artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし

会期:2015/10/10~2015/11/29

サントリー美術館[東京都]

久隅守景(くすみもりかげ)は寛永年間から元禄期にかけて活動した絵師であるが、生没年も、どの時期にどの地で活動していたのかもはっきりしない「謎の絵師」である。はっきりしているのは、守景は狩野探幽(かのうたんゆう)の弟子で、探幽の姪を娶って狩野一門のひとりとして地歩を固めたにもかかわらず、なんらかの理由で狩野派を離れたという点である。子どもたちの不祥事がその原因とされている。守景の娘・雪(清原雪信、1643〜1682?)も探幽に学んだ女性絵師であったが、同門の男性と出奔。息子の彦十郎(狩野胖幽、1650〜1730)もまた探幽に学んだが、悪所通いを理由に破門され、また同門の絵師との諍いが原因で佐渡に島流しになっている。本展タイトルに「逆境の絵師」とある所以である。
 展示第1章は狩野派絵師としての守景。第2章は古典に取材しながらも独自の変容を加えた《四季耕作図》。第3章は探幽のもとを離れ、加賀、京都へと移ったとされる晩年期の作品である。第4章は人物・動物・植物などのモチーフ。そして第5章は守景の子どもたち──雪と彦十郎──の作品。すなわち、「作品」と「謎」と「逆境」が綾なす構成である。
 守景独自の変容とはなにか。他の狩野派の絵師との違いのひとつは、たとえば通常の屏風形式の《四季耕作図》では四季が右から左へと展開するところを、守景は多くの場合左から右へと描いている点である。もうひとつは、先行する粉本には見られない人物や動物たちが描き込まれていること、そして、農業以外の四季折々の人々の暮らしぶりがふんだんにとりあげられていることである。もともと中国を発祥として、為政者が自らを戒めるために描かせた鑑戒画の主題に、日本的な風景表現を取り込んでいるのである。また、モチーフ選択の独自性に加えて、人々や動物たちを見る守景の視線にもまた独自性──身近なものへ寄り添うまなざし──があるという。そのことを念頭におくと、《四季耕作図》から納涼図に連なる守景作品のディテールはとても興味深い。その他の作品でも、《十六羅漢図》に描かれた動物たち──とくに羅漢に耳かきをしてもらっている龍の気持ちよさそうな眼、羅漢の足下でじゃれ合う二匹の虎や、振り返って羅漢と目線を合わせる獅子の表情など──はとても楽しく見ることができる。近江国米原の筑摩神社で行なわれた鍋冠祭を題材とした《鍋冠祭図押絵貼屏風》の美女とおかめの対比も面白い。もっともこの面白さは現代の視点から見た筆者の感想であり、守景作品の需要者であった江戸時代の武士たちはこれらの絵にどのような感想を抱いたのであろうか。
 チラシと図録のデザインにも触れておこう。どちらも眼を惹くのは丸みを帯びた書体による「久隅守景」のタイトル──筑紫丸ゴシック体をベースにしているようだ。チラシの地のテキスト、図録の本文にもまた筑紫丸ゴシック体が使われている。図録表紙は国宝《納涼図屏風》の拡大図。その上からオペークホワイトが刷られたトレーシングペーパーのカバーがかけてあるが、人物像の部分はオペークホワイトが切り抜かれており、親子3人の姿がトレーシングペーパーを透かして浮かび上がってくるつくりになっている。書体の選択にも、造本にも、守景の「親しきものへのまなざし」のイメージがよく表現されている。優れているのはデザインだけではない。図録に作品の全体像が収録されていることは当然であるが、一つひとつの作品をできるかぎり大きく見せるべく見開きのレイアウトや図版の折り込みが多用されている。またディテールのクローズアップも多数あり、守景の「まなざし」を細部まで見ることができるのだ。人物相関図、落款の変遷が収録されているほか、文献リストも充実しており、展覧会図録としてだけではなく久隅守景の作品集として現時点でベストのものを目指したという池田芙美・サントリー美術館学芸員のコメントに納得する内容だ。[新川徳彦]

2015/10/09(金)(SYNK)

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琳派イメージ展

会期:2015/10/09~2015/11/23

京都国立近代美術館[京都府]

今年の京都は琳派400年を記念した企画が目白押しだが、本展もそのひとつ。琳派の影響が色濃い近現代の絵画、工芸、版画、ファッション、グラフィックなど80件を紹介している。出展作家は、加山又造、田中一光、神坂雪佳、十五代樂吉左衞門、冨田渓仙、上村淳之、池田満寿夫、福田平八郎など。展覧会末尾にはマティスの作品もあったが、これはいかなる解釈だろうか。マティスは極端にしても、「この人が琳派?」と首をかしげる作品がいくつかあり、我田引水の感を抱いた次第。その一方、「自分はどれほど琳派を知っているのか」と自省することもしばしば。私淑で受け継がれてきた琳派は、そもそも曖昧な部分を持っている。しかし、それを言い訳にするのは良くないだろう。筆者にとって本展の意義は、我が身を振り返る機会を得たことだ。

