artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
清水裕貴「Empty park」
会期:2019/10/24~2019/12/06
PGI[東京都]
写真とストーリーとを結び合わせて作品化していく清水裕貴の新作は、「見えない水と、古い土地についての物語」だった。彼女が幼い頃に遊んでいた公園の隣には「謎めいた広大な草地」があり、そこには細い水路があって、稀に水が溢れると大きな池になると聞かされていた。その話を思い出して、約20年ぶりにその公園を訪れて撮影した写真群と、「水を盗もうとした泥棒」、「公園の清掃係」などを登場させて書き綴ったショート・ストーリーとを組み合わせたのが今回の展示である。
以前はプリントを壁から床に垂らすなど、インスタレーション的に扱う展示を試みたこともあったが、今回はオーソドックスにフレームに入れた写真が並んでいる。作品と作品のあいだの壁、2カ所に日本語と英語で言葉を配するやり方も、奇を衒ったものではなく、すっきりと目に入ってきた。清水の写真と言葉のクオリティは着実に進化している。「第17回 女による女のためのR−18文学賞」を「手さぐりの呼吸」で受賞するなど、小説家としても注目を集めつつある。だが、これが終着点とはまだ思えない。写真も言葉も、もう一段階レベルアップして、清水にしか到達できない世界を見せてくれるのではないかという期待があるのだ。両者に足りないのは、おそらく「切実さ」だろう。清水の作品を見ていると、彼女自身の生と緊密に結びついた言葉やイメージを、まだしっかりとつかみ取っていないのではないかと思ってしまうのだ。
なお、東京・外神田のnap galleryでも、同時期に「Birthday beach」展が開催された(10月16日〜11月23日、[休廊]11月6日〜9日)。こちらは「波打ち際に流れ着くものたちの物語」がテーマである。
2019/11/06(水)(飯沢耕太郎)
やなぎみわ展 神話機械
会期:2019/10/20~2019/12/01
神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]
そういえば、やなぎみわの展覧会をしばらく見ていなかったことに気づいた。約10年ぶりの個展だそうだ。やなぎは2010年から本格的に演劇のプロジェクトを始動した。それ以前から、彼女の作品には演劇的な要素が色濃かったのだが、写真・映像作品中心の展示から、舞台・パフォーマンスの制作へと活動の中心を移行していったのだ。その後、大正期の新興芸術運動に想を得た「1924」3部作(2011〜12年)、台湾製のステージ・トレーラーを使った野外劇「日輪の翼」(2016年〜)などが話題を集める。だが、そのあいだもアート作品の制作は並行して続けられており、今回の展示では演劇とアートとの融合が模索されていた。
「マイ・グランドマザーズ」、「エレベーター・ガール」、「フェアリー・テール」といった1990〜2000年代初頭の旧作をイントロダクションとして、今回の展示のメインとなっている「神話機械」が姿をあらわす。本展に向けて、京都造形芸術大学、京都工芸繊維大学、香川高等専門学校、群馬工業高等専門学校、福島県立福島工業高等学校のロボット製作チームと共同プロジェクト「モバイル・シアター・プロジェクト」を立ち上げ、ユニークな構想の「神話機械」を完成させた。「タレイア」(メインマシン)、「ムネーメー」(投擲マシン)、「メルポメネー」(のたうちマシン)、「テレプシコラー」(振動マシン)といったマシン群が、奇想天外な動きで、ハイナー・ミュラーの《ハムレット・マシーン》やマルセル・デュシャンの「レディ・メイド」を下敷きとしたパフォーマンスを展開する。また、日本神話に基づく新作シリーズの「女神と男神が桃の木の下で別れる」では、福島の桃を撮影した写真で展示空間を構成していた。
やなぎの演劇的想像力は、以前よりもスケールの大きさと飛躍性を増し、融通無碍に神話世界を渉猟することができるようになった。写真を使う場合も、こじつけめいたところがなくなり、力強いものになってきている。「神話機械」には、今後さらに広がりのあるプロジェクトとして展開していく可能性を感じる。
2019/11/05(火)(飯沢耕太郎)
野口健吾 写真展「庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019」
会期:2019/10/30~2019/11/12
銀座ニコンサロン[東京都]
1984年、神奈川県出身の野口健吾は、立教大学卒業後に東京藝術大学大学院美術研究科に進み、写真家として活動し始めた。「庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019」は、タイトルが示すように10年近い期間をかけて撮影した労作であり、河川敷や公園に手作りの家を建てて住む人々にカメラを向けている。彼らの住まいを「庵」と呼ぶのは的を射ているのではないだろうか。仮の住居ではあるが、少しずつ手を加えていって、いかにも居心地のいい居住空間になっている場合が多いからだ。
野口はそれらの住居と住人たちの姿を、周囲の環境を広く取り入れて撮影した。パッチワークのように寄せ集められた「庵」の材料も写っている。どこか民俗学や人類学のフィールドワークを思わせる、表現よりは記録に徹した撮り方を貫いたことが、とてもよかったと思う。数年ごとに定点観測で撮影を続けた写真群もあり、台風や工事などで「庵」が撤去された跡もカメラにおさめた。大阪市淀川区の河川敷に、横に長く設営された住居などは、デジタルカメラの画像をつなぎ合わせたパノラマ画面で提示している。
