artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

プレビュー:ダンス企画おやつテーブルVol. 5『板間の間』/ローザス『ツァイトゥング』/黒沢美香『起きたことはもとにもどせない』ほか

11月に注目すべき筆頭は、ダンス企画おやつテーブルVol. 5『板間の間』(2009年11月6日~8日@lucite Gallery)でしょう。毎回、ユニークな空間にその場所ならではのダンスをふるまってきた世代の異なる女子たち。日常の空間だからこそ見えてくるデリケートな世界がとても魅力的なのです。今回は、レギュラーメンバーの岡田智代、おださちこ、木村美那子に新人赤木はるかが参加。舞台芸術のライターでもあるまえだまなみが出演/演出。

ローザス『ツァイトゥング』も彩の国さいたま芸術劇場(2009年11月27日~29日)でありますが、『起きたことはもとにもどせない』(2009年11月25日~12月6日@こまばアゴラ劇場)という公演タイトルで黒沢美香&ダンサーズが行なう連続作品上演も必見です。黒沢を知らずして日本のダンスを語るなかれ。フェスティバル/トーキョー09秋も要チェックですけれど(とくに庭劇団ペニノ!)、今月中には『HARAJUKU PERFORMANCE + (PLUS)2009』のチケットとっておいたほうがいいかもなー。

2009/10/31(土)(木村覚)

神村恵『次の衝突』

会期:2009/10/16~2009/10/17

現代美術製作所[東京都]

身体の内側に向けた新たなアプローチは、手塚夏子との交流を通じて得たものなのだろうか。ただ立っているだけでも痙攣的な運動が身体のあちこちで明滅して目が離せない。意志をもって動く身体のなかに顔を覗かせる、勝手に動いてしまう身体。白いギャラリースペースの隅。扇風機がある。それだけの空間のなかで神村が見せるのは、純粋にダンス的な瞬間としかいいようのないなにか。枠を設定し、その裏をかく。「枠」などと言ってみたが、見ればすぐに感じられるほどわかりやすくはない。それは「意図」と言い換えてもいいかもしれない。時間が進むと、見る者の内に神村の動作が堆積してゆく。そこには、この「枠」「意図」と、それらからの逸脱の軌跡が山と積まれる。シンプルな作業ではある。ただし、あらゆるものが意図となりえ、あらゆる次の時間はそれをかいくぐる「裏」となりうる。その無数の可能性を丹念に探りつかみ取ってゆく頑固な知性が神村の魅力で、例えばそれは、終幕頃に突如椅子ごと舞台空間にじわじわ侵入し、すっと立ち上がると、お喋りを始めてしまう岸井大輔の起用にも感じる魅力である。会場では、小林耕平と福留麻里と共作した映像作品が上映されていた。そこでも枠の無数の生成と崩壊があちこちで起きていて、スリリングだった。

2009/10/16(金)(木村覚)

青年団リンク ままごと『わが星』(作・演出:柴幸男)

会期:2009/10/08~2009/10/12

三鷹市芸術文化センター[東京都]

□□□(クチロロ)三浦康嗣の担当した音楽が効果的だった。舞台床に直径5メートルほどの白い円があって、終始、その周囲を役者たちが何十回と回る。台詞は三浦のリズムにあわせてラップのように語られる。ラップ・ミュージカル? タイトル通り、「地球」や「月」を象徴するキャラたちが家族の物語を紡いでゆく。セカイ系というかウチュウ系。ダイナミズムは空間のみならず時間に対しても与えられていて、誕生日が1年ごとにやって来るサイクル、おばあちゃんと主人公の間で示される生と死のサイクルなど大小の時間サイクルが、開演から終幕まで舞台が進んでゆくそのリアルな時間も時折意識させながら、描かれてゆく。プラネタリウムに(「ちびまる子ちゃん」のような)小市民の物語が貼り付けられていると言えばいいか。不思議な躍動感に心が揺さぶられた。

2009/10/12(月)(木村覚)

水都大阪2009

会期:2009/08/22~2009/10/12

中之島公園・水辺会場、八軒家浜会場、水の回廊・まちなか会場[大阪府]

大阪・中之島エリアを中心に、約7週間にわたって多数のワークショップ、展覧会、各種イベントが開催された「水都大阪2009」。しかし、終了後に改めて思ったのは、果たしてこの催しにアートは必須だったのかという疑問だ。もちろん、ヤノベケンジは奮闘したし、今村源が適塾で行なった展示は見応えがあった。ワークショップのなかにもきっと素晴らしいものがあったのだろう。でも、私が何度か会場を訪れて感じたのは、アートと言うよりも文化祭的な狂騒ばかりだ。いや、最初からアートは脇役で、私が勘違いしていただけなのかもしれない。結局、最後まで意図を理解できないまま「水都大阪」は終わってしまった。

2009/10/12(月)(小吹隆文)

ハイバイ『て』

会期:2009/09/25~2009/10/12

東京芸術劇場小ホール1[東京都]

認知症の祖母が死ぬ。その出来事を軸に、精神的かつ肉体的な暴力を家族に与え続けた父親とその父に苦しめられ続けた家族(二人の息子、二人の娘、母)、それぞれの心の事情が描写されてゆく。
死がテーマの芝居を最近よく見るなあ。父というテーマもよく見るなあ。いまアゴラ劇場周辺の〈小さな物語を扱う演劇〉では、しばしば小さなグループのあり方が描かれる。すると、家族の関係とくにその中心となる(はずの)父親がどんな存在であるかが、重要なテーマとなることが多い。父の不在、父の非不在、いろいろなパターンがある、けれどもそれらは一貫して中心をめぐる演劇であり、その意味で『ゴドーを待ちながら』以後の演劇と言ってもいいのかも知れない。珍しく家族が全員集まった。その宴の場で井上陽水を歌う父のなんとも言えないイヤーな感じは、絶妙だった。全員の心を傷つけなおも居座る父の内に中心がない。なのにいばる、ふて腐る、ひょうひょうとしている。こんな父が描ける岩井秀人の力量に圧倒させられた。

2009/10/05(月)(木村覚)