2015/10/08(木)(小吹隆文)

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古代エジプト美術の世界展 魔術と神秘 ガンドゥール美術財団の至宝

会期:2015/10/06~2015/11/23

渋谷区立松濤美術館[東京都]

スイス・ジュネーブで活動するガンドゥール美術財団が所蔵する古代エジプト美術コレクションから、大小の彫刻、石碑、レリーフ、アミュレット(お守り)など、いずれも日本初公開となる約150点を古代エジプト人の生活・信仰・精神世界の視点から「魔術と神秘」を主題に「ヒエログリフの魔術」「素材の魔術」「色の魔術」の三つの章に構成して展示している。松濤美術館でのエジプト美術の展覧会は初めてとのこと。展示室はいつもと違った雰囲気になっている。展示の監修は、ニューヨーク・メトロポリタン美術館、ブルックリン博物館を経て現在はガンドゥール美術財団の考古美術部門長を務めているロバート・スティーヴン・ビアンキ博士。展示パネル、図録のテキストは丁寧に書かれていて、(筆者のように)古代エジプト美術になじみのない者にも、動物を模った神の姿、素材や色彩の意味がわかりやすく解説されている。展示品には多数のアミュレット(護符・お守り)が含まれている。そのサイズは小さいものでは1センチ前後、大きいものでも数センチ。図録にはその写真が大きく引き伸ばされているのだが、写真を先に見てしまうと実物がそれほど小さいものとは信じられないほど精緻に細工されている。素材は金や銀などの貴金属、貴石、あるいはファイアンス(陶器)。これらの品々が3000年から4000年前(日本では縄文から弥生時代にあたる)につくられたことを思えば、古代エジプト文明の技術力と造形力の高さに感嘆させられるばかり。2階展示室にはミイラの木棺や花崗岩や石灰岩の大きめの彫刻が展示されている。なかでも《ホルエムアケトの人型の棺》はかつてイヴ・サン=ローランのコレクションだったという興味深い来歴のものだ。レバノン杉から彫り出された棺は現在は木の地のままだが、かつてその顔は金箔で覆われていたらしい。どのようにしてサン=ローランの手に渡ったのだろうか。
 ヒエログリフ、動物神、さまざまな儀式を描いたレリーフに見られる独特のイメージは、貴金属としての価値、あるいは歴史的、骨董的価値や知識を知らなくても、ヨーロッパの人々(もちろん日本人も)を魅了してきたことは想像に難くない。本コレクションを所蔵するガンドゥール美術財団の創設者ジャン・クロード・ガンドゥール氏もまた幼少の頃からその魅力に取り憑かれ、コレクションを形成してきたという。ガンドゥール氏はオイルビジネスで財をなしたスイスの実業家で、『Forbes』誌によれば2015年には世界894位の億万長者となっている(スイスでは20位)★1。2010年に設立された財団には古代エジプト美術を含む考古美術部門の他に、戦後ヨーロッパ絵画、中世から近代までの工芸がコレクションされているという。
 東博で開催されたエジプト展(クレオパトラとエジプトの王妃展、2015/7/11~9/23)や森アーツセンターで開催されているエジプト展(国立カイロ博物館所蔵 黄金のファラオと大ピラミッド展、2015/10/16~2016/1/3)と比べると、本展はプロモーションの点でやや地味な印象があるが、先に巡回した北海道立旭川美術館では3.5万人、福井県立美術館では7万人近い入場者があったとのこと。松濤美術館展のあとは、群馬県立館林美術館に巡回する(2016/1/5~3/21)。[新川徳彦]


地下1階展示室


2階展示室

★1──Jean Claude Gandur - Forbes URL=http://www.forbes.com/profile/jean-claude-gandur/

チラシクレジット=(c) Foundation Gandur pour l'Art, Geneva, Switzerland. Photographer: Sandra Pointet 

2015/10/05(月)(SYNK)

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有田焼創業400年記念 明治有田超絶の美 万国博覧会の時代

会期:2015/09/05~2015/10/04

そごう美術館[神奈川県]

