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わたしは思い出す 10年間の育児日記を再読して
会期:2021/12/04~2022/01/17
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]
「震災の記憶の継承」の試みを、ある女性が綴った「育児日記」という極私的な視点をとおして行なうこと。そこに、「日記の再読」「記憶を再び言葉で語り直す」という時差をはらんだ作業を加えることで、日々の感情の起伏のなかに「震災からの距離」を計測すること。思い出すこと、思い出したくないこと、忘れてしまったことの揺らぎのなかに身を置くこと。そこには同時に、直線的な時間の流れ/回帰する記念日の反復性、未来において「過去」として想起される「現在時」など、記憶と時間についての抽象的な省察も含まれる。その作業を、観客の身体経験をとおして共有へと開いていくこと。これらの結節点を描く本展は、秀逸かつ極めて意義深い試みだ。
本展は、2021年2月~7月にせんだい3.11メモリアル交流館で開催された企画展「わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち」の神戸巡回展であり、建築家ユニットのdot architectsが手がける新たな会場構成で展示された。企画者のAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]はこれまで、家庭や地域に保存された8ミリフィルムや家族アルバムなど、個人的記憶に着目したアーカイブ活動を行なってきた。特に、ゾウの「はな子」とともに写った記念写真を募集し、撮影日の飼育日誌と写真提供者へのインタビューを並置した書籍『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017)や、戦時中に子どもたちが戦地の兵士に書き送った「慰問文」を書き写すプロジェクト「なぞるとずれる」では、動物園の人気者のゾウや慰問文という共有化された装置の向こうに、個人史と記憶の集合体としての「日本人の戦中/戦後」像が浮かび上がってくる。
本展では、仙台の沿岸部に暮らし、震災の9カ月前、第一子を出産した2010年6月11日から育児日記を付け始めた女性が、10年間の日記の再読をとおして語り直した言葉が提示される。それらは「わたしは思い出す、○○○○○を。」というシンプルなフレーズに統一され、断片性や余白が逆に想像力をかき立てる。冒頭には、出産日を「1」とした経過日数が数字で淡々と示されるのみで、具体的な日付はない。だが、30あるいは31ずつ加算されていく数字の列は、わが子の誕生の日付であると同時に震災の月命日でもある「毎月11日」の反復と時間の積層を示す。
切り詰められた言葉は、とりとめのない日常の断片のなかに、子どもの成長や親離れの瞬間が垣間見える(「549 わたしは思い出す、ステージへ行こうとひっぱる手を。」「1766 わたしは思い出す、まったく振り返らなかったことを。」)。食卓の光景、休日のお出かけ、季候、初めての制服やランドセル。そのなかに混じって、震災の痕跡が間欠泉のように突然顔を出す(「701 わたしは思い出す、ダッシュボードの罹災証明書を。」「2285 わたしは思い出す、常盤道から見えた原子力発電所を。カーテンをかけた。」)。あるいは、日常の光景のなかに不穏な影がよぎるような予感を与えるフレーズもある(「824 わたしは思い出す、ピッ、ピッ、ピッを。」「1645 わたしは思い出す、絵本を持つ手が震えていたことを。」)。2000台、3000台と数字は続き、第二子の誕生が示され、忘却もまた語られる(「2741 わたしは思い出す、忘れてしまうということを。」)。各数字に対応するエピソードの詳細を記した配布資料も用意され、会場内や帰宅後に詳しく読むことができる。
本展の秀逸さは、各数字とフレーズを、高さ2.7メートルの木材に縦一行で記し、等間隔でずらりと二列に並べた展示構成にある。一見すると、柵や檻、視界を塞ぐ壁を思わせるそれは、ベビーベッドの柵であり、被災した沿岸部につくられた巨大な防潮堤であり、規則的に刻まれる人生の里程標であり、日常の崩壊を防ごうとする心理的な防壁でもある。だが、この「柵=壁」を一周し、中へ入ると、全体が「ハ」の字型になった通路でもあったことがわかる。開けた視界のなか、私は文字を追いながら奥へと進む。そのとき、「日記」という他人に見せることを前提しない個人的な記録は、時間の歩みを歩行で辿る身体化された行為を介して、記憶を共有するための「通路」としてまさに開かれていくのだ。
