artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
東京造形大学創立50周年記念展「勝見勝 桑澤洋子 佐藤忠良──教育の源流」
会期:2016/10/31~2016/11/26
東京造形大学附属美術館[東京都]
授業の始まる前にサクッと見る。創立50周年を記念し、大学設立に尽力した創立者の桑澤洋子、評論家の勝見勝、彫刻家の佐藤忠良の仕事を紹介するもので、3人の手がけた作品や書籍、ポスター、教科書などが展示されている。出展リストを見ると総計85件あるが、そのうち造形大が所蔵しているのは母体の桑沢学園も含めて34件、半分以下しかない。佐藤忠良の作品の大半が故郷の宮城県美術館にあるのはうなずけるが、それにしても造形大がいかにアーカイブを怠ってきたかがわかる。まさか50年も続くと思ってなかったのではあるまいな。
2016/10/31(月)(村田真)
Chim↑Pom個展「また明日も観てくれるかな?」
会期:2016/10/15~2016/10/31
歌舞伎町振興組合ビル[東京都]
歌舞伎町に行くのはもう20年ぶりくらいだろうか、とんと足が遠のいたなあ。劇場や映画館もすっかりなくなっちゃったし。その歌舞伎町のほぼど真ん中に建つビルをまるごと舞台にしたChim↑Pomの展覧会。入場料1000円とるが、これは見て納得。まずエレベータで4階まで昇り、各フロアの展示を見ながら降りていく。このビルは1964年の東京オリンピックの年に建てられ、2020年のオリンピックを見据えて取り壊すことになったため、約半世紀の時間がテーマになっているようだ。例えば4階は壁を青くしているが、これは半世紀前には建築を設計する際に活用された青写真(青焼き)に由来するという。おそらくその発想源であるこのビルの青焼きも展示。床には正方形の穴が開き、下をのぞくと1階までぶち抜かれている。これは壮観。3階には、繁華街で捕まえたネズミを剥製にしてピカチュウに変身させた《スーパーラット》や、性欲のエネルギーを電気に変換する《性欲電気変換装置エロキテル5号機》といった初期作品に加え、歌舞伎町の風俗店で働くみらいちゃん(18歳)のシルエットを青焼きにした《みらいを描く》も。2階ではルンバみたいな掃除ロボットの上に絵具の缶を載せ、ロボットが床に自動的に色を塗ると同時に掃除するというパラドクスをインスタレーション。そして1階では、ぶち抜かれた4階から2階まで3枚の床板のあいだに椅子や事務用品などを挟んで、《ビルバーガー》として展示している。これは見事、これだけで見た甲斐があった。ちなみにタイトルの「また明日も観てくれるかな?」は、お昼の番組「笑っていいとも」で司会のタモリが終了まぎわに言う決めゼリフで、2年前の最終回の終わりにもこのセリフを吐いたという。このビルの最終回に未来につなぐ言葉を贈ったわけだ。
2016/10/26(水)(村田真)
見世物大博覧会
会期:2016/09/08~2016/11/29
国立民族学博物館[大阪府]
「見世物」とは、「料金をとって珍しい物や各種の芸を見せる興行」(明鏡国語辞典)のこと。江戸時代以来、盛り場や寺社境内などに見世物小屋を仮設することで興行を行なっている。
その定義は明快だが、内実は実に多様で幅広い。「物」に限って言えば、籠や貝、陶磁器などで造形物をこしらえる細工見世物や人間の肉体をリアルに再現する生人形、さらには奇獣珍獣を見せる動物見世物まである。「芸」に焦点を当てても、空中に張った綱や垂直に立ち上げた竹の上で離れ業を演じる軽業や、足だけで物品や人間を自由自在に操る足芸、独楽を巧みに回転させる曲独楽、とにかく重量物を持ち上げて力技を見せる曲持、はたまた女だけで相撲をとる女相撲、さらには乗馬したまま芝居や踊を演じる曲馬芝居などもある。つまり見世物とは、造型と身体パフォーマンスの両面に及ぶ民俗芸能である。
「物」と「芸」が芸術や美術の根幹にある基本要素であることを思えば、見世物は明治期に輸入された近代美術より先行する美術の原型と言えるのかもしれない。事実、木下直之は『美術という見世物』(1993)のなかで、「見世物は美術展が生まれ育った家なのである」(ちくま学芸文庫、p.17)と指摘している。「体操」が見世物小屋の曲芸師たちに出自をもつように、「美術」はある一定の秩序のもとで物を見せる見世物小屋に由来している。今日、見世物と美術の連続性は、ある種の学術的前提として定着していると言ってよい。