だいぶ写真の数が溜まってきたので、そろそろ写真集にまとめる時期が来ているのではないだろうか。今回、展覧会にあわせて同名のZINEを刊行したのだが、それだけではまだ物足りない。ただ、写真集としてはやや地味なテーマなので、むしろ文章の比重を大きくして、写真+ノンフィクションのかたちにしたほうがよさそうだ。野口と「庵」の住人たちとの関わり合いを細やかに記述することで、2010年代の日本社会をユニークな角度から浮かび上がらせることができるだろう。なお、本展は11月21日〜12月4日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2019/11/04(月)(飯沢耕太郎)
一之瀬ちひろ 写真展「きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について」
会期:2019/10/24~2019/11/06
大阪ニコンサロン[大阪府]
銀座ニコンサロン(10月2日〜10月15日)を見逃していたので、大阪の巡回展示に間に合ってよかった。今年の収穫のひとつというべき、意欲的な個展だったからだ。
一之瀬ちひろは1975年東京生まれ。1998年に国際基督教大学卒業後、写真家として活動し始めた。現在は東京大学大学院総合文化研究科後期博士課程にも在学している。これまで『ON THE HORIZON』(AAC、2006)、『STILL LIFE』(PRELIBRI、2015)などの写真集を刊行しているが、今回の「きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について」は、まったく位相が違う。ベースになっているのは、二人の娘を中心として、身の回りの出来事、情景を細やかな眼差しで撮影した写真である。淡い光と色に彩られた写真群は、割にありがちな日常スナップに見える。だが、その合間にやや奇妙な眺めが挟み込まれている。政治学の本のページ、英語版の『日本国憲法』、「共謀罪」の国会審議について報じた新聞記事、安倍首相とトランプ大統領の画像を映し出すパソコンの画面などである。
一之瀬は、これらの二つの写真群のあり方を、こんなふうに考えているようだ。われわれの思考は、日常の暮らしのなかの出来事と連動して動いていく。「国家」という概念も、毎日の風景や出来事と深くかかわりあっているのではないだろうか。「だからたぶん、風景を眺める行為には、一瞬の光の中に国家が透かされる様子を探そうとする気持ちと、国家やその規範の作用が及ばない域を探したい気持ちが同居している」のだ。このようなデリケートな認識を取り込んだ作品は、少なくとも日本の写真表現においてはこれまでなかった。しかも一之瀬はその、とかく観念操作に走りがちな作業を、大袈裟な身振りを注意深く回避して、見る者の感情に柔らかに浸透していくような、魅力的な画像の集積として形にした。ただ、まだ「日常」の写真と「国家」を浮かび上がらせようとする写真とのあいだに、くっきりとした境界線があるように感じてしまうのがやや残念だ。それらがより一体化していくようになれば、とてもユニークな作品世界が姿をあらわすのではないだろうか。
2019/11/01(金)(飯沢耕太郎)
倉谷卓「アリス、眠っているのか?」
会期:2019/10/06~2019/10/30
Hasu no hana[東京都]
ギャラリーHasu no hanaは、昨年大田区鵜の木から品川区戸越に移転した。そのとき、家の中には以前の住人が残していた生活用品が溢れていて、ギャラリーに改装するために処分する必要があった。倉谷卓はその作業を手伝っているうちに、そこで飼われていた「アリス」という名前の猫の写真に目を留める。その白黒斑の猫の写真をきっかけにして、倉谷は印画が貼られたままネットオークションに出回っている家族アルバムを購入し始める。今回の個展では、そうやって蒐集したアルバムからかたちをとっていった作品を展示していた。
倉谷のように、いわゆる「ファウンドフォト」を素材にしてアート作品を制作しようと考える者はかなり多い。だが多くの場合、その作業は思いつきの場当たり的なものに終わりがちだ。だが倉谷は周到に準備を重ね、的確なプロセスを導き出して作品化している。今回の展示のメインとなる「Photographic Grave」は、壁一面に張り巡らされた、戦前から戦後にかけてのアルバムの台紙の群れである。そこに貼られていた写真はほとんど剥がされて、コーナーシールや糊の痕が見えるだけだが、「アリス」のようなペットの動物が写っている写真は残されている。むしろ写真が不在のほうが、想像力を強く喚起するのが興味深い。ほかに、アルバムから写真を剥がす様子を記録した映像作品「時代考証/レトロ/女学生」、「アリス」に関わりのある家具、絵画、写真などによるインスタレーション「ザ・スイート・メモリー」、表紙を反転させて裏表紙と貼り合わせたコラージュ作品「tu fui ego eris」などが展示されていた。写真の内容よりも、それがどんなふうに記憶を内蔵したメディアとして保存されてきたのかという形式にこだわったユニークな発想の作品群である。このシリーズは、これで終わりではなく、まだ発展していくのではないだろうか。
2019/10/23(水)(飯沢耕太郎)