ここで興味深いのは、最後の10本が、「3958 わたしは思い出す、 」「3988 わたしは思い出す、 」というように、「空白」のまま示されている点である。記述のラストは、震災から10年目の2021年3月11日を振り返った「3927 わたしは思い出す、誰もいないダイニングで10年前に書いた日記を読み返したことを。」で終了している。この「3927」からさらに30~31ずつカウントされていく数字の列は「4233」で終わり、本展会期終了の2022年1月11日に対応する。空白のまま積み上げられていく数字の列は、「日記の再読作業」終了後も続いていく彼女の人生を表わす。その「空白」は、まだ見ぬ未来の可能性であると同時に、「現在」がやがて記憶の書き込みを待つ余白であること、さらには忘却や、言語化・共有の不可能性の謂いでもあり、多義性に満ちている。「わたしは思い出す、」のリフレインはまた、トラウマ的な記憶の反復的な回帰をも思わせる。「忘れない」ではなく、「思い出す」。その繰り返しがはらむ揺らぎと苛烈さを、本展は神戸というもうひとつの震災の地で示していた。
なお、本企画をまとめた書籍『わたしは思い出す』が、2022年3月に刊行予定されている。
*書籍『わたしは思い出す』の刊行予定は2022年6月11日に変更されました。(2022年1月21日編集部追記)
公式サイト:https://aha.ne.jp/iremember/
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2021/12/24(金)(高嶋慈)
登呂遺跡
[静岡]
久しぶりに静岡の登呂遺跡を訪れた。本来ならば、敷地から富士山が見えるはずで、おそらく、当時そこで暮らしていた人にとって大きな意味をもっていたと思われるが、現在はすぐ近くまで住宅地が迫っており、まったく視界に入らない。こうした関係性を確認するためには、隣接する登呂博物館に入り、その屋上テラスから周囲を見渡す必要がある。
ところで、復元された遺跡は、当初の復元と少し違う。博物館の順路の最後にある発掘の歴史を紹介する部屋において、建築史家の関野克の設計によって、1951、52年に復元された竪穴住居と高床倉庫の模型が展示されているが、これらの棟の先にはっきりとV字型に交差した材が張りだす。実は屋外でも、静岡市立芹沢銈介美術館の前の木陰に隠れて、旧復元建物を移築保存しており、そこがメモリアル広場と命名されている。現在の復元には存在しない細部のデザインは、おそらく、神社建築に特有な千木のイメージだろう。ちなみに、復元された現在の祭殿には、堂々とこのモチーフが使われている。日本建築の起源として登呂遺跡を位置づけたい欲望が、かつての住居や倉庫の復元案に千木をもたらしたと考えると興味深い。
もうひとつ登呂遺跡をめぐる欲望として個人的に大きな発見だったのは、当時の日本人がこれをどう考えていたかという社会背景を教えてくれる展示だった。最後の部屋における発掘に参加した人たちのインタビューをいくつか視聴したり、新聞報道などを読むと、敗戦後の日本にとって平和国家を歩む新しいシンボルとして、登呂遺跡の発掘に過剰な期待が寄せられていたことがわかる。なるほど、まだ食糧難が続く時代だった。しかも、サンフランシスコ講和条約の前だから、日本の主権が回復する前である。もともと戦時下の1943年に軍需工場を建設しようとしていたときに、遺跡が発見されたことを踏まえると、まさに同じ場所が戦争のための施設ではなくなり、稲作を行ない、平和に暮らす弥生人という日本の原点にシフトしたわけだ。インタビューでは、こうした熱気を受けて、発掘作業に従事していた高揚感が語られるとともに、現在ではそれがほとんど忘れ去られていることを嘆いていた。今では歴史の教科書の1ページでしかない。しかし、これは日本全国が注目した発掘プロジェクトだったのである。
2021/12/10(金)(五十嵐太郎)
浜松の博物館めぐり
[静岡]
浜松の博物館めぐりを行なう。まず駅から歩いてすぐの浜松市楽器博物館(1995年開館)は、正直、建築空間として特筆すべきものはないが、充実したコレクションに感心させられた。一階はアジア、日本、設営中の企画展示として電子楽器、地下は西洋やアフリカの楽器を展示する。古今東西の楽器は、視覚的にもバリエーションがあって楽しいが、やはり音を聴いてみたいし、どのように演奏するかが気になる。展示では、映像やボタンを押しての音の再生によって表現していたが、まだ工夫の余地があると思われた。なお、鍵盤のエリアでは、触れる断面模型のモックアップによって音をだす仕組みを紹介している。
鉄道を挟んで向かいにある《浜松科学館》(1986)は、1980年代に流行したハイテクのデザインを子ども向けにアレンジしつつ、構造、空調ダクト、機械室などを可視化することによって、学びの素材としながら、科学のイメージを表現していた。ほかにも随所に設けられた小窓、階段室の遊具的なしかけ、内部の鉄筋を示す柱などの遊び心が確認できる。近年、展示のリニューアルが行なわれ、インタラクティブなメディア・アート的な展示によって、子どもが主体的に科学を理解する機会を提供していた。
《浜松市博物館》は、1979年に竣工した一昔前の建築だが、10年ほど前にリニューアルし、展示の手法は現代的にアップデートされていた。具体的にはグリッドのパターンにもとづくデザインを徹底し、パネルや什器を立面・平面ともに正方形の組み合わせによって構成している。また模型の一部は、市民が協力して制作しており、生々しい。
