artscapeレビュー
ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』
2010年11月01日号
会期:2010/10/17~2010/10/24
新宿眼科画廊[東京都]
卒業式を控えた6人の小学六年生が織りなす恋愛模様。それを大学出たてくらいの若い役者たちが演じる。彼らのなんともかわいいこと! テーマは恋愛、というか告白。「式で歌う『卒業写真』(ユーミン)よりも、ぼくが君へ歌うラブ・ソングのほうがずっと素晴らしい」と、卒業式をすっぽかした男の子はギターをかき鳴らし猛烈な勢いで女の子に向けて歌い出した。それがラストシーン。三浦直之(脚本・演出・出演)は本作で、男の子・女の子の真っ直ぐな気持ちをかなり真っ直ぐに描いた。その振る舞いはベタにも映る。しかしそれはけっして単なる(無反省の)ベタではない。「メタな振る舞いをベタにやるのもベタだし」とメタのメタ(のメタ……)へと延々と思考を裏返し続けてしまうのがぼくたちの日常であるとして、そんななか「真っ直ぐさ」というのは見過ごされがちでかつ実行困難な、しかし素敵な生き方の選択肢ではないか。きっと三浦はそんな思いからあえて「ベタな恋愛を描く可能性」に向け突き進んでいるのではないか。メタが充満する世界からどうにかベタを救い出そうとする身振りが一番よく表われていたのは、相手の気持ちがわかったうえで、振られることを承知で女の子が男の子に告白するシーン。彼女は自作の台本を彼に渡し、告白の演劇を遂行する。「告白」を「告白の演劇」に転換してしまうメタな身振りは、しかし、告白の不可能性(ベタの否定)ではなく、むしろその可能性(ベタの可能性)を模索しているように見えた。「演劇」(メタ)という手段を使わなければできない「告白」(ベタ)は同時に「演劇」(メタ)という手段を利用してでも遂行したいなにかでもある。告白とはすなわち、絶望的であるにもかかわらず前向きな気持ちが消滅しない事実に向き合った末の、どうしようもない、真っ直ぐな表現行為なのだ。告白を舞台上に乗せること。日本演劇界の最年少世代・三浦の放つ強烈に前向きな姿勢は、チェルフィッチュや快快などと引き比べられうるなにかとみなして間違いはないだろうし、日本演劇の〈別の可能性〉として今後益々注目されることだろう。
2010/10/18(月)(木村覚)