artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

サント・ドミンゴ教会、サンタマリア・トナンツィントラ教会

[メキシコ、プエブラ+チョルーラ]

メキシコシティから車で3時間ほどのプエブラと、その近郊の街チョルーラを訪れる。ここにはいわゆる「ウルトラバロック」と呼ばれる極端に装飾過剰な教会があると聞いたからだ。プエブラはサント・ドミンゴ教会がそれにあたる。ところが昼すぎに着いたら門が閉じられて入れないではないか。しまった! クリスマス前だから通常営業とは異なり信者専用で入れてくれないのかも? かーちゃんなんか「日本からお祈りに来ました。ぜひ入れてください」と自動翻訳機にかけて強引に突破しようとしたが、近くの人が午後になったら開くよと教えてくれた。かーちゃんスゴイな。



サント・ドミンゴ教会の内部 [筆者撮影]


午後に再訪。教会内部は予想以上にでかい。身廊部の装飾はそれほどではないが、シティのメトロポリタン・カテドラルがそうであったように、正面の祭壇には何十もの絵画・彫刻がゴテゴテの額縁や台座、円柱などに囲まれて壮観というほかない。しかし驚くのは左側に隠れていた袖廊部。壁や柱に余すところなく金と白のうねるような装飾が施されているさまは、空間恐怖症的なオブセッションさえ感じさせる。「ウルトラバロック」といってもヨーロッパのバロック建築とは時代的にも様式的にも異なり、こちらのは、言ってしまえば建物の内部をゴテゴテに装飾しているだけで、建築構造そのものはなんの変哲もないらしい。その意味では「表層のバロック」というのがふさわしいかもしれない。



サント・ドミンゴ教会の内部 [筆者撮影]


プエブラの隣のチョルーラにあるのはサンタマリア・トナンツィントラ教会。こちらはサント・ドミンゴ教会よりもずっと小さいが、それ以上に装飾過剰で色彩も美しく、特にクリスマス間近なせいかイリュミネーションなども飾られていっそう華やかだった。でも残念なことに撮影禁止だったので写真はなし。こうしたウルトラバロックの教会がメキシコシティのような大都市より地方の小都市に多いのは、土俗的な民衆の文化や信仰に結びついて発達したからだと言われている。

2023/12/23(土)(村田真)

Afternote 山口市 映画館の歴史

会期:2023/11/25~2024/03/17

山口情報芸術センター[YCAM][山口]

以前、YCAMを訪問したとき、実は山口市に映画館がなくなっており、2階のスタジオCにおいてシアター事業を行なうことで、同施設がその代わりを果たしていると聞いていたが、まさにこの展覧会はかつて市内に存在した映画館を調査した企画である。

まず導入部にあたる2階ギャラリーでは、映画館のマップ、1902年の小郡寿座の開館に始まり、2012年の山口スカラ座閉館までの大きな年表を掲げるほか、山口大学の映画サークルの資料を展示していた。そしてスタジオBでは、山口で撮影された最古とされる映像、映画のポスター、映画館の写真、看板の下絵を描くための幻灯機などが続く。それぞれの映画館の外観意匠は興味深く、建築史的な分析もあれば良かったと思う。



「Afternote 山口市 映画館の歴史」展 映画館のマップ



「Afternote 山口市 映画館の歴史」展 年表


大きなスクリーンに投影されたハイライトとなる志村信裕の映像「Afternote」は、約1時間の作品だったが、内容に引き込まれ、全編を鑑賞した。その後、改めて展示された資料を見直すと、理解度がぐっと上がる。藤井光による南相馬の映画館のドキュメンタリー「ASAHIZA」(2013)は、目を閉じている人たちを映し、人々が集う場として描いていたが、「Afternote」では、目を開けながら、夢を見ている空間としての映画館の記憶について、市民や関係者から語られていたことが印象深い。なお、YCAMの前原美織によれば、この展示は地域資料を掘り起こし、200名を超える関係者にインタビューしたものであり、貴重な記録となっている。ぜひ書籍化して欲しい。