17世紀初頭に有田で磁器が焼かれはじめて400年。2016年にかけて佐賀県・有田町を中心にさまざまな事業が予定されている。本展もそのひとつで、明治期の有田焼と万国博覧会、そして輸出向工芸品の図案集としてつくられた『温知図録』との関係にスポットをあてた企画である。展覧会図録の帯には「明治のクール・ジャパン」の文字が躍っていることから、これも明治の美術工芸品再評価の流れにある展覧会といえよう。日本政府が初めて参加した1873(明治6)年のウィーン万博に、有田焼は多数が出品されている。その後も政府の殖産興業政策のもとにフィラデルフィア万博(1876[明治9]年)、第3回パリ万博(1878[明治11]年)にも出品し海外で高い評価を受けた。こうした流れのなかで有田に設立されたのが香蘭社(1875[明治8]年設立)で、その後、精磁会社(1879[明治12]年、香蘭社から分離)、深川製磁(1894[明治27]年設立)といった企業が設立されて、明治期の輸出陶磁をリードしていった。本展ではこうした企業と製品、図案によって、明治期有田焼の盛衰を辿っている。同時期の有田焼デザインの特徴は展覧会タイトルにもあるように「超絶の美」。他の明治工芸にも共通することだが、非常に細かい──超絶的な──絵付けが施された製品が生み出され、海外に輸出されていった。展覧会会場に並んだ製品の数々からは、同時代の高い技術水準がうかがわれる。
 さて、近年明治期の美術工芸品の再評価が進んでいる背景には、これら海外輸出向けにつくられた製品を海外で蒐集し、里帰りさせてきたコレクターたちの努力の結果でもある。国内に残されたものが少なく、これまで評価の俎上に載りにくかった製品が里帰りによって人々の目に触れる機会が増え、その特異な意匠と「超絶的な技巧」に注目が集まっている。ただし、国内向け陶磁器の意匠の変化はずっと緩やかであったことは留意しておきたい。「明治維新に伴う西洋化が国民の生活様式を庶民レベルまで一気に変えることはなく、国内向けの食器類は幕末からの様式をそのまま引き継いでいる」。そして「明治の精磁会社によって製作された一連の優れた洋食器は、皇族や新政府要人たちのために作られた特異な需要であり、一般社会に洋食器が定着した訳ではない」のである★1。歴史の分野では江戸から明治にかけては断絶よりも連続性が強調されている昨今、それでも明治の美術工芸がこの時代に特異な存在であるのは国内向けから海外向けへという市場の急激な変化への生産者の対応の結果であること、そしてその隆盛が海外需要の変化へ対応の失敗により明治後期には衰退に至ったことは、このような展覧会ではもっと強調されてもよいように思う。[新川徳彦]

★1──鈴田由紀夫「明治有田の変遷──銘款を中心として」(『明治有田 超絶の美──万国博覧会の時代(論考集)』西日本新聞社、2015、8頁)。

2015/10/03(土)(SYNK)

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アート オブ ブルガリ──130年にわたるイタリアの美の至宝

会期:2015/09/08~2015/11/29

東京国立博物館[東京都]

2014年に創業130周年を迎えたイタリアのハイジュエリーブランド、ブルガリ。そのアーカイヴと個人コレクションから、約250点のジュエリー、時計を紹介する展覧会だ。ブルガリというブランドは、ギリシャで代々銀細工師の家に生まれたソティリオ・ジョルジス・ブルガリが1884年にイタリア・ローマに移り、システィーナ通りに開いた店を起源とする。展示は創業者ファミリーが手がけた銀製の装飾品から始まり、1920年代のアールデコ、そして現代に至るまで、メルクマールとなったデザインが編年的に取り上げられている。展示を見るとブランドを確立するのは1950年代からだろうか。それまでのパリと同様のスタイルのジュエリーから離れ、さまざまなカラーの石を使った独自のスタイルを確立してゆく。また同時期はイタリア映画全盛期で、チネチッタ撮影所に集まった女優たちにブルガリのジュエリーは愛されたという。女優たちのなかでも本展で大きく取り上げられているのはエリザベス・テイラー。チネチッタで撮影された映画「クレオパトラ」の衣装、彼女が身につけたジュエリーなどが展示されている。
 会場はこれまでにもたびたびハイブランドの展覧会会場に用いられてきた東京国立博物館表慶館。明治末期を代表する洋風建築と歴史あるブランドの展示はよく似合う。中央ドーム天井には色とりどりのジュエリーをモチーフにした万華鏡のような映像のプロジェクションマッピング。両翼階段室の壁面にはローマの街と代表的なジュエリーの映像が映し出されている。2階中央の回廊にはブルガリの腕時計「ブルガリ・ブルガリ」とその原型となった「ブルガリ・ローマ」の展示があり、吹き抜けから円形のエントランスホールを見下ろすと、そこが古代ローマのコインをモチーフにした「ブルガリ・ブルガリ」のフレームを模して装飾されていることがわかる。ということは、両翼に拡がる展示室は腕時計のベルトに見立てられているということになろうか。[新川徳彦]

2015/09/30(水)(SYNK)

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