artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
ラボ20 #21

会期:2009/06/20~2009/06/21
ST spot[神奈川県]
1997年に始まり今回で21回目となる「ラボ20」は、毎回キュレーターを置き、10分程度の作品が審査を受け、そこから選ばれた若手作家がキュレーターからアドバイスを受けながら、20分ほどの本番の作品を仕上げてゆくという企画(「ラボ20」とはこの20分の作品時間を指す)。新人育成機能を果たしてきたこのイベントから羽ばたいていった作家は多い。ニブロール(矢内原美邦)、康本雅子、快快、大橋可也&ダンサーズ……。今回のキュレーター手塚夏子も「ラボ」出身。彼女が出演した回では、ボクデスの小浜正寛もいた。
今回出演は5組。辻田暁、下司尚実、柴田恵美、井上大輔、石田陽介+松原東洋。非常に丁寧に自分独自の運動(ダンス)を模索する、そのさまは共通していて、安易な受け狙いではないところは感銘を受ける。けれど逆に言えば、そうした点以外では評価しにくい作品ばかりだった。物語性は希薄で、展開を求めず、故にミニマルで、独自の動きの動機(ルール)を設定しようする点も共通で、その傾向は問題ないのだけれど、そのルールをある程度わかりやすいかたちで観客に共有できるようにしなければ、観客はただの傍観者になるしかない。石田と松原の「二人は雲の中」は、タイトルの印象と異なり、〈キスとかの濃厚な接触をしそうになる二人がどうにかそうしないで時間を進ませる〉というルールが明確で、他の四作品よりも見る側はアクセスしやすかった。とはいえ、二人がキスするかどうかなど、正直観客にとってどうでもいい事項。わくわくする作品はなかった。そのぶん、こうした新人公演の意味について考えさせられた。
一定の水準には達していないとしても、発信したいという欲求をもてあましているひとは多い。その受け皿として、美術のGEISAIにあたる無審査のイベントがダンス、パフォーマンスの分野にあってもいいのかも知れない。「ラボ」よりももっと気楽な、5分から10分くらいの作品を立て続けに上演する、ゴングショー的な公演。そこでもやはり観客は蚊帳の外に立たされるのかも知れないが。
ラボ20 #21:http://stspot.jp/finished/lab20-21.html
2009/06/20(木村覚)
別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界

会期:2009/04/11~2009/06/14
別府市内各所[大分県]
ジャンル:美術、パフォーマンス、その他
会期終了目前に訪れ、1日だけ流すように会場巡りした私に、このアートフェス全体を語る資格はない。が、遠方から訪れた身で実感したのは、アートだけを目的に別府を訪れるのはもったいないということ。温泉やグルメ、観光と組み合わせ、連泊して別府の街を味わい尽くすことで、初めて語れる催しなのだろう(主催者の目論みもそこだろうし)。作品で印象深かったのは、レトロな市街地の空気と絶妙にマッチしていたチャン・ヨンヘ重工業の映像作品と、犬、鶏、鼠、蛇、サソリなどをひとつの空間に放ち、阿鼻叫喚の戦闘シーンを記録したアデル・アブデスメッドの映像作品。特に後者は動物愛護団体が見たら卒倒ものだが、「混浴温泉世界」の理念と現在の国際情勢を象徴的に表わしており、短時間の作品ながら大変インパクトがあった。
2009/06/06(土)(小吹隆文)
プレビュー:ミクニヤナイハラプロジェクト『五人姉妹』/『ラボ20#21』
[東京都]
6月のダンス、演劇の公演数は少なめ。
ミクニヤナイハラプロジェクト『五人姉妹』(6/25~28@吉祥寺シアター)は、大いに期待したい一本。ダンス作家・矢内原美邦(ニブロール)が同時並行的に進めてきた演劇プロジェクトの最新版。昨年のワーク・イン・プログレスとしての同作品の上演は、時間を様式化するダンスの可能性と役者の個性を引き出す演劇の可能性が両方引き出されていた好演だった。今回の本公演は、演劇界にもダンス界にも大きな刺激を与えてくれるに違いない。
ミクニヤナイハラプロジェクト『五人姉妹』稽古場インタビュー1
その他、手塚夏子がキュレイターを務める『ラボ20#21』(6/20~21@STスポット)公演も気になる。『ラボ20』は、若手振付家を年長の振付家・批評家が育てるコンテンポラリーダンス界の重要企画。これまで、室伏鴻、桜井圭介、岡田利規らがキュレイターを担当してきた。ここから頭角を現わした新人は数え切れない(例えば快快もその一組)。今回5組の公演が準備されている。彼らがどんな公演をするのかのみならず、彼らに手塚夏子がどんな関わり合いをしたのかにも想像を膨らませてみたい。
2009/05/31(日)(木村覚)
室伏鴻×ベルナルド・モンテ×ボリス・シャルマッツ『磁場、あるいは宇宙的郷愁』

