artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
ヒロシマ・アピールズ展
会期:2018/08/04~2018/09/09
毎年8月になると、否が応でも、戦争について考えざるをえないムードに包まれる。8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日、そして8月15日が終戦記念日。奇しくもお盆と時期が重なることから、8月前半は多くの戦没者に黙祷する日々が続く。とはいえ、私はこうしたムードは嫌いではない。
広島の原爆に関しては、小学生の頃に読んだ漫画『はだしのゲン』が私の原体験となった。描写が過激、残酷など賛否両論をいまだに巻き起こしている漫画であるが、私はすこぶる名作であると絶賛したい。この漫画のおかげで、私は原爆の恐ろしさと惨たらしさを身をもって知り、戦中戦後のどんな苦難においても「麦のように」たくましく生き抜いていく強さを教わった。熱中しすぎて、小学生ながら「原爆ドームを見てみたい」と両親に頼み、広島へ家族旅行に連れて行ってもらった思い出もある。今にして思えば、これはある種のオタク的な“聖地巡礼”だったのだろう。
そんな原体験を持つ私としては、本展は見逃せない展覧会だった。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)とヒロシマ平和創造基金、広島国際文化財団が、純粋に中立な立場から「ヒロシマの心」を訴えることを目的に、JAGDA会員のグラフィックデザイナー1人が毎年、無償でポスター1点を制作。それを歴代の広島市長に贈呈するほか、国内外に向けて頒布する活動を行っており、その1983年から2018年までの全21点が紹介された。何より、1983年の第1回ポスターを制作したのは亀倉雄策である。それは無数の美しい蝶が炎を被って燃え落ちていくという、ファンタジーと恐怖を併せ持ったポスターだった。このポスターに敬意を払いつつも、この偉大な壁をいかに超えるかが、きっと次の年から課せられた目標だったに違いない(この構図は、東京オリンピックポスターとどこか似ている)。さて、21点のポスター表現は種々様々だった。このうち何かが誰かの心に響き、原爆に関心を少しでも持つきっかけになればいいと思う。ポスターと漫画では媒体が違うとわかっているが、願わくば、小学生の頃の私を強く突き動かした『はだしのゲン』のように……。1点1点のポスターにじっと見入りながらも、ふと目線を外すと、壁から天井にかけて雲が棚引く青空の壁紙が貼られているのに気づいた。それを眺め、あぁ、広島に原爆が落ちた日も空は青かったんだよなぁとしみじみした。
公式ページ:http://www.2121designsight.jp/gallery3/hiroshima_appeals/
2018/08/04(杉江あこ)
没後50年 河井寬次郎展 ─過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今─
会期:2018/07/07~2018/09/16
パナソニック汐留ミュージアム[東京都]
力強い、そんな印象だった。これまでに河井寬次郎の作品は日本民藝館でしか観たことがなかった。同館のコレクションは柳宗悦の目によって選ばれたものということもあり、どこか品の良さを湛えた作品が多い。ところが、本展で作陶初期から後期までの作品、さらに木彫やキセル、家具、言葉などを併せて観ると、河井へのイメージがずいぶん変わった。おそらく器用ゆえにいろいろな作風ができてしまうのだろうが、そこに通底するのは、河井の人間力とも言えるどっしりとした力強さのような気がした。
まず、河井が、初期に中国や朝鮮の古陶磁に倣った作品を焼いていたことには驚いた。しかしその後、柳や濱田庄司とともに民藝運動を推進するようになり、自身の作品にも「用の美」を追い求めるようになる。戦争を挟んで作陶をいったん中断し、戦後には自身の内面から湧き出る創作意欲を次々と形に表わしていく。河井の作品が輝きだすのは、このころからだ。素朴だけど重厚な形状に、色鮮やかな釉薬を巧みに使った独特の模様。この色鮮やかな釉薬使いは、東京高等工業学校窯業科を卒業後、京都市立陶磁器試験場で技手として研鑚を積んだたまものであろう。焼物はある意味、化学だ。同試験場で身につけた化学的知識が、河井の表現の幅を広げたに違いない。
