artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
小菅優 ピアノ・リサイタル ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」完結記念
会期:2016/10/14
紀尾井ホール[東京都]
僕と同年に芸術選奨新人賞を受賞した小菅優@紀尾井ホール(授賞式を欠席したので、直接お会いしていないが)。ベートーヴェンの全ピアノ・ソナタを演奏するシリーズの完結編だが、パワフルな表現力だった。そもそもピアノという楽器は音をのばしたり、純正のハーモニーをつくるのには弱点があるが、ベートーヴェンの曲はむしろ長所をいかしている。17番はなかなか魅力的な曲、そして最後の32番はジャズっぽい部分もある。
2016/10/14(金)(五十嵐太郎)
クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス さざめく亡霊たち
会期:2016/09/22~2016/12/25
東京都庭園美術館[東京都]
宇多田ヒカルの新譜『Fantôme』が、すばらしい。アルバムの随所に漂っているのは、文字どおり、幻の気配。歌詞から察すると、それが2013年に亡くなった彼女の母、藤圭子を暗示していることは明らかだとしても、彼女が切ない声で歌い上げる喪失感や心象風景が私たちのそれらと共振してやまないこともまた事実である。眼前に現われた幻影に触れようとした瞬間、たちまち霧消してしまう哀しさ。あるいは逆に、その幻影に受肉させかねないほど暴力的に再生される記憶の恐ろしさ。そして、そのように現われては消え去る幻に苛まれながらも、なおもわずかなユーモアとともに歩み続ける力強さ。最初の曲が「黒い波」という言葉で始まり、最後の曲が「すべての終わりに愛があるなら」という言葉で終わることから、ポスト3.11のレクイエムとしてみなすこともできなくはないが、いま、この時代を生きる者であれば誰もが共感しうる同時代的なリアリティに満ちた記念碑的な傑作である。
さてクリスチャン・ボルタンスキー(1944-)といえば、言うまでもなく幻、幻影、亡霊を主題にする世界的なアーティストである。日本では、越後妻有における《最後の教室》や瀬戸内における《心臓音のアーカイヴ》などの常設作品で知られているが、本展は意外なことに東京での初個展。現在開催中の「瀬戸内国際芸術祭2016」にも参加しているが、同芸術祭で発表された野外のインスタレーション《ささやきの森》の映像作品も本展で上映された。
だがその内実は、事前の期待値とは裏腹に、いささか物足りない印象は否めない。なぜなら、たとえ彼の代名詞とも言える「亡霊」が寄る辺ないものだとしても、展示物と建築物との境界線を認識しがたいほど、それらの存在感がきわめて希薄だったからだ。会場の随所から亡霊たちの「声」が漏れてくるが、音量が小さいうえ音質もあまりよくないため、何を言っているのか聴き取りにくい。豊島の《心臓音のアーカイヴ》と同じように、心臓音と合わせて明滅するランプを見せるインスタレーションにしても、空間が狭いことは致し方ないにせよ、肝心の音が抑制されているため、豊島の作品のように全身を揺るがすほどの衝撃は到底感じられない。しかもブラックキューブを担保できていないため、開口部から差し込む無粋な光が劇的な効果を半減させてしまっている。それゆえ、いかなる「美」も、いかなる「崇高」も感じ取れない、いかにも中途半端な展示になっていると言わざるをえない。よもや旧朝香宮邸という高貴な空間を忖度したわけではあるまいが、そのような邪推を招きかねない要因が展示に含まれていたことは否定しがたい。
ところで『Fantôme』のなかでボルタンスキーと比較しうる楽曲が、KOHHと共作した「忘却」である。まさしく《心臓音のアーカイヴ》のように、この楽曲はハートビートで始まり、ハートビートで終わるからだ。そもそも心臓音とは不安や恐怖といった死の経験と表裏一体の関係にありながら逆説的に生を証明するものだが、豊島の《心臓音のアーカイヴ》は尋常ではないほどの音量を空間全体に満たすことによって、来場者をその両義性の只中に没入させる、優れた作品である。むろん音量という点では、「忘却」はそれに匹敵するわけではない。だが「忘却」は、歌詞によっても私たちを生と死のはざまに誘うのだ。
