦]

関連レビュー

趙之謙の書画と北魏の書──悲 没後130年:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2016/01/31(日)(SYNK)

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ようこそ日本へ──1920-30年代のツーリズムとデザイン

会期:2016/01/09~2016/02/28

東京国立近代美術館[東京都]

19世紀からはじまった鉄道・船舶の発達は、遠距離移動の時間を短縮し、その費用を低下させ、人々にとってレジャーとしての旅行を身近なものにしてきた。依然として費用が掛かったとはいえ、外国旅行は冒険ではなくなった。鉄道会社や船会社ばかりではなく、トーマス・クックのような旅行業者の登場で、旅行はパッケージ化されていく。他方で業者間の競争が激しくなってくると、鉄道会社も船会社も自社の路線を人々に知らしめてより多くのサービスを利用してもらうために、さまざまな手段を試みた。サービスの改良はそのひとつだが、視覚的アイデンティティ形成の努力も不断に行なわれた。名所旧跡を描き込んだ路線図やポスター、パンフレットなどの制作はその現われだろう。企業によるこうした努力は世界的な現象で、19世紀後半から登場するイギリス鉄道やロンドン地下鉄の観光ポスター、20世紀初頭のスイスの観光キャンペーンポスター、カッサンドルの有名な《ノルマンディー号》ポスター、吉田初三郎による日本各地の観光鳥瞰図等々はそうした流れのなかで登場してきたグラフィックデザインである。ではそうしたグラフィックにはどのようなイメージが用いられたのか。需要が国内に限定される鉄道の場合は比較的わかりやすいと思う。当時の日本人が抱いていた観光イメージを日本人のデザイナーがデザインするからだ。対してシベリア鉄道によってヨーロッパとつながった南満州鉄道や、外国航路を運行する船会社の場合、海外から日本に来る人々も広告のターゲットになる。東西両洋のまなざしに晒されるポスターにおいて、日本はどのようなイメージを発信していたのだろうか。
展示を見る限りでは、具体的な傾向を見ることはなかなか難しい。満鉄をとってみても、エキゾチックな満州美人を描いた伊藤順三によるポスターもあれば、春田太治平によるアール・デコ風のポスターもある。船会社のポスターも同様にモチーフや様式は多様で、もう少し詳細な分類と分析が必要と思われる。それに対して、展示後半の国際観光局のポスターのイメージは比較的はっきりしている。1930年4月に設置された同局の目的は、観光産業の振興、観光を通じた国際親善、外貨獲得にあった。伊東深水、川瀬巴水、上村松園、中村岳陵、堂本印象らを起用したポスターが、欧米人にとっての日本イメージを目指したものであることは明白である。そこには日本人がイメージするこれからの日本とは異なる世界がある。これは杉浦非水が日本向けのものとして描いたモダン都市としての日本のイメージと、川瀬巴水が輸出向けの新版画に描いた古き日本の風景との対比で考えるとわかりやすいかも知れない。自分たちがどのようにありたいのかということと、他者にどのように見られているかとのあいだには常にギャップがある。本展を企画した木田卓也・東京国立近代美術館工芸課主任学芸員は、日本の観光イメージを「帝国の内と外、自己と他者の両方に向けて発信された『自画像』」であると述べる。観光ポスターに描かれたモチーフやデザインの様式のありかたには、自身を見つめるまなざしの揺らぎ、自身を映し出す鏡としての国際関係の変化が反映していると考えられようか。[新川徳彦]

2016/01/26(火)(SYNK)

1920~2010年代 所蔵工芸品に見る 未来へつづく美生活展

会期:2015/12/23~2016/02/21

東京国立近代美術館工芸館[東京都]

「美生活」とはなんだろう。工芸館のニュースリリースを読むと「美生活」とはこの展覧会のために創作した言葉とある。展示されている作品は、所蔵作品を中心とした約100点。時代は1920年代から2010年代までの約100年。タイトルには「未来へつづく」とあるので、その射程はまだ見ぬ時代をも包含していることになる。作品のほとんどは名をなした近現代の工芸家のもので、伝統工芸における職人仕事ではない。つまり、近現代の工芸家たちがものづくりにおいて思い描いていた(同時代より少し先の)未来の生活が「美生活」における主題と考えていいだろうか。展示前半ではとりわけて素材や技術の点で丁寧な仕事をしている近現代の工芸家の作品が紹介され、後半では1920年代のモダンなスタイル(アール・デコ様式といってもよい)の工芸品が並ぶ。その先には中原慎一郎氏(インテリア・デザイナー)によるモダニズムをテーマとして所蔵品を用いたインスタレーション。そして、皆川明氏(ファッション・デザイナー)による現代のテキスタイルと工芸館の所蔵作品とのコラボレーション展示へと続く。技術と表現、そして表現の根底にあるモダンな暮らしのイメージは、スタイルの引用ではなくものづくりに対する姿勢の継承というかたちで、現在そして未来へとつながっていることを感じさせる。言葉にするのは難しいのだが、会場の空気、展示から伝わる印象はとても好ましい。[新川徳彦]

2016/01/26(火)(SYNK)

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サカツ コレクション 日本のポスター芸術──明治・大正・昭和 お酒の広告グラフィティ

会期:2015/12/05~2016/01/24

八王子市夢美術館[東京都]

飲料・食品商社のサカツコーポレーションが収集した明治末期から大正、昭和初期のポスターコレクションから85点が、「ビール」「日本酒」「ワイン・調味料」「清涼飲料水」の4章に分けて紹介されている。印象的なのは、いずれの商品ジャンルでもいわゆる美人画が大部分を占めていること。調味料や清涼飲料水で、そのターゲットである女性や子どもたちがモチーフとなることは当然と思われるが、男性が主要なターゲットと思われるビールや日本酒などでも女性、とりわけ芸者の姿が多く見られる。これは男性の目線を集めるための美人画なのか、それとも当時のポスターデザインにおける文法なのだろうか。筆者の管見の限りでしかないが、昭和初期の新聞におけるビールの広告には男性像が多いという印象がある。このあたり、媒体の違いによるモチーフの相違を考察してみるのも面白いかも知れない。もうひとつ、美人画ばかりの各種メーカーのポスターに、はたして販促効果があったのかどうかも知りたいところ。ポスターの背景や女性の着物、小道具にそれぞれのメーカーのイメージや名称が判じ絵のように埋め込まれていたりはするのだが、それらはどれほど消費者に特定のメーカーの酒を手に取らせる役に立っていたのだろうか。[新川徳彦]

2016/01/24(日)(SYNK)

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