なかでも特に目を引いたのは、木彫である。そもそもは自邸を建築した際に余った木材を使って彫り始めたもので、仏師にイメージを伝えて下彫りをしてもらい、河井が仕上げ彫りをしていたという。木彫りは焼物のように色鮮やかな釉薬を使わない分、彫りによる造形がじかに伝わってくる。しかも焼物よりも複雑な造形が可能だ。それゆえ何とも言えない力がみなぎっており、圧倒された。また、作陶を中断せざるをえなかった戦中にこつこつと書き溜めたという、短い詩句も心に響いた。「暮らしが仕事 仕事が暮らし」「新しい自分が見たいのだ──仕事する」「此世は自分をさがしに来たところ 此世は自分を見に来たところ」など独特の言い回しから、河井の人間性が伝わってくる。こうした焼物以外の作品に触れることで、河井の焼物も初めて理解できたような気がした。
公式ページ:https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180707/index.html
2018/07/14(杉江あこ)
サンダーソンアーカイブ ウィリアム・モリスと英国の壁紙展─美しい生活を求めて
会期:2018/07/07~2018/08/26
群馬県立近代美術館[群馬県]
「役に立つのかわからないもの、あるいは美しいと思えないものを、家の中に置いてはならない」。英国を代表するデザイナー、ウィリアム・モリスの言葉である。やや原理主義とも取れる強い言葉だが、それに納得させられるくらい、モリスがデザインした壁紙の数々は美しかった。猛暑のなか観に行ったかいがあったと思えた。モリスといえば、産業革命により粗悪な大量生産品があふれた世の中を嘆き、伝統的な職人の手仕事を賞賛した「アーツ&クラフツ運動」の先導者として知られる。この運動を語るとき、モリスは世界中に多大な影響を与えた思想家というイメージがともなうが、そもそもは自身の生活空間を良くしたいという純粋な気持ちから、彼のデザインは始まっている。
モリスは結婚を機に新居「レッド・ハウス」を建て、そこで快適な生活空間には壁紙が欠かせないと気づき、木版(ブロック・プリント)による壁紙を生み出した。「部屋に何を置くにしても、まず壁をどうするか考えよ。壁こそが家を本当の住まいにするからだ」という言葉をモリスは残している。最初にデザインした壁紙《トリレス(格子垣)》は、新居の庭にあったバラの生け垣がモチーフとなった。満開に咲き誇る真っ赤なバラ、生い繁る葉、いかにも鋭い棘、バラの蜜を吸う虫、その虫を狙う鳥……。生け垣のワンシーンを切り取り、写し取った壁紙からは、バラと虫と鳥たちの密やかな物語が感じられる。新婚生活を送るかたわら、その生け垣をじっと見つめたモリスの温かな気持ちまで伝わってくるようだ。
鋭い観察力をもとに、動植物の曲線的な美しさを存分に生かし、それを完璧な構成でパターンに起こしたモリスのデザイン力にはあらためて感心した。当時はまだ木版が主流の時代である。版と版が連続した際の全体像を想定してデザインを起こさなければならない。と同時に、装飾は何のためにあるのかをあらためて考えさせられた。家の中を美しく飾るという目的だけでなく、モリスはおそらく何かしら物語のあるモチーフをパターン化し、その物語を人々と共有したのではないか。だからこそ、時代を経たいまもモリスがデザインした壁紙に多くの人々が惹きつけられるのだ。
本展、欲を言えば、壁紙が空間に収まった様子をもう少し観たかった。二つの空間が再現されていたものの、まだ物足りない。壁紙は絵のようにして観るものではなく、壁に張られて眺めるものなのだから。
公式ページ:http://mmag.pref.gunma.jp/exhibition/index.htm
2018/07/14(杉江あこ)
Layerscape 柳原照弘展
会期:2018/07/04~2018/08/07
クリエイションギャラリーG8[東京都]
デザイナーの柳原照弘の仕事を、一部だがよく知っている。それは佐賀県有田焼創業400年事業の「2016/」プロジェクトだ。私自身も同事業に一部携わったため、端々で「2016/」の噂を聞いていた。「2016/」とは、有田焼の窯元と商社16社と、オランダを中心とする8カ国16組のデザイナーとが協業し構築したひとつのブランドである。柳原はこれのクリエイティブ・ディレクターを務めた。2016年4月には全部で300以上のアイテムを開発し、ミラノ・サローネで商品発表をして好評を得たことで知られている。注目したいのは、むしろそのプロセスだ。デザイナー陣が2度にわたり、各1週間ほど有田町の古民家に滞在し、産地視察や事業者との意見交換、また商品開発の打ち合わせなどに費やした。滞在日程や日数は各々が自由に決めたことから、なかには1カ月ほど有田町に滞在したデザイナーもいたという。有田町を世界中のクリエイターが集まるプラットフォームへと導いたのである。