本展は、国立民族学博物館と国立歴史民俗博物館が連携しながら「見世物」の全体像を網羅的に紹介したもの(2017年1月17日より3月20日まで国立歴史民俗博物館に巡回)。見世物小屋を模した空間に、見世物の写真や映像、刷り物、使用された器材、絵看板、報道資料、解説文などが展示された。むろん見世物小屋がそのまま再現されていたわけではないし、「美術」との連続性を強調していたわけでもなかったが、それでもその知られざる実態を体感するには十分すぎるほど充実した展観である。
なかでも最も強烈な印象を与えたのが、「人間ポンプ」こと、2代目安田里美(1923-1995)。幼少の頃から見世物小屋で育ち、まぶたの力だけで水をたたえたバケツを振り回す「眼力」、口に含んだガソリンを吹き出しながら着火する「火吹き」、そしてさまざまなものを胃の中に飲み込んでは吐き出す「人間ポンプ」など、さまざまな芸を身につけた生粋の芸人である。会場では、1980年代にじっさいの見世物小屋で演じられた演目を記録した貴重な映像が上映された。
金魚を飲み込んで生きたまま吐き出すのはまだ序の口で、安田は剃刀、五円玉などを次々と呑みこんでゆく。驚くべきは、彼がその後釣り糸を呑み込むと、先端の針に金魚がかかっていたり、五円玉の穴に糸が通っていたりすることだ。にわかには信じられない光景だが、映像をとおしてでも、その尋常ではない芸の力に圧倒されるのだ。事実、現場の客の大半は子どもたちだったが、彼らの表情は驚愕というよりはむしろ理解不能といった様子で、しかしそのような唖然とした表情こそが、実は安田里美の芸の真骨頂を如実に物語っていたように思われる。それは、言ってみれば世界を停止させるような芸だったのではないか。
本展で紹介された見世物の数々を目の当たりにして痛感するのは、見世物が人間の五感に総合的に働きかける芸能だという事実である。視線を集中させるための空間的な配慮はもちろん、会場内の効果的な導線、観る者を決して飽きさせない劇的な展開を含んだ演目の構成、視覚的な強度を補強する濁声の口上など、数々の技術がふんだんに投入されていることがわかる。
その反面、結果として逆照されるのは、視覚を特権化したうえで整備された美術の制度である。木下が解明したように、美術館が導入される前、人々は油絵茶屋という見世物小屋で油絵を観ていたが、そこは視覚だけを優先させる美術館とは違い、芸人が口上を披露しながら、そして茶(珈琲)を飲みながら、絵画を鑑賞していた。いや、「鑑賞」という言い方にあまりにも近代的なバイアスがかかっているとすれば、それは「楽しんでいた」と言うべきかもしれない。いずれにせよ、「見世物」から「美術」へのパラダイム・チェンジの大きさをまざまざと感じざるをえないのである。
「美術」による「見世物」への侮蔑や憎悪に近い差別的な扱いが生じるのは、まさしくその双方のあいだに広げられた大きな隔たりのなかである。木下が言及している「それでは見世物にすぎない」という美術館関係者による常套句が、そのように差別化することで美術が美術であるための自己規定をもくろむ、きわめて政治的な身ぶりであることは明らかだが、本展で克明に浮き彫りになっているのは、そのような「美術」の自己規定を置き去りにするほど豊かな見世物の世界の論理と魅力である。あえて挑発的に言い換えれば、たとえ「美術」がなくても「見世物」があれば十分なのではないか。
例えば見世物研究の第一人者である川添裕は、見世物を次のように明快に定義している。すなわち「見世物とは、たんなる過去の遺物なのではなく、むしろ『世界』を更新する可能性の表現なのであり、さまざまな事物に新たな喜びや驚きを感じ、あるいは不可知なものへの不安にかられ、心底恐怖することのできる、特権的な『世界』である」(「常軌を超える力」同展図録収録、p.187)。安田里美の芸を目の当たりにした子どもたちは、五感を大いに刺激されながらも、おそらく世界が停止してしまったような感覚に陥ったはずだ。けれども、その後再び動き出した世界は、それまでとはまったく異なる姿として、彼らの眼球に映っていたに違いない。だが、そのような世界の更新こそ、実は今日の私たちが美術に求めてやまない超絶した力の正体ではなかったか。
見世物を侮るなかれ。それは美術の原型であり、立ち返るべき原点である。美術が隘路に陥っているとすれば、その打開策のひとつは見世物をとおして美術を再構築する道のりにある。
2016/10/23(日)(福住廉)
Assembridge NAGOYA 2016
会期:2016/09/22~2016/10/23
名古屋港~築地口エリア[愛知県]
