artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
「クリエイションの未来展」第6回 宮田亮平監修「いきものたち」展
会期:2015/12/05~2016/02/23
LIXILギャラリー[東京都]
4人のクリエーターを監修者に迎え、3カ月ごとの会期でそれぞれが設定したテーマによって開催される「クリエイションの未来展」。2014年9月から同じ監修者で始まった企画展が一巡し、2015年9月から2巡目が開催されている。9月に開催された第5回では、清水敏男氏(アートディレクター)を監修者に「未来食 食に関する3つのストーリー」と題して、間島領一氏のまな板にのった深海魚のオブジェや、謝琳氏の砂糖を用いた彫刻の写真が展示されたほか、農学博士・品川明氏を交えて食を巡るトークが開催された。深海魚は地上の食料が枯渇するであろう未来の食、そして砂糖は甘いそのイメージとは裏腹に、奴隷制の歴史を背負った食べ物だ。
シリーズ第6回は宮田亮平氏(金工作家)の監修による「いきものたち」。3カ月の会期を金属と木彫の二期に分けている。第一期(金属)では宮田亮平氏、丸山智巳氏、相原健作氏らの作品、第二期(木彫)では、深井 氏、土屋仁応氏、中里勇太氏ら、いずれも東京藝術大学出身作家による幻想的なイメージの彫刻が並ぶ。それぞれの作家にとっての「いきもの」の解釈の違いが興味深い。[新川徳彦]
2016/01/15(金)(SYNK)
中澤岩太博士の美術工藝物語──東京・巴里・京都
会期:2016/01/12~2016/02/27
京都工芸繊維大学 美術工芸資料館[京都府]
1902(明治35)年、京都高等工芸学校(現:京都工芸繊維大学)は、デザインの高等教育のため、国立の教育機関として三番目に設立された。美術工芸の近代化を図る地元の産業界の要望を受け、その創立を実現させたのが初代校長の中澤岩太(1858-1943)であった。本展は、工学博士/化学者・中澤の美術工芸に関わる業績を振り返る初めての展覧会。東京ではゴットフリート・ワグネルを補佐して窯業のほか多様な近代産業技術の革新に寄与、パリでは1900年の万博を実見し日本のデザインの刷新を図るべく、同校の教育用として西洋のデザイン資料の購入を浅井忠に依頼する。以後京都の美術工芸界では、図案と技法を研究しその成果発表の場を行なう四団体(京都四園)を立ち上げ、地場産業の活性化に貢献した。興味深いのは、デザイン教育で「科学と芸術の融合」を図った中澤自らも絵画・書・美術工芸を嗜む多才な人物であったこと。本展の見どころのひとつは、中澤自身の見応えある書画《宝珠》。同校の教員であった浅井忠や武田五一の作品に留まらず、彼の芸術家との交友関係(小山正太郎、松岡寿、富岡鉄斎)を示す資料も展示されている。さらに、中澤が率先して収集した西欧のアール・ヌーヴォーのデザイン(陶磁器・ポスター類)も多数あり、当時のデザイン改革に尽力した、中澤の熱き思いを感じることができる。[竹内有子]
2016/01/12(火)(SYNK)
酒井稚恵 展
会期:2016/01/09~2016/01/17
楽空間 祇をん小西[京都府]
布を使かった立体作品やインスタレーションで知られる美術家、酒井稚恵の個展。《幕、きれば》というおめでたいタイトルの紅白幕の作品がギャラリーの町家空間を華々しく飾る。しかし、襖の裏側には白と浅葱色の縞、浅葱幕の作品が。作家自身が作品に寄せた言葉には、「幕、きれば、はじまり」とあり、「幕、きれば、おわり」ともある。シャンパンやファンファーレではじまりを祝い、火と涙でおわりを悼み、どちらにしても「あくびをして眠る」という。このように、いかにも詩的でファンタジックなメッセージが添えられているものの、作品自体はむしろ物質的である。酒井の作品は、水玉や縞、格子といった布の柄を規則的に糸で縫い絞るというもので、その様子は絞り染めの製作過程に似て、緻密な手作業の集積が魅力である。坪庭を挟んだ奥の部屋には、赤いギンガムチェックのシャツによる作品、《しあわせサンクチュアリ》が置かれた。それぞれ赤い部分を絞ったシャツと白い部分を絞ったシャツが半球状に吊るされてくっついて浮かぶ。一年のはじまりにふさわしい、清々しい展覧会であった。[平光睦子]
