artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

ライン京急『自主企画Vol. 1』

会期:2009/08/04

SuperDeluxe[東京都]

演奏家で文筆家の大谷能生チェルフィッチュの役者・山縣太一と組んだユニット、ライン京急。この名を冠に行なう自主企画が本イベント。演劇、音楽、ダンスとマルチジャンルのラインナップが興味深い。岩渕貞太は、顔を真っ赤に塗り、同じ場所でひたすら激しく踊った。グロテスクに感じるほどにエモーショナルな次元で踊る岩渕は、シンプルな振りに徹底する方法的アプローチによって、美しい運動を表わしえている。中野成樹の演劇は、飲食店でのアルバイターの物語。男2人と女1人、3人の距離感が軽妙に描かれる。「演劇とは?」など問うことなく単純に楽しんでしまえる軽妙さは、小演劇シーンのクオリティの高さを証している。女の生き方を男である岸野雄一は「ヒゲの未亡人」となって歌い踊る。主催のライン京急は、演劇、音楽、ダンスの今日的展開をすべて飲み込んだようなパフォーマンスを見せた。山縣が女の子をくどくという設定の演劇音楽は、発語が音楽にもなりダンスにもなることを、音楽が演劇にもダンスにもなりうることを見せつけた。最後は、大谷と山縣は、手塚夏子と神村恵が課す指令(「足の小指と薬指にものがはさまっている(のを感じよ)」など)を実演した。指令はシンプルなリズムとともに録音したソースとして流れ、2人は黙々とその指令に応えようと苦闘する。そのさまに爆笑する観客。手塚や神村の方法が、ポップな舞台へと変貌した瞬間だった。

2009/08/04(火)(木村覚)

飴屋法水『3人いる!』

会期:2009/07/31~2009/08/12

リトルモア地下[東京都]

東京デスロック多田淳之介の脚本、構成・演出は飴屋法水。自分以外に自分を名のる人間が部屋に現われる。さらにもうひとり自分を名のる存在が現われ、一層、謎が深まる。きわめてシンプルな基本設定。ただし、なぜ自分が2人(3人)いるのかの謎は、延々と解けない。演劇の本質を存分に遊んでいる脚本に思えた。役柄とは関数のように入れ替え可能である。誰がどの役かということは、見る者が了解できればそれで成立するわけで、舞台上のこのひとは誰かということは約束事でしかない。頻繁に出てくる「あなたは誰よ!」の言い合いや相手に対する指さしは、暗黙の内に演劇を成立させている構造そのものに映る。飴屋の演出は、そうしたメタ演劇、メタ役柄を語る演劇に、役者のアイデンティティを折り重ねていた。ぼくが見た初回には(24回公演で3人一組の12チームが次々と上演した)、韓国人のアンハンセムが出ており、彼女の韓国人としての生きる不安が、戯曲のなかに織り込まれていた。

2009/07/31(金)(木村覚)

飴屋法水『3人いる!』

会期:2009/07/31~2009/08/12

リトルモア地下[東京都]

飴屋法水『3人いる!』が今月のレコメンドNo.1です。3月の『転校生』以来、「今年は飴屋法水の年」といって過言ではないくらい、いま注目度が高まっています。東京デスロック主宰、1976年生まれの多田淳之介が書いた戯曲を1961年生まれの飴屋が演出します。12日間(7/31~8/12)で24回行なわれる公演、驚愕なのは「毎日、何かが違ってる。」(フライヤーより)らしいこと。ウェブサイトを見ると役者は36人ラインナップされている。そこにはカタカナ書きの名前も結構ある。1962年生まれもいれば1990年生まれもいる。チームが12組あるという、それって12組を一挙に演出して毎回違うキャストで上演するってこと? この事実だけでまずは問題作です。一回見てそれで済む話なのでしょうか。わかりません。わからないので、ぼくは初回の7/31にさっそく見てみることにします。

2009/07/31(金)(木村覚)

Monochrome Circus+じゅんじゅんScience『D_E_S_K』

会期:2009/07/20~2009/07/26

こまばアゴラ劇場[東京都]

関西を中心に活動するMonochrome Circusと元「水と油」で活動していたじゅんじゅんがテーブルをテーマに4本の作品を上演。ぼくが見たのはその内の3本、その内の2本について。
『まざはし』(振付・演出:坂本公成)は、100本程の食事用ナイフが載ったテーブルがあり、その上に女がその下に男がいて踊る作品。どうしても(どういうわけか)机の外に出られず板に頭を押し付けて逡巡する男に、アズキ色の薄地ワンピースの女は基本的に無頓着。女が蹴り飛ばし床に散らばるナイフは、両者の関係を淡く彩る。けれど、強く惹きつける何かは出てこない。鴻池朋子の絵画世界に似て非なる感じ。変身があったら、物語が寓話へと転換したらどうなるかと思って見ていた。
『deskwork』(じゅんじゅん)は、彼の技であるパントマイムを用い、黒い床に照明がつくる四角をテーブルに見立てる。「騙される」ところにパントマイムの魅力はある。そのトリックに溺れたい見る者の欲求をもっと叶えて欲しかった。〈あるもの〉から〈ないもの〉を見みせるマイムの〈ないもの〉を生み出すために身体を拘束する構造がきわだってきたら、マイムともダンスとも演劇ともいえないなんともユニークな方法が生まれるはずで、きっとそこに目標はあるに違いなく、そのためにこそ騙しのテクを徹底的な仕方で示して欲しかった。

2009/07/26(日)(木村覚)

手塚夏子『人間ラジオ2』

会期:2009/07/25~2009/07/26

die pratze[東京都]

超難解、なのに見続けてしまう。手塚夏子が主催する「実験ユニット」の第3弾、音楽家・スズキクリとの即興公演。「チューニングを調整する、その調整することそのものの中に異様にダンスを感じる。音楽を感じる」(プログラムより)のがテーマ。「チューニング」とは外のものと自分との関係を意識することらしい。確かに、椅子が2脚あるだけのきわめてシンプルな舞台で、座ったり歩いたりする手塚の身体は、表現するというより感じる身体に映る。シンプルな動きのなかに微細な切断が含まれている気がする。「切断」に見えるところに「チューニング」の作業がなされているようだ。ただし「チューニング」といっても合わせることが目標ではい。むしろ「調整する」作業それ自体が舞台の時間をつくる。「あれかな?」「これかな?」と、スズキクリも幾台かの小型ラジオを抱えて何度も置き直す。「超難解」さは、2人が何をどう調整しようとしているのか判然としないところに原因がある。いま「あれかな?」「これかな?」と書いてみたけれど、そこでの「あれ」や「これ」が何なのかが見る者に理解が及ばないのである。しかし、それにもかかわらず、見る者は放って置けず、見ないことができない。こうした手塚の「身体とは一体何者なのか?」という問いは、身体を「キャラ化」して自己の媒体としか受けとめようとしない今日的身体観の主潮流と対比すれば絶対に劣勢なのだけれど、そうであるだけにとても貴重で、今後、見過ごされた身体を丁寧に反省しようとの気運が盛り上がったときには重要になってくる仕事となるだろう。

2009/07/25(土)(木村覚)