名古屋港のエリアに向かい、あいちトリエンナーレ2016と同時開催のアッセンブリッジ・ナゴヤ「パノラマ庭園」をまわる。3月の展示に比べて、旧名古屋税関港寮や旧西本整骨院などの拠点がさらに増え、全体としていい感じになっていた。作品を設置していたおかげで、初めてポートビル展望室も登った。ヴォリュームが減った長者町よりも、まちなか展開ぽい。作品も港エリアを探索して着想したものが多く、地域密着型である。
写真:左=上から、名古屋港ポートビル、ヒスロム 右=上から、城戸保、玉山拓郎
2016/10/23(日)(五十嵐太郎)
さいたまトリエンナーレ2016
会期:2016/09/24~2016/12/11
さいたまトリエンナーレ[埼玉県]
◯◯トリエンナーレ(ビエンナーレ)が急増しているが見方がわからない。どうやっても、確保した時間内に展示のすべてを見きることはできない。映像作品が多いとなおさら、どこまで見たら見たことになるかわからない。ふと立ち止まったただの傍観者みたいにするほかないかとか、遠路はるばるやって来たのだから旅行客気分でいようかとか、いつまでもいわゆる「鑑賞者」の体裁を整えられず歯がゆい。とくに都市の場合、街中にすでに大量の情報が多層のレイヤーをなして存在しており、展示はそこに割り込む形になる。街にあふれるサインの方が刺激的で、アート鑑賞を気取るための静けさを獲得できない。都市にはレイヤーが多すぎるのだ。かたや、新潟や瀬戸内での展示は、レイヤーが乏しい。〈自然〉と〈人の営み〉と〈アート〉くらい。だから集中して見るし、結果として満足感が得られやすい。昨年、越後妻有アートトリエンナーレを大学生と見学旅行した際、ある学生が「スマホが繋がらなかったのが良かった」と言っていたのを思い出す。都市型のトリエンナーレはその点で不利だ。
さいたまトリエンナーレに行った。大宮区役所の岡田利規の展示、岩槻の旧民俗文化センター、武蔵浦和の旧部長公舎などを5時間くらいで巡った。都市型のトリエンナーレでしばしば起こる、会場エリアの地域性が反映されていないという批判には応答していて、どの作品もさいたまとその周辺を取り上げたものだった。岡田の作品は、役所職員のためのかつての厨房を劇場にし、かつてゴキブリやねずみの出た過去のその場の様子を台本化して役者が読み上げる、その様がカーテンをスクリーンにして映写された。あるいは岩槻ではアダム・マジャールが、駅のホームで電車を待つ人々を超低速の映像に収め展示した。「さいたま」を表象することは、越後妻有を表象するように「過疎」としてではないし、もちろん東京を表象するように「世界都市」としてでもない。同行したある学生が、この地域の特徴は「殺風景なところ」と称した。そう、まさに。行きの電車で見た高層マンションの群れ。「さいたまらしさ」とは、特徴のなさ、言い換えれば、日本の多くの街がそうであるような「のっぺらぼう」さなのだ。例えば、過疎地のトリエンナーレでは食が意外に重要なアイテムとなる。さいたまには食はあふれているが、ここでしか食べられないものは少ない(あるいは目に入りにくい)。とはいえ、多くの作家は「何か」を発見したくて掘り進む。その結果、縄文期に突き当たったのが高田安規子・政子《土地の記憶を辿って》。民家の障子などに、かつて住んでいただろう動物たちが描かれ、縄文期のこの場を想像させる。そうやって隠れたレイヤーを掘り起こす作業は確かにひとつのやり方だろう。でも、例えば縄文期というレイヤーは、さいたま以外のどの地域でも見出せるはずだ。
多数のレイヤーがありながら「のっぺらぼう」であるというさいたまのような地域の「地域アート」とは、過疎とも世界都市とも言い難い平均的な日本の暮らしを代表するものだし、その状況を批評すると結構興味深いものになりうるのではないか。けれども、市の事業としてある限り、どうしても「未来の発見!」のようなポジティヴなテーマを立てざるを得ず、結果「のっぺらぼう」というネガティヴな部分に向き合うことは難しくなる。しかし、ただの思いつきだが、あえて地元の悪口言い合うくらいのことをした方が、地元は盛り上がるかもしれない。本音を吐き出すことで、市民参加が促され、「未来の発見!」も進む、というものかもしれない。『翔んで埼玉』(魔夜峰央)の再ブームも記憶に新しい。そりゃあそんなことすれば、「ヘイトスピーチ?」との勘違いが起きたり、途端に騒がしい事態になることだろう。だからこそ秀逸な場のデザインが求められる。そういうところにアーティストの才が要請されるというものではないのかな。
2016/10/22(土)(木村覚)