「天国」と「地獄」、「入り口」と「出口」。あるいは「熱い唇」と「冷たい手」。「忘却」は、あらゆる二項対立の言葉によって構成されているが、宇多田ヒカルの聖とKOHHの俗という二極は、「冷たい手」や「強い酒」という言葉によって互いに接合されながらも、弁証法的に止揚されるというより、むしろ対極主義的に分節されている。だからこそ私たちは、その聖俗の裂け目に、生きていながら死の淵を覗き込んてしまったような不気味な感覚を感知するのである。本展に欠落していたのは、このような意味での二極にほかならない。
2016/10/14(金)(福住廉)
没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート
会期:2016/10/13
東京オペラシティコンサートホール[東京都]
前列にコントラバスが来るなど、1曲ごとに楽器群の位置を激しく移動していたが、素材としての音が空間のあちこちから飛んでくる音楽だ。そして、高橋悠治らが弾く2台のピアノが正面中央で向きあう「夢の引用」が、「現代音楽」らしからぬ(?)美しい曲だった。
2016/10/13(木)(五十嵐太郎)
国立カイロ博物館所蔵 黄金のファラオと大ピラミッド展
会期:2016/10/01~2016/12/25
京都文化博物館[京都府]
「ピラミッド」をテーマに、国立カイロ博物館が所蔵する100点余りの発掘品・副葬品・宝飾品を展示している。見どころのひとつは「アメンエムオペト王の黄金のマスク」(前993-984年)、一枚の金の板から打ち出したマスクには、精巧なガラスでできた象嵌の目がはめ込まれており、技術の高さと美しさに驚く。もうひとつが、「アメンエムペルムウトの彩色木棺とミイラ・カバー」(前1069-945年頃)。蓋の木地の上には、びっしりと隙間なく描かれた様々な図像による装飾が見える。生と死・宇宙・信仰などを示す象徴に満ちたその装飾には、目が惹きつけられる。19世紀西欧のデザイナーたちが、エジプトの装飾様式にあれほど魅入られて、折衷主義的に装飾を用いたのにも頷ける。女性にとっては、ジュエリーのデザインも見逃せないだろう。黄金やラピスラズリ・トルコ石のビーズ、貴石でできたヒエログリフ、愛らしい動物モチーフなどで作られる襟飾りは、繊細な技術と独創性が際立つ。古代エジプトのきらびやかな工芸品の技術・デザイン性にも注目。[竹内有子]
2016/10/13(木)(SYNK)
岡山芸術交流2016
会期:2016/10/09~2016/11/27
岡山市内各所[岡山県]
岡山城、岡山県庁、林原美術館など、岡山市内中心部の8会場ほかで行なわれている大型国際展覧会「岡山芸術交流2016」。去る9月15日に珍しく大阪でも記者発表が行なわれたが、その席で強調されたのは、いま日本国内で流行っている地域アートとは一線を画したハイエンドな芸術祭を目指すことと、今回のための委嘱作品が多数あるということだった。実際に現場に出向いてみると、委嘱か否かは別にして、見応えのある作品がいくつもあった。筆者が特に気に入ったのは、岡山県天神山文化プラザで展示されているサイモン・フジワラのインスタレーションと、林原美術館で複数の作品が見られるピエール・ユイグだ。また、旧後楽館天神校舎跡地で地元の中学生や新聞社と協同した新作を発表した下道基行も印象に残った。その一方で難解な作品もいくつかあったが、主催者の心意気を評価する筆者としては、これで良いと思う。参加作家は31組。少なく見えるが、大規模なインスタレーションが多数を占めるので、むしろ適正と言える。また、会場間の距離がさほど離れていないため移動が楽で、頑張れば1日でコンプリートできるのも良いと思った。最後に、今回のアーティスティック・ディレクターを務めたのは、美術家のリアム・ギリック。彼が掲げたテーマは「開発」だが、その意図を展示品から読み取るのは、筆者の知識では難しかった。
2016/10/09(日)(小吹隆文)