会期:2009/05/27
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎イベントテラス[神奈川県]
昨年も同じ時期にこの会場でソロ作品『quick silver』を上演した室伏鴻が、今回はメキシコとフランスのダンサーをともなって現われた。室伏の真骨頂は即興にある。またしばしばそれは1人ないし2人のパートナーとのバトルである場合が多い。恐らく「舞踏はハイブリッド」を標榜する室伏にとって、共演者とのバトルには、思いもよらない〈複数性に満ちた場〉に自分をそして観客を誘いうるといった計略があるのだろう。タイトルの抽象性に対して、舞台空間はじつにダイナミックかつめりはりのあるものだった。テーブルに座る男三人がティッシュを引き出しながら顔に詰めてゆくシーンなどコミカルな場面が目立った。ずんぐりむっくりなモンテや若さと背の高さで凶暴に見えるシャルマッツにまじって、室伏はいつも以上に自分のフレームを変形させ、より幼児的な振る舞いを見せてゆく。そう、シャルマッツはじつに危なっかしくて、実際、室伏を蹴り飛ばしたり、テープでぐるぐる巻きにしたりしたのは印象的だった。そんななかでぼくのなかに浮かんだのが「エモーショナル」という言葉で、強烈な仕方で肉体の現前をアピールしようとするのは、最近よくみかけるあり方だな、と思うのだけれど、とりわけ即興的な空間に現われる「エモーショナル」な振る舞いは、パフォーマーの暴走振りについていけないという気持ちを観客に起こさせる。ぼくはそう思う。乱暴に振る舞うパフォーマーたちにいわば母親のような心持ちで見つめてあげられればよかったのかもしれないのだけれど、ぼくにはそれができなかった。
2009/05/27(木村覚)
岡田利規 演出『タトゥー』(デーア・ローアー作、三輪玲子 訳)

会期:2009/05/15~2009/05/31
新国立劇場 小劇場[東京都]
父娘の近親相姦が物語の中心。不在と化してくれない父にうんざりする家族の絶望的な状況が描かれる。演劇界の内輪においてはインパクトのあるテーマや台詞回しなのかも分からない。けれども、正直、新鮮さを感じなかった。ローアーの特徴とされる「無名の人々へ寄せる痛みに似た思い」(新野守広『ベルリンの窓』パンフレット、p.14)は、ひと頃のベンヤミン・ブームの際に語られまくったクリシェ以上には感じられない。こうした「痛み」を自ずとステレオタイプにし、これを語ればなにかを語ったことになるなどと思いなす無邪気な思考に基づいた荒唐無稽な形式こそ危険なはずで、そうした形式を批評していかない限り、「思い」はなんら在るべき実質を持ちえない気がする。
岡田利規は戯曲をポップなものへと変貌させていた。岡田の舞台は音楽に似てきている気がする。家族の会話は、極端な棒読み。冷え切った家族の表現であるとして、いつの間にか初音ミクが喋っているかのように聞こえてくる。娘を救い出そうとする青年が娘と執拗に続けるキスは、舌と舌が接触するだけ、奇妙で人間的じゃない。けれども、不思議にエロティックで、その反復のリズムはきわめてポップ。時に応じて上下動する、美術作家・塩田千春がドイツで収集した大小の窓枠、テーブル、椅子、ベッドの間を、岡田のアイディアが飄々と泳いでいた。
2009/05/22(木村覚)


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