なお、敷地の周辺には、縄文後期の蜆塚遺跡や、ザ・モダンというべき昭和建築(旧館、もしくは収蔵庫か?)も隣接している。最後は静岡文化芸術大学(2000)を訪問し、教員の松田達、植田道則、藤井尚子らと面談し、学内のギャラリーや地域連携の展示の方法について状況をうかがう。また建築史家の長尾重武氏の関係で保管する、かつて展覧会で使われたレオナルド・ダ・ヴィンチの理想都市の大型の模型を見学し、活用の方法について意見交換を行なった。ちなみに、《静岡文化芸術大学》は巨大な複合施設のようなキャンパスになっており、とくにうねうねした屋上の空間がおもしろい。
2021/12/09(木)(五十嵐太郎)
俵万智 展 #たったひとつの「いいね」 『サラダ記念日』から『未来のサイズ』まで
会期:2021/07/21~2021/11/07
角川武蔵野ミュージアム 4F エディット アンド アートギャラリー[埼玉県]
「この味が いいね」と君が 言ったから 七月六日は サラダ記念日
現代短歌のなかで万人が知るもっとも有名な短歌が、俵万智のこの作品ではないか。1987年に刊行された彼女の初歌集『サラダ記念日』は280万部ものベストセラーとなり、映画「男はつらいよ」シリーズ作の題材になるなど、その後も社会現象を巻き起こした。当時まだ10代初めだった私の頭のなかにもこの短歌はしっかりと記憶された。当時の感覚からすれば、ちょっとおしゃれなイメージがあった「サラダ」に「記念日」を組み合わせる言葉の斬新さ、そして「この味がいいね」という軽妙さが非常に印象深かったのだ。いま、SNSで頻繁に「いいね」が飛び交う世の中からしても、同作品は「いいね」の先駆けと受け止めができる。そう思うと、この短歌の鮮度が時代を経ても変わらないことに感心するのだ。
このように私の俵万智に関する情報は1980年代半ばで止まっていたのだが、それは勝手な思い込みで、当然ながら彼女はまだ存命しているし、歌人として活躍もしている。本展を観て改めて同時代を生きる歌人、俵万智を実感した。会場は三つのエリアに緩やかに区切られており、彼女が少女から大人の女性へ、そして母へと成長する様子が感じられる構成となっていた。ひとつ目は『サラダ記念日』エリアで、大学時代を中心とした若かりし頃の短歌が紹介されていた。恋を詠んだ短歌が目立ち、青臭さと生々しさとが入り混じった印象を受ける。二つ目は回廊エリアで、社会人となり、子どもを出産してシングルマザーになった様子が伺えた。三つ目は『未来のサイズ』エリアで、人生の折り返し地点に立ち、息子を思う母の気持ちを詠んだ短歌が目立った。東日本大震災やコロナ禍に際して詠んだ歌もあり、誰もが抱えたもやもやした気持ちを彼女は短歌へと見事に昇華させていた。
そんな俵万智の短歌の数々をダイナミックに見せていたのが、トラフ建築設計事務所による会場構成だ。実は私が本展に興味を持ったきっかけも、彼らがデザインに携わったと知ったからだ。例えば恋の歌が多い『サラダ記念日』エリアにはハート形の展示台を設置し、短歌を立体的に紹介。ほかに柱や壁、アクリル板、家や船形の展示台などを使って会場中を短歌で埋め尽くし、その生き生きとした言葉を来場者が肌で体感できるようになっていた。絵や彫刻、写真といった有形物ではなく、言わば無形物の言葉をどう展示するかという課題に見事に応えた展覧会であった。
公式サイト:https://kadcul.com/event/42
2021/08/30(月)(杉江あこ)
カタログ&ブックス | 2021年7月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます
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Viva Video! 久保田成子
1970年頃からビデオを使用したアート作品を先駆的に制作した世界的アーティスト、久保田成子。没後から6年、その活動の全貌がついに明らかになる大回顧展の図録。
大・タイガー立石展 図録
千葉市美術館(2021年4月10日〜7月4日)、青森県立美術館(2021年7月20日〜9月5日)、高松市美術館(2021年9月18日〜11月3日)、埼玉県立近代美術館(2021年11月16日〜2022年1月16日)、うらわ美術館(2021年11月16日〜2022年1月16日)を巡回するタイガー立石(立石紘一/立石大河亞)の大回顧展の図録。
ロスト・イン・パンデミック 失われた演劇と新たな表現の地平
演劇の灯は消えない──
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大によって、何が失われ、何を得たのか。 そして、この先の来るべき演劇の形とは ─
100人をこえる舞台関係者の声をあつめ、コロナ禍の記憶を記録する。
ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?