2016/01/11(月)(SYNK)
杉浦非水・翠子展──同情(たましい)から生まれた絵画と歌
会期:2015/10/24~2016/01/11
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館[東京都]
杉浦非水の作品はもちろん何度も見たことがある。展覧会にも足を運んでいる。にもかかわらず、恥ずかしながら非水の人間的側面はほとんど知らなかった。なぜだろう。おそらく非水の仕事が個人の作品として評価されるばかりではなく、それらが余りにも時代を象徴しているがゆえに描かれた風景・人・ものと同時代の社会や文化との関わりで語られ、提示されることが多いからではないだろうか。地下鉄開通や三越のポスターなど、非水の名前を知らずとも見たことがある人はたくさんいるに違いない。という勉強不足の言い訳はさておき、本展はデザイナー・杉浦非水(1876~1965)と歌人・翠子(1885~1960)夫妻のふたりの世界に焦点を当てた展覧会。「同情」とは、非水が結婚前に翠子に宛てた手紙に書かれた言葉。明治35年12月24日には「僕は君の同情者君は僕の同情者互に同情の先端が相触れてこゝに誠の情焔が燃え上がりこゝに縁の火花が散る……」とある。なんと情熱的なことか。展示ではふたりの生い立ち、出会いと結婚からはじまり、図案家・非水と歌人・翠子のそれぞれの仕事、そして非水が装幀した翠子の歌集や小説、非水が画を描き翠子が短歌を認めた掛け軸や色紙などが紹介される。本展が渋谷区の郷土博物館で開催されたのは、非水・翠子夫妻が明治39年以来渋谷区に住んでいたから。残されている写真を見ると、夫妻がその作品でのみならず、自らがモダンな都市生活の実践者であったことがわかる。本展図録には解説解題、作品画像のみならず、夫妻が交わした書簡の書き下しも多数収録されており、基礎的な文献として充実の内容。非水の作品集の横に置いておこう。[新川徳彦]
2016/01/11(月)(SYNK)
山本爲三郎没後50年 三國荘 展
会期:2015/12/22~2016/03/13
アサヒビール大山崎山荘美術館[大阪府]
民藝運動のパトロンであった山本爲三郎(アサヒビール初代社長)が、大阪・三国の地に移築した「三國荘」をめぐる展覧会。まだ駒場に日本民藝館が立てられる前の1928年、柳宗悦(1889-1961)ら民藝運動のメンバーたちは自らの思想を実際の民藝品をもって展示するために、御大礼記念国産振興東京博覧会にパビリオン「民藝館」を出品した。これが移築後に「三國荘」と名付けられ、民藝運動の重要な拠点となる。ここで同運動に共鳴する人々の集まりを通じて、日本民藝館の創立が実現の運びと相成るからである。もちろん、三國荘とその調度品の一部は民藝運動の同人の作品でありながら、山本の自邸として敷地内に移築されてからは居住と生活の場でもあった。戦後、三國荘は山本家のもとから離れ個人の所有へ渡るが、その家具什器の一部は大山崎山荘美術館のコレクションとなっている。本展の見どころはなんといっても、三國荘の室内を再現した展示。その応接室と主人室は、民藝の同志たちの作品と日本のみならず世界から収集された民芸品からなっているが、西洋と東洋のものが渾然一体となりながら、ひとつの統一された世界観が成立しているのにあらためて感じ入る。当時、民藝の同人たちが集った応接室は、選定された調度品を山本家が実生活で使い、同運動の理想を体感していた芸術的空間だったのだから、なんとも羨ましい。[竹内有子]
2016/01/10(土)(SYNK)