南相馬の朝日座


YCAMから駅に向かう途中、映画館の跡地にあるCOFFEE BOY山口店の関連イベント「金竜館の記憶と記録 1922-1991」展に立ち寄り、金竜館ブレンドを飲む。新しい情報としての写真はそれほどなかったが、商店街に面したこの場所を確認したことに大きな意味があった。歴史的な名所であれば、立て看板のひとつでもあるだろうが、現地には何の痕跡もない。また映画館の跡地マップによれば、駅前近くの、この周辺では、あと4館も営業していたことがわかる。もちろん、こうした街の変化は山口市だけでなく、日本中で起きている状況だろう。



COFFEEBOY Beans & Cafe 山口店



「金竜館の記憶と記録 1922-1991」展 金竜館の写真アルバム


なお、YCAMでは、ホワイエにて「あそべる図書館─Speculative Library」も開催中だった。軽やかなミーティング・ドームにラジオ局、「有用芸術」のアーカイブ、声のライブラリーを付設し、その脇には街の情報を共有するマップも置く。



「あそべる図書館─Speculative Library」



Afternote 山口市 映画館の歴史:https://www.ycam.jp/events/2023/afternote/

あそべる図書館─Speculative Library

会期:2023年10月28日(土)~2024年2月25日(日)
会場:山口情報芸術センター[YCAM]
(山口県山口市中園町7-7)

2023/12/01(金)(五十嵐太郎)

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麻布台ヒルズギャラリー、パブリックアート

麻布台ヒルズ[東京都]

11月24日にオープンする麻布台ヒルズの内覧会に行ってきた。しばらくのあいだ日本一の高さを誇る森JPタワーをはじめ、建築全体が波打つようなヘザウィック・スタジオのデザインしたガーデンプラザ、ザ・コンランショップなどの店舗が入ったタワープラザなど見どころは多いが、今回はパブリックアートとギャラリーを中心に見てきた。パブリックアートはオラファー・エリアソン、奈良美智、ジャン・ワン、曽根裕の4作家のみ。開発規模の大きさに比べれば寂しいが、1点1点はかなりお金がかかっていそうだ。

まず、JPタワーから中央広場に出る手前の吹き抜けに天井から吊るされているのが、オラファー・エリアソンの《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》というややこしい題名の作品。ぐるぐると曲線を描くように多面体をつなげたものが4点並んでいる。1点の直径は3メートルくらいあるだろうか、これは高そうだ。



オラファー・エリアソン《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》(2023)[筆者撮影]


広場に出ると、高さ7メートルくらいありそうな奈良美智の《東京の森の子》が立っている。いちばん下に顔があり、頭上に溶けたソフトクリームのような流動体がコーン状に載っている彫刻だが、ここのオリジナルではなく、どっかで見たことがある作品。

表面が鏡面仕立てなのであまり目立たないのが、ジャン・ワンの《Artificial Rock. No.109》。ゴツゴツした岩を模した彫刻で表面をステンレスで覆ったものだが、これも2006年の作品で、2016年の茨城県北芸術祭に出品されたものらしい。もっと目立たないのが、曽根裕の《石器時代最後の夜》と題された大理石の彫刻。広場に数点置かれているが、地にへばりつき、ベンチとしても使えるので見逃してしまいそう。これも2017/2023年となっているので再制作か。よく丸太を組んだ柵をコンクリートで模したフェイクの柵があるが、これは高価な大理石でフェイクをつくったもので、この場所にいちばん合っているような気がする。あとはどこに置いても同じだろ。



曽根裕《石器時代最後の夜》(2017/2023)[筆者撮影]


麻布台ヒルズギャラリーに行く途中のガーデンプラザのGallery&Restaurant 舞台裏に、加藤泉の彫刻が置かれていた。石の塊を4つ重ねて彩色したものだと思ったら、鋳造して色を塗ったものだという。石だったら床が抜けるところだが、中空の金属でも相当の重さだろう。どうせならこの作品をパブリックアートとして広場に置いたほうが目立つのに。でも麻布台ヒルズはお上品だから、こんなワイルドな作品は置かないだろうね。



加藤泉の作品(2023)[筆者撮影]


いちばん奥まった(神谷町駅からは近い)ところにある麻布台ヒルズギャラリーでは、「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」を開催中。JPタワーにあったややこしいタイトルの作品のヴァリエーションである《呼吸のための空気》(2023)や、有機的なパターンを描くドローイングマシン《終わりなき研究》(2005)などを見て暗い部屋に入ると、幾条もの水流がストロボの点滅により連続した光の粒として感知されるという大作《瞬間の家》(2010)があって、しばし見入る。さて次の部屋は? と思ったらここでおしまい。美術館じゃなくてギャラリーだからこんなもんか。オラファーは作品も言動も優等生的でいけすかないが、こういうコジャレた街にはぴったりなのだろう。


オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期

会期:2023年11月24日(金)~2024年3月31日(日)
会場:麻布台ヒルズギャラリー
(東京都港区虎ノ門 5-8-1 麻布台ヒルズ ガーデンプラザ A MB階)


麻布台ヒルズ パブリックアート:https://www.azabudai-hills.com/art/publicart

2023/11/22(水)(内覧会)(村田真)

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食とアートと人と街 2023 秋 @ヨコハマポートサイド地区

会期:2023/11/02~2023/12/02

ヨコハマポートサイド地区[神奈川県]

BankART Stationで開催中の「食と現代美術」展と同時期に、ポートサイド地区の街全体を使って行なわれる展覧会。飲食店やオフィス、屋外などさまざまな場所に作品が展示されるので、地下の一室で開催される「食と現代美術」よりワクワクするし、見応えもある。ただし各店舗のオープンしている日時がバラバラなので、なかなか1日で見て回ることができないのが難点だが。

ポートサイド地区は横浜駅の北東に位置し、バブルの時期にみなとみらい地区に道を通すために再開発された地域。駅に近いほうは「アート&デザインの街」をコンセプトにしたおしゃれなビルが建ち並ぶが、中央卸売市場のある奥のほうに行くと商店や問屋が並ぶ昔ながらのディープな風情が残り、新旧の落差が激しい。そして作品も奥のほうがおもしろい。ていうか、場所と作品とのマッチングが絶妙なのだ。

その最たるものが蔵真墨の写真展「Photogram Works in Tsutakin Store」だ。会場となった蔦金商店は明治27(1894)年から続く老舗の海苔問屋。蔵はここで扱う海苔や昆布などを用いてフォトグラムを制作した。フォトグラムとは被写体を印画紙の上に載せて直接光を当てて像を定着させる技法で、白黒の反転した1点ものの写真。海苔は黒いので反転して白くなるが、蔵はもういちど反転させて白い海苔と黒い海苔を背中合わせに展示している。蔵によれば、日本の海苔は密度が濃いので光をあまり透過せず、韓国海苔より白く写るそうだ。板海苔や刻み海苔などどれも抽象的なモノクロ画像だが、これを海苔の広告に使ったらウケるんじゃないか。ちなみにこのお店はタレントの出川哲朗の実家が経営しているそうで、道理であちこちに出川の顔があると思った。



蔵真墨「Photogram Works in Tsutakin Store」展示風景[筆者撮影]


その奥のつま正という野菜問屋のオフィスビルの壁面には、黒いテープでヘタクソな文字が書かれている。これは光岡幸一の作品で、「あっちかも」と読める。なにが「あっち」なのかわからないが、四角いビルに奔放な文字が踊っていておもしろいじゃん。さらに奥のオリマツ中央市場店では、片岡純也+岩竹理恵が店内のあちこちに作品を展示している。オリマツは弁当容器や食器類を扱う店舗で、片岡と岩竹はそこの商品を使って動くオブジェをつくったり、商品カタログの画像でコラージュしたり、店内にあるものを有効利用して作品化したのだ。これは見事。



光岡幸一の作品[筆者撮影]



片岡純也+岩竹理恵の作品[筆者撮影]


歯抜け状態の更地にも作品が点在している。BankART Stationで大作を発表した大田黒衣美は、更地にチューインガムをモチーフにした写真を展示。屋外のほうがいわくありげな怪しさがあっていい感じだ。その並びのフェンスで仕切られた更地には、ヤング荘が《スナック・フェンス》を開設している。フェンスを抜けると1坪ほどの立方体の小屋が建っているのだが、壁も床もすべて金網の工事用フェンスでできているので内部が丸見え、椅子はカラーコーン製だ。人と人とをつなぐスナックが、人と人とを隔てるフェンスでつくられているのがミソ。夜には「スナックフェンス」の看板が灯るが、ここは営業禁止のはず。やっぱり寂れた場所には怪しげな作品がいちばん似合う。


食と現代美術 Part9 ─食とアートと人と街─:http://www.portside.ne.jp/pg153.html

2023/11/21(火)(村田真)

月に吠えよ、萩原朔太郎展

会期:2022/10/01~2023/02/05

世田谷文学館[東京都]

個人的な話で恐縮だが、最近、短歌を詠み始めた。新聞の投稿欄に目を通すうちに興味を持ったのがきっかけだが、始めてみると、どんなときに短歌を詠みたくなるのか、つくり手の心情が少しだけわかるようになった。それはいつかと言うと、感情を動かされたときである。美しい景色を見たとき、何か些細な変化に気づいたときなどに、湧き起こる胸の内を言葉に表わすのが短歌である。また短歌は五七五七七のリズムに乗せるからこそ、その縛りに苦しむこともあるが、素人でも何とか形になる便利なツールであることにも気づいた。その点、自由詩は自由に詠める分、実は難しい表現方法なのではないかと思う。口語自由詩を確立し、「日本近代詩の父」と称された、萩原朔太郎の才能を昨年末に改めて目の当たりにした。


「竹」原稿(前橋文学館蔵)


萩原朔太郎の没後80年に合わせた「萩原朔太郎大全2022」が、昨年秋頃から全国53カ所の文学館や美術館などで開催されている。萩原朔太郎にちなんだ独自企画の展覧会がそれぞれの会場で横断的に開かれたのだ。世田谷区は朔太郎が晩年を過ごした縁のある土地ということで、この地で書かれたとされる短編小説『猫町』の一節から本展は始まる。蛇腹に開かれた本と本との間を縫うような展示構成で、観る者を朔太郎の世界へと引き込んだ。詩集『月に吠える』や『青猫』などから抜粋した名詩をはじめ、書き残された原稿やノート、さらには朔太郎自らが描いた水彩絵、作曲した楽譜、デザインした椅子など、言葉に留まらないあふれる才能の片鱗に触れる機会となった。併せて、朔太郎に触発された現代作家たちによる絵画や漫画、インスタレーション、自動からくり人形などの多彩な作品にも囲まれた。


展示風景 世田谷文学館


朔太郎が表現の源泉としたのは、圧倒的な憂鬱や苦悩、孤独だ。ある程度、裕福な家庭に生まれ育ちながら、最後まで理解し合えなかった父との葛藤を抱え、病的な神経質さで自身に対する憂鬱や苦悩、孤独を深めたとされる。そんな計り知れない負の感情を言葉に置き換えたからこそ、朔太郎は鮮烈な自由詩を生めたのだろう。しかも時代を超え、未だ現代作家にも影響を与え続けている現象を見ると、いつの世にも生きづらさを抱えた人らが必ずいて、救いを求めていることがわかる。朔太郎が吐き出した言葉の数々は、そんな彼らをそっと癒すのだろう。


朔太郎肖像(世田谷区代田の家の庭にて)



公式サイト:https://www.setabun.or.jp/exhibition/20221001_sakutarohagiwara.html

2022/12/23(金)(杉江あこ)

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