近年、文化芸術、アートをめぐって様々な問題が巻き起こっています。本書は、劇団「青年団」主宰し国内外で活躍する劇作家・平田オリザ氏、「あいちトリエンナーレ2019」で芸術監督を務めたジャーナリスト・津田大介氏による対談で構成しています。演劇界、ジャーナリズム界でリードする両氏が、「ニッポンの文化芸術」の問題点、可能性について存分に語ります。「表現の不自由展」で議論を呼んだ「あいトリ」は何が問題だったのか? コロナ危機で露わになった文化政策の脆弱性とは? 学術会議問題は「学問の自由」のみならず「表現の自由」にもつながる……。文化芸術を皮切りに、日本政治、トランプ現象、地方が生き残る戦略、withコロナ時代のあり方など、これからの日本が向かうべき道筋を問います。
『シン・エヴァンゲリオン』を読み解く
「エヴァ」の「終わり」と徹底的に向き合うために、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を当代最高の執筆陣が論じ尽くす。緊急刊行。
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シン・エヴァンゲリオン劇場版|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年04月15日号)
〈みる/みられる〉のメディア論
〈みる/みられる〉の関係性を理論的言説、メディア・テクノロジー、表象空間、社会関係という視点を通して多角的に読み解く
葬いとカメラ
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自然葬をすることにした家族の葛藤
葬儀を撮ることの暴力性
在日コリアンのお墓
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誰もが直面する「死」と、残された者の「葬い」という営みを、どのようにとらえることができるのだろうか。 本書では主に映像によって記録するという行為を通じて、死や葬いを普遍的にとらえなおすことを試みるものである。
クバへ/クバから(いぬのせなか座叢書4)
写真を一種の演劇的手法としてとらえ、「現代の恐怖の予感を視覚化する」ことをテーマに多くのパフォーマンスや演劇、展示作品を発表してきた写真家/舞台作家、三野新。福岡出身・東京在住のかれが、分厚い「沖縄写真」の歴史と、自らの内なる激しい抵抗感にともに曝されながら、「沖縄の風景」を/に向けて、撮影・編集・発表する。...
新作写真・ドローイング・コラージュ・戯曲はもちろん、これまでの全活動・全写真を振り返り、素材化し、新たな仮設的劇空間を立ち上げる。三野新、待望の第一写真集。
ありのままのイメージ スナップ美学と日本写真史
木村伊兵衛、土門拳、森山大道、荒木経惟から藤岡亜弥まで、日本写真史を駆動してきた力学のひとつはスナップという美学だった。そのスナップ美学の変遷と実態を多様な言説と具体的な写真作品を精査することで浮かび上がらせる、気鋭の研究者による写真研究の成果。
トーキョーアーツアンドスペース アニュアル 2020
トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)による2020年度の活動をまとめた事業報告書。TOKAS本郷のほか、全国の美大や美術館のライブラリーなどでも閲覧可能。
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※「honto」は書店と本の通販ストア、電子書籍ストアがひとつになって生まれたまったく新しい本のサービスです
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2021/07/14(水)(artscape編集部)