柳原のベースにつねにあるのは「デザインする状況をデザインする」という考えだという。この言葉の意味を考えるとき、「2016/」のプロセスを思い返す。柳原は徹底的に協調型のデザイナーなのだ。人と人とが信頼関係を構築することをむしろ楽しんでいるようにも思える。
本展は、人と物と空間とが結びついたとき、どのような状況が生まれるのかを実験したような展覧会だった。最初の展示室には、人物の上半身写真がプリントされた紙が何枚も吊るされていた。それらはなんとなく人物写真に見えるのであって、本当のところはわからない。なぜなら完全にピントをずらした“ピンボケ”写真であるからだ。このぼんやりした人物写真の合間を縫って、来訪者が室内をウロウロとすることで、虚像と実像が混じり合う。
奥の展示室は3枚の布で大きく区切られていた。この布が光によってモアレを起こし、ぼんやりと透けて見える向こう側を不思議な空間へと誘う。布の向こう側へ回ると、柳原がこれまでにデザインした実験的なプロダクトが展示されていた。「2016/」の技術革新に挑んだ磁器もあれば、目の錯覚を起こすようなガラス製品もある。柳原は本展を「平面と空間の境界線を探る旅」と言う。二次元と三次元を混濁させ、人と物と空間までも混濁させる。そうして既成概念をいったんゼロに戻したときに初めて見える、または起こる何かを、柳原はデザインの手がかりとしているのかもしれない。
公式ページ:http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/201807/201807.html
2018/07/04(杉江あこ)
特別展「縄文─1万年の美の鼓動」
会期:2018/07/03~2018/09/02
東京国立博物館 平成館[東京都]
とにかく迫力いっぱいであった。かの岡本太郎が「縄文の美の発見」として、縄文土器に「いやったらしい美しさ」を見出したことは有名だ。それ以前にも柳宗悦、芹沢銈介、濱田庄司といった民藝運動の人らが縄文土偶を愛玩したことが本展で紹介されている。彼らをはじめ、縄文土器や土偶に惹かれる美術家や作家、工芸家は案外と多い。いったい何が彼らを強く惹きつけるのだろう。それは日本人のDNAのなかにわずかに残っていると言われる、縄文人の血が騒ぐからではないか。弥生人の洗練された感性とはまったく異なる、縄文人の躍動的で神秘的な力に、日本のものづくりの“本当の”源流を見たような気がした。
本展を見るまで、正直言って、私は縄文時代にまったく疎かった。歴史の教科書でさらりと触れた程度ではっきりとはわかっていない。縄文時代とは「旧石器時代が終わったおよそ1万3000年前から約1万年間続いた時代」とあらためて教わり、その約1万年間という長さに圧倒された。西暦はまだ2000年を超えたばかりである。氷期が終わりを迎えたこの時代、日本列島は温暖で湿潤な気候に変わり、豊かな自然環境のもと、人々は狩猟や漁労、植物の採集で生計を立て、皆で協力し合いながら定住生活を行なっていたという。そこで生み出されたのが土器や石器、土偶や装身具などだ。
縄文時代中期を代表する土器が、新潟県十日町市で出土された「火焰型土器・王冠型土器」である。すぼんだ胴部からワッと広がる口辺部。器面に粘土が紐状や筒状に貼り付けられ、うねるように、波立つように、これでもかこれでもかと全身が模様で覆われている。しかもこの模様が自由奔放に見えて、じつは規則的に配置されていることにも驚く。本展がすごいのは、この「火焰型土器・王冠型土器」の数々がガラスケースに覆われず、生身のまま展示されていたことだ。いまにも手に触れられそうな距離で眺めると、はるか昔の縄文人の息遣いまで聞こえてきそうである。同時代にユーラシア大陸でつくられた土器も併せて展示されていたが、これらを観ると、日本列島でつくられた土器がいかに独創的なものであったかがわかる。ほかに耳飾りや髪飾りなどの装身具の数々にも息を呑んだが、最大の見どころは国宝6件。これらが一堂に会すのは初めてで(ただし《土偶 縄文のビーナス》と《土偶 仮面の女神》は7月31日からの展示なので私は観られなかった)、この貴重な機会を見逃してはならないと思う。
公式ページ:http://jomon-kodo.jp
2018/07